ヨークへの帰還
28話 ヨークへの帰還
ガムレ首長の長男ゴームソンの率いる軍船で出発して五日経った。
ここまでの船旅は五人で来たときと比べると恐ろしく順調だ。
なにせ軍船は行きに乗った中型船と比べてもかなり大きい船で、漕ぎ手に屈強な巨人戦士たちが二十人以上居るのだ。
多少の凪でも問題なく漕いでいける。
行きとは段違いの速さで海を横断し、遂にヨークの近海まで来た。
しかし、まだ街までは距離があるというのに、慌しく巨人たちが動き始めた。
上陸準備というよりは戦闘準備のようだ。
漕ぎ手を減らして船の縁に取り付けられた盾を装備し始める。
「どうしたの?」
『どうも他の集落の船が集まっているらしい』
ウィルがゴームソンに尋ねると、彼は巨人たちに指示を出しながら船首へ向かう。
ロロはガムレ集落に残ったが、サラが問題なく通訳してくれる。
サラに言わせるとブリトニア語と巨人語は似た文章構造をしていて、共通の単語も多いので意志の疎通ぐらいならすぐ覚えられるとのことだった。
サラの凄さを知った瞬間だ。
ウィルも一緒に船首に行くと、水平線の向こうにぽつぽつと船影が見えた。
『馬鹿な、連絡がいっていないのか! 何故ここに居る』
ゴームソンが驚愕の声を上げていた。
どうやらあの豆粒のような大きさで、どこの船か分かるらしい。
ウィルには小さな黒い点にしか見えないが、ゴームソンが言うには他の集落の軍船らしい。
しかもどこかひとつの集落だけでなく、様々な集落の船が集まった連合軍のようだ。
この連合軍は元々はロロ救出の為にゴームが号令を出して集めた軍団らしい。
難攻不落のヨークを本気で攻略し、囚われているであろうロロを救出するために組織した精鋭の軍団。
それが解散されずにヨークの近海に集結しているらしい。
「そんな、ロロ君はもう帰れたのに……」
『勇者殿がガムレに来た日にすぐ伝令を立てたはずです。何故ここに……』
「この軍団を組織したのはゴーム殿なのか?」
『いえ、父は最初ガムレの問題だからガムレだけで、と考えていました。それをハーラルが……まさかっ!』
ガウェインの問いかけに答える途中で、ゴームソンが再び船影を確認した。
相変わらずまだまだ距離があってどんな船なのかウィルには判別できない。
しかしゴームソンには分かるようで、じっと目を凝らして舌打ちした。
『くそっ、ハーラルの船だけない。どこだ!』
ゴームソンをはじめ他の巨人戦士たちも食い入るように前方の船影を見ている。
ウィルにはまったくそれが見えないので、諦めて周囲を見渡していた。
それが功を奏したのか、ウィルは集団から離れていく一隻の船影を見つけた。
「ゴームソン、あれは?」
『――っ! おお、勇者殿。さすがだ! あれがハーラルの船だ』
ゴームソンがそちらを見た瞬間、海上に凄まじい雄叫びが響き渡った。
ウィルたちが振り向くと、それは前方の巨人の軍団から発せられていた。
小さな船影がきらきらときらめく。
おそらく武器を抜いて頭上に掲げたのだろう、太陽に反射しているのだ。
どんどんどん、と一定のリズムで太鼓の音が鳴り出した。
同時に巨人の軍団の船は一斉に海上を滑り出した。
ヨークへの襲撃が始まったのだ。
『ハーラルめ! 伝令を潰して軍団を掠め取ったのか!』
おそらくハーラルはロロが帰還したことにいち早く気づき、ガムレ集落から各集落に送られた伝令を捕らえたのだろう。
それによって各集落はロロが帰ってきたことを知らず、当初の予定通りにヨーク襲撃のための精鋭を出発させた。
そしてハーラルはウィルたちがガムレ集落で歓待を受けている間に、先んじて軍団を結成しヨークに向けて出発したのだと思われる。
「で、でも、あの船。どんどん離れていきますよ?」
サラがハーラルの乗っている船を指差す。
確かに発見したハーラルの船はヨークを襲撃する軍団とは別の方向に進んでいる。
「うーん、自分だけ逃げ帰るつもりかな?」
「いや、見ろヨーク城に向かっておる。おそらく軍団を捨て駒にして、裏側から上陸して強襲するつもりなんじゃろう」
ガウェインの言葉通りにハーラルの乗る船はヨークの港から迂回して離れるような軌跡を描き、城の裏側へと回りこんでいく。
ヨークの街は集結してくる巨人の船団に、蜂の巣をつついたような騒ぎになており、この動きに気づいている者はいなさそうだ。
「このままだとまずいな。赤弓騎士団もほとんどが港に行くだろうし、城は手薄になる。少数だとしても城を落とされかねんぞ」
「城にはアリエルやロジェも居るんだ。ほっとけないよ」
ウィルがゴームソンに頼んでハーラルを追ってもらおうと振り返ると、ゴームソンはいつかのように跪いていた。
周りを見るとゴームソンだけでなく、他の巨人戦士たちも一斉に跪いていた。
「ゴームソン?」
『勇者殿、我々は首長ゴームより貴方に従うように、と言い渡されております。遠慮なくご命令ください。我らガムレ戦士団、ご命令ひとつで同胞であろうとも蹴散らして見せましょう!』
ウィルは思わず横にいたガウェインの方を見てしまう。
どうしたら良いのか分からなかったからだ。
「本当に巨人というのは愚直なまでに真っ直ぐな連中じゃな」
「いくら首長から言われたからって知らない人間に従うなんて……」
「それは違うぞ、小僧。お前はゴームに勝ったじゃろう。偉大な英雄と呼ばれる巨人に勝った小人の勇者、そんなお前だからこそ、彼らは従うと言っておるんじゃ」
「勇者……俺が?」
「なぁに、難しく考えることはない。儂らにはやらねばならんことがある、それを願えばいいだけじゃよ」
ウィルはガウェインの言葉に頷くと、跪くゴームソンの前に立つ。
「ヨークを攻めている巨人たちを止めて欲しい。そしてハーラルを追って、俺達もヨークの城に連れて行って」
『お任せください!』
◇
ウィルたちがハーラルの船に追いついた時には、既にハーラルたちが上陸した後だった。
ゴームソンは随伴させていたもう一隻の軍船に命令を出して、ヨークを攻撃中の他の集落の巨人たちへ伝令へ行かせた。
今度こそロロの無事を伝えて巨人の国イェリングへ引き上げさせるためだ。
一方でウィルたちが乗る軍船はハーラルを追ってヨーク城の裏側へと回りこんだ。
しかし同じ巨人が乗る軍船だ、速度に大きな違いがない以上、先行しているハーラルの船に追いつくことはない。
ウィルたちの船が上陸した時には、船だけが残っていて、巨人たちの姿はなかった。
見張りも残さず、乗り捨てるようにして船だけ残されている。
ここに戻るつもりはない、という決意のあらわれだろうか。
城の表門はヨークの街の方を向いており、厳重な警備が敷かれている。
大きな落し戸と跳ね橋があり、敵が攻めてきたときには跳ね橋を上げて、落し戸を落とし入り口を塞いだ状態で城門横の城塔から弓を射掛けるのだ。
しかしこちら側は城の裏手で、断崖絶壁の崖になっている。
まったく人が入れないわけではないし、一応道らしきものもある。
だがそれは細く、巨人一人が歩けばもう余裕がないほどだ。
当然、こちら側にも城壁があって歩廊がある。
こんな不安定な足場をちまちま登っていたら頭上から弓を射掛けられて全滅する。
だからこちらにはそれほど警備はいない。
しかしまったくいないわけではないハズだ。
なのに警備の姿を見かけない。
「どうやら城の中に巨人を手引きしておる奴がいるな。いくら奇襲と言ってもこうもすんなりと侵入できるわけもない」
「それって領主のエイリーク?」
「分からん。だがもしそうなら姫様が危険じゃ」
「うん、急ごう」
警備がいないどろこか交戦した跡も見られない。
何者かがハーラルたちを城内に導いたとしか思えない状況だ。
裏手門から城内に侵入すると、領主のエイリークと会った建物、城の主塔で争う声が聞こえてきた。
さらにキンキン、と金属をぶつけ合う剣戟の音も響いている。
「こっちか、じっちゃんは迎賓館を見てきて!」
「分かった! 小僧、すぐ駆けつけるから無茶するなよ!」
ガウェインは巨人戦士を八人ほど従えて迎賓館の方へと走っていく。
アリエルたちが滞在しているのは迎賓館だ。
だから普通に考えればアリエルたちが居るのは迎賓館のはず、アリエルの騎士を自認するウィルとしては真っ先にそちらに向かうのが筋だろう。
しかしウィルは何故か主塔の方へ行くべきだ、と感じた。
理屈ではなく、直感でこちらにアリエルが居る、と思ったのだ。
「ゴームソン、何人かは他の場所に回ってもらって! ここは狭い、巨人が何人も来ても戦えない」
『分かりました! おい、どこかに鐘楼があるはずだ捜して鳴らしてこい。それと、正門の方を占領しにいった戦士がいるはずだ、そいつらを仕留めて正門を開けておくんだ。小人の兵士たちがじきに戻ってくる』
ウィルの指示を聞いて、すぐにゴームソンが部下たちに指示を飛ばす。
ゴームの息子なのでもっと直情的で考えるより前に動き出すタイプかと思っていたのだが、意外なことにかなり先を見越して動けるようだ。
十人ほどがバラバラと散っていき、残ったのはゴームソンを入れて五人ほどだ。
ウィルは彼らを引き連れて主塔を駆け上がる。
主塔はさすがに頑丈な造りなので巨人が走っても大丈夫だ。
いくつか階段を駆け上がると、巨人と対峙する領主エイリークの姿が見えた。
エイリークは斬られたのか右肩を押さえ、だらりと剣を持っている。
その背後にはアリエルの姿があり、近くでは巨人と戦う老騎士ランスロットの姿もある。
周りには城の衛兵らしき者たちもいるが、巨人の力の前に押さえ込まれている。
ランスロットは一人巨人を圧倒しているが、多勢に無勢で動きが取れないようだ。
エイリークの前に立つ巨人が手に持った斧を振り上げる。
ウィルは必死に駆け出す。
負傷しているエイリークにそれをかわす術はない。
間に合わない、そう思ったとき、アリエルがこちらに気づいた。
そして、無謀にもエイリークを助けるべく動き出した。
このままではエイリークに巻き込まれてアリエルも斬られてしまう。
そう思った瞬間、ウィルの頭の中は真っ白になって、血が沸騰したような感覚になった。
全身の感覚が麻痺したように感じられて、地面を蹴っている足裏の感覚が遠い。
空気が重くなったような錯覚がある。
周りの空気が粘度を持って絡みつくような錯覚。
それによって全ての時がゆっくりと動いているような感覚。
一瞬のことのはずなのに、アリエルの元まで十歩もない距離のはずなのに。
まったく辿り着けない、少しも進んでいない。
そしてゆっくりゆっくりと斧の切っ先だけは、砂時計の砂のように着実と進む。
ウィルはまとわりつく空気を引きちぎり、踏みつけるようにして足を出す。
気がつけば、巨人は目の前に居て、手に持った剣を一閃していた。
アリエルは突っ立っていたエイリークを引き倒して、ウィルの後ろで床に伏せている。
部屋の空気が凍りついたように、音がしなかった。
コォン、と部屋に乾いた音が響いた。
それは柄の部分を切り落とされた斧の刃だった。
誰もがそれを呆然と眺めている時、ウィルだけが動きだして目の前の巨人の膝を蹴った。
『グオオォォッ!』
回転をつけて蹴り抜いた膝は砕け、巨人はバランスを崩して倒れこむ。
ウィルはそのまま勢いを殺さずに、一回転ターンした。
そしてそのまま倒れこんでくる巨人の顎に向けて、柄頭を打ちぬいた。
その瞬間、巨人の首がフクロウのようにぐり、とまわった。
立て膝の状態で留まっていた巨人の身体から、がくん、と力が抜けた。
糸が切れた人形のように倒れ臥した巨人は白目を剥いていた。
ウィルは思わず大きなため息をつく。
「アリエル、無茶しすぎだよ」
「ウィルならきっと何とかしてくれるって信じてたわ」
ウィルが呆れた顔でアリエルを見ると、アリエルは満面の笑みで返した。
こういう顔はずるい、といつもウィルは思う。
こんな顔されて、こんなことを言われたら文句を言う事も出来ない。
『行け! ハーラルの手下どもを捕らえろ!』
その間にも駆けつけたゴームソンと巨人戦士たちが、衛兵たちと戦っていた巨人に襲い掛かる。
衛兵たちは突然始まった巨人の仲間割れに驚いている。
そしてそれはランスロットも同じだった。
戦っていた巨人を乱入した巨人にまかせてウィルの元へと近寄る。
「ウィル、これは一体どうなっとるんじゃ」
「ゴームソンは味方だよ。ここまで送ってくれたんだ」
「さすがはウィルね! 巨人にも認められるなんて」
アリエルが嬉しそうに言うが、ランスロットはそれで納得できるわけもない。
「……さすがに僕には説明が欲しいんだけどね。ウィリアム卿」
そしてそれは領主であるエイリークなら尚更だった。
アリエルに引き倒された格好のまま、エイリークが呟く。
意外と肝が据わっているのか、巨人と巨人が争いあっているというのにあまり驚いているように見えない。
ウィルたちがそんなやりとりをしている間に、巨人たちの戦いはゴームソンたちガムレ戦士団の一方的な勝利で終わろうとしていた。
ハーラルの手下たちはなすすべもなく取り押さえられていく。
『貴様ぁ、ゴームソン! 小人の味方などして、イェリングを裏切るのか!』
一際小さな巨人が甲高い声を上げる。
小さいといってもウィルたちから見れば十分大きいのだが、ゴームソンたちと比べるとひとまわり小さい。
ゴームソンは小さい巨人を殴りつけて床に組み伏せる。
『裏切り者はお前だハーラル! ロロをかどわかし、父を騙した大罪人め!』
『あと少しでこの街が手に入ったのだ! 巨人に不利益をもたらしたのは俺ではない、貴様だゴームソン!』
殴られても怯んだ様子もなくゴームソンを弾劾するハーラル。
しかしゴームソンもまたその言葉に怯んだ様子はない。
顔色を変えることなく、掴んだハーラルの顔を床に押し付ける。
『そのために他の集落の戦士を捨て駒にしてか?』
『あ、あれは、陽動だ。城の占領が済めば撤退する予定だった』
『ふん、それは首長たちの前で言うんだな。その陽動部隊は引き上げさせた、貴様が何と言っていたのかきっちり証言してくれるだろうよ』
ゴームソンはそのままハーラルを絞め落として気絶させた。
ハーラルの部下の巨人たちも次々に倒されて捕まっていく。
「ま、とりあえず確定してるのは僕がウィリアム卿とアリエノール公爵に助けられたって事か。礼を言うよ、危うく死ぬ所だった」
「礼はゴームソンたちに言って。ゴームソンたちが居なければ無理だった」
ウィルがそう言うと、エイリークはへらりと笑った。
「そりゃ確かに、どうも港の襲撃も止めてもらったみたいだしね」
そう言ってエイリークはゴームソンを見つめた。
その視線に怯えはなく、何故か懐かしいものを見るような視線だった。
『戦士ゴームソン殿。助力に感謝する。我が名はヨーク領主エイリーク・ブラッダ、この恩に全力を持って報いると誓おう』
『――我々の言葉が話せるのか』
ゴームソンだけでなくウィルたちもまた驚愕に目を見開いた。
エイリークの口から紡がれたのはサラよりも完璧な巨人の言葉だった。
『まぁ、ちょっとブリガンテス族とは昔に縁があってね』
ふっ、とエイリークを陰のある表情をしつつも、どこか得意気に言う。
もったいぶった態度で自分に酔っているような感じだ。
『そうか、だが報いると言われても我々はこれでしばらくはここに近寄ることはないぞ。勇者ウィリアムが首長ゴームとヨークは襲撃しないと約束したからな』
「へっ? 首長と約束? 停戦したってこと?」
しかしゴームソンの言葉を聞いて、その得意気な顔はすぐに引っ込んだ。
かわりに間の抜けた顔をして、言葉もブリトニアの言葉に戻ってしまう。
「ええと、一度全部説明してくれないかな?」
エイリークはウィルの方を見るととても情けない顔をした。
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