優しき世界の終焉
ただひたすらにアカツキは村を目指していた。シリウスが死ぬ前に間に合ってくれと……。
だが、ルブールに辿り着く直前で先程まで鳴り響いていた轟音が消えた。
嫌な予感がアカツキに襲い掛かる。轟音だけを唯一の希望に、アカツキは走り続けた。その轟音が、到着する直前で止んだのだ。
脚を踏み入れるのが恐かった。現実を受け入れるのが恐かった。それでも、迷っていても何も始まらない。アカツキは覚悟を決めてルブールの地へと脚を踏み入れる。
木々を掻き分け到着したアカツキは、その光景に目を疑った。
ルブールは跡形もなく崩れ落ち、瓦礫の山のその先にシリウスが地面に伏して倒れていた。そこには、血溜まりができており、シリウスのボロボロの衣服は真っ赤に染め上げられていた。
轟音が消えた時点で予期していた光景。しかし、それでもアカツキは受け入れることができなかった。目の前の光景に、ただ恐怖し絶叫した。
「あああああああああああああああああ」
そして、ぷつんといった破裂音とともに、アカツキの記憶は吹き飛んだ。
そこから先、自分が何をしたのかは覚えていない。
意識が戻った時には、目の前に十数体の死体の山があった。辺りには焼き焦げた後がそこかしこに残っており、死体から出る血液で血の海が出来上がっていた。
正気のアカツキならこんな光景を見た時点で逃げ出してしまっていただろう。しかし、今のアカツキにその光景を受け入れることの出来る余裕は、最早なかった。
ただ、目の前のシリウスの死体に吸い込まれるように、村の中央部へと覚束ない足取りで歩み寄る。
シリウスを沈める血の海に脚を踏み入れ、びちゃびちゃと響く不快な音を気にすることもなく、アカツキはシリウスの元へと辿り着いた。
地面に膝をつき、真っ赤に染まるシリウスを抱き上げ、そして泣いた……。
「うぅっ……、うっ、うわああああああああああああああ」
抱きしめる身体の冷たさ、抱き上げる身体の軽さ、粘りつくように肌を犯す血液。それらを実感することで、アカツキは初めてシリウスの死を理解した。
結局自分は何も守れなかったのだ。結局自分は一番大切な人を置いて逃げ出したのだ。その結果がこれだ。
きっと、あの場に自分が残っていたところで何もできなかっただろう。
それでも、大切な人を見殺しにしたという、後悔の念はアカツキから消えることはなかった。どれだけ悔やんでも悔やみきれない思いが、涙となって零れ落ちていく。
涙はシリウスの頬へと滴り落ち、そのまま生々しい血だまりへと、四方に波を立てて広がっていく。一粒、また一粒と、まるでアカツキの悲しみを刻み込むように広がっていった。
やがて空に昇っていた陽が沈み、夜の帳が訪れていた。
アカツキは一晩中泣き続けた。どこにもぶつけることのできない思いを、自らの涙に乗せて、枯れるまで泣き続けた。
そして、涙も出なくなったアカツキは赤黒く凝固した血のベッドにシリウスを横たえて、天を見上げながら瞬く星々を無感情のまま眺め続けた。
少年の世界はたった一日で壊れてしまった。
少年はこの日何が起きたのか、ほとんど思い出すことはできないだろう。あまりにも現実味を帯びていない衝撃的な光景の数々に少年の記憶はきっと追いつかなかったに違いない。
これから少年が思い出せるのは、優しい笑みを浮かべるような、大切な人の安らかな死に顔だけであろう。それだけが、唯一彼の心を落ち着かせるものだったから。
平和だった少年の世界。平和だと信じていた少年の世界。
しかしそれは、たった一日にして、大切な人の死をもって崩壊した。
自分とはかけ離れた戦争という世界。否、自分とはかけ離れていると思っていた戦争という世界。
少年の幻想はこの日、完全に崩壊した。
それから二日後、ルブールに住人たちが戻ってくることはなかった。ルブールは完全に倒壊しており、原型をとどめていなかったので、アカツキは死体の焼却も兼ねて全てを燃やした。
正気に戻ってから死体の山を目にしたときには結局嘔吐し、長い間動けなくなった。
なんとか慣れてきた頃、自分の力を使って火葬し埋葬した。人の死、というものに少しずつ慣れつつある自分に、アカツキは少しだけ驚愕を覚えた。
「ゆっくり、やすんでよ……」
シリウスの身を焼くことにはかなりの葛藤があったが、他の者たちと同じように火葬した。
そして、これまで育ててくれた自分たちの家の木片から墓を作り、その地面の下に埋めることにした。
シリウスに頼まれていた果物をわざわざ見つけ出し、それを供えアカツキは黙祷した。その果物がシリウスとの最後の約束だったから、どうしてもこれを供えておきたかった。
「じいちゃん、俺行くよ。この力が何の為にあるのかなんてわからない。それでも、ただ見ているだけは嫌なんだ」
これは誓い。再び逃げ出さないための、自分の心に釘を刺すための誓い。
「この力を無駄にしたくない。きっと、今でも俺と同じ思いをして泣いている人がたくさんいるんだと思う。だから俺は、この世界を変える。戦争のない、誰も苦しまない世界に……」
不意に言葉に詰まり、アカツキの瞳に涙が溢れてくる。
「そんなの理想論だってのはわかってる。でも、自分に何ができるのか確かめたいんだ。じいちゃんは命をかけてみんなを救ってくれた。だから、次は俺の番だ。俺がきっと……、うっ……、世界をっ……、変えでみぜるよ……」
シリウスが死んだあの日、あれだけ泣いたにも関わらず、涙が溢れて止まらなかった。
最後はちゃんと言葉になったのかわからない。それでもシリウスに伝えたかったことはちゃんと伝えられた気がする。
その言葉を言い終えた瞬間、シリウスとの記憶が走馬灯のように流れた気がした。
今まで本当にいろいろなことがあった。生まれてから十数年、いつもシリウスと一緒にいた。泣くときも、笑う時も、いつも近くにいたのは祖父であるシリウスだった。男手一つで自分を育ててくれた日々は、感謝してもしきれない。
自分の一番大切だった人。もう、会うことのできない大切な人。シリウスの前では泣かないと決めたばかりなのに、涙が溢れて止まらない。
そんなアカツキの心の中に、どこからか声が聞こえたような気がした。聞き慣れた、懐かしい声が……。
(行っておいで……)
どこにもその姿はない。でも確かに聞こえた懐かしいその声。もう聞くことのできないはずだったその声。
アカツキは空を見上げそして大きく頷いた。墓の下に眠る大切な人に、自らの決意を伝えるために……。
「行ってきます」
涙を拭い、精一杯の笑顔を作る。もう涙は溢れてこなかった。俯いたままシリウスの墓に背を向けて一度立ち止まり、ゆっくりとその顔を上げる。
その表情に、最早迷いはない。強く輝きを増した眼差しは、ただ真っ直ぐにこれから進む先へと向けられていた。
アカツキは歩き出す。先の知れない未来へと……。大切な人に別れを告げて……。
グランパニア城王宮にて、ひとつの会話がなされた。そこには、オウルが王座に座る者の前にだらしなく立っていた。
「キラ、今戻った。兵の奴らから情報はいっていると思うが、シリウスは排除した。お前の命令通りな」
頭を掻きながら、グランパニア王『キラ・アルス・グランパニア』に向かってオウルは告げる。
だらしなく浅めに腰を下ろしながら脚を組んで王座に座り込んだキラはオウルに向かって質問を投げかける。
「そうか……」
違和感のあるキラからの返事に、訝しげな表情を浮かべて問い掛ける。
「なんだ?その煮え切らない反応は」
「オウル……。軍の兵は誰一人として帰ってきていない。連絡も完全に途絶えた。おそらく、軍は壊滅した」
予想だにしなかったキラの問い掛けにオウルが不信感を抱きながら問い返す。
「はっ?何を言って……」
キラが何を言っているのかがわからない。腐っても軍事国家『グランパニア』の兵士たちだ。そう簡単に命を落とすはずがない。可能性があるとすれば……。
「シリウスの死は確認したんだな?」
「そりゃ、後頭部に弾丸ぶち込まれて生きている奴がいたら、そいつは人間じゃねえ、化物だ。資質持ちだって、所詮は人間だ。それが伝説の資質持ちだったとしても、それは変わらねえだろ」
キラはゆっくりと瞼を閉じ、王座に肘を付きながら逡巡する。
「ああ、お前の言う通りだ」
何の迷いもなく、キラはその言葉を飲み下す。シリウスが死んだことには、何の疑いも抱いていないようだ。
だとしたらその反応はなんだ。一体目の前の男は何に引っ掛かっている。
「お前がシリウスの死を確認したのなら、間違いはないのだろう。シリウスは死んだ。死んだ人間が生き返ることはない。だが、兵士たちが帰ってきていないのもまた事実……」
何か含みがあるようにキラはオウルに告げる。
「じゃあ、なんだ……、あの村にもうひとり資質持ちがいたとでもいうのか……」
オウルは唖然とした。もし、あの場に、シリウスとそのもうひとりの資質持ちがいたとするのなら、殺されていたのは自分だったかもしれない。いや、間違いなく自分だっただろう。
そう考えるとオウルは冷や汗が溢れ出し、握り拳の内側に湿り気を覚える。
「お前の予想でほぼ間違いはないだろう。連絡が途絶えたのは、お前たちが排除を行った日。けれどシリウスは死んでいる。だとしたら、そう考えるのが妥当だろうな」
ならば、その可能性を考えずに、軍の兵士たちを捨てた自分にも責任があるのではないか。
普段ならそんなことを考えるはずの無い自分が、どうしてそんな生温い考えを巡らせているのだろうか。
いつもなら、簡単に切り捨てる兵士たちを、今はどうして『責任』などという言葉が頭を過ったのだろうか。
「お前に与えた命令はシリウスの排除。それ以上の責任をお前が追う必要はない」
そんな自分を見透かすように、キラは言葉を重ねる。
「軍の壊滅は奴らが弱かったことが原因だ。死んだ者が敗者、生き残った者が勝者。俺たちはそれ以上でも、それ以下でもない」
だとしたら自分は何だったというのだ。あの戦いの敗者は、間違いなく自分だったはずだ。
「だから、お前が兵士たちのことを気に止む必要はない。奴らが弱かったから死んだ。ただ、それだけのことだ」
キラは、淡々と無感情な声音でオウルに責任はないと告げる。
弱肉強食こそがこの国の掟。オウルにもそれはわかっていた。だから、ここでわざわざ後悔の言葉を告げることに、何の意味もない。
「そうだな。気にしていても仕方がない。俺は帰って少し休むわ」
そう言って、いつものやる気のない顔つきに戻ると手を上げてキラに背を向け歩き出した。
「あぁ。ご苦労だった」
キラはオウルに労いの言葉をかけ、オウルが部屋を出て静けさに包まれた部屋の中で、天井を見上げながら何かを思い出すように呟いた。
「お疲れ、オヤジ……。あんたの願いは、叶ったよ……」
静けさに満たされた部屋の中で、自らの言葉が反芻し、嫌に大きく聞こえてきた気がしたが、特に気にする様子もなく、キラは王座に備え付けられた肘置きに肘をつき、ゆっくりと瞼を閉じた。その口許に小さな笑みを浮かべながら……。
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