優しい歌声
予定通り食事と入浴を済ませたアカツキは、少しの間夜風に当たりたかったため、ヨイヤミに先に戻ってもらい、一人でバランチアの海を臨む展望台へと足を運んでいた。
海が近いため、浜風が風呂上がりの火照った体を冷ますように撫でていく。静かな波の音が聞こえてくるものの、月明かりに照らされて薄らと浮かび上がる水平線が見えるだけだ。陽が照っている時間帯なら壮観な眺めだろうと思う。
それでも、この静かな波音に身を寄せながら、火照った体を冷ますのも、それはそれで悪くない。
アカツキは波音に耳を傾けながら、ルブールからここに至るまでの数日間を思い出す。本当に遠くまで来たものだと、アカツキは感傷に浸っていた。
今まで、故郷のルブールを一度も出たことがなかったアカツキには、初めての連続だった。それはシリウスの死というきっかけを孕んでいるため、素直に喜べるものではない。だがそれでも、ヨイヤミとの二人の旅は楽しかったし、そして様々なことを自らの記憶に刻んでいった。
ヨイヤミに出会わなければ、自分がこんなところに来ることはなかっただろう。アルバーンで『王の資質』について何もわからないまま、結局何もせずに終わっていたに違いない。
ヨイヤミにはすごく感謝をしている。感謝してもしきれないくらいだ。アルバーンで資質持ちと戦えたのも、奴隷という存在を知り抑えきれなくなった怒りをなだめてくれたのも、ヨイヤミなのだ。
腹の立つところは多分にあるが、むしろ記憶に残るほとんどが腹の立つ行為ではあるのだが、それを差し引いてもヨイヤミは本当に良い友人だ。
そんな風に一人思いに耽っていると、どこからか波音に紛れて透き通るような綺麗な歌声が聞こえてきた。今まで聞いたこともないような美声に吸い込まれるように、ただ無心で歌声がする方向へと歩みを勧める。
数軒の家をまたいだ別の展望台にその声の主はいた。月明かりに照らされた彼女は、まるで天使のように神々しく映えていた。そんな彼女の姿に見蕩れていると向こうもこちらの存在に気が付いたようで、こちらに向けて手を振ってくる。
「ビックリしちゃった。アカツキ君、こんな夜中にどうしたの?」
そんな歌声の主であるサクラに不意に話し掛けられて、見蕩れていたせいで逃げるタイミングを失ったアカツキは、顔を真っ赤にしながら慌てふためくように狼狽する。
「えっと……、あの……」
言葉の引き出しに鍵がかかっているように、どれだけ探しても言葉が出てこない。早くここから立ち去りたいとおもうのだが、緊張のせいで足元も震えている。頭が真っ白になったアカツキは、口を開閉させながら立ち尽くしていた。
「もしかしてアカツキ君って、私のこと嫌い?今日会ってから一度も目を合わせてくれないし……。なんか気に障ることしちゃったかな?」
サクラは頬を掻きながら困惑した表情を浮かべて、アカツキに尋ねる。自分の態度がそんな風に取られていたとは思いもよらず、サクラの少し悲しげな表情を見たアカツキは慌てて否定する。
「そ、そんなことないですっ。ちょっと緊張しちゃって……。だ、だからサクラさんのことが嫌いとか、そんなことは……」
言葉尻に向かう程、声は小さくなり、最後は近くにいるサクラでも聞き取ることが困難な程だった。何とか否定しなければという思いから、一瞬だけ開いた喉元はすぐに閉じていき、結局最初以外に、ほとんどサクラに顔すらも合わせることができなかった。
サクラも不意に放たれた声の大きさに驚いたものの、だんだん尻すぼみしていくアカツキを見ながらクスッと笑みを零す。
「そっか、ならよかった。嫌われちゃったんじゃないかと思って心配してたんだよ。ほら、ヨイヤミ君はおしゃべりだから、君もそうなのかなと思って」
月明かりに照らされる、サクラのあどけない笑顔は本当に綺麗に映えていた。そこだけ世界から切り取られたように、月明かりが彼女の顔をくっきりと切り取っていく。そんなサクラを見ていると、余計に緊張して話せなくなる。
そう思いながらアカツキは何とか言葉を絞り出した。何故だかヨイヤミのことを尋ねられると、言葉の引き出しがゆっくりと開いていく。
「俺とあいつは違いますよ。生まれも育ちも……。つい最近出会って、仲良くなって……。そして気が付いたら、こんなところまで一緒に来ていました」
アカツキの声は小さかったが、波音に乗せられるように、その言葉はしっかりとサクラに届けられていた。「そっか」と相槌を打ったサクラはアカツキに背を向けてもう一度海の方角へと視線を落とす。
アカツキも、この場から離れたい思いを必死に押し殺して、サクラの隣に微妙な距離を空けながら、並んで海の方へと視線を巡らせる。
「さっき歌ってたのはね、私の故郷の歌なんだ。戦争が絶えない国で、平和を神様に願って歌った唄なの。もうどんな国だったかも思い出せないんだけど、この曲だけは覚えてる」
アカツキに向けて話をするサクラの横顔はどこか悲しげで、寂しそうだった。その表情が、もう思い出すこともできない故郷へと思いを馳せているのか、それとももう思い出すことすらできないからなのかはわからない。
「私が五歳のときにね、私の故郷は他の国との戦争に負けちゃったの。国民は少しずつ色んな国に奴隷として売られていった。私も両親から引き離されて、奴隷として売られたの」
アカツキの脳裏に焼き付いている『奴隷』という存在。彼女もまた、あのような仕打ちを受けて、ここに居るのだろうか。
「それから十年して私が十五歳の頃、ウルガがエルセイムっていう私の売られた国に現れて『奴隷たちを解放しろ』ってその国を襲ったの。そりゃ、普通の人からすればきっとウルガ達がやっている事って悪い事なんだと思う。いっぱい人も殺しているんだと思う。でも私たちは彼に救われた。今こうして、自由の身でいられるのはウルガのおかげなんだよ」
サクラの瞳から少しだけ悲しさが薄れ、けれどそれでも拭いきることのできない悲しさがその瞳には宿っていた。そこには、自分たちがやっていることの負い目もあるのかもしれない。彼女ははっきりと『悪い事』だと自覚しているから。
「だから……、サクラさんも救われたから、レジスタンスで戦っているんですか?」
そんな彼女の悲しげな瞳を見ていると、何か言わなければという気持ちに駆られて、アカツキは無意識の内に思った言葉を口にしていた。
「そうだね。私と同じで苦しんでいる子がいるなら私もその子を救いたい。でも私にできることなんて、本当は何もないんだけどね……。あとはウルガへの恩返しってとこかな。助けてくれたお礼に、何か私にできることがあればしたいって思ってる。ウルガはきっと見返りなんか求めてないんだろうけどね」
そう言いながらサクラは自嘲気味に笑う。その表情の理由がわからくて、アカツキは小さく首を傾げる。
「結局、どこかに放り出されたところで生きていける自信がないから、ここに居場所を求めてる、っていうのが本音なんだけどね」
すこし自分を追い詰めるように話をするサクラがとても儚げで、眼を離したら消えていってしまいそうな気がして、けれど正面から見ることのできないアカツキは、横目で彼女の存在だけを感じながら、彼女の言葉に耳を傾けていた。
「君はなんで、ここに来たの?」
不意に投げかけられた問い掛けに慌てふためきながら、海に視線を落とすことで少しだけ落ち着きを取り戻したアカツキは、小さな声でサクラに告げる。
「ほんの数週間前、俺はグランパニアに故郷を襲わました。その時に大切な人を失った。生まれてからずっと俺を育ててくれた俺のじいちゃんです。俺は、何もできなかったんです。何も……」
話をするアカツキの拳に、自然と力が入っていく。力強く握りしめられた拳を、サクラは少しだけ不安げな表情で眺めていた。
「だから俺は、これ以上自分の目の前で誰も傷つけさせないために、戦う為の力が欲しかった。どれだけ強い思いがあっても、結局それに伴う力がなければ意味がないですから。レジスタンスで色んなことを学んで、力をつけたい。そう思ったから、ここまで来たんです」
アカツキも亡き故郷に思いを馳せるように星々が輝く夜空を仰ぎ見る。星々もまた、その身を失わない為に、必死に輝きを放っている。今のアカツキと同じのように……。
自分が話をしている間、ずっとサクラはこちらを見ていたことに気付いていたが、目を合わせて話す自信が無かったため、夜空を見続けたまま話を続けた。
「そうだったんだ……。君も大変だったんだね。でも、これからはもっと大変なことになるかもしれないよ。私がこんなこと聞くのもおかしいかもしれないけど、他人と戦う覚悟はちゃんとある?」
他人と戦う覚悟、他人を傷つける覚悟、そして他人を殺す覚悟……。彼女が問うていることはきっとそういうことなのだろう。
正直、そんなものがあるかは、アカツキにはまだわからない。口にするのは簡単だが、本当にその場に立たされたとき自分はどうするのだろうか……。
「覚悟はまだありません。でも、意志はあります。誰かを守りたい、誰かを救いたいっていう……。それではいけませんか?」
だからアカツキは問い掛けの答えにはなっていないことを理解しながら、答えを濁した。戦う為の力ではなく、護るための力。それは似て非なるもの。自分の為ではなく、誰かのために……。
そんなアカツキの答えにサクラはゆっくりと頷くと、優しい声音でアカツキに告げる。
「そうだね、それでいいと思う。君が迷った時には、きっとその意志が君を導いてくれる」
ウルガは復讐や内に秘める憎悪のために戦えと言った。けれど、それは間違っているとサクラは思っている。行きつく先は同じなのかもしれない。けれど『国民』たちへの復讐よりも、『奴隷』たちへの救済であると思いたい。
「本当は戦わないのが一番なんだけどね。それでも戦わなきゃならないなら、自分じゃなくて、誰かのために戦うべきだと、私は思うよ」
結局、アカツキは一度もサクラの顔をまっすぐに見られないまま、会話だけがどんどん流れていってしまった。それでも、ちゃんと話をすることができた。これでいい……。少しずつ、こうやって慣れていけばいいのだ。
アカツキがそんなことを思っていると、んっと伸びをしたサクラがこちらを向く。
「そろそろ戻ろっか。あんまり涼んでいると風邪ひいちゃうし」
「はい」と頷いたアカツキは、微妙な距離を保ったまま、サクラと並んでアジトへと帰って行った。
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