一宿一飯の恩義

 大通りに戻ると更に陽の角度は浅くなり、空が茜色に染まり始めていた。大通りの露店も少しずつ片付けが始まっており、大通りの賑わいも落ち着きを取り戻し始めていた。


 そんな大通りを一人、少し落ち込んだ表情のまま歩いていくアカツキは、先程のローブの子供が、この大通りにいるのではないかと、少しだけ期待して、あたりを見回しながら歩き続けていた。


 そんなアカツキに、思わぬところから声が掛けられる。


「おーい。そこの君」


 最初それが自分にかけられた声なのかわからず、一度立ち止まって辺りを見回す。


 「こっち、こっち」と頭上から呼びかけられる声の方向に向けて視線を巡らせると、誰の家とも知らないベランダの策の上に座り込んでいるローブを羽織った少年と目が合う。


 そのローブから垂れる髪は間違いなく先程と同じ銀髪で、先程の声を聴いた限り、女の子ではなさそうだった。これで、アカツキの小さな希望が、完全に消失した。


「なんだ……、人違いか……」


 そんなアカツキのあからさまに残念な表情に少し気分を悪くしたのか、ローブの少年はベランダから飛び降りて、アカツキの元までやってくると、少し怒ったような声音で話しかけてくる。


「なんや、なんや……。そんなに僕と会いたくなかったんか?まあ、さっき黙って逃げたのは、悪いとは思とるけど……」


 残念な表情をしたのはそういう理由ではなかったのだが、確かに先程の行為はあまり褒められたものではない。せっかく助けに入ったというのに、黙ってどこかに逃げるなんて、そんな失礼な話はない。


 そう思ったアカツキは、なんとなく怒りが込み上げてきて、少年の勘違いを弁解することなく話を続ける。


「本当にそうだよ……。人が親切で割り込んでやったのに、恩を仇で返された気分だったよ。そりゃ、怖くて逃げだしたい気持ちは分からなくはないけど……」


 恐怖感に打ち勝てず、誰かを放って逃げ出してしまう気持ちは分からなくはない。大なり小なり、アカツキもその気持ちを味わっている。だから、あまり強く出ることはできないのだが、それでも少しは反省してほしい。 


「悪かったって……。それにしても、なんで首突っ込んだん?」


 その少年の表情は本当になぜ助けたのかわからないといった様子で、首を傾げている。自分がそこまでおかしなことをした覚えのないアカツキは、何やらバカにされているような気分になって、少しぶっきら棒に答える。


「困ってる奴がいたら助けるのは当然だろ。それの何がおかしいんだよ?」


 そんなアカツキの言葉に対して、素で感心するような表情を見せると、まるで人が変わったように、不気味な笑みを浮かべながら、ローブの奥からアカツキを凝視する。


「困っていたら助けるねえ……。君変わっとんな」


 その変わり身があまりにも不気味で、アカツキはローブの少年の凝視から逃げるように後ずさりして、かなりトーンの下がった声で問い返す。


「なんだよ……。当然のことだろ、どこが変わってるって言うんだよ」


 アカツキの額を一筋の滴が直線を描いて零れ落ちる。目の前の少年が何を言っているのかがわからない。人を嘲り笑うようなその笑みに、怒りよりも恐怖を覚える。


 その少年はそんなアカツキの様子に気が付きながらも、その笑みを崩すことなく言葉を紡ぐ。


「いやあ、今の世の中そんな正義感丸出しの生き方してたらすぐに死ぬで……」


 フードの少年は小声で、しかしはっきりとそう告げた。フードの奥から除く顔は、相変わらず口は笑っていたのだが、目は全くと言っていいほど笑っていなかった。アカツキにはその目の奥に、闇が見え隠れするような気さえした。


「まあ、僕が言うのもなんやけど……」


 ローブの少年はアカツキには聞こえない声量で、小さくそう呟いた。何を言ったのかは解らなかったが、それでも、ローブの少年が何かを発したことには気が付いたアカツキは問い返す。


「今、なんて……?」


 こいつは一体、何を抱えて……?アカツキはローブの少年に畏怖を抱いていると、その表情を一変させて今度は明るい笑顔を見せる。


「って言うのは冗談や、冗談。何でもないから、気にしやんといてくれ。いやあ、助けてくれてありがと。ホントに困っとったんや。あの人たち、すんごい怖かったもんな」


 先程までの冷たく笑う彼は、もうそこにはいない。まるで別人のような彼の表情に、畏怖を覚えるよりも、毒気を抜かれてしまい、自分の思考が追い付かなくなっていく。


「それにしても、君すごいな。あんな、大勢の大人を追っ払うなんて。手から炎なんか出してさ……」


 興味深そうに、先程炎を出したアカツキの拳へと視線を向ける。アカツキはてっきり、自分を放って颯爽と逃げ出していたと思っていたのに、その様子を見られていたことに驚きを覚える。


「なんだ。見てたのか?」


「もちろん見とったで。ホントすごかったな。でも、あれは少し気を付けた方がええで……。何も知らん一般人の前で能力ちからを使わん方がええ……」


 まるで諭すようにアカツキに語りかける少年の目は、また笑みを失っていた。それがどういう意味かを考える前に、アカツキは「能力」という言葉に急に形相を変えて、勢いよくローブの少年の肩を掴み迫った。


「お前、この力のこと知っているのか……?なあ、教えてくれないか、この力のこと。もっと詳しく知りたいんだ……」


 ローブの少年はアカツキの勢いに面食らったような顔になる。唖然とした表情でアカツキの顔を眺めた後、ローブの少年は何か考えるように「う~ん」とうなると、ハッと何か思いついたような顔で、指をピンッと立てながら、こちらに条件を提示してきた。


「教えるのはええけど、やっぱりただって訳にはいかんよなあ。例えば宿に一緒に泊めてくれるとかやったら、僕も気兼ねなく力のことを教えてあげられるんやけどなあ……」


 「どうしよっかなあ?」と顎に指を当て、考え込むような態度をとり、片目だけを開いてチラチラとアカツキの方を見る。


 どうしてこいつは、いちいちこうやって腹が立つような態度をとるんだ……。


 アカツキは内心腹を立てていたが、今は何よりも力のことが優先だったので、藁にもすがる思いで返事をする。


「わかった。宿に一緒に泊めてやる。ただし、ちゃんと教えろよ」


 アカツキは念を押すように言うとローブの少年は「いやったあぁ」と、両手を上げて喜んでいた。なんでこんなに腹が立つのだろうと考えていると、その答えに不意に辿り着く。


 こいつなんとなくリルに似てるんだ、雰囲気とか表情が……。それで、いつもの感じでイライラしちゃったのか……。


 アカツキは根拠のない怒りに対して、そんな風に自己解決した。そもそも、風貌が似ているからこそ、リルと勘違いして、助けに入ったのだ。そんなことをひとりでに考えていると、ローブの少年が手を差し伸べてくる。


「僕の名前は『ヨイヤミ・エストハイム』や。よろしくな」


「俺の名前は『アカツキ・リヴェル』。よろしく」


 アカツキもその手を取り握手を交わした。その時のヨイヤミの表情は、目も口許も晴れやかな笑みを浮かべていて、なんとなく安心した。


 夕食を済まし、二人はアカツキが宿泊している宿に戻った。宿の部屋は六畳一間で、真ん中に丸机が一つと今はヨイヤミの分も合わせて布団が机を挟んで二枚敷かれている。


 トイレや浴場は宿泊客が共同で使うことになっているので、わざわざ部屋を出なければならないのを除けば、格安でなかなかいい宿だった。ヨイヤミは宿に着くなり布団に倒れ込んだ。


「ふあ~。食べた、食べた。ほんと、お腹いっぱいやわ。もう眠なったわ、おやすみ、アカツキ」


 そう言いながら寝る体制に入ろうとするヨイヤミの首元を掴んで、アカツキは無理矢理にヨイヤミを起き上がらせる。


「ちょおっと待て、ヨイヤミ君。ちゃあんと力の話するまで、寝られるとでも思っているのかなあ?」


 口だけは笑っていたが、それ以外はどこを見ても血管が浮き上がってきそうなほど、怒っていた。


 先程までヨイヤミが見せていたのとは、また別の口だけが笑っている表情だった。


 なぜここまでアカツキが怒っているかというと、遡ること二時間前……。


「やっぱ、今日の夕食代も払ってくれんと、力の話は教えられんわ」


 そんな風に急に条件を増やしてきたヨイヤミだった。アカツキは「はっ?」と疑問符が浮かんだものの、ここでせっかくの情報を見逃すわけにはいかない、と仕方なくその条件も承諾した。


 だが、この後アカツキの怒りは爆発する。


 ヨイヤミは食事処につくと初めてローブのフードを頭からとった。髪は滑らかな銀色のセミロングで髪を後ろで結んでおり、目は狐のように細く、顔は男性よりも女性を思わせる線の細さだった。鼻は少し高く、綺麗な顔立ちであることは否めない。


 だが、その線の細さとは裏腹に、ヨイヤミは大量の注文を取り始めた。


 なんと、主菜の料理を六皿、副菜の料理を三皿、その上デザートを三皿を一人で平らげてしまった。アカツキもなるべくお金を節約したかったので、今までできるだけ使わずに生活してきたのだが、ヨイヤミはアカツキの五日分くらいの量を一日で食べきったのだ。


 その上、節約のため自分は主菜の料理を一皿だけに抑えていると、ヨイヤミは「あれ、お腹減ってないん?」などと抜かすので、店の中など構わず暴れてやろうかと思ったが、後々さらにお金が掛かることになりそうなので止めておいた。


 そうして、今に至る。


「わかった、わかった。まあまあそんなに怒るなや。なっ、落ち着いて、落ち着いて」


 ヨイヤミが覆いかぶさろうとするアカツキに対して、必死に両手を突き出してなだめるように話しかける。爆発寸前といったアカツキの様子に、さすがのヨイヤミもいつもの皮肉交じりの笑いはなく、冷や汗をだらだらと垂れ流して苦笑し続けていた。


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