抗える者たち
下水道を水が滴り落ちる音が響き渡る。
アカツキとヨイヤミの二人は、銃口を後頭部に付きつけられながら、下水道を歩いていた。誰も口を開かずに、三人の足音だけが響き渡り、耳をざわつかせ恐怖を煽っていく。
こんなはずではなかった。これから仲間になるかもしれない相手から銃口を突きつけられ、まるでこれから処刑台にでも連れて行かれるかの如く、無言の圧力に潰されそうになっていた。
「止まれ」
不意に掛けられた言葉に、二人は素直に足を止める。今逆らったところで、事態は何も好転しないから。
しかし、止められた場所はこれまで歩いてきた場所となんら変わらない光景で、アジトなどどこにも見当たらなかった。
男は二人から銃口を外すと、そのまま壁のレンガの一つをゆっくりと押しこむ。すると、レンガが壁の向こう側へと埋まっていったのを皮切りに、壁の一部分がガタガタと音を立てて、扉のように開いた。
それはいくら探しても見つからない訳だ。こんなことになっていると知らなければ、見つけられるはずがない。二人はそんなからくりに驚きながら、唖然として眺めていると、再び銃口を突きつけられる。
「入れ」
男は必要最低限の言葉しか述べず、二人もそれに黙って従う。そんなからくり造りの扉の向こう側からは、明かりが漏れ、人々の騒がしいほどの話し声が耳を震わせた。
二人は男に促されるがままに、アジトの中へと足を踏み入れた。中は賑やかで数十人の男女が思い思いに話したり、食事を取ったりしていた。この騒がしい部屋の中でぐっすりと寝こけている人もちらほら見られる。
アジトの中はかなり広く数百人という大人数がいるにも関わらず、未だに余裕があり、その奥には別の場所に繋がっているであろう扉が見られる。
男と二人がアジトに入ると、案の定すべての視線がこちらに向けられ静まり返った。それはそうだ、見知らぬ子供二人が、仲間に銃口を突きつけられていれば、誰だって注目するに決まっている。
アカツキは大勢の視線を一偏に浴びるのは初めてで、後頭部の緊張感とはまた違った緊張感に苛まれる。アカツキが緊張で息を呑みながら硬直していると「こっちだ」と言って、男が銃口で頭を押して奥にある扉へと向かわせる。
促されるがままにアカツキが扉を開けると、その向こう側には数人の男女が長机を囲むように椅子に座っていた。
彼らの視線は漏れなくこちらに向けられる。人数が少ないにも関わらず、先程向けられた視線とは比べものにならない程の、得も言われぬ緊張感が込み上げてくる。
それは目の前の人間たちが、先程の者たちとは異なる実力者であることが、理解できてしまったから。
彼らの放つ殺意が、まだ素人のアカツキですら感じ取ることのできる、鋭く突き刺さるものだったから。隣に構えるヨイヤミも同じように感じているようで、ヨイヤミの頬を一筋の雫が流れ落ちていた。
そして目の前には、最早圧倒されるほどの殺気を放つ大男が構えていた。
アカツキは入口から一番遠い正面の席に座る大男を見て、ひと目でこの男がレジスタンスのリーダー『ウルガ・ヴェルウルフ』であると確信した。
彼らの殺意の中でも、彼から放たれる殺意は、最早別格だ。気の弱い人間ならば、この場で舌を切って自殺してしまうのではないだろうか。
「ウルガ、ガキが二人、アジトの周りに迷い込んでいやがった」
男は銃口を下ろさないまま目の前の大男に告げる。この組織のリーダーに対して、これ程気安く話しかけるということは、この男もそれなりの地位を持った人間なのだろうか。
だが、男がウルガに向けてそう告げている間も、アカツキはウルガから放たれる殺気のせいでウルガから目を離すことができなかった。その殺気のせいで、後頭部に押し付けられた銃口など、最早気にならない程だった。
「よくもそんなに容易くここに連れて来られたものだ。子供だろうと、そいつらがスパイだって可能性はあるはずだぞ?」
ウルガは鋭い眼光を男に向ける。だが男は、そのウルガの眼光に怖気づくことなく淡々と答える。自分たちの話であるにも関わらず、まるで自分たちがいないかのように、勝手に話が進んでいく。だが、口を挟みたくても、固く閉ざされたように、唇が動こうとしない。
「もちろんだ。だが、俺がそんなのを判断するよりも、ウルガの前に突き出した方が早いだろ。もし、こいつらがスパイなんだとしたら、ウルガに見抜けないはずがないし、もしそうだったらウルガが一瞬で片付けるだろ」
アカツキは息を呑む。
その言葉に、恐らく嘘偽りなどない。この大男にはそれだけの力がある。そしてようやく、自らの視線とウルガの視線が交わる。その瞬間、あまりの恐怖に歯の震えが抑えられなくなる。これが、歴戦の資質持ちが放つ、真の殺意。
「小僧ども、ここに何の用だ?」
よく響く重厚な低音は、その言葉の重さを必要以上に伝えてくる。薄手の服から上半身の隆起した筋肉が盛り上がり、首許からは深く刻まれた傷跡が顔を覗かせている。その身体そのものが、彼の戦歴を語っている。
「僕たちは、ここレジスタンスに入りたくてここまで来ました。僕たちは、グランパニアに全てを奪われました。住む場所も、大切な人の命も……」
アカツキが緊張のあまり萎縮し、答えられずにいると、助け舟を出すかのように、ヨイヤミが先に応える。そのヨイヤミの顔には、珍しく笑みがなく、いつもの軽々しさも一切感じられない。これだけの大物相手にふざけられる程、ヨイヤミも肝が据わっている訳ではない。
それにしても、ヨイヤミの過去を聞いたことはなかったが、彼もまたグランパニアにより故郷を失ったのだろうか……。
「つまり、復讐のためにここに来たと?」
ウルガのその問い掛けに、ヨイヤミは逡巡するかのようにじっくりと間を空けてから、しかし最初からその答えは決まっていて……。
「はい。奪われた者の悲しみを、奴らに知らしめるために……」
何故だろうか……、ヨイヤミのその言葉に、アカツキは言葉では言い表せないような違和感を覚える。無理矢理に言葉にするとすれば『ズレ』。自分の思い描くものと、ヨイヤミが思い描くものに、もしかすると小さなズレがあるのかもしれない。はっきりとそう思った訳ではない。ただ、違和感を覚えたのは紛れもない事実だった。
そしてもう一つ、アカツキはヨイヤミの言葉に不安を覚えていた。それは、復讐のために入りたいなどという理由では、追い返されるのではないかという懸念だった。
「ほお……」
ウルガは顎に手を当てつつ、こちらを値踏みするようにじっくりと二人を眺める。その視線にアカツキは額をジワリと滲ませる。早くこの視線から解放して欲しいと願うが、その視線は絡み付くようにこちらを捉える。
幾何か二人を観察したウルガは、ようやく口端を軽く上げて笑みを見せると、恐ろしい程の殺気と鋭い眼光を笑みの裏に引込める。その瞬間、身体の上に圧し掛かっていた重りから解放されたように、アカツキは脱力感に襲われる。
「いいだろう、レジスタンスに入るのに小奇麗に飾り付けた理由はいらない。復讐や憎悪で結構だ。その方が、戦争に迷いがなくなる。迷いは人を殺す。俺は何人もそういう奴らを見てきたからな。その覚悟を見込んで、お前たち二人のレジスタンスへの入団を許可しよう」
ようやく解放された緊張感に、二人は喜びよりも安堵の溜め息が先に出る。失礼極まりない行為だが、彼らの前で肩をがっくりと項垂れて、大きく息を吐き出す。そんな二人の様子に、先程までの殺気はなく、皆微笑ましそうに眺めている。
溜め息のタイミングが、あまりにも良かったため、二人はお互いの顔を見合ってから苦笑した。
こうしてバランチアに来てからの二人の長い冒険は、ようやく終わりを迎えた。
「それと、お前たちに世話役をつける。バレル、サクラを呼べ」
ウルガの言葉に、二人に銃口を突きつけていた男が頷くと、扉の向こう側から一人の女性を連れてきた。
連れて来られた女性は少し桃色掛かった長い髪を揺らし、細く綺麗な顔立ちに、優しそうな若草色の二重の瞳を携えていた。身体は細身で少し華奢だが、出るところはある程度出ており、この空間には似つかわしくない、華のある女性だった。
「こいつが、お前らの世話役のサクラだ。わからないことがあったら、こいつに聞いてくれ」
ウルガからの紹介を受けたサクラが、アカツキとヨイヤミの方を向いて深々と頭を下げると、優しげな笑みを浮かべながら挨拶をする。
「『サクラ・アンネローゼ』です。よろしくね」
彼女は首を軽く傾けて、屈託の無い笑顔でアカツキたちに挨拶をする。その瞬間、アカツキの頬が熱を帯び、薄らと赤く染まる。アカツキはサクラのその姿を見て、初めて女性のことを綺麗だと意識した。これまで、こんな気持ちにさせられる女性に会ったことなどない。
「そういえば、お前たちの名前をまだ聞いてなかったな」
アカツキがサクラに見蕩れていると、ウルガから不意に声を掛けられて、驚きのあまりビクリと肩を震わせる。それを相手に勘付かれないように、アカツキは慌てて平静を装いながらウルガに向き直ると、隣のヨイヤミもそれに続く。
「俺は『アカツキ・リヴェル』です。これから、よろしくお願いします」
「僕は『ヨイヤミ・エストハイム』です。力になれるよう、頑張ります」
ウルガや長机に腰を下ろす人たち、そしてサクラに順番に頭を下げながら、それぞれに挨拶をした。これでようやく、この息苦しい空間から逃れられる。もう精神的疲労で、今にも倒れそうだった。
「じゃ、あっちに行こっか」
その有難い言葉に、アカツキは真っ先に扉の向こうへと踏み出し、サクラに促されるままにこの部屋を後にした。
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