恐怖との再会
アカツキは、遂に王座の間へと繋がる階段の前に辿り着いた。この場には誰の姿もなく、ただ背後の扉からは、剣戟が繰り広げられている音がはっきりと聞こえる。それは、自らの親友が、未だに自分を信じて戦い続けてくれている証拠。
「早く終わらせて、お前の元に帰らないとな」
いつの間にか、二つに増えた帰る場所。帰る場所が多いことは嬉しいことだ。ちゃんと、皆の元に帰らなければならない。その約束が、アカツキの背中をそっと押す。
背後の扉とは打って変わって、目の前の扉は静けさが立ち込めていた。数段の階段の先にその扉は鎮座している。階段は王座への扉に向けてだんだんと狭くなっていく造りになっていた。
扉の先からは、言葉にならないほどの重圧を感じる。今にも開いて、何かが飛び出して来そうなほど、その扉からは殺気と敵意があふれ出していた。
「この先に、あいつがいるんだよな」
何度も思い返したあの日の戦い。あまりの力の差に、思い出すだけでも脚が震えそうになる彼の姿は、扉を開かなくても容易に想像ができてしまう。
多くの者に背中を押してもらった。今更後ろに下がることなんて許されない。後ろに下がる道なんて、既に崩れ落ちてなくなっている。ならば、前に進むしかないではないか。
アカツキが一歩を踏み出す。たった数段の階段が、凄まじく遠く、長く感じる。こんな緊張感は、ウルガを目の前にした時以上かもしれない。
ようやく辿り着いた階段の一段目に足を掛ける。
その一歩を踏み出しただけで一気に動けなくなりそうなほどの重圧が襲い掛かる。一段一段と階段を上る度に重圧が増していき、頭から押し潰されそうになる。
内臓は悲鳴を上げるように沸き立ち、体中が異変を感じて痛みを訴え始める。歩を進める速度もどんどん遅くなり、その階段が異常に長く感じられる。
残り三段がとてつもなく遠い。心臓の鼓動がまるで耳元で鳴っているかのように、周囲の音を掻き消して大きな音で鳴り響く。
残り二段……。
冷や汗が体中から噴出し、身体の中の水分と言う水分が消えていくような錯覚に陥る。じわじわと顔を覗かせるアカツキの中の恐怖心を、しかし、アカツキは歯を食いしばって無理やりに押さえつける。
気が遠くなりそうになるが、爪が肉に喰い込むほどに拳を握り締めて無理やりに繋ぎ止める。
残り一段……。
遂に扉に手を掛ける。まるで地面に縫い付けられているかのように、その扉は今まで持ったどんなものよりも重い。それが物理的なものなのか、精神的なものなのか、精神状態が不安定な今のアカツキにはわからない。
それでもアカツキは二人と交わした約束を胸に、自分が帰る場所を信じて、その扉を押し広げた。一度開きかけた扉は案外簡単に、まるでアカツキを飲み込むかのように軽々と開いた。
扉を開けた先に二人の人間がいる。だだっ広い何も無い部屋の中に扉からレッドカーペットが一直線に敷かれており、その先には宝石や金で派手に飾りつけられた王座が存在した。一人はそこに踏ん反り返るように座っている。
だが、そんな派手に飾られた王座など、アカツキの目には入っていなかった。
アカツキと王座のちょうど真ん中に位置する場所に、その男は立っていた。両腕両足に千切れた鎖を垂れ下げながら、その顔は布で覆い被されている。それでも、その布の穴から覗く紅蓮の眼光は見る者を震え上がらせる恐怖を孕んでいる。
この男と対峙するのはこれで二回目。ウルガを思い出させるような巨体に、ウルガよりも更にひどい傷跡を刻みこんだ上半身。見ているだけでも、こちらが痛みを訴えるような痛々しい身体は、アカツキに恐怖を刻み込むには十分な材料だ。
『王に遣える奴隷、ガリアス・エルグランデ。奴隷でありながら、王の資質を持つ男』
奴隷という肩書きがなければ、彼が王の資質を持っていることに何の疑問も抱かせないことを、彼の出で立ちが証明している。彼こそ王の資質に選ばれた歴戦の戦士だと、その刻み込まれた多くの傷が物語っている。
けれど彼は奴隷だ。それだけの力を持ちながら、過去の記憶に囚われたまま、他者の下に収まっている哀れな存在だ。
だから、彼をここから解き放ってやらなければならない。彼を過去の記憶の呪縛から解放してあげなければならない。それがアカツキがこの場に立つ意味。決して、ガリアスを倒しにきたわけではない。
そう、アカツキがここにいる理由は……。
「ガリアス・エルグランデ。お前を、救いに来た」
「はんっ、何を馬鹿な事言ってるでし。これは僕の大事なおもちゃでしよ。お前がどうこうする権利など、ありはしないでし」
ノックスサン国王『セドリック・クラウノクス』が、膨れ上がった上半身を踏ん反り返らせながらガリアスを指差す。何の恐れも抱いていない、皮肉交じりの笑みを浮かべながら。
「お前はここで、僕のおもちゃにいたぶられて死ぬんでしよ。それとも、お前も僕の奴隷になるでしか。今なら、床に這いつくばって僕の足を舐めたら、不法侵入した件は許してやるでしよ」
ぎひひっ、と常人とはかけ離れた不気味な笑みを浮かべながら、セドリックはアカツキを見据える。当の本人は、今はその不気味な笑みを視界から葬り去りながら、唯一点に焦点を合わせる。
「なあ、ガリアス。俺と一緒にこんなところから出よう。お前はこんなところで、そんな奴の下に収まっている器じゃないだろう。こんなところ抜け出して、お前の、お前自身の道を歩むんだ」
アカツキの呼び掛けに、しかしガリアスは何の反応も示さなかった。まるで無機物であるかのように、唯そこに佇んでいるだけだ。だと言うのに、彼から発せられる、この異常なまでの重圧はいったい何なのだ。
「これに何を言っても無駄でしよ。これは僕の命令しか聞かない、僕だけのおもちゃなんでしから」
自慢気な物言いで、どうだと言わんばかりにセドリックは踏ん反り返る。お前には何もできない、お前では何も変えられない。そう言われている様で、内心では腸が煮えくり返っていたが、それでもアカツキは、セドリックの言葉を意識の外に投げ捨て、ガリアスに語りかける。
「お前には力があるんだろ。今の俺なんかじゃ、どう足掻いても追い付けないくら凄い力が」
それは自分自身の身で体験したことだ。この身体に傷を刻み、この心に傷を刻み、そして認めた彼の力だ。
「それだけの力があるっていうのに、どうして恐怖の檻を自分の力で壊せないんだよ。そんなの、唯逃げているだけじゃないか」
それだけの力があるにもかかわらず、逃げることしかできないガリアスに、何故かアカツキが悔しさを覚える。悔しさと共に、そんな選択肢しか選ぶことができないこの世界に、そんな選択肢を選ばせて踏ん反り返っているあの男に、無性に怒りが湧き上がる。
「そいつの命令に従って、戦ってさえいれば、自分がそいつから傷つけられることも無い。そうやって、他人を傷つけることで自分を守ってきたんだろ」
そんなものは逃げだと、アカツキは断言する。彼がどんな苦しみを与えられてきたかなど知らない。そんな簡単にわかると言っていいものでもないと思う。だから、アカツキがわかる事実だけを、客観的に見た答えだけをはっきりと言い放つ。
「お前はいつまで逃げているつもりだっ!!」
怒りの声音で告げられたその言葉。だが、ガリアスはピクリとも動かない。相変わらず無機物のように唯そこに佇んでいる。アカツキの言葉など、鼓膜を震わせることすらできていないように……。
アカツキの中で重圧だけでなく不気味さが増していく。相手の様子が伺えないことが、こんなに怖いことだとは思いもしなかった。感情を剥き出しにして、怒り狂って襲い掛かってくる敵の方がまだマシだ。
「どうしてお前は、そんなに『無』でいられるんだ」
彼からは何も感じることができない。感情を露わにすることも、人の言葉に何かを感じている様子も一向に見えない。まるで本当に、アカツキの言葉が耳に届いていないかのように。
だが、本当に唯の無で有ればどれだけ良かったかと、アカツキはそう思う。
彼の心や身体は無であるのに、目には見えないオーラのようなものが常に彼から溢れ出している。それがアカツキの恐怖心が創りだす幻影なのか、それともガリアスがアカツキに向ける殺意や敵意か。
どちらにしても、アカツキの心に次々と刃が突き刺さっていくことに変わりは無い。戦いはまだ始まってもいないのに、精神力だけが削られていく。いや、戦いは既に始まっているのかもしれない。
アカツキとガリアスが睨み合う時間が続く。お互いに牽制し合うかのように、二人ともが動を嫌い静を受け入れる。そう思っているのは、アカツキだけかもしれないが。
やがて、その存在を無視し続けるアカツキに、もう一人の男セドリックが、痺れを切らして怒りの声音でアカツキに吐き捨てる。
「お前、いつまで僕のことを無視する気でしか。それはこの僕が、ノックスサン国王『セドリック・クラウノクス』と知っての狼藉でしか」
知っても、知らずもアカツキはその男に興味は無い。彼は所詮力もなく、貫き通したい堅い意思がある訳でもない。ならば怖いとも、戦い辛いとも思わない。ガリアスとの戦いが終わった後で、奴隷解放を宣言してくれればそれで言い。
「おのれ、舐めおってぇ……」
ギリリと歯噛みをしながら、アカツキを睨み付けるセドリック。先ほどまでの不気味で皮肉めいた笑みよりは、余程そちらの方が見ていられる。
そして、セドリックはもう我慢の限界だと言わんばかりに、ドンと王座の肘置きを叩き付けると、アカツキを指差しながらセドリックに命じた。
「ガリアスっ!!こんな無礼な奴は、ぐちゃぐちゃに引き裂いて殺してしまうでしぃ」
一瞬だった。今まであれだけ無を貫き通していた男が、彼がその言葉を口にした瞬間、アカツキの目の前にいた。
「なっ!!」
あまりの衝撃に、アカツキは反応が遅れた。
そして、布の奥から睨み付けてくる紅蓮の瞳。目前まで接近したガリアスの瞳に、真っ赤に染まる自分が映し出されるのを、アカツキははっきりと見た。
瞬間の衝撃。
アカツキはガリアスの殴打によって側面の壁に叩きつけられる。
「ふしゅううぅぅぅ」
まるで蒸気機関のような音を鳴らしながら、ガリアスは大きく息を吐き出す。
何が起こったか、瞬時に理解することができなかった。それでもあの瞬間、瞬時に魔導壁を展開できたのは、ここまで得てきた戦いの勘だろう。お陰で、無傷とはいかないまでも、軽傷で済んでいる。
「要は本当に、俺の言葉には聞く耳を持ってくれて無いわけだ」
壁に叩きつけられた衝撃で口の中を切ったのか、唇から垂れる血を手の甲で拭いながら、先ほどまでの状況を整理する。
アカツキは彼が全く言葉を理解していない可能性を考えてはいたが、どうやらそうでは無いらしい。セドリックの言葉に、正しく反応を見せたことからも、その線は薄いだろうと結論付ける。
「とりあえず、拳で語り合えってか……」
あまり得意じゃないけどな、と漏らしながら、アカツキは赤く染まった唾液を吐き捨てる。
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