第二章 始まりの明と宵

銀色の影

 村を出たアカツキはアルバーンに滞在していた。旅をするための物資も知識も何もないアカツキは、アルバーンで宿をとり、図書館に入り浸っていた。


 この周辺で図書館なんてものがあるのは、この国くらいのもので、各国から集められた書物がここには貯蔵してある。


 アルバーンに滞在している理由はもうひとつあった。それはリルのことだった。


 ルブールから逃げ出してどこかに身を隠すとすれば、真っ先にここを思い浮かべる。だから図書館に行く道すがら、いろいろ寄り道をして探しているのだが、今のところ小さくて華奢な銀髪の少女の姿は見当たらない。


 まあ、リルを見つけたからといって自分に何が出来る訳でもないが、それでも彼女の顔を一目見たいのだ。


「あら、今日も来たのかい。毎日毎日、何をそんなに調べてるんだい」


 毎日図書館に通っていたアカツキは、最近図書館の司書の女性にすっかりと憶えられてしまっていた。本を読んでいると、気軽に声を掛けられる程度には親しくなったと言ってもいい。


「いやあ、外国のこととか、いろいろですね……」


 頭を掻きながら照れ笑いを浮かべて、恥ずかしそうにアカツキは答える。基本的に、ルブールから出ることなく暮らしていたアカツキは、ルブールの国民以外とこんなに毎日顔を合わせるのは初めてだった。だから馴れない人と会話することに、未だに少し困惑を覚えていた。


「外国のこと?そんなこと調べてるのかい。すごいわねえ、どこかの都市に出稼ぎでもしに行くのかい」


 先程の流れで頭を掻き苦笑しながら「いやあ……」と答える。外国のこと、と言っただけなのにどうして出稼ぎなんて話になるのだろうか……。まあ、この国は商業の国だから、何をするにおいても考え方が商業的なのだろう。


「でも、気をつけるんだよ。この国と他の国を一緒にしちゃいけないよ。この国の外は、いつどこで戦争が起きたっておかしくないような国ばかりだ。特にグランパニアの近くの国は毎日のようにどこかで戦争が起きている。あそこは、他国を力でねじ伏せて、領土を広げようと躍起になっているからね」


 アカツキがそんな何気ないことを考えていると、不意に女性からそんなことを告げられる。グランパニア……。アカツキはその言葉を聞いた途端に表情が陰り、落ち込んだように軽く俯いた。そんなアカツキの表情の変化に気づいた女性は、慌てて何かを取り繕うように、話を続ける。


「ま、まあ、なんにしてもしっかり知識を蓄えるのは大切なことだよ。君が何のために外国のことを調べているかは知らないけど、この先生きていくために、その知識はきっと役に立つわ。だから、しっかり頑張りなさい」


 そう言うと司書の女性は、「何か困ったことがあったらなんでも聞いてね」と微笑みながら告げて、その場を後にした。アカツキも俯いていた顔を上げて、精一杯の笑顔をつくると「ありがとうございます」と答えた。


 アカツキは、この世界の情報が載っているような本を片っ端から集めて、自らの元に置いていた。そんな中で今アカツキが読んでいたのは、『ガーランド大陸の今と歴史』という題の本で、その名のとおりガーランド大陸にまつわることが記されていた。






 ガーランド大陸は、大きく分けて五つの領土からなっている。


 まず中心に位置するのは、ガーランド帝国。この世界の中心であり、ガーランド帝国の王は全ての権力者である。


 だが、ガーランド帝国の王であるアーサー王はガーランド帝国以外の国に一切の干渉をせず、他の四つの国に自由な政治を行わせている。


 ガーランド帝国を中心として東西南北の四つの国に分かれており、北を「力のグランパニア」、東を「自由のレガリア」、南を「美のフレイヤ」、そして西を「法のクラウス」と呼んでいる。


 それぞれの国王を四天王と呼んでおり、彼らはガーランド国王直々に自由な政治を許されていた。


 それぞれの王が選んだ王政は、グランパニアは力によって支配された国、レガリアは商業が栄える自由の国、フレイヤは美しいものこそが権力を握る女性国家、クラウスは法が全ての法治国家である。


 そして、現在様々な国家を揺るがしているのが他でもない、グランパニアなのだ。


 この四つの国に属していない、この大陸にいくつもある小さな独立国を、戦争による力の支配でいくつも手中に収めている。


 ここ数年で十数の小国家を手中に収め、今もなお、グランパニアの領土拡大は続いている。


 今は、あまりの行き過ぎた暴政により、レガリア国王がグランパニアを牽制しているため、あまり表立った戦争は起こしていない。だが、それも時間の問題であると考えられる。






 アカツキは、そんなことが記されていた辺りを読んだところで、一度本を閉じた。


 ルブールは、グランパニアの暴政により焼き尽くされた。村人はバラバラになり、アカツキの大切な人は死んだ。


 しかし、あれは本当に領土拡大が目的だったのだろうか。


 あの日、商人から聞いた話を踏まえても、あの戦いには違和感がある。もっと何か別の意味があって、あの村は襲われたのではないか。


 アカツキはそこで考えるのを止めた。色々と考えたところで、知識のないアカツキが何かしらの答えを導き出すのは不可能だ。そんなことよりも、今はこの世界の実情を知り、旅出るための知識を得ることの方が先決だ。


 アカツキはもう一度本をめくり、新たなる知識の宝庫へと、手を差し伸べるのだった。


 それから数時間後、アカツキは手元に置いてあった全ての本を棚に戻し、もうひとつの調べごとをしていた。怪物から授かった力が、どういうものかについて……。


 だが、これに関しては一切有益な情報は得ることができなかった。


 そもそも、どうやって調べればいいのかわからないし、魔法について調べて出てくるのは、童話や御伽話くらいで、実際にそんなものが存在するなどという情報は、どの書物を探ったところで見つけることができなかった。


「やっぱり、これに関しては自分で何とかするしかないのか……」


 ここ数日の間、どれだけ探しても見つけることのできないことに、そろそろ諦めを覚え始めたアカツキは、ボソッとそうつぶやくと、手に取っていた本を棚に戻して、窓から差す陽光を眺める。


 この図書館に来てからすでに何時間か経っており、陽も大分傾き始めていた。


「今日は、ちょっと路地裏の方も見てみるか。リルたちは、きっとお金もないだろうから、宿屋じゃなくてそっちにいるかもしれないな…。路地裏は危ないって、じいちゃんはよく言ってたけど、この力があればどうってことないだろうし……」


 陽の傾き具合を見たアカツキは、暗くなる前に路地裏を探し回ろうと早足で図書館を後にした。


 図書館を出て未だに賑わう大通りを抜け、普段足を踏み入れることのなかった薄暗い路地裏へと足を踏み入れる。


 少し奥まったところに入っていくと、そこにはアカツキの知るアルバーンとはかけ離れた、陰湿で廃れきった光景が広がっていた。


 そこには、いかにも怪しげな商人達が、ビニールシートやダンボールを広げ、その上に怪しい色の液体や、不気味な装飾が施された首輪、中には銃のような凶器がズラッと並んでいた。


 それらを売る商人たちは、皆そろって、ボサボサな髪と髭を蓄え、まるで雑巾のようなボロボロの服を身にまとい、不気味な笑みを浮かべながら通り過ぎるアカツキを客引きする。


 少し前の自分なら絶対にこんなところ入ることはできなかっただろうと思いながらアカツキはその路地裏を足早に進んでいった。


「おい坊主、この首輪付けると金運が上がるんだぜ、買わねえか。げへへ……」


 普段見かけない少年を見つけた商人たちは、カモがやってきたというように、ここぞとばかりに声をかけてくる。気味悪い笑みを浮かべながら、目をギョロリと見開いてこちらに話掛けてくるその姿は、童話に出てくる魔女のようだった。


「けっ、無視かよ。しけてやがんなあ」


 無視をしたアカツキに舌打ちをしながらブツブツと呟く声が、背後から聞こえてきたが目を合わせることなくその場から立ち去った。こんなところに長い時間いたくもないし、何より関わり合いを持ちたくない。


 その後も、同じような光景が続き、更に奥まった場所へと踏み入れると、今度は人気が全くなくなり、ところどころに生きているのか死んでいるのかわからないような人が、地べたに座り込んでいるのが見受けられるだけになった。


 家屋を挟んだ向こう側の道からは、誰かが殴り合いをするような音が響いてくる。不気味な商人たちの道を超えた次には、居場所を失った若者たちが荒れ狂う道が顔を見せ始める。


「さすがに、こんなところまでは来ていないと思うけど……。まあ、この力があれば大丈夫だろうし、見るだけ見てみるか……」


 アカツキは湿り気を帯びた拳を強く握りしめて、慎重な足取りで先へと進む。できれば、変な抗争に巻きこまれたくはないので、人気を避けるように進んでいく。


 そんな感じでいくらか歩いたところでアカツキは何やら集団を見つけた。最初は関わらないようにしようと思ったのだが、どうやら様子がおかしい。抗争というには、あまりにも静かだった。


 なんだろう、と身を隠しながら覗き込んでみると、三人の男達が黄土色のボロ布のローブを羽織った子供を取り囲んでいた。


 ローブのフードで顔を隠しているため性別はわからないが、身長がアカツキより少し小さいことからも子供で間違いはないだろう。


 何があったのか気になったので、声が聞こえるところまで近づいて耳を傾けてみる。


「おいガキ、俺らの縄張りを悠々とお散歩とは、いい度胸してんじゃねえか。あぁん」


「さっきから一言も喋らねえぞこいつ、もしかしてどっかの国の難民で言葉も理解できないんじゃないだろうな」


「マジかよっ。おーい、俺たちが何を云っているのか理解できまちゅかあ。……ふへへっ」


 数人の若者たちがその子供に罵声を浴びせていたが、その子供は一切口を開く様子はなかった。


 その様子を見ていたアカツキは、フードから見える髪の色に驚愕を覚えた。


 フードの中から少しだけ見えた髪の色は滑らかな銀髪だったのだ。それ以外には何の証拠もない。だが、そんな些細な共通点でも彼らのいざこざに顔を突っ込むのには十分すぎる理由だった。


「おいっ、何の抵抗もしない子供を、大の大人が寄って集っていじめるなよ」


 アカツキの声に三人の若者は一斉にこちらを振り向く。三人とも露出している部分の隆起した筋肉がはっきりと見えるほどに、引き締まった身体をしている。真ん中の男はスキンヘッドで、頭部を走る欠陥が浮き出しており、表情の厳つさを増幅している。


「あぁっ?なんだお前。その格好だと、ここの奴じゃなさそうだな……。そんな奴が俺らになんか文句でもあんのか?」


 アカツキは内心、面倒くさいことに顔を突っ込んでしまったと後悔した。だが、今目の前にいるローブの子供の正体を見ずにこの場を離れることは、今のアカツキにはできなかった。


「その子も、ここがお前たちの縄張りだって知らなかったんだから、許してやれよ。たかだか、通り過ぎただけだろ?荒らされた訳でもないんだから……」


「知らなかったで済むと思ってんのか。お前もあいつも、しっかり落とし前付けるまで帰れると思うなよ」


 不良たちがさらにアカツキとの距離を詰める。


 自分よりも一回り大きな男たちの吊り上げられた目に、どれだけ自分が特別な力を持っているからといっても、恐怖を覚えずにはいられない。アカツキは拳を強く握りしめて恐怖を抑え込む。


「まあまあ、ここはちゃんと二人で謝るから。なっ、お前も一緒に謝るぞ」


 不良たちの壁をかいくぐるように、彼らの隙間からさっきのローブの子がいた場所を覗き見ると、そこには人の影も形もなくなっていた。


 「あれっ?」間の抜けた声を漏らすアカツキの額に、嫌な汗が溢れ出してくる。


 アカツキの様子を見て訝しげな表情を見せた不良たちも、同じ方向へと視線を向けるとアカツキのおかしな様子の意味を理解し、冷たい笑みを浮かべる。


「あらら、逃げられちゃったなあ……。ってことはお前が二人分しっかり落とし前つけてくれるんだよなあ。あぁんっ」


 凄む男たちを見てアカツキを襲う恐怖感はさらに増していく。アカツキが後ずさりするのを見て、その距離を詰めながら、更に口端を吊り上げて話を続ける。


「そうだな、これから俺たち専用のサンドバックになるっていうのはどうだ?一カ月も耐えれば解放してやるよ」


 その言葉を皮切りに、男たちは一斉にアカツキに殴りかかってきた。


 スキンヘッドの男の拳が真っ先にアカツキの元へと繰り出されたが、その男の拳がやけに遅く感じた。


 アカツキはその軌道をしっかりと目にし、難なく避けることに成功した。しかし、あまり人を殴り慣れていないアカツキは、体勢を崩した男に反撃を加えることに躊躇してしまった。


 アカツキは、ひとまず地面を蹴って距離を取り敵の出方を見る。


「向こうが自分から逃げてくれた方が、俺としても楽だよな。この力が自分の生身の攻撃にどう影響するかわからないし。はずみで殺したりしたら、後味悪いし……」


 距離を取ったアカツキは、おもむろに地面に両手を付ける。


 アカツキの手は次第に朱色の輝きを増し、そこから炎の線が走った。その炎は左右に広がり瞬く間に、炎の壁となった。それを見た男たちは、揃って驚愕の表情を浮かべて慌てふためく。


「許してくれないっていうなら、この炎でお前ら丸焦げにして、そこの商店で人間の丸焼きとして売りさばいてやってもいいけど、どうする……」


 アカツキは不良たちに向かって口端を上げて憎たらしい笑みを見せる。


 もちろん、そんな気は更々ない。だが、悪役を演じなければ、自分がそんな気がないことがバレてしまう。アカツキは必死にその不気味な笑みを創り続ける。


「なんだこいつ、やべえぞ……。逃げるぞ、お前ら」


 スキンヘッドのその男の合図と共に、三人の男たちはそそくさと逃げ出していった。


 彼らの姿がアカツキの視界から消えた瞬間、魔法を解除し、膝から崩れ落ちた。


 必死に平常心を保っていたものの、安堵と脱力感がアカツキを一斉に襲う。


「今日はもう疲れた。せっかくリルに似た奴を見つけたのに逃げられるし……。さっさと宿に戻って、ゆっくり寝よ」


 アカツキは肩を落としながら、トボトボとその場を離れた。

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