鋼の騎士アロン・アイアインサイド

 結局ウィルとロジェの間に流れる空気は微妙なまま壮行会を迎えることになった。

 それでも以前のように紋章官としての仕事をおろそかにすることはなくなったが、逆に開き直ったのか『仮面の男』については個人的な事だから、と一切の関わりを拒絶してきた。

 ロジェは一度そうと決めると頑固で、ウィルだけでなくアリエルたちの説得にも耳を貸さず『仮面の男』についてまったく語ろうとしなかった。


 壮行会の紋章試合は、予選から勝ち上がった騎士四名と事前に登録された指名騎士四名が第一試合で戦う。

 この四試合はまだ御前試合ではなく王は観戦しない。

 これを勝ち上がった四名が戦う『準決勝』の二試合と『決勝戦』の合計三試合が王の観戦する御前試合となる。

 そして見事決勝で勝ち残った騎士がエゼルウルフ王直々にお褒めの言葉をいただいて、賞金と大紋章のパーツを下賜されるのだ。

 

 つまり予選組の初戦の相手は必ず指名組の騎士の誰か、となっている。

 実際にウィルの相手は紋章試合に多く出ているベテランの騎士だ。

 ロジェによるとガイやボルグの影に隠れてあまり名が知られていないが、常に着実に結果を残す手堅く地味な騎士らしい。


「うーん、エルと戦ってみたかったんだけどなぁ」


 そして黒騎士エルの相手はなんと騎士王ガイだった。

 予選組は必ず指名組と戦うはめになるので、誰かはガイと戦うことになるのだが、それでも組み合わせ次第ではウィルとエルが戦うことが出来ただけに残念だ。

 エルは騎士王と当たってしまったというのに落胆した様子は見せず、むしろ気合が入ったといわんばかりの様子で騎乗していた。

 『自ら切り開く』を誇りモットーにするだけあって、いきなり優勝候補と当たっても気後れたりはしないらしい。


 もちろんエルがガイに勝つ可能性がないとは言わない。

 しかしそれは奇跡に近い、とウィルは見ている。

 ウィルはエルが戦う姿を直接見てはいない。

 だが騎乗するちょっとした動作からもエルがガイに劣るのは間違いないと分かる。

 上手い奴は馬に乗るところから上手いのだ。


「何よ、あの黒騎士と知り合いなの?」

「うん、こないのだの予選で隣に居た騎士だよ。見てなかったろうけど」

「…………ふん」


 ウィルがちくりと嫌味を言うとロジェは不機嫌そうに反応する。

 言い返してこないのは自分でも悪かったと思っているからだろう。


 予選組・指名組それぞれの対戦相手が発表され、さっそく試合が開始される。

 最初の試合はウィルの試合からだ。

 相手は地味で堅実と噂の騎士アロン=アイアンサイドだ。


                    ◇


 ウィルは入場門で騎乗して試合の開始を待った。

 現在は紋章官同士が自分の騎士を観客に紹介するアピールタイムだ。

 ロジェはよく通る美声で朗々とまるで英雄譚サーガでも謳いあげるようにウィルの紹介をしている。

 物語仕立てでテンポ良く、抑揚を付けて語られる物語に観客達は引き込まれている。

 アロンの紋章官はしきりに時間を気にしている。

 紋章官のアピールには時間制限があり、それを過ぎた場合は異議を申し立てて途中で遮ることが出来るのだ。

 しかしロジェのアピールはまるで計ったように時間ギリギリで終了、語り終えた瞬間に制限時間の砂時計が全部落ちた。

 アロンの紋章官は途中で遮ることが出来ずに悔しそうに歯噛みした。

 

 そんな相手の様子を満足気に見たロジェは、得意げな表情をして仮面の男の方を見た。

 だが仮面の男はロジェの方など見ておらず、じっとエルの方を見つめたままだ。

 その様子にロジェは顔を真っ赤にして不機嫌になりながらウィルの元に来る。


「ウィル! 派手にぶちのめしちゃって!」

「相手の情報は?」

「堅実なだけで勝てる相手よっ」


 冷静さを失っているようにしか見えないが、ウィルはロジェを信用した。

 ロジェが『派手に』というのならばそれが必要なことなのだろう。

 ウィルは要望に応えて兜を狙う事に決めた。

 兜狙いはリスクの高い攻撃だが、見事に決まればいきなり三ポイント入る。

 派手さでは落馬狙いもいいが、相手は堅実さが売りの騎士だ。簡単に落馬してはくれないだろう。


 開始の合図と同時にウィルは槍を構えて走り出す。

 相手の騎士も同じように槍を構えて迫ってくる。

 その姿を見て、ウィルもまたロジェ同様に『堅実で技術もあるが勝てる相手だ』と確信した。

 騎乗して走る姿によどみはなく、上半身の揺れも少ない。

 安定しているが、特に突出した何かを感じない。


 二人の距離がかなり接近してきたが、まだアロンは突いてこない。

 ウィルとの体格差があるのでアロンの方がリーチは長いのだが、見た目どおりに慎重派ということなのだろうか。

 逆にウィルは兜狙いなのでいつもよりも早く突きの動作に入った。


 しかしその突きは既に防御体勢に入っていた相手の騎士の楯に阻まれた。

 相手は最初から攻撃する気がなかったとしか思えないような準備の良さだ。

 ウィルの槍は相手の楯の上を滑り、砕けることなく宙を突いた。

 これが兜狙いの最もリスキーな欠点だ。


 兜を狙うためには水平に構えた槍を下から掬い上げるように突くことになる。

 それを楯で防がれた場合、角度がついていて衝撃が逃げてしまうのだ。

 それによって槍は砕けることなくそれてしまう。

 つまりポイントが入らない。

 三ポイントを狙いにいってゼロポイントになってしまうことがあるのだ。


 ウィルは慌てて楯を構える。

 相手はこちらの攻撃をかわして、体勢の崩れたところを攻撃して落馬させるつもりだと考えたからだ。

 しかし、身構えているとなかなか攻撃は訪れず、アロンとの距離が最も近づいた時にようやく小さく真っ直ぐに槍を突いてきた。


「くっ」


 ウィルの口から意図せず呻きが漏れる。

 身体や兜を狙った攻撃ならその進路に楯を斜めに置くことで逸らすことが出来た。

 しかしアロンはウィルの楯を真っ直ぐに狙ってきたのだ。

 下手に楯の角度を変えると今度は身体や兜が無防備になり本末転倒だ。

 ウィルはかわすことが出来ずにそのまま楯で槍を受ける。

 

 槍の勢いは強くない。

 実戦だったら脅威になるような威力ではないだろう。

 しかし、試合なら充分に槍を砕くことが可能な勢いだった。

 あやまたず、アロンの槍は見事に砕け散った。


 確かにアロンは堅実なだけでウィルより技術は無い。

 しかし、堅実で上手い。

 侮って『派手に勝つ』などと考えていい相手ではなかった。

 ウィルは砕け散ったアロンの槍と、砕けていない自分の槍を見ながら後悔した。

 入場門に戻ってくるとロジェが真っ青な顔で出迎えた。


「な、何してんのよ! またアタシを驚かせようとしてるの?」

「違う、相手が上手い。向こうは最初から相打ち狙いでこっちのミス待ちなんだ」

「――そ、それって」

「少しでもこっちが派手な勝ち方しようとしたらこうやってポイントリードを奪って、あとは相打ちで逃げ切るつもりだ」

「あ、あぁ、そ、そんな……」


 ロジェが膝から崩れ落ちる。

 『派手に勝て』と言った指示が致命的な事態を引き起こしたことを気づいたからだ。

 しかしウィルはそれで恨み言を言うつもりはなかった。

 ウィルもまた相手を見ずに侮っていたのだ。

 いまロジェはまともな判断が出来ない状態だ。

 その事をウィルは知っていたのだ。

 それなのにいつもの通りにロジェに判断を任せてしまった。


 ロジェが調子のおかしい理由を打ち明けてくれないとしても、すべてをロジェのせいにするのは何かが違うと思った。

 ウィルとロジェはパートナーなのだ。

 片方が調子が悪いなら片方が補う。

 どちらかに寄りかかる関係は間違っている。


 俯きこちらを見ることも出来ないロジェ、ウィルはその姿を背に走り出す。

 もう『派手に勝つ』つもりはない。

 それでも常に相打ちを狙う相手にポイントリードを取り戻すのは至難の技だろう。

 だが諦めるわけにはいかない。

 アリエルの為にも、ウィルは誰にも負けるわけにはいかないのだ。


 再び入場門から走り出して槍を構える。

 アロンも同じく走ってくる。

 先ほどと全く同じ構え、よどみなく安定している。

 今度はウィルも無理はしない。

 リードされたと言ってもポイント差は一ポイントだ。

 一回でも相手の攻撃をかわせば同点になる。

 充分に引きつけてからアロンの上半身を突く。

 力も必要最低限にして軽く鋭く突いた。


 当然アロンは最初から防御態勢なので楯に防がれる。

 ウィルは槍が砕けると素早く槍を捨て、防御に専念する。

 アロンの狙いすました突きが迫ってきた。

 何とかそれを逸らそうとウィルは楯を出来る限り斜めにし、上半身を捻った。


 しかしアロンの攻撃はギリギリまで引きつけられていたので完全にかわす余裕はなく、楯の中心を突かれてしまった。

 先ほどよりは衝撃を逃がす事に成功したが、アロンの槍は砕けてしまう。

 これでポイントはウィルが一ポイント、アロンは二ポイント。

 リードは変わらずだ。


 入場門に戻るとロジェの顔色は真っ青を通り越して白くなっていた。

 これが三セット目なのでこのまま相討ちだとウィルが負けてしまう。

 ロジェは口をぱくぱくと動かすが、結局何も言えずに口を閉じた。

 ぺたりと伏せてしまった狐耳を見て、ウィルはロジェの頭をぽんと撫でた。


「負けないよ」


 その手をひらひらと振って、馬を進ませる。

 一か八かになるが、手段がないではない。

 ここに至ってはもはやリスクを避ける意味はない。

 どちらにしろ、これで相討ちなら負けになる。

 開始の合図で覚悟を決めて走り出す。


 ウィルがアロンの楯を突くところまでは二セット目とまったく同じだ。

 アロンが勝利を目前に油断するなり、派手な勝ち方に色気を出したりしてくれたら少しは楽だったのだが、そんな事はなかった。

 こうしたところが堅実だと言われる所以であり、地味で目立たない所以だろう。

 ウィルは二セット目と同じように槍が砕けると同時に手放した。

 そして今度はその手で手綱を取って、楯を持つ手を自由にする。

 これで先ほどよりは自由に楯を使えるが、その程度でアロンの攻撃をいなせるとは思っていない。

 

 こちらの作戦が悟られないように、ギリギリまで楯で防御の姿勢を崩さない。

 完璧なタイミングを探るため、ウィルはアロンを凝視した。

 そしてアロンが突きを放とうと動き出した瞬間。

 持っていた楯を放り捨てた。


 その行動に試合場がどよめいた。

 そして目の前でそれを見たアロンもまた構えた槍先を揺らして動揺した。

 楯に狙いをつけていたので、それが捨てられた事でそちらを追ってしまったのだ。

 だがそこから強引に軌道を修正してウィルの胴鎧を狙ってきた。

 無茶な軌道修正で勢いは減退したが、それでも当たれば槍は砕けてしまう。


 ウィルは高速で迫る槍先をぎりぎりまで引き込み、篭手で円を描くようにして槍を弾いた。

 槍は横からの衝撃に狙いを逸らしてウィルの横をすり抜けていく。

 アロンがその様子を呆然と見つめながらすれ違っていった。

 同時に観客席から大歓声が響いた。

 これでようやく同点。ここからは点差がつくまで続く延長戦だ。


 結局、試合として盛り上がったのはそこまでで、その後の試合は相討ちの続く観客にとっては退屈な展開となった。

 ウィルの使った楯を捨てるという作戦は一度使えば、すぐに通用しなくなる奇策だ。

 なので延長戦では互いに地味で堅実な戦いに終始した。

 そこから十セットを要してようやくアロンの守りが崩れて、何とかウィルが勝利した。


 ウィルは騎士や紋章官たちが控えているスペースに戻ってくると兜を脱いだ。

 思わず口からため息が漏れる。それにロジェが過剰に反応するが、別にロジェに呆れてため息を吐いたわけではない。

 単純に疲れたのだ。


 アロンは初見で感じた通りにそれほど技術は高くなかった。

 体格も並みで、技術も並み。

 しかし精神力はまるで鋼のようだった。

 膿まず弛まず、たった一つの事を淡々とこなす。

 こういう強さもあるのだ、と感心してしまった。

 

 ウィルは傍らでこちらを伺うように見ているロジェに目を向ける。

 ロジェは上目遣いでウィルを見て、やがて怯えるように目を逸らす。

 あの自信に溢れたロジェが見る影もない。

 その様子にウィルは再びため息をつきそうになって飲み込んだ。

 どうにかしなければ、と思うが、どうしていいか分からない。

 本当に難しい。


 ウィルとロジェが葛藤している間にも次々と試合は進んでいく。

 この間見た巨躯の騎士ボルグと予選組の騎士が戦い、ボルグが相手を落馬させて勝利。

 次にウィルの知らない指名組の騎士と予選組の騎士が戦い、こちらも順当に指名組の騎士が勝利して終わる。

 元々御前試合は指名組同士の戦いになることがほとんどらしい。

 無名の騎士にもチャンスを与えるという名目で予選が開かれるが、予選組が勝ち上がって御前試合に出場するのは稀なのだ。

 次はいよいよ黒騎士エルと騎士王ガイの試合だ。

 ウィルの予想ではガイの勝利は間違いないのだが、つい先ほどそうした予想が万能ではない、と知ったばかりだ。


 まだ御前試合ではないとはいえ、騎士王の試合だ。

 観客も興奮した様子で試合の開始を待っていた。

 まずはエルの紋章官がアピールを始める。

 内容はあまりなく、ひたすら正体不明であることをアピールしている。

 あまり戦歴がないのかもしれない。

 強さはともかくエルが何者なのかは非情に気になるアピールだった。


 いよいよガイのアピールの為に仮面の男が試合場に出てくる。

 その異様な風体に観客はどよめきを漏らす。

 仮面の男は手に白い布を持ってゆっくりと歩いてきた。

 そして、その黒い布を試合場の真ん中に掲げられているガイの紋章がついた楯にかぶせた。


「――えっ」


 その意味に一番最初に気づいたロジェの声が妙に大きく響いた。

 試合場には中央の審判台の前にこれから戦う騎士双方の楯が掲げられている。

 それに白い布をかぶせる意味は、試合放棄。

 

 騎士王ガイは御前試合まで勝ち進むことなく、第一試合を棄権して敗退した。

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