第一章 優しき世界の終焉

終焉の産声

 日々各地で戦乱に満ち溢れた世界。


 ガーランド大陸と呼ばれるこの世界では日夜戦争が絶えない。


 この世界の王を決めるため、いくつもの国の王達が戦いを繰り広げている、そんな世界だ。今日も、あの国があそこの国を制圧したとか、どこかの国が壊滅状態とか、そんな噂ばかりがそこら中に蔓延していた。


 しかし、そんな世界の中でも平和な国も幾つか存在した。


 『ルブール』この国もその一つだ。国というにはおこがましいほど小さな村ではあるが、こんな世界にありながら、戦いのない平和な国だった。


 木造建築の家が十数件立ち並び、総人口三十人くらいの小さな村である。森に囲まれており、周りから隔離されているため、他の国とのつながりはほとんどない。


 この国が平和なのは、この立地条件が大きな要因である。森に囲まれた、権力も持たない小さな村など誰も目に掛けないのだ。


 少し不便ではあるが、いくらか歩けば商業都市であるアルバーンが存在するため、生活にさほど困ることはない。徒歩で二、三時間くらいはかかるため、気軽にとまではいかないが。


「アカツキ、今日も一緒にアルバーン行ってくれるんだよね?」


 声の主の少女は、滑らかな銀髪を携え、幼さを感じる少しふっくらとしたあどけない顔。華奢というのがとてもしっくりくるほど、身体は線が細く全体的にか弱い印象を与える。


「昨日欲しいものは大体手に入れたしなあ。あそこは、戦争は無いけど、喧嘩とかが日々絶えない国だからあんま遊びに行くなってじいちゃんに言われてるし」


 少女にアカツキと呼ばれた少年『アカツキ・リヴェル』が唸るようにそう返した。


 少年は漆黒の豊かな髪が軽く逆立てており、銀髪の少女より身長は少し高い。身体の線は割りと細目だが、露出している腕や太ももが引き締まっているため、華奢という印象はない。


「え~。でも昨日私が頼まれていた小麦粉買い忘れたって言ったら、アカツキ今日も付き合ってくれるって言ってたじゃん」


 銀髪の少女は頬をふくらませながらあからさまに不機嫌な表情を浮かべ、アカツキに文句を垂れる。そんな少女の言葉にアカツキは頭を掻きながら、気まずそうな表情で返事をする。


「そんなこと言った覚えないんだけど……。リルだってこの前付いてきてくなかったことあったじゃないか。俺だって忙しいんだよ。俺だって今から森の中に狩りに行くつもりで準備までして……」


 アカツキがたじたじとしながら言い訳を並べていると、リルと呼ばれる少女『リル・ニールヴェルク』は食い入るように、アカツキの言葉を遮った。


「じゃあいいもん。それで私がアルバーンで襲われて帰って来れなくなっても、アカツキのせいなんだからね」


 リルはツンとした表情をして腕を組んで、その滑らかな銀髪をサラリと揺らしながら、フンッと鼻を鳴らして、そっぽを向きアカツキから顔を背けた。


「あ~……、もうわかったよ。一緒に行けばいいんだろ。いつもこうなんだから……」


 アカツキは彼女のそんな言葉に折れて、彼女の頼みをしぶしぶ承諾した。最後の一言はリルには聞こえないように小さな声で呟いた。


 すると、リルは今まで怒っていたのが嘘だったかのようにパッと明るい笑顔を見せる。


「ホントに?アカツキって優しいわね。ありがと」


 ニッと無邪気な笑顔を見せられると、まあしょうがないか、と思えてしまうあたりが、アカツキが簡単に折れてしまう所以でもあるのだろう。


 実はいつもこうなのである。


 リルはアルバーンに何か用があるとアカツキに一緒に付いてくるように頼み込み、最後は泣き落としでアカツキを無理やり引っ張っていくのである。


 アカツキも最近は諦めたようにすぐ折れるようになったが、ちょっと前まではこのやりとりもなかなか長く続いたものだった。





 リルと後で会う約束をして、一旦別れて家に戻った。


「じいちゃん、ただいま。リルのせいで今からアルバーンに買い物に行くことになったんだ」


 家の中には少し絡まったようなボサボサの白髪に長い白髭を生やした、いかにもな雰囲気の老人が椅子に腰掛け、本を読んでいた。


「おかえり。また、アルバーンに行くのか?昨日行ったばかりじゃないか」


 齢八十の老人は、歳の割には丹精な顔立ちをしており、声も少し重みのある低い声で、白髪と白髭を除けば実年齢よりも余程若く感じられる。アカツキの祖父であり、この国の国王である彼は、名を『シリウス・リヴェル』という。


 国王といっても特にこの村は他の国と繋がりもなく、戦争をするわけでもないので、名ばかりの国王ではあるのだが、面倒見がよく村人に何かあると真摯な態度で相談に乗ったり、子供たちの面倒を見たりと、村人たちと積極的に交流しているため、国の皆から愛される国王となっていた。


 国王だからと言って立派な宮殿に住んでいるわけでもなければ、豪華な服装に身を包んでいるわけでもない。他の国民たちと何一つ変わりない普通の生活をしている。


「実は昨日、リルが買い忘れたものがあったんだって。それで、もしついて行かなくて帰って来れなかったら俺のせいだとか言い出すから、ついて行かざる負えなくなって……」


 アカツキは苦い顔で、ハアッといった感じで溜め息を吐きながらシリウスに説明していると、シリウスも苦笑してから、重い腰を上げるように椅子から立ち上がる。


「本当にリルは困った子じゃな。まあでも、それなら仕方がないの。一緒に行ってあげなさい。ついでに何か果物でも買ってきてくれんか。今夜の食後のデザートにでもしようかの」


 そう言ってシリウスは、歳の割に軽やかな足取りで棚に向かうと、そこから何枚かの硬貨を取り出し、アカツキに渡した。


「わかったよ。夕方までには帰ってくる。美味しそうなの見つけてくるよ」


 硬貨を受け取るとアカツキは笑顔でシリウスに返事をする。


「ああ、楽しみにしているよ。くれぐれも気をつけて行くんじゃよ。あの街は平和な方じゃが、危険がないという訳では無いからの。男として、しっかりリルを守ってあげるんじゃよ」


 シリウスがアカツキの肩にそっと手を置き、念を押すように注意を促すと、アカツキは力強く頷いてみせる。


「もちろんさ。じゃあ行ってきます」


 そう言って手を振るシリウスを背に、アカツキはリルとの待ち合わせ場所へと足早に向かった。





「もうっ、遅いよアカツキ」


 先に待ち合わせ場所に着いていたリルが、軽く頬をふくらませて怒ったような表情をみせながら待っていた。いつものことなのでこの態度がほんとに怒っていないことはアカツキにも分かっていたから軽い返事で済ませる。


「悪い、悪い。じゃ、さっさと行こうぜ」


 そんなアカツキの態度にリルも特に気にした様子もなく、「うん」とさっきまでとは打って変わって笑顔で返事をすると、後ろから楽しそうに鼻唄混じりに付いてきた。


 森を抜けるのには一時間くらい掛かる。


 ルブールとアルバーンを往き来する人が多いので、森の道は整備されており、特に森を抜けるのが大変ということはない。ただし、たまに森の動物が飛び出してきて襲いかかってくることはあるので、絶対に安全とまではいかないが……。


 森を抜けると草原が広がっており、そこから更に一、二時間くらい歩くと商業都市アルバーンが見えてくる。


 お金に余裕があると、馬車が草原を回っているのでそれを利用することもあるが、子供であるリルとアカツキにそんな余裕があるはずもないので、もちろん徒歩で行くことになる。


「昨日あんなに歩いたのに、また歩かなきゃいけないのかよ」


 道すがらリルに向けて軽口を叩くと、何が楽しいのか解らないが、鼻唄を歌ってスキップしながら進んでいたリルが笑顔でこちらを向く。


「いいじゃん、森の中にいるより、こうやって太陽浴びながら散歩する方がよっぽど楽しいでしょ」


「だから俺は狩りをする予定だったてば……。ってか、そんな楽しそうにして、昨日買い物忘れたのわざとじゃないだろうな……」


 アカツキは冗談交じりに聞いたつもりだったのだが、リルは急にスキップを止めてゆっくりとこちらに顔を向けてきた。


 こちらに向けられたリルの顔は異常に汗ばんでいて、何かを隠しているのは明らかだった。


「えっ、そんなことないよ。うん、全然そんなことないよ。えへっ」


 何一つ誤魔化せていないバレバレの誤魔化し方をするので、こいつ……、と思いはしたものの、先程までの楽しそうな彼女を見て今さら怒る気にもなれず、特に文句を言わないまま苦笑して、アカツキは歩くスピードを少しだけ速めた。




 商業都市アルバーン。


 ここは様々な国の商人が集まり商いをする、大きな商業都市である。円形で堀に囲まれており、道には荷車が行き交い、円の中心を十字で斬るように引かれた大通りでは、多くの露店が立ち並び客の呼び込みをしている。


 商業の発展のため、この国を無くしてはならないという各国の合意により、この国で戦争が起こることはない。


 そのため、戦争から逃れようと多くの難民がここにやってくる。国から逃れ、住居を持たない貧乏人達が、路地裏を寝床としているため、大通り以外は治安が悪い。


 路地裏などでは怪しい露天が並んでおり、大通りでおおっぴらに商売をできないようなものを扱う商人がここで商売を行っている。


 シリウスがアカツキに念を押して注意するのもそのためである。


 いろんな国から商人が来るため、建物は大半が居酒屋と宿屋になっており、住宅というのはごく僅かである。


 人は多いのに住宅が少ないのは、ここが戦争の起こらない国であることから、高地価になっており、とても難民が家を買えるような値段ではないからだ。


「相変わらず活気に溢れてるなあ、この街は」


 リルが目をキラキラ輝かせて大通りに立ち並ぶ様々な露店に目移りしながら、楽しそうな表情を浮かべる。


「昨日来たばっかだろ。速く買い物済ませてルブールに帰ろうぜ」


 そんなリルの様子を見て、アカツキは呆れたような口調で返すが、リルがそれに対抗するかのように更に呆れ顔を浮かべて溜め息を吐きながら、諭すように話す。


「はあ、わかってないなあアカツキは。ここは毎日違う商人さん達がこの大通りに一斉にものを並べて商いしてるんだよ。来るたびに景色が変わるから何度来たって飽きないんだよ」


 呆れ顔をしていたのは一瞬で、すぐに恋する乙女みたいな表情で目を輝かせながら話を続ける。


 これもいつものことなのだが、リルはこの街が大好きで、一度来たら大通りを全部見るまで満足してくれないのだ。アカツキがリルと一緒にここに来るのが嫌な理由は、これも少なからず含まれていた。


 どうせ全部回るなら、とアカツキは美味しそうな果物が売っている露店を幾つか確認しながら大通りを歩いていた。


 そこら中から漂ってくる果物の香りを嗅ぎながら今日の晩御飯を想像して歩くのもなかなか悪いものではなかった。


 途中リルが呉服屋の露店に立ち寄ってしまったため、アカツキは外の露店を見ながら、彼女が出てくるのを待っていた。


「おっと……」


 アカツキが余所見しながら歩いていると、自分よりも少しくらい身長の低い、黄土色のローブを目深に被った子供と肩がぶつかってしまった。


「ごめん、ごめん。ちょっと余所見しとったわ」


 そう言ってその子供は直ぐにアカツキに背を向けると、何処かへと歩いていってしまった。振り返り様になびいてフードからはみ出た髪は、リルに似た滑らかな銀色だった。


「なんだよ、あいつ……」


 アカツキは人混みの中に消えていく、黄土色のローブを眺めながら無意識に言葉を漏らす。


 そして、それから数十分リルが出てこなかったので、しびれを切らしたアカツキは遂に呉服屋の中へと突入を敢行した。


「おい、リル。そろそろ行く……」


 そろそろ行くぞ、と言いたかったのだが、アカツキは最後までその言葉を述べる前に言葉を失ってしまう。


 なんとリルは丁度着替えの最中で、色々な部分がはだけており、肌色の露出がそこかしこに見られた。


「え、えっと、これは……」


 なんと言っていいものかわからなくなってしまったアカツキが、視線を逸らしながらタジタジとしていると、視線の隅に頬を真っ赤に染めたリルの姿が映り込む。


 そして、プルプルと震えているかと思うと、掌を広げて、その掌でアカツキの頬を思い切り叩いた。


「この……、変態!!」


 そんなハプニングを除けば、順調に買い物は進んだ。アカツキの片頬が少し赤くなっていた理由は、言うまでもないだろう。


 アカツキは結局、リルの機嫌取りのために、余分に果物なんかを買わされてしまったが、まあそれは仕方がないと自分の心の中に言い聞かせておいた。


 最後に、アカツキが途中で見た真っ赤に熟れた林檎をシリウスのために買って帰ろうと、目星をつけていた露店に向かおうとしたその時、ふと、気になる会話が耳を横切る。


「あの噂は本当かい?ルブールにグランパニアの軍が侵攻しているって話だけど」


「本当らしいよ。あそこは隔離された村だから安全って言われてたのにね。ホント、どこもかしこも戦争で、いやだねえ」


 商人の女性達がしているそんな話が、アカツキの耳に嫌な刺激を与えてくる。


 ルブールに軍が侵攻……。嘘だろ……。何であの村に……。


「おばちゃん、その話詳しく聞かせてくれよ。頼む」


 慌てた形相で必死に懇願してくるアカツキに、少し驚いた表情をみせた女性達だったが、すぐに落ち着きを取り戻して話を聞かせてくれた。


「なんでも、あそこにいる村長さんが昔に何かやらかしたらしくってね。今更になって、グランパニアの王である四天王のキラ様があの村に軍を送り込んで、その村長を捕縛しに行ったらしいのよ」


 四天王というのはこの大陸を牛耳る四つの大国があり、そこの国王達を総称して四天王と呼んでいる。


 キラはその中の一人で、かなり横暴な王政を敷いていることで有名である。


 さらに四大大国の中心にはガーランド帝国があり、この帝国の王がこの大陸の全ての権力を握っている。


「じいちゃんが捕まる……。なんでだよ……」


 信じられない内容にアカツキは困惑し拳を強く握り締め、奥歯を噛み締めていると、アカツキのそんな様子に女性も何か気になることがあったようで、恐る恐るといった声音でアカツキに話しかける。


「坊や、もしかしてルブールの……」


「行くぞリル、早く帰ってじいちゃんに知らせなきゃ」


「うん」


 アカツキは女性の呼びかけを最後まで聞くことなく、リルの手を引いて走り出した。

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