ようやく掴んだ手がかり
「ありがとね。いやあ、若い力があると助かるわ」
中年の女性が二人に向けて感謝の言葉を告げる。声を掛けられた当の二人は、頭に頭巾を巻いて、その手には雑巾が握られていた。そして、額を流れる清々しい汗をまくり上げた腕で拭う。
「いえ、これも仕事なんで気にしんといて下さい」
爽やかな笑顔を浮かべながらヨイヤミが中年の女性に応える。その隣を、雑巾を床に押し付けながら、アカツキが颯爽と駆け抜けていく。
つまり、二人は掃除をしていた。バランチアの中階層にある宿屋のホールを、必死に雑巾がけをしていたのだ。
数時間の格闘の末、ようやく宿屋の全ての雑巾がけが終わり、二人は宿屋の女将に飲み物を頂きながら、一服をしていた。
「はいこれ、今日の分ね」
そう言って渡されたのは、お金の入った小さな小袋。今日一日かけて雑巾がけをした報酬。
「「ありがとうございます」」
二人は声を揃えて女将にお礼を言うと、その宿屋を後にする。二人は気持ちの良い汗を拭いながら、今日一日の成果を大事そうに握りしめ、自分たちが泊まっている宿屋へと帰って行った。
宿屋に到着すると、汗でべたついた身体を洗い流すために、すぐさまお風呂へと入る。暖かい湯船に浸かり、深く息を吐き出すと、得も言われぬ気持ちよさに包まれて、そのまま眠ってしまいそうになる。
ゆっくりと疲れを癒した二人は、今度は腹の虫の鳴き声と共に空腹を感じ始める。二人の準備が終わると、近くの料亭に入り、今日の成果の一部を使って、腹を満たすための料理を頼んでいく。
疲れも、空腹も癒えた二人は、後はもう一度宿に戻って眠りにつくだけだ。
「ちょおっと待ったあああああ。おかしいだろ。なんで俺たち、普通にこの街で仕事して、普通に生活してんだよ。違うだろ、俺たちがここに来た理由はそうじゃないだろ」
アカツキの我慢の限界が訪れたのか、急に頭を抱えながら悲痛の表情を浮かべて嘆きの声を上げる。アカツキの言う通り、ここに来たのは仕事をして、気持ちよく眠るためではない。
「いやあ。ほら、生活すんのにお金は大事やろ。ははっ……」
言い訳のしようもないヨイヤミは、それでも乾いた笑いでごまかす。だが、今回に関してはアカツキを言いくるめることなどできそうもないようで、自らの布団から身を乗り出してヨイヤミへと襲い掛かる。
「俺らがやりたいのは、金稼ぎじゃねえだろうが」
アカツキはヨイヤミの頭に両の拳を当ててグリグリと押し付けていた。「痛い痛い」と悲痛の声を上げながらアカツキの腕を掴んで静止する。それでも、まだ襲い掛かろうとするアカツキに両手を突き出して止めると、頭をフル回転させてなんとか落ち着かせるように、言い訳を考える。
「いやあな、これでも依頼こなしながらいろいろこの街を観察しとるんやけど、一向に手がかりが見当たらん。この街にゆっくりおれば、いつか向こうから動き出すんやないかと思って、その時を待っとったんやけど、それらしい動きは全然見られんしなあ」
現状色々と考えているが、動けていないという状況をアカツキに伝える。アカツキも怒りはあるが、それはヨイヤミだけに負わせられるものではない、ということもわかっているので、これ以上ヨイヤミに手を出すつもりはなくなった。
「確かに、俺もそれは考えてたよ。たぶん街の人に聞いてもそんなこと知ってるわけ無いだろうし、自分たちで街の様子を見てる方が確率は高いだろうって。でも、このままじゃここに居る目的が金稼ぎか、レジスタンス探しかわからなくなっちまう」
「はあ……」とアカツキは溜め息をついて、乗り出していた身を、自らの布団へと戻す。ここで暴れても、何も解決などしないのだ。
「まあ、ここでこんな議論しとっても、水掛け論や。何も解決せんし、お金が必要なんも事実や、このスタンスでもう少し様子見るしかない」
ヨイヤミが言うことはいつも正しくて、けれど今回においてはその正しさを否定したくもなる。仕事をしている時間があれば、レジスタンスを探す時間を増やせと……。だが、金が無くなれば生活ができないのも事実。
「確かにそうだけども……。何かこのまま意味なく時間を過ごすのが、心配になってくるんだよ」
心配を拭いきれないアカツキは天井を見上げながら、体を支えていた腕を引き、全ての力を失ったようにそのままバタンと布団に倒れ込んだ。
「しゃあないやろ。僕も少し焦ってるけど、これ以上にいい作戦が今んと思いつかん。明日もギルドに行って依頼こなすしかないやろ」
ギルドとは、現在二人がお世話になっている仲介屋のことで、仕事の斡旋をしてくれる場所だ。今日の宿屋の掃除のような力仕事がほとんどで、若い二人ならば仕事に困ることはない。上階層の人間が持ち込む仕事ならば、割もいいのでお金は思った以上に貯まっている。
ちなみに、ギルドにはかれこれ二週間もお世話になっている。
「まあそうなんだけどさ……」
色々と言いたいことはあるが、言っても仕方がないという思いから、やり切れない声音で吐き出されたアカツキの声は喪失感に埋もれていく。やがて「消すぞ」といってヨイヤミが立ち上がると、部屋の明かりは消えていく。
やり切れなくとも、身体は疲れている二人は「おやすみ」と共に、深い眠りへと落ちていった。
翌朝ギルドに向かった二人は、奇妙な依頼書を目にした。依頼者の名前が不明な上、ただの荷物運びだというのにかなりの報酬が書かれているのだ。あまりにも怪し過ぎる依頼に、立ち入っていいものかと後ずさりをしながらも、レジスタンスに通じるかもしれない依頼を、みすみす見逃す訳にはいかない。
「この依頼、レジスタンスと関係あると嬉しいんやけど……。さあて、吉と出るか凶と出るか」
少し怖いと思う反面、ようやく見つけた手掛かりにワクワクしているという感じで、ヨイヤミは依頼書を掲示板から剥がして受付に持っていった。受付の人は、その依頼書を受け取ると、少し苦い顔をして尋ねてくる。
「最近お前たちは良く仕事をしてくれているから、お前たちを危険な目には合わせたくねえ。悪いことは言わねえ、この仕事は止めとけ……」
仲介屋はどうやら裏の事情も知っているようで、この仕事を止めるように勧めてくる。まあ、これだけの報酬が出る仕事だ。危険でない訳がない。
「この報酬の額に目が眩んでんだろうが、高い仕事にはそれなりの危険があるに決まってる。依頼主のことはしゃべれねえ。でもな、この仕事からは手を引け」
仲介屋の親切な気持ちは素直に嬉しい。だが、こちらにも引けない理由がある。
「別に、その値段に目が眩んだ訳やないんです。この仕事に、僕らがここに来た理由がある気がするから、この仕事を受けるんです」
ヨイヤミの真っ直ぐな眼に、仲介屋は一瞬口を開いたものの、そこで言葉を失う。何を言っても止まらないという意思が、ヨイヤミの眼から嫌でも伝わってくる。仲介屋は諦めの溜め息を吐きながら、仕事の内容について説明をしていく。
「わかったよ。そこまで言うなら俺も止めねえ。きっちり仕事をこなしてこい。この仕事には合言葉があるからちゃんと覚えておけ。合言葉は『ワシをも射抜く』だ。その依頼書のところに荷車があるだろうから、向こうから何かを言われたら、この言葉を答えろ」
二人は強く頷くと、心配をしてくれた仲介屋に礼を告げる。
「心配してくれてありがとうな。こう見えて僕らは丈夫やから大丈夫や。多少の危険ぐらいなら、自分たちで乗り切れる」
ヨイヤミは自信満々にそんなことを告げる。資質の話は一般人にはできない。けれど、その自信とヨイヤミの瞳を見れば、仲介屋も何故か安心することができた。
「ガキが……、一丁前なこと言いやがって。でも、そういうのは嫌いじゃないぜ。気を付けて、行って来い」
仲介屋に背中を押されながら二人は、依頼書の場所へと向かう。そこに、どんな危険が待ち構えていようとも、この機会は逃すことができないのだから。
二人は依頼書の通りにバランチアの門の外に出た。門の外は相変わらず穏やかで、街の向こう側にある海の波の音が聴こえてきそうなほどだった。今んな穏やかなところに、テロリストであるレジスタンスが本当にいるのだろうか。
「本当に大丈夫なのか?あのおじさんの言い方だと、やっぱりレジスタンスっていうのは、それなりにヤバい組織なんじゃないのか?」
アカツキは仲介屋の様子を見ていて、少しだけ怖気づいてしまった。誰だって、あんな風に言われれば、少しは不安な気持ちに苛まれてもおかしくはない。
「そうやってビビッて、行動しんかったら、いつまで経ってもこの世界は変わらん。だから、多少危険だとわかっとっても、僕らは進むしかないんや。それはアカツキもわかっとるやろ」
ここ最近、思い通りにいかないことが多すぎて弱気になっていたのかもしれない。自分から、この世界を変えていくと決めたのだ。今更足踏みしてどうするというのだ……。
「そうだな。俺が悪かった……」
素直に謝って、そして何もなかったように真っ直ぐに前を見据える。もうとっくの前に覚悟は決めたはずなのだから……。
依頼書の指示通りの場所に向かうとそこには大きな荷車が置いてあった。街から多少離れた少しだけ木々が生い茂った、小さな雑木林の中にその荷車はあった。
荷車に近づくと『翼なきツバメは』と荷車の布の奥から声が聞こえてくる。その声に声量を合わせて『ワシをも射抜く』と告げると、ばさっと荷車の布が剥がされた。
「んっ、まさか君たちみたいな子供が来るとは……」
荷車の中の人は開口一番そんなことを言った。まあ、それが普通の反応だろう。まさか仲介屋がこんな危ない仕事を子供に任せるとは思っていなかっただろうから。
「子供じゃあ、役不足ですか?」
そんな相手の反応がお気に召さなかったのか、ヨイヤミはそんなことを尋ねる。あまり挑発的なことはして欲しくない。何故なら、その手には銃が携えられているのだから。
「いや、むしろ子供の方が助かるよ。門番に怪しまれ難いしな。それじゃあ、さっそく仕事に取り掛かってもらうとしよう。今から渡す荷物を何回かに分けて運んで欲しいんだ」
荷車の奥から怪しげな金属音のする布袋を引っ張り出してくる。布袋はパンパンに膨らんでおり、無理矢理に物を詰め込んだのが一目瞭然だ。この量の金属を持とうと思うと、それなりに骨が折れそうだ。
布袋を受け取ると、予想通り相当の重量があり、これを子供に任せるのはどうなのだろうと、少し相手の常識を疑ってしまう。それも仲介屋の信頼あってこそなのだろうか、何の迷いもなく相手はこれを渡してきた。
実際、これくらいで潰れるような、柔な身体はしていないのだが……。
「今からもう一枚紙を渡すからその場所にこれを届けてくれ」
二人に大きな布袋を渡し終えた男は、懐から一枚の髪を取り出してヨイヤミに渡す。二人のやり取りを見ていたアカツキが、不意に疑問に思ったことを口にする。
「なんでこの荷車のまま荷物をバランチアの中に運ばないんですか。その方が楽ですし、わざわざ人の手を借りる必要もありませんよね」
男は必死に表情を隠そうとしているが少し表情が歪んだことぐらいはわかった。その理由を知らなければ不味いことでもあるのだろうか。
「君たち、ここの人間じゃないのかい。なら知らないのも無理はないか……。この街の検問は割とルーズなんだよ。門のところに衛兵がいただろ。君たち、バランチアに入るときに何か調べられたりしたかい」
確かに衛兵がいた覚えはあるが、確かにそこで何かを調べられた訳でもなく、本当にただそこにいるだけだった。アカツキは否定を示すために首を横に二、三度振ると、男は頷いて話を続ける。
「そうなんだよ。あそこの衛兵、普通の旅客は検問しないんだ。でも商人や荷車なんかの大荷物を持った人は、さすがに検問をしない訳にはいかないみたいで、このまま荷車で行けば必ず検問を喰らう。もう察しているとは思うから言うけど、この中のものはもちろん検問されれば引っ掛かるような危険な代物だ。だから、報酬金もかなり値が弾んでただろ」
なるほどとアカツキが頷いていると、ヨイヤミがいつもの作り笑いを浮かべながら荷車の男に尋ねる。
「そんなものあの街に持ち込んで、あの街で戦争でも起こす気なんですか?」
アカツキはおもわずその言葉に声を漏らしそうになるが、何とか踏みとどまる。それでも言わずにはいられないので「なんてこと聞いてんだよ」とヨイヤミに耳打ちするが、ヨイヤミは一切の反応を示さない。荷車の男は頭を掻きながら、困惑するように答える。
「あぁ、悪いが少し話しすぎた。これ以上は言えないよ。まあ、心配しなくても、君たちが杞憂しているようなことは起こらないから大丈夫だ。だから、お互いこれ以上の探り合いは無しだ。この依頼ちゃんと受けてくれるんだろ」
相手の困惑具合を見て、そろそろ引き際だと察したヨイヤミは作り笑いを引込めて、真面目に答える。
「もちろんです。こんな割のええ仕事断る訳ないですわ。これ以上のことはもう聞ききません。こういう依頼は内密に行うもんやし」
この言葉を聞いて男も安心したのか少し表情が緩んだ気がした。こういう取引をする人間にしては、感情が表情に出過ぎているような気がする。これがレジスタンスの依頼なのだとしたら、レジスタンスは案外人材不足なのかもしれない。
「話がわかる子達で良かったよ。黙って仕事だけしてくれれば、ちゃんと金は払うからさ」
そう言って、もう一度荷車の布を元に戻して、依頼主は姿を隠した。二人はそれ以上何も尋ねることなく、先程渡された紙を見ながらバランチアへと向かって歩み出す。
「どう思う。ヨイヤミ?」
アカツキの主語のない問い掛けに、それでもアカツキが意図することがわからない訳もなく、ヨイヤミは歩みを止めずに答える。
「ほぼ間違いなく黒やろな。検問で引っ掛かるとヤバイってことは、おそらくこれは武器関係のもんやろ。でも、この街で戦争を起こす気はないってことは、ここ以外で戦争起こすのに、わざわざここに集める必要があるってことや。つまり、ここにアジトがあるレジスタンスの関係者である可能性が高い。まあ、これだけでも十分なんやけど、もうひとつレジスタンスっていう証拠があるんや。なんやと思う」
急に質問を投げかけてくるヨイヤミに、嫌な予感がしながらも視線を向けると、案の定いつもの意地の悪そうな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。そんなヨイヤミに呆れて溜め息を吐きながらも、聞かない訳にもいかないので素直に尋ねる。
「なんだよ。しょうがないから聞いてやるよ」
もう、自慢したければ好きにしてくれ、と言わんばかりの口調でアカツキはヨイヤミに尋ねる。しかし「えぇ、どうしよう」などと渋るように少し間を置いたヨイヤミに、アカツキは危うく手が出そうになったが、それを察したヨイヤミが慌てて答える。
「合言葉や、合言葉。お互いのを合わせれば『翼なきツバメは、ワシをも射抜く』やったやろ。あれどういう意味やと思う」
アカツキは両手を上げて、降参するから早く答えろとヨイヤミに促す。
「あれは翼が身分を表しとるんや。つまり『翼なきツバメ』は身分を剥奪された奴隷達のことで『ワシ』はグランパニアのことやろな。ワシは鳥の王者とも呼ばれとる。レジスタンスは奴隷解放とグランパニアの打倒が目的やから、奴隷達が王国を落とすって意味が込められとるんやと思う」
相変わらず、自分が思いつかないようなことに気が付くヨイヤミに感心する。わざわざ合言葉の意味なんて、考えようとも思わなかった。だが、それは自分の注意力の無さを痛感させられる行為でもあり、感心と共に小さな劣等感が生まれる。
だが折角、目の前の道に光が見えたというのに、ここで空気を壊すようなことはしない。アカツキは感心も劣等感も心の奥に閉じ込めて前へと進む。これでやっと、自分たちの目的に一歩近づけるのだ。アカツキは興奮と少しの不安を抱きながら、門番が構えるバランチアの門を通り抜けた。
指定された場所はとある居酒屋で、中に入って席に座りしばらくするとゆっくりと様子を覗いながらこちらに近づいてくる男が一人。少し緊張しながらも、その男の相席を許すと、依頼書を出すように促してくる。
その男にヨイヤミが依頼書を渡すと、静かに頷いて依頼書を受け取り、パンパンに膨らんだ布袋を机の上に置いた。それが何であるかは一目瞭然。周りの客に怪しまれないために、音を鳴らさないように静かに置いたが、それでも目の前にいるアカツキたちにはジャラっという金属音が聞こえた。
男は自然と店主に向かって料理を頼み、アカツキたちも「食べてくれ」と言われるがままに食べる。余計なことは喋るなというオーラが、相手から溢れていたので、二人ともだまって食事を済ませる。
男は食事を終えると「それじゃ」と言って、自らが持ってきた袋とは別の袋を持ってその場を後にした。ヨイヤミたちの元に残されたのは、元の布袋と比べるとかなり小さくなったが、その価値は計り知れない布袋だった。
一瞬目の前に置かれたものに唖然として、自分たちの目的も忘れて硬直してしまっていた二人だが、すぐに目的を思い出して、その布袋を少々乱暴に掴みとり、急いでその男の後を追った。
人ごみで隠れてしまうギリギリのところで、何とか男を視界に捉えたヨイヤミは、アカツキに向かって口許で指を立てて静かにするように促すと、周りの人に怪しまれないように、自然に人ごみに紛れ込みながら男の後を追った。
気付かれていないのか、それとも気付いていてなお放っているのか、男はこちらへの反応を一切示すことなく。街並みを着実に進んでいく。あの大きな布袋がなければ、すぐにでも人ごみに溶けていってしまいそうだった。
そんな人ごみも徐々に無くなり、やがて人気のない場所へと入っていく。人ごみから抜けると、流石に男も周りを気にし始め、盛んに周囲を窺うようになった。
「まだアジトには着かんのか?」
結構な距離を歩かされているため、そろそろヨイヤミの我慢が限界を迎えそうになっていた。こちらも、少しでも揺らせば、こちらの存在を知らせてしまう、ある意味爆弾のようなものを抱えているので、神経が着実に削られていくのだ。
そうこうしている内に、ようやく男が怪しいところで立ち止まる。とある路地裏の行き止まり。男はそこに辿り着いた途端、周りを必死に見渡し始めた。
ヨイヤミたちは慌てて物陰に身を隠し、相手が動くのを息を殺して待ち続けた。少しの間を空けて、こっそりと覗き込むと、既に男の姿は無くなっていた。
「なっ」
思わずヨイヤミは声を上げてしまったが、幸いなことにその声を聞いた者は誰もおらず、その声は反響しながら、路地裏から覗く青い空へと溶けていった。
「人が、消えた……」
二人はあまりの驚きに、何の警戒もなくその路地裏へと走り込む。そして、すぐに消えた人が消えた理由を察する。そこには金網で塞がれた下水道があり、恐らく男は金網を外してその中に入っていったのだ。
これでようやく、レジスタンスのアジトへと続く道を見つけた。だが、今すぐに潜り込むのは不味い気がしたヨイヤミは、一旦宿に戻って、今手に持っている爆弾を預けることを提案する。
二人はその日の夜、しっかりと準備を整えて、例の路地裏へと向かった。中はジメジメと湿っており、自然と汗が垂れてくる。それが緊張によるものなのか、ただ単に湿気に煽られているだけなのかはわからない。
二人は自らの指に小さな炎を灯し、その心許ない灯りを頼りに進んでいく。下水道の中は迷路のように入り組んでおり、アジトのようなものがあるなどとは到底思えない。
「おい、本当に大丈夫か?ここまで来て見つけられない、なんてことにならないよな」
アカツキがヨイヤミにそっと耳打ちすると、ヨイヤミは煩わしそうな表情を浮かべる。
「うるさいな。だまって探すことに集中しとき」
どうやらヨイヤミの機嫌もあまりよろしくないらしい。というか、こんなに機嫌の悪さが表に出るのも珍しいくらいだ。まあ、せっかく見つけた手掛かりが、ほとんど空振りに終わりそうとなれば、機嫌も悪くなる。
どれだけ歩いただろうか……。下水道の中に入ってから、ひたすら歩き続けること数時間。最早、二人の希望は風前の灯となっていた。ヨイヤミは項垂れて遂に座り込んでしまう。
「もう疲れたぁ。歩きたくないぃ」
そして、まるで小さな子供の用に駄々をこねはじめる。大体、レジスタンスに行こうと言い出したのは、どこのどいつだ。
そんなヨイヤミに呆れて、アカツキが溜め息と共に脱力した瞬間、後頭部に冷たいものが突きつけられた。アカツキの背中に悪寒が走る。それが良くないものだということは、眼にしなくとも理解できる。
「動くな。両手を頭の後ろで組んで跪け」
後頭部でカチャリと撃鉄を引くような音が聞こえてくる。いくら資質持ちと言えど、後頭部に弾丸を直接叩き込まれれば一溜まりもない。
アカツキは大人しく、言われた通りに頭の後ろで両手を組み、膝を折って跪く。すると、銃口で無理矢理地面に額を押し付けられ、身動きが完全に取れなくなる。
「お前もだ。早く、こいつと同じ格好をしろ」
何が起こっているというのだ……。俺たちは先程まで、愚痴を零しながら、下水道を探検していただけのはずなのに気付けば命の危機に曝されている。あまりにぶっ飛び過ぎていて、状況がはっきり理解できない。
「お前たち、何でこんなところにいる」
ヨイヤミが大人しく従ったのを見て、男はアカツキたちに尋ねる。この男が何者であるのかもわからない内に直接的に『レジスタンスに入りたくて来た』などと言える訳もなく、アカツキは助けを求めるように、ヨイヤミへと視線を巡らせる。
「いやあ、ちょっと下水道の中がどうなっているのか探検したくて……」
ヨイヤミが飄々とした様子で答える。自分たちが子供で、この危機感を理解していないということを演じているのだろうか。
「お前たちのような子供が、こんな時間にか?吐くならもう少しまともな嘘を吐け」
どうやら作戦は失敗に終わったようだ。ヨイヤミの嘘はすぐさま一蹴されてしまった。意外と頼りにならないのかもしれない……。
「いやあ、お兄さんこそ、何でこんなところで、そんなものを持ってるんですか?」
質問に質問で返すのが不味いことくらい、アカツキでもわかる。もしかして、恐怖と緊張感のあまりに何も考えられなくなっているんじゃないだろうな。
「あっ、もしかしてお兄さん、何かの秘密結社の人間だったりして……」
ヨイヤミがわざとらしくそんなことを言うと、男は何の躊躇いもなく引き金を引いた。轟音と共に、真っ暗な下水道に一瞬の光が走る。銃弾はヨイヤミの頬を掠り、ヨイヤミの頬を赤い液体が一筋垂れる。
だが、これでいい。これで、この相手は完全に黒だ。
敢えて、挑発するようなことを言った結果、彼の表情は一瞬眼で見てわかるほど歪み、そして少し怒りの込められたような今の発砲。
間違いなく、彼はレジスタンスの人間だ。ヨイヤミは駆け引きに勝った。
「じゃあ、本当のことを話します」
今度のヨイヤミは、いやに真面目な表情を浮かべて、男としっかりと視線を交わらせて口を開く。そんなヨイヤミの様子に男も黙ってその答えを待つ。
「僕たちは……、レジスタンスに入りたくて、ここまで来ました」
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