大盾の騎士シグルズ


 砂浜を一騎の騎馬が駆け、迫ってくる。

 打寄せる波音をかき消すような歓声が響き渡る。

 ウィルは兜の隙間から迫る相手を見つめた。

 馬が多少砂に足を取られているが、やることはいつもと変わらない。


 タイミングを計って、槍を突く。それだけだ。

 狙い済ました槍の一撃が相手の胸甲に直撃した。


 木製の槍は粉々に砕け散り、相手はそのまま落馬した。

 ウィルはそのまま手綱を緩めて馬の速度を落とす。

 いつも通りに。


「ウィル! まだよ!」


 ロジェの甲高い声に、はっと振り向く。

 落馬した相手は器用に受身をとって、すぐに立ち上がった。

 どうも簡単に落馬したと思ったら、避けられないと判断すると回避を諦めて、無事に落馬できるようにわざと喰らったようだ。

 

 相手の騎士はまだ振り向いていないウィルの太ももに斬り付けてきた。

 当然、刃の部分にはカバーが取り付けられているので斬れることはない。

 しかし、地上戦の可能性も考慮して太ももの甲冑は外してある。

 このまま攻撃される骨が折れかねない。


 ウィルは持っていた折れた槍を使って剣戟を防ぐ。

 木製だけに堅さや鋭さはないが、質量だけはかなりある。

 相手騎士の剣は折れた槍を少し砕くに留まった。


 その間にウィルは手綱をはたいて馬を走らせる。

 相手騎士から離れると緩やかに円を描いて向きを変えた。

 つい今までの癖で失敗したが、ここから仕切りなおしだ。


 相手は徒歩、こちらは騎乗。

 状況はこちらに有利だ。

 ウィルは相手に向けて馬を走らせる。


 向こうの攻撃は届かず、こちらだけが一方的に攻撃できる。

 ウィルは変に長引かせないために、相手の兜を狙っていく。

 兜を飛ばして相手に降参させる狙いだ。


 相手の騎士は騎乗したまま迫るウィルの姿に怯えることなく剣を構えている。

 どうやら赤弓杯に出るのは初めてではないらしく、このルールにも慣れているのだろう。

 それでもこの圧倒的な状況は覆せない、とウィルは思っていた。


「おらぁっ!」


 しかし相手の剣筋を見た瞬間、それが誤りだと気づく。

 相手は馬上のウィルではなく、ウィルの乗る馬を狙っていたのだ。


「やばっ!」


 ウィルは慌てて手綱を引いて馬を立ち上がらせる。

 突然の操作に驚いて立ち上がる馬、ウィルはそのままバランスを崩して落馬する。


「ぐえっ」


 背中から落下するウィル。

 胸甲はつけているが衝撃までは防げない。

 肺から空気がすべて抜けたような圧迫感。

 喉がひきつけを起こしたように、空気を吸い込むことが出来なくなった。

 

 チャンスとばかりに相手の騎士が迫ってくる。

 ウィルが立ち上がるのを待つことなく、剣を振り下ろしてきた。


「――っ!」


 ウィルは呼吸を諦めて、倒れたまま下半身を頭の方に引き寄せる。

 ちょうど後転する途中のような姿勢で剣を避けた。

 そのまま勢いをつけて腕の力でバネのように跳ねた。


 鎧をつけたウィルの身体が軽々と宙を舞って、寝ていた状態から一瞬にして立ち上がる。

 板金鎧や鎖鎧は重い。

 その重さは手に持っていたら、跳んだり跳ねたり出来ないほどだ。

 しかし鎧下についた紐やベルトなどによって身体に密着するように装着されているため、重量は全身に分散されるので訓練次第ではこうした動きも可能なのだ。


 もちろんこの動きを可能にするために、全身甲冑のままランニングしたり、組み打ち稽古したり、という地獄の訓練が必要だが。


 ウィルのアクロバティックな動きに驚く相手騎士。

 その隙にウィルも腰から剣を抜いて構える。

 ガムレ集落で放浪の女巨人グンヒルトから貰った剣だ。


 カバーの付いたその剣を頭上に掲げて、振り下ろす寸前のような形で構える。

 『鷹の構え』と呼ばれる攻撃的な構えだ。

 振り上げる動作を省ける分、素早く頭上からの斬撃に移れる。


 相手騎士はウィルの構えを見ると、距離を置いて構えた。

 剣を身体の中心に据え、切っ先をこちらに向ける『一角獣の構え』だ。

 これは攻防どちらにも移れる万能な構えで、様子見の構えだと言われている。

 しかし実際は、常に相手に切っ先を突きつけているので、即座に突きを放てる非情に攻撃的な構えでもあるのだ。


 この二つの構えが対峙すると、ウィルは剣を振り上げ、その喉元にはピタリと相手の剣先が突きつけられたような状況だ。

 相手の剣とウィルの喉の間を遮るものは何もない。

 少しでも気が弱れば、振り上げた剣を防御に使うことばかりに気を取られて中途半端な構えになりかねない。


「…………」

「――ちぃっ」


 相手騎士もそれを期待してこの構えを取ったのだろう。

 だからウィルがあまり動じず、むしろ威圧を強めてくる様子に怯む。

 

『鷹の構え』を取る時は常に一撃必殺の気持ちを持たないといけない。

 この構えは防御ががら空きだ。

 だから一度の攻めで確実に相手を倒しきる、という気迫が必要なのだ。


 ウィルも老騎士ガウェインに訓練を受けた際にはそれを徹底された。

 少しでも弱気な姿勢を見せると、その瞬間にガウェインが強烈な突きを放ってくるのだ。

 あわてて防御しても、そんな逃げるような気持ちで行う防御など無駄、とばかりに凄まじい一撃で意識を刈り取られてしまう。


 そんな地獄の訓練によってウィルは、『鷹の構え』に『一角獣の構え』で対抗されるのに慣れている。

 少しでも弱気になると喉元にガウェインの突きの感覚が蘇るぐらいに慣れている。

 ウィルは突くなら突け、とばかりにじりじりと相手との距離を詰めていく。


「く、くそっ」


 相手が怯み、剣先が揺れたのをウィルは見逃さない。

 すかさず頭上から真っ直ぐ相手に向かって剣を振り下ろす。

 それはさながら鷹が上空から獲物を狙って急降下するような一撃だ。


 相手の騎士は慌てて剣をあげ、ウィルの斬撃から頭や身体を守ろうとする。

 これが『一角獣の構え』の良いところで、手首のちょっとした動きですぐに防御に移れるのだ。

 そしてこうして身体の前に剣を出されてしまえば、それに阻まれて頭や胴を攻撃できない。


 しかしウィルの狙いは最初からその差し出された剣だった。

 互いにカバーのつけられた剣は鈍い音を立ててぶつかる。

 衝撃で剣は振動し、相手の騎士は剣はぶれてウィルに押し込まれる。


 剣はモノにぶつかった時に振動する。これは当たり前の現象だ。

 しかしこのとき、振動の波と波が重なる点が二箇所ある。

 一箇所は柄、もう一箇所は『物打』と呼ばれる場所だ。

 これは剣先から、手のひら三つ分ほどの場所で、ここを目標にぶつけることで剣は抵抗なく物を断ち切ることが出来る。


 当然、斬るときはこの『物打』を上手く当てるように振る。

 なので攻撃が防御されると、攻撃側の予定していた場所に『物打』が当たらずに、外れた位置で剣がぶつかるので剣が振動しぶれる。

 だから防御側が有利になるのだ。


 しかしウィルは最初から相手の防御を目標に剣を振った。

 だから振り下ろした剣は『物打』で相手の剣に当たり、それによって振動がなく相手の剣を抑え込むことが出来たのだ。


「このっ!」


 相手の騎士もなんとか剣を押し返してきて、剣を通した押し合いになった。

 この鍔迫り合いの状態を『バインド』という。

 鍔迫り合いと言っても本当に鍔の部分をぶつけ合うわけではなく、刀身の根元から手のひら二つ分ぐらいの剣の『強い』部分で押し合っているのだ。


 バインドに入って最初のうちはウィルが有利だった。

 しかし徐々に相手の騎士の力に押し返されていく。

 バインドでの押し合いは単純に力の強さが問われるからだ。

 体格も小さく、力もそこまで強くないウィルには不利な状況だ。


 相手にぐいぐいと押し込まれるウィル。

 そして相手が一気に力を増した瞬間、ウィルは剣をスライドさせてバインドしている位置を相手の剣の『強い』位置から剣先付近の『弱い』位置へと変える。

 これによって相手の力は十分に剣に伝わらなくなって押し込む力が弱まった。


 ウィルは剣の裏側で相手の剣を押さえつつ、そのまま顔の横まで自分の剣をひきつけた。

 剣の柄を顔の横に、剣先は相手の顔に向ける『牡鹿の構え』だ。

 相手の剣はウィルの剣にそらされて、遮るものはない。

 ウィルはそのまま両手で剣を突き込む。


「ぐほっ!」


 相手の騎士もウィルと同じように胸甲をつけており、そこに喉をガードする装甲もついている。

 だからカバーの付いた剣で突いたぐらいでは喉を突き破ったりはしない。

 しかしその衝撃力はそのまま貫通して相手騎士は吹っ飛んだ。

 相手騎士はそのまま気を失ったようで立ち上がっては来なかった。


 観客席から大きな歓声と拍手が巻き起こる。

 ウィルの勝利だ。


                    ◇


『さすがは勇者殿! 素晴らしい技でした!』

「まったくひやひやさせるわね」


 騎士たちが控えているエリアに戻るとゴームソンとロジェが出迎えてくれる。

 ロジェの言うようにあまり褒められた内容ではないだけにゴームソンの評価がむずがゆい。


「馬を攻撃していいんだって忘れてた」

『ふむ? 普通は違うのですか?』

「他の大会じゃあ一発で失格モノの行為だからね」


 頭ではいつもと違うルールだ、と分かってはいたのだが、いざ試合となった時には解っていなかったと気づいた。

 相手が落馬しているにも関わらず、自分が攻撃しようとしている、という通常のルールではありえない状況。

 そんな状態だというのに馬が狙われるということをまったく警戒できなかったのだ。


 ウィルは騎士の中でも若い、最年少と言っていいだろう。

 だが、見習いの期間から紋章試合の経験があり、中堅騎士よりよっぽど試合数が多い。

 そのことがウィルの強さのバックボーンでもあるのだが、今回はそれが悪く作用した。


『なかなか面倒ですな。俺はこの大会の方がわかりやすくていい』


 ウィルは横からねちねちと注意を告げるロジェを無視しつつ、ゴームソンを見る。

 ゴームソンは次の試合だ、すっかり準備を整えて待機している。

 手には柄の長い斧と円形の盾を持っていた。


「じゃあ頑張って、戦えるのは決勝かな?」

『そのようです。出来れば早く戦いたかったですが、勇者殿に挑むのですから、勝ちあがっていくべきでしょうな』


 トーナメント表によるとウィルとゴームソンの位置は正反対だ。

 それでもゴームソンは気負った様子も見せずに試合場へと向かった。

 背中には自信がみなぎっている。


「さて、それじゃあ巨人の力を見せてもらいましょうか」

「そういえばロジェも見てないんだっけ」


 ウィルたちもゴームソンの試合を観戦するべく移動した。


 砂浜の試合場には一人の騎兵と一人の巨人が立っていた。

 巨人であるゴームソンは馬に乗ることが出来ない。

 重すぎて馬が潰れてしまうからだ。


 構図としてウィルたちがヨークの街を訪れた時にあった襲撃と同様の形だ。

 砂浜に立つ巨人とそれに立ち向かう騎兵。

 違うのは互いの武器が非殺傷なのと、騎士が赤弓騎士団ではない事だ。


 試合開始の合図と同時に馬が走り出す。

 相手の騎士は木槍を構えて突っ込んでくる。

 しかしゴームソンは動かない。


 確かに騎乗しているわけではないので、走って助走をつける意味はあまりない。

 それでも少しでも動いていれば相手の騎士が的を外す可能性がある。

 今のように棒立ちでは、文字通り『良い的』だ。


「ちょっと、あの巨人何やってんのよ!」

「盾を捨てた?」


 しかもゴームソンは手に持ってた円形の盾と斧を捨てた。

 まるで取っ組み合いでもするかのように両手を構える。

 相手の騎士はゴームソンの行動に驚いたようだが、構わずそのまま突き込んでくる。


『ふぅんっ!』


 しかしゴームソンはその突きを両手で掴み取った。

 馬が全速力で走ってついた突進力だ。

 そんな簡単に止められるものではない。

 実際、ヨークを襲撃した巨人たちも上陸してから赤弓騎士団の突撃で命を落としている。


『ぬぅぅん!』


 だが英雄の息子となると一筋縄ではいかないようだ。

 真正面から何の小細工もなく槍を受け止め、それどころかそのまま騎士を持ち上げた。

 騎手を奪われた馬が驚いて逃げ出す。

 とんでもない怪力だ、観客席からも悲鳴のような歓声があがる。


「呆れた馬鹿力ね。アンタよくあんなのに勝てたわね」

「ゴームソンには勝ってないよ。父親のゴームに勝っただけ」

「でも父親の方が強いんでしょ?」

「まぁ、そうらしいけど」

「じゃあ一緒じゃない」


 呆れた様子でロジェが言う。

 その間にもゴームソンは持ち上げた騎士を砂浜に叩き付けた。

 相手の騎士の紋章官が白旗を持って試合場に乱入し、降伏が成立。

 ゴームソンが勝利した。


「あんなの相手に勝てるの?」

「槍は使わない方が良さそうだね」


 心配そうに言うロジェに軽い調子で返すウィル。

 強がりではなく、自信があってのことだった。

 まだ本気を出してはいないようだが、その強さは父親であるゴームに劣るのは間違いない、と感じたからだ。


 二人で話していると、もうひとつの試合場から大歓声が上がる。

 気になってそちらを見てみると、真っ赤な鎧を着た長身の騎士が入場してきたところだった。手にはやたらと大きな盾を持っている。

 通常の三倍ほどもある大きさの盾には弓矢の紋章が三つ刻まれていた。


「赤弓騎士団のシグルズね」


 騎士の持つ紋章は、その騎士の持つ領地や身分、果てはその騎士が長男かどうかまで示している。

 だから紋章官たちの持つ紋章図鑑を調べれば、紋章を見ただけで、その騎士が誰で誰に仕えていて、どこに所属しているのかはすぐに分かるのだ。

 

 ただロジェのように一目見ただけで、図鑑も見ずに看破するのは結構すごいことだ。

 何せウィルは今までロジェが相手の騎士が誰か分からずに紋章図鑑を調べる姿を見たことがないくらいだ。内容を完全に暗記しているのだろうか。


「さすがホームグラウンド、人気ね」


 シグルズが槍を掲げて歓声に応えると、地鳴りのような歓声が巻き起こった。

 相手の騎士はその歓声に落ち着かないようで馬上で身じろぎしている。

 これはなかなか戦いづらそうだ。


 さすがに試合開始直前になると歓声も収まり、試合場に沈黙が降りた。


 開始の合図と共に二人の騎士は同時に走り出す。


 だがシグルズはどれだけ相手が近づいてきても槍を構えようとしない。

 

 そして二人の騎士が交差する。


 大きな破砕音と共に片方の騎士が落馬した。


 落ちたのは一方的に攻撃を受けたシグルズではなく、攻撃した方の騎士だった。


「なにあれ! どういうこと?」

「信じられない。盾で槍を弾いて、その衝撃で落馬させた」


 シグルズは激突の瞬間も槍を構えなかった。

 ただ攻撃をその大きな盾で防御しただけだ。

 それだけで、相手の騎士は、まるで岩に激突したかのように吹っ飛んで落馬した。


 あわてて受身を取って立ち上がる騎士。

 シグルズはゆっくりと旋回して今度は槍をしっかりと構えた。

 このために槍を使わずに温存していたようだ。


 これも通常ルールなら考えられない戦法だ。

 通常ルールなら一回毎に槍は交換できるので攻撃せずに温存する意味はない。

 しかしこれが赤弓杯ルールなら効果は絶大だ。


 なにせ騎槍は長い、人間二人分ぐらいの長さがある。

 こんなものを馬上から、しかも勢いをつけて突きつけられる。

 とんでもない恐怖である。


「こ、降参だっ! 降参っ!」


 立ち上がった騎士も自分に向かって走ってくる騎馬に恐怖してすぐに降参した。

 しかし声が聞こえなかったのかシグルズの勢いは止まらない。

 

「何やってんのよ、あの紋章官! 早く白旗を出しなさいよ」


 ウィルの隣でロジェが毒づく。

 騎士の降参は紋章官が白旗を乱入することで成立する。

 互いに兜をかぶっているし、歓声が凄まじいので言葉による降参は聞き取れないからだ。

 

 しかし紋章官はシグルズの突進に巻き込まれるのを恐れているのか、まごまごとして試合場に入ってこない。

 騎士は武器を捨て、両手を上にあげて必死に降参をアピールする。


 もはやシグルズは目の前だ。


 思わず、といった感じの悲鳴が試合場に響いた。


 静まり返った試合場で、シグルズの走らせる蹄の音だけが聞こえる。


 相手の騎士は吹き飛ばされることもなく、突っ立っていた。

 ただその頭に兜はない。


「え? あれ?」


 騎士は自分が無事だったことに、そして兜がない事に気づいて辺りを見渡す。

 だが観客たちはそんな騎士の様子よりも上空に舞い上がったモノを見ていた。

 ソレが重力に引かれて、どさ、と砂浜に落ちる。

 なくなっていた騎士の兜だ。


 その瞬間、凄まじい歓声が試合場を包んだ。

 

『勇者殿以外にも面白そうな相手がいますね』


 いつの間にか試合をおえて近くに来ていたゴームソンが不敵な笑みを浮かべる。

 トーナメント表によるとシグルズと先に当たるのはゴームソン。

 ウィルが決勝まで行った時、相手はシグルズか、ゴームソンどちらか一方になる。



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