予想外の気まずさ

 改めてじっくり部屋の中を見回すと、ここが下水道の中であることを疑いそうな程、広々とした空間だった。三百人近い人間が各々に生活しており、プライバシーはないものの、それぞれにやりたいことをやっている。


 殺伐とした空気は微塵も感じられず、皆が和気藹々としている。そのせいで、ここが本当にレジスタンスであるのかと疑いたくもなるが、それでも所々に武器が置いてあるのを見ると、ここがそう言う場所であることを思い出す。


「基本的に、みんなはここから出ることはないんだよ。まあ、浴室はないから、お風呂に関しては皆街の宿屋を借りてるわ。この国の宿屋はお風呂だけでも借りられるから便利なんだよね」


 テロリストというのは、どこもこんな所なのだろうか……。いや、テロリストがそんなに多くあるとは思えないけれど。


 それでも、いくら何でも拍子抜けである。もっと殺伐とした空間を想像していたのだが、世話役についてくれたのは、綺麗なお姉さんである。


 まあ、この雰囲気をもってしても余りあるほど、この組織のリーダーであるウルガの放つ殺気は凄まじかったが……。それを経験した後だから余計に気が抜けているのかもしれない。


 それにしても、今まで女性との付き合いなんて、故郷のリルや、アルバーンの街のおばちゃん達くらいで、こんな綺麗な女性と知り合うのは初めてである。大人というには幼く、しかし自分よりは間違いなく年上であるお姉さんはテロリストというにはあまりにも可憐で綺麗だった。


 『気まずいな……』とアカツキは内心、気が気ではなかった。先程から、いろいろと説明してくれているのだが緊張で何も頭に入ってこない。「はい」と相槌をうったり、愛想笑いを浮かべるくらいで、会話という会話が全然できていない。


「いやあ、こんなところにこんな綺麗なお姉さんがおるなんてびっくりや。なあ、アカツキ」


 そんなことを考えていると、不意にヨイヤミが話しかけてきたのだが、今の頭では何も返事ができない。アカツキが答えにまごついていると、先にサクラが答えてしまう。


「ええ、そんなことないよ。もうっ」


 サクラも満更でもなさそうに照れながら、「えへへ」と年上とは思えない幼げな笑みを浮かべる。


 アカツキには、楽しそうに話しているヨイヤミが、なんだか妙にうらやましく思えていた。とにかくこのままでは耐えられなくなりそうだったので、ヨイヤミの手を無理矢理掴んで一旦この場を離れる。


「ヨイヤミ、ちょっとこっち……」


 不意に手を引かれたヨイヤミは、何が起こったのか理解する間もなく、アカツキに引きずられていった。背中から「ちょっと……」というサクラの声が聞こえたが、聞こえない振りをして、アカツキは颯爽とその場を去った。


 ようやくアカツキが足を止めたのは、アジトの外だった。既に入団を許可されているアカツキたちは、アジトの出入りを許されている。


「どうしたんやアカツキ、急に飛び出して」


 水の音がこだまする下水道へと飛び出したアカツキを不思議がって、ヨイヤミは首をかしげながら尋ねる。


「いや、俺あんな綺麗な女の人と話すの初めてだから、緊張してしゃべれなくて……」


 アカツキが少し顔を赤らめながら、恥ずかしそうに俯きながらヨイヤミに告げる。そんな、神妙なアカツキに対してヨイヤミが取った行動は、声をあげての大笑いだった。腹を抱えて、そのまま呼吸を忘れて窒息してしまうのではないかと言うくらいの勢いだった。


「ぶははは……。アカツキ、緊張してしゃべれんとか、コミュニケーション能力低いんとちゃうか。そんなんじゃこれからやってけへんで。ひひっ……、ああ、お腹いたっ」


 ひどい言われようだ。いくら何でもここまで笑われるとは思っていなかった。確かにこれが多少は人として問題があるという自覚はある。だが、抱腹絶倒されるようなことだろうか。


 この年までほとんど女性(リルは女性と見ていない)と話したことがなかったので、話し方が分からないのである。きっと、普通に男と話すのと同じように話せばいいのだろうが、なぜかそれができない。


「そこまで笑わなくてもいいだろ。人間得意不得意があるんだから、こういうのが苦手な人間だっているんだよ」


 アカツキの顔はいつの間にか赤みを増しており、湯船でのぼせたような顔になっていた。自分にも負い目はあるので、ヨイヤミにあまり強く言うこともできない。


 そんなアカツキに、ヨイヤミはアカツキの肩に腕を回しながら、顔を近づけてこう言った。


「ちょうどええやんか。ここでサクラさんたちと話す練習しとき。これからは、いろんなとこ行くかもしれんのやで、誰とでも話せるようにしとかなあかんでな」


 そう言いながらも、必死で笑いをこらえているのが隣から伝わってくる。どうせ励ますなら、もう少し隠せよと思いながらも、今は強く出られないアカツキは、ヨイヤミの言葉に黙って頷いていた。


 二人ともが色んな意味で落ち着いた頃、ようやく二人はアジトの中へと戻った。アジトに入ると、サクラが二人を探していたのか、こちらに気付くと彼女は走って近づいてくる。


「やっと見つけた。説明の途中で消えちゃわないでよね。心配するでしょ」


 そう言って少しだけ頬を膨らませながら怒ってみせる。全然怒っているように見えないことに本人は気が付いているのだろうか。


 アカツキが彼女の顔を見ながらそんな失礼なことを思っていると、隣のヨイヤミが思い出し笑いでもしているのか、プルプルと震えていた。


 サクラはすぐに膨らませていた頬を解くと、二人を探していた理由を告げる。


「二人に会わせたい人たちがいるの。こっち来て」


 サクラはそう言って二人を手招きすると、足早にアジトの奥へと進んでいく。二人は置いて行かれないように、彼女の歩幅に合わせながら、その背中を追う。


 サクラが立ち止まった場所には二人の男と、一人の女性が話していた。そこにサクラが割り込んでいき、二人のことを指差すと、三人が一斉にこちらを向く。


 二人とも緊張の面持ちで、サクラが紹介してくれるのを待っていると、まずはサクラがそちら側の三人の紹介を買って出てくれた。


「この小さくて猫みたいな子がトオル君で、この筋肉バカがタツミ。で、この子が私の親友のナズナね」


 サクラがその三人を一人ずつ紹介していく。


 トオルと呼ばれた男は身長が小さく、年齢も多分アカツキたちと変わらないだろう。顔には両頬に三本の赤いペイントがされていた。サクラが言った通り、第一印象は完全に猫そのものだった。


「ちぃ~っす。おれトオルっす。よろしくぅ」


 トオルは快活で軽いノリで二人に向けて挨拶してくる。二人はそのノリが少し新鮮で、どう反応していいのか迷いながらも「ちぃす」と控えめな挨拶を返す。


 タツミと呼ばれた男は、アカツキたちよりは年上だろう。身長はアカツキたちより少し大きいが、頭には赤い鉢巻のようなものを巻き、肩から先が切り取られているような黒い衣服を身にまとっていた。確かに体は出来上がっており、胸筋が服の上からでもはっきりと認識できる。


「サクラ、筋肉バカはよしてくれ。もう少し良い紹介の仕方はなかったのか……。俺は『タツミ・キサラギ』。タツミって呼んでくれ。よろしくな。なんかあったらいつでも聞いてくれよ」


 そんな見た目とは裏腹に、話し方は穏やかで、とても優しそうな印象を覚える。タツミは二人に手を差し伸べてきたので、二人は交互に握手を交わす。


 そして、サクラの親友と呼ばれたナズナは、これまたサクラとはベクトルは違うものの、サクラにも負けず劣らない美人だった。


 滑らかな黒い長髪は、後ろで一本に結ばれており。褐色に焼けた肌の顔は、すらっと細い線を描いている。腰には刀を携え、袖はなく上下がつながった、弛緩した黒い衣服に身を包んでいた。


「『ナズナ・アルケミスト』だ。ナズナで構わない。サクラとは長い付き合いだ。サクラがお前らの世話役なら、私もいくらか手伝おう。気軽に話しかけてくれ」


 ナズナはとても落ち着いていて、サクラとはまた違った雰囲気を感じる。サクラとは異なり、その眼の鋭さには、綺麗というだけではなく棘がありそうな印象を受ける。きっとナズナは戦いになれているのだろう。


「どちらにせよ、やりにくいな……」


 アカツキは誰にも聞こえないような小さな声で呟く。まずはレジスタンスの仲間たちに馴れることに苦労をしそうだな、とこれから訪れる未来に不安を抱えながら、彼らのレジスタンスでの生活は始まった。






 四人といくらか話した後、二人は街に出てふらふらと歩いていた。テロリストの一員になりはしたが、特に顔が割れているという訳ではないので、街中をぶらぶらしたところでなんら問題はない。


 他の団員達も、幹部クラスになると顔が割れるのはまずいため外出を控えているが、それ以外はみんな案外外に出ている。彼らの穏やかな雰囲気は、狭い場所に押し込められていない解放感から来るものなのかもしれない。


「みんな、えぇ人そうで良かったな。テロリストっちゅうから、すこし殺伐とした空気なんかと思とったけど、全然そんなことなかったわ。これから楽しくやってけそうやわ」


 ヨイヤミは頭の後ろで腕を組みながら気楽そうに、夜の街並みを歩く。そんなヨイヤミの隣で、アカツキは項垂れていて、とても疲弊した表情を浮かべていた。


「俺はむしろやっていける気がしないよ……。故郷から出なかったこれまでの人生を、今ものすごく後悔してる」


 「はあ……」と相変わらず疲弊した溜め息を漏らしながら、夜の街並みを歩く。


 二人は晩飯と風呂に入るために街に出てきている。そうは言っても、もうかなり遅い時間のため、居酒屋以外に空いている店は少なく、探すのに一苦労した。


 食事も基本的には各自に任せられており、アジトにキッチンはあるものの、数は少なく早い者勝ちとなっている。そもそも、アカツキとヨイヤミに料理スキルがあるはずもなく、こうして食事のために街中へ出てきている次第である。そのついでにお風呂も入りアジトに戻る予定だった。


 もちろんサクラに「一緒に食事行こうよ」と誘われたのだが、急な入団だったので色々と二人で話したいこともあり、その誘いを何とか振り切って出てきた。まあ、ヨイヤミは少し残念そうにしていたが……。


「で、これからどうするんだよ。目的通りレジスタンスに入ることはできたけど、その後のことは何も考えてなかっただろ」


 アジトではほぼ無口だったアカツキが、二人になるといつものようにしゃべりだすので、それが可笑しくて、ヨイヤミがクスッと笑みを漏らす。


「まあ、まだレジスタンスのことが、何もわかっとらんし、これからのことは保留やな。自分たちの思うような、集団ならそこに留まればいいし、違うなら抜けるだけや」


 気楽そうに答えるヨイヤミに、アカツキは訝しげな表情を浮かべながら尋ねる。


「でも、そんな簡単に抜けられると思うか?仮にも、あの人たちはテロリストなんだろ。そんな人たちが、内部の情報を持った人間を簡単に抜けさせてくれるとは思えないんだけどな」


 そんなアカツキの言葉に、少し面倒くさそうな表情を浮かべながら返事をする。


「そりゃそうやろけど……そういうことを考えるなら、奥の手は残しとくべきやろな」


 『奥の手』という言葉に、あまり思い当たる節がなかったアカツキは首を傾げながら困惑したような表情を浮かべる。


「僕らが資質持ちってことは黙っとくってこと。資質の力を使えば、抜けられる機会はいくらでもあるやろ」


 そんな根拠のない理由をヨイヤミは自信満々に答える。根拠はないが、資質持ちであることを黙っておけば、役に立つことも少なくないだろうから、それには賛成だ。しかし、あのウルガの目をそう簡単に欺けるものだろうかと、アカツキは不安を募らせる。


 そんなアカツキの表情から察したのか、ヨイヤミはアカツキに声を掛ける。


「まあ、アカツキはとりあえず先のことを考えるよりも、みんなとうまくやる方法を見つけることの方が大事だと思うけどな」


 そう言って、相変わらず嫌味な笑顔を浮かべる。その顔は腹が立つが、実際そうだとアカツキも自覚している。今のままの状態ではやっていけないのも事実だ。レジスタンスは意外と女性が多いのだ。


 もちろん男の方が数は多いのだが、女性はいても小数だろうと考えていたのに、約三分の一が女性だったのだ。あんなので戦争ができるのかと、甚だ疑問には思ったが、恐らくウルガ一人で事足りるのだろうという結論に達した。


「まあ、少しずつ頑張るよ」


 アカツキも相変わらず頬を少しだけ染めながら、ヨイヤミから視線を外して答える。なんとなくこの表情をヨイヤミに見られるのは癪に障る。


 そんな感じで、他愛のない話に花を咲かせながら、二人は賑やかな夜の街に溶けていった。

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