3章 王都ロンドン
王都ロンドン
ウィル達はメイドストンの街から数日旅をして、王都ロンドンへ到着した。
王都ロンドンはテムズ川に寄り添うように複数の街が集合して出来た都市だ。
かつてロムルスレムス神聖帝国が支配していた時にはロンデニウム砦として築かれたという経緯があり、かなり歴史のある都市である。
街を横切るテムズ川はブリトニアの下半分をほぼ横断する長く肥沃な川だ。
そのテムズ川を横切ってロンドンに向けて一本の大きな橋が架かっている。
幾度となく流されたことで有名なロンドン橋だ。
川幅の広さと度重なる氾濫によって再建するたびに流されるのだ。
今は穏やかに見える流れの中に何艘もの船が行き来していた。
テムズ川はブリトニアの河川交通の要衝であり、渡し守ギルドによってさかんに荷物や人々が行き来ているのだ。
ウィルはそうした風景を眺め終わると、目の前にある光景を見る。
川から流れついたゴミが溜まったような、何とも言えない光景。
「なんだか雑然としてるね」
「ここは壁外の集落じゃな」
ウィルたちがいるのはロンドン橋の手前、テムズ川とロンドンの街壁が見える対岸だ。
王都とは思えないようなボロい家屋が大量に並んでいる。
しかも無計画に建てたのか、道なのか庭なのか分からない場所が多くあり、迷路のようになっている。ひどく混沌とした有様だ。
住民たちもどこか汚い穴のあいた衣服を着た者たちが多い。
「見ろ、橋の向こうに門があるじゃろう? あそこで検問しておって身元が不確かな者は入ることができんのじゃ。だから皆ここに勝手に家を建てて生活しておる」
「でも壁の中に入れてもらえないならここに居てもしょうがないでしょ?」
「街からは行商人が出てくるからな、下手な村で生活するよりも色んな物が手に入るんじゃ。テムズ川が氾濫するせいで土地も肥えて作物も良く育つしな」
「勝手に畑も耕してるの?」
老騎士ランスロットが指差す先には小麦だけでなく様々な野菜が植えられた畑が見える。
畑も家と同様でどこまで畑か境目が分からない。
だがその面積はかなりのもので、これを自由に耕作できるというのなら自ら壁の外に出てくる住民がいそうなぐらいだ。
「言ったじゃろ、テムズ川は頻繁に氾濫すると。ここらはその度に全部流される、だから見過ごされておるんじゃ」
「ここが全部? 家も?」
「家もじゃ。だからこんなボロ屋なんじゃよ。どうせ壊れるからな」
「洪水に流されるって分かってて住んでるんだ」
「大きい街には良くあることじゃ。街での暮らしは田舎の村とは違う。なじめずはみ出す者はいくらでもおるよ」
「コーンウォールにも?」
「……そうじゃ」
それきりランスロットは口を閉じ、ウィルは黙って集落を眺めた。
人々は雑多な人種で溢れていた。
サクソン人、ユート人、アンゲル人、そしてブリトン人。
各地から何かを夢見て王都に来たのだろう、だが結局こうして壁の外に追いやられて生活するしかなくなってしまった。
それを悲惨なことだと思うか、それともそれでもこうして生活していることをたくましいと思うべきか。
ウィルには良くわからなかった。
そのうえ明るい表情で暮らしている人も居て、ますます良く分からなくなった。
◇
ぽくぽくと馬を進ませて橋を渡り、検問を無事に通過すると街壁の内側に入った。
外の集落のようなボロい木だけの建物はほとんどなくなり、木と石で造られた建物が増える。住民の服装も穴の開いてないちゃんとしたものに変わった。
そして通りを進み広場に出ると様々な露店が軒を連ねていた。
串焼きなどの食べ物から、薬草、雑貨、毛皮、肉、野菜。
それらの店にたくさんの住民たちが群がりかなり活気がある。
馬車の窓から興味しんしんなアリエルの顔がチラチラ覗いている。
だがさすがにこんな場所で公爵である彼女を出すわけにはいかない。
ウィルはアリエルの無言の期待をあえて裏切り、黙って馬を進める。
ロンドンの街はテムズ川の川沿いから丘に向かって広がっている。
門から平民街と呼ばれる下町までは比較的なだらかだが、貴族街と呼ばれる上町に近づくにつれて坂が増えていく。
ウィルたちは平民街を通過して貴族街へと進んでいく。
坂を登り切るとまた景色が変わってきた。
建物は完全な石造りなだけでなく塀を備えた大きな屋敷になり、道は全て石畳で覆われゴミひとつ落ちていなかった。
屋敷の壁面には紋章が刺繍された旗が吊り下げられて、その屋敷がどの貴族のモノかを主張していた。
ここでは下町と違った喧騒に包まれていた。
何台もの立派な馬車が館に横付けして多くの人々が行き交っている。
おそらくエゼルウルフ王の壮行会に参加するために集まった貴族たちだろう。
ウィルたちも馬車を進ませて大きな館の前に馬車を止める。
他の建物に比べて一回り大きい荘厳な雰囲気のある石造りの建物に、『翼を広げた一頭の赤竜』の紋章を描いた旗が吊り下げられている。
この建物こそ、コーンウォール公爵家が王都ロンドンに所有している領事館だ。
門番たちがアリエルたちの訪問を告げるより早く、建物から一人の老紳士が現れた。
金糸の刺繍の入ったベストを着こみ、赤いジュストコールを羽織っている。
老騎士たちと同じぐらいの老齢だが、その背筋はピンと伸び、細身の身体は抜き身の剣のようなたたずまいがあった。
白銀に輝く頭髪を綺麗に撫でつけたその姿は上級貴族のように見える。
怜悧で冷たい視線を馬車に向けるていたが、そこからアリエルが降りると、ふっと表情を和らげて好々爺のように微笑んだ。
「姫様、旅の最中ご苦労をおかけしました。領事館の準備は万全に整えてあります、本日はゆっくりとお休みください」
その場にいたわけでもないのに、旅の間に不手際があったことを決めつけたように言う老紳士の言葉にランスロットが呆れた声をあげる。
「おいおい、まるで儂らのせいで姫様が大変だったような言い方じゃな」
「違うとでも?」
「まったく、お主は相変わらずじゃな、ケイ卿」
ランスロットの軽口にも眉をピクリと動かすだけの老紳士ケイ。
そんなケイにランスロットも苦笑する。
「相変わらず二人は仲良しね。ケイ、お久しぶりです。しばらく頼むわね」
「何やら誤解があるようですが、まぁいいでしょう。ここは姫様の館です、どうぞごゆるりとお過ごしください」
ケイもまたランスロットと同様にアリエルの祖父に仕えた騎士だ。
あまり騎士らしくない雰囲気は彼が紋章官であったためだろう。
ランスロットとは同期であり、現役の頃から何かとつけて衝突することが多かったのだが、その衝突が本格的な対立に至った事がないのもまた周知の事実であった。
ウィルは老侍女たちからランスロットと双璧をなす、美形騎士として人気だったという話を聞いている。今でもその名残は見て取れた。
ケイは老いてなお冴えるその美貌に底冷えするような笑みを浮かべる。
「ところでなぜ姫様が遍歴に同行する必要があったのか、お聞かせ願えるのでしょうな?」
「え、えっと、それは……」
ウィルは面倒なことになると思い、逃げることにした。
「じゃあ俺は荷物を運んでくるよ」
馬から降りて馬車から荷物を降ろしているのを手伝おうとした。
しかし荷台にまわり、荷物に手をかけようとしたら、ぽんと肩に手が置かれる。
「荷物の片付けなど騎士の仕事ではありません。そんな事より貴方にも話があるのですよ、あのサクソン人の少女のこととかね」
いつの間にか背後に立っていたケイがニッコリを笑う。
目はまったく笑っていなかった。
この日のケイの『お話』という名の説教は夜遅くまで続き、一行はまったく休むことが出来なかった。
◇
翌朝、ウィルはロジェと二人きりで領事館を出た。
アリエルはケイに掴まり、『せっかく王都まで来たのだから』と政務室に連れ込まれてしまった。
ケイはかつてアリエルの家庭教師をしていたこともある。
そして極度の教えたがりだ。
おそらく公爵としての政務を実際の資料を使いながら説明したいのだろう。
アリエルの助けを求めるような視線に、ウィルはどうすることも出来なかった。
サラは、というとランスロットと共に王都の教会へと向かった。
王都の教会で教本や福音書などを閲覧しに行ったのだ。
エレインはサラの為にたくさんの紹介状を用意したのだ。
ランスロットはエレインに頼まれていたのか護衛として同行したのだった。
それでウィルとロジェが暇になったのかというと、そうではない。
ウィルとロジェは試合へのエントリーがある。
壮行会の余興のひとつとして紋章試合が行われるのだ。
この試合の優勝者には大紋章のパーツ『兜』が与えられることになっている。
騎士王に挑戦するためには避けて通れない試合だ。
騎士服を着たウィルと紋章官の服を着たロジェは並んで王城への道を歩いていく。
今度の試合は王城の敷地内で行われるのだ。
王城はロンドンの最奥、丘の上に存在する。
貴族街を進み丘の頂上近くにあがると壁が現れて街と城とを区切っている。
頑丈そうな大きな門の前には武装した騎士が厳しい顔で見張っていた。
ジロリとこちらを見るのを無視してロジェは試合の受付に向かった。
試合場は騎士や兵士たちが訓練するための広場である練兵場を改造して作られていた。
キレイに整地された地面、美しい天幕、二階建て木造の観客席には玉座も据え付けられている。王が試合を観覧する予定があるのだろう。
まだ準備が終わっていないらしく、試合場の隅では作業をしている使用人たちがいるが、ほとんどは完成しているようだった。
準備中の試合場の中央に一人の騎士が騎乗していた。
真っ黒い大きく立派な軍馬に跨った騎士だ。
黒鉄に金縁の美しい鎧を身に纏い、灰色の短い髪をなびかせ、先のとがった狼耳をぴんと立てた騎士、ガイ・ヴォルフハートがそこに居た。
ガイはウィルの視線に気づくと騎乗したまま近づいてきた。
「これはこれは、『誇りのない騎士』ウィリアム殿ではないか」
ウィルは思わず顔をしかめる。
ガイと戦うことを熱望しつつも、別に会って仲良くおしゃべりしたいわけではないのだ。
「……お久しぶりです」
それでも話かけられて無視するわけにはいかない。
しぶしぶ応えるウィルにガイは余裕の笑みを浮かべる。
何とか口でも一矢報いてやりたいが、何と言えばやり込められるのか分からなくて、次の言葉が出てこなかった。
「これは『前期の』騎士王ガイ殿、お会い出来て光栄ですわ」
そこにロジェが割り込むようにして現れた。
あえて強調して言われた『前期の』という言葉に眉をしかめるガイ。
あっさりと有効な『口撃』を加えたロジェにウィルは感心する。
「君は? ……ウィル殿の紋章官かな」
「ええ、ロジーナ・オウルクレストと申します。以後お見知りおきを」
「君のような美しく可憐なサクソン人が彼の紋章官をしているとはな、驚いたよ」
「お褒めいただき光栄です。ですが容姿で紋章官としての能力を見縊られる事が多いので、素直に喜んでいいのか戸惑いますわ」
「……確かに優秀なようだな」
ガイはロジェの来ている紋章官の服を見てつまらなさそうに呟く。
そこにはウィルの持つ四つの紋章が描かれていた。
「ガイっ! こんな所で何をしている! 俺の準備はもう出来ているぞ!」
沈黙した三人に割れ鐘のような大声が降ってきた。
現れたのは熊のような大男だ。あまりの巨体に乗っている馬が子馬に見える。
肩幅も広ければ腕も足も太く着ている鎧がはちきれそうに見える。
顔も身体と同様にがっしりとした四角い顔だ。
ガイは大男の姿を見ると困惑したような表情を浮かべた。
「アイアンボア卿、なぜ貴方が武装しているのです」
「無論、貴公の相手をするためだ! 決まっておろう!」
「今から行うのは試合場のチェックですよ。貴方がわざわざ行うほどのことでは……」
「がはははっ! せっかく貴公と俺がおるのだただのチェックで終わらせる事もあるまいよ。……ん? なんでこんなところに子供がいる?」
大男はウィルとロジェを見ると首を傾げる。
二人を侮っているというよりは本当に不思議そうな様子だ。
大男の登場で場が妙な空気になった。
ガイは頭痛をおさえるように額に手を当てて、大きくため息をついた。
「……まぁいい。では相手役をお願いする」
「任せておけ、一回目はきちんと相討ちにする。だが二回目は勝負だぞ!」
ガイは大男の様子に毒気を抜かれたのか、身をひるがえして入場門の方へと馬を進めていった。途中で従者らしき者から槍と兜を受け取っている。
大男は嬉しそう兜をかぶると槍を構えてもう一方の入場門へ向かう。
「少年たちもそこで俺が騎士王を倒すところを見ているが良い!」
大男は上機嫌でそう叫ぶと走り去っていく。
どすんどすんと馬が出すとは思えないような重厚な足音を立てていった。
「何あれ」
「ボルグ・アイアンボア男爵ね、過去に騎士王になったこともある騎士よ。最近になって頭角を現してきたガイに対抗心を燃やしているって噂は本当だったのね」
ロジェの説明を聞いている内に二人の準備が整ったようだ。
試合場を準備していた者が開始の旗を振り下ろす。
二人は示し合わせたように速度を合わせて入場門からゆっくりと駆け出すと、よどみない動作で槍を構えてそれを互いの楯で防ぎ合った。
パカァァンッ!
乾いた二つの音が重なって一つの音として響き渡る。
互いの木槍が砕け散り、それが辺りに飛び散る。
普通の突きだが、それだけに二人の技術の高さが良く分かった。
試合場を整備していた使用人たちは、飛び散った破片を丁寧に確認していく。
観客席のあちこちに散っていた使用人がそれぞれ手をあげて頷き、最後に貴賓席にある玉座近くにいた使用人が手をあげて頷いた。
どうやら破片が観客席に飛び込まないかをチェックしていたようだ。
本来ならこれで二人の役目は終わりなのだろう。
しかしボルグはいそいそと次の槍を受け取って入場門まで引き返した。
それを見たガイは面倒そうに槍を受け取って、同じく入場門まで引き返す。
「どうやら本当に勝負するみたいね、強豪の手の内が見られるチャンスね!」
ロジェは興奮して、ウィルは無言で二人を見つめていた。
作業をしていた使用人たちも手を止めて二人の対決を見守っている。
開始の旗が振り下ろされると二人の騎士は同時に走り始めた。
ボルグは先ほどとほとんど同じ姿勢だ。
真っ直ぐ駆けて、思いっきり槍で突く。
何の仕掛けもない単純な攻撃。
しかし、それをあの巨体で、あの剛腕で行うのだ。
ガイが少しでも受け損ねれば一撃で落馬させられるだろう。
単純ゆえに避けづらい、しかしまともに受ければ力比べに巻き込まれる。
なかなか厄介な騎士だ。
ガイは先ほどとは違い、槍をやや下方に下げたまま走っている。
その瞬間、ウィルはガイが何を狙っているのか分かった。
しかし同時に疑問も抱く、果たして可能なのか? と。
その結果はすぐに出た。
二人の間合いが近づき、これ以上ないタイミングでボルグの槍がガイに伸びた。
ただの突きだ。まったく何の工夫もない。
しかし最高の突きでもある。
槍が届く前にガイの槍が下から掬いあげられた。
途端にボルグの槍は捻じ曲げられたように狙いを外して弾かれる。
反対にガイの槍はボルグの槍をこすりながら、吸い込まれるようにボルグの胸元に迫る。
パカァァンッ!
今後響いた音はひとつ。
砕けた槍もひとつだけだった。
ガイの槍はボルグの胴鎧に直撃して見事に砕け、ボルグの槍は彼の手から離れて試合場に転がった。
音からしてかなりの衝撃だったはずだが、ボルグは上半身をピクリとも動かさず、落馬することなくガイとすれ違う。
ガイのやったのはかつてウィルもやった事のある技だ。
相手の槍を下から巻き込むようにして掬い上げて、槍を逸らすと同時にこちらの槍を相手の身体に命中させる。
しかしこれは相手の力がこちらよりも強い場合には有効な手段ではない。
いくら槍が横からの力に弱いとはいえ、それを逸らさせる為にはそれなりの力がいるのだ。ましてやボルグのような剛腕から繰り出される槍ならかなりの力だ。
そしてタイミングも問題だ。
早すぎると槍を合わせる前に外されてしまう。かといって遅すぎると逸らす事自体が不可能になってしまう。
相手の突きが大した速度でないのなら大丈夫だが、ボルグ程の速度で放たれたら技を成立させるタイミングは本当に一瞬しかなかったハズだ。
しかしガイはそれをたやすくやってのけた。
騎士王を名乗るは伊達ではない、という事だろう。
ウィルはぶるりと身を震わせる。
いままでたくさんの試合をしてきたが、勝てないと思った事はなかった。
しかしいま初めて「負けるかもしれない」という予感が全身を貫き、震えが走った。
負けるのが怖いのではない、勝敗が分からない、という事に戸惑いにも似た感情が溢れてくる。
むしろ身体の芯が熱くなるような感覚だ。
ウィルがガイを見つめる横で、ロジェもまた無言でガイを見つめていた。
いや、正確にはガイの横に居る仮面の男を見つめていた。
いくつもの紋章が合わさったガイ紋章を刻んだ紋章官の服を身にまとい、その顔の目元と鼻先を銀色の仮面で隠した男。
その頭にはサクソン人の特徴である獣のような耳がある。
それはまるで狐のような耳だった。
「……どうしてアンタが、そこにいるのよ……」
絞り出すようなロジェの声はウィルの耳には入らなかった。
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