固く結ばれた絆

 ヨイヤミの孤独な戦いは止め処なく続いていた。百人近い兵士たちを相手に、たった一人での大立ち回り。それでも、その人数差に引けを取らないのは資質持ちが為せる技。


 その小さな身体に向けられる鋭利な刃を、ヨイヤミは素手で掴みかかる。刃はヨイヤミが触れた部分から赤熱し、やがて形を失って地面へと熔け落ちる。


 だがそれも、ヨイヤミの視界に収まる範囲内の話だ。背中から攻撃されれば、何とか魔導壁で斬撃を受け止めるしかない。それも、一瞬でも反応が遅れれば、いくら資質持ちといえども無傷では済まない。


 ひたすら兵士たちの攻撃を無力化していく。こちらが攻撃をする暇など無い。一人が武器を失えば、また別の武器を持った兵士が入れ替わり攻撃を加えてくる。それの繰り返しに、ヨイヤミの集中力は着実に削られていく。


 言葉を口にする余裕もありはしない。雑草でも引き抜くかのように、剣の切っ先を握り締めては、柄から引き抜くように刀身を熔かす。背後に殺気を感じれば、魔力をそちらに回して魔導壁を展開する。


 そんな動作を作業のように、何度も何度も何度も何度も繰り返す。敵の戦意が失われるまで、その繰り返しは終わらない。敵に攻撃を仕掛けたくとも、それが敵の攻撃を許す隙になってしまう。


 ヨイヤミの表情が芳しくない。ギリギリと歯軋りをしながら、自らに襲い掛かる刃から眼を離さない。いったい何本の剣を破壊すれば、この戦いは終わるのか。


 どれだけの時間が過ぎたのだろうか。油断の許されない同じことの繰り返しに精神力は磨り減り、背後の気配にも鈍くなり始めていたころ、突如として声が掛けられた。


「それ以上動くなっ!!」


 その声は、この国の兵団の長『ギル・ドレイク』のものだった。彼の声に、ヨイヤミに襲い掛かっていた兵士たちも動きを止める。ようやく張り詰めた緊張感から開放されたヨイヤミは、小さく安堵の吐息を吐き出す。


 だが、その視線の先に映るものを見て、再び緊張の渦に巻き込まれていく。


 ヨイヤミは舌打ちをして歯噛みをしながら、その先にある光景を眺めていた。


 ギルが一人の少女の首に切っ先を当て、ヨイヤミに向けて不敵な笑みを浮かべていた。


「それ以上動けば、お前が救おうとしていた奴隷の命はないぞ」


 どうやらこの王宮で遣わされている奴隷のようだ。外見だけ見ればヨイヤミよりも幼いかもしれない。短めの黒髪を引っ張り上げられ、苦しそうに表情をゆがめている。こんな年端もいかない子が奴隷として酷い目にあっているのか。


「お前の言葉に嘘偽りが無いのであれば、両手を頭の後ろで組んで、膝を突いて額を地面に額をつけろ」


 あまりにも距離がありすぎる。こちらが資質持ちということを理解しているギルは、ヨイヤミからかなり離れた位置からヨイヤミを脅している。しかも、ギルとヨイヤミの間には何人もの兵士が未だ残っている剣を構えて立ち塞がっている。


 このままでは八方塞だ。今動き出せば、戦闘自体は何とかなるだろう。だが、恐らく奴隷の命に躊躇などするほど、彼らの考えは甘くない。人質の価値がなくなったと悟れば、目の前の少女はその瞬間に首が飛ぶのは想像に難くない。


 だから、時間稼ぎをするためにも、自分が彼女を助けたいという意思を見せ続けなければならない。そうしなければ、時間稼ぎすらもできない。


 少女一人の命を引き換えに、この国の多くの命を救い出す。ここで自分が彼女を見捨てて動き出し、アカツキがガリアスに勝ちさえすれば、それが可能なのだろう。だがそれで本当にいいのか。多数を助けるために、少数を見殺しにする。それも間違った選択肢ではないのだろう。いや、むしろ救える人数が多いのだから、正しい選択肢だと言える。


 でも、それが正論だったとしても、感情論がそんな簡単にその事実を受け入れられるはずが無い。目の前で苦しんでいる少女を、見捨てていい理由にはなりはしない。


「なら、どうしろっていうんや……」


 ヨイヤミは両手を挙げて、ゆっくりと頭の後ろで両手を組む。そのまま片膝を折って、膝を床につく。一つ一つの動作をゆっくりと、相手が痺れを切らさないように止まることなく動き続ける。


 何か、何かこの窮地を救う方法は無いのか。誰でもいい、まだ年端もいかない彼女を、こんなところで殺さないでくれ。


 ヨイヤミは遂に両膝を床につき、後は額を床につけるだけ。これ以上の時間稼ぎはもうできない。


 床に額をつけて攻撃されれば、魔導壁でその攻撃を防がざるを得ない。そうすれば、目の前の少女は死んでしまう。


 頼む、誰か、彼女のことを救ってくれ。


「はっ……」


 必死に、神に祈りながら、彼女への救いを希っていたヨイヤミの視界の端に、銀色に輝く一つの影。その影に、ヨイヤミに視線を向ける兵士たちは誰も気付いていない。


 そうだ、彼女がまだいるではないか。自分たちを助けてくれると約束してくれた彼女が。


 ヨイヤミはその表情を周囲の兵士たちに怪しまれないように、頭を垂れて額を床に押し付ける。


 笑みが零れそうになって、我慢をするのが大変だった。でももう、今のヨイヤミの表情を見れるものなど誰もいない。ヨイヤミの内心を知る由も無いギルは、高笑いをしながら部下に命令する。


「はははっ!!本当に、奴隷の為にその首を差し出すか。本当におめでたい餓鬼だな。これがこの世界の在り方だ。あの世でこんな奴を助けよとした哀れな自分に悔いるがいい。さあ、そいつの首を切り落とせっ」


 ヨイヤミの一番近くにいた兵士が歩み寄り、手に持っていた剣を振り上げる。


 だがヨイヤミにとって、そんな無意味な存在などどうでも良かった。今待つのは、憎たらしくも哀れな男の無残な悲鳴だけ。ヨイヤミの願いは、既に聞き届けられていた。


 そこにいた誰しもが、ヨイヤミの死をあざ笑っていた。いや、たった一人の女性兵だけが、剣が振り下ろされる瞬間、自らの心との葛藤の中、彼の死を止めようと届句はずのないヨイヤミに向けて、手を差し伸べようとしていた。


 だが、次の瞬間悲鳴が上がったのは、ヨイヤミなどではなく……。


「ぎゃあああああああああ!!」


 その瞬間、ヨイヤミが折っていた膝をばねの様に伸ばし一気に加速する。振り下ろされた剣は空を切って地面に突き刺さる。立ちはだかっていた兵士たちは、何が起きたのかも理解できぬまま、ヨイヤミに突き飛ばされていく。


 ギルのところまで数秒もしない内に辿り着いたヨイヤミは、その腕から少女を救い出す。


 少女がギルの手から離れたことを確認したロイズは、ギルの右肩に突き刺した剣を引き抜いて振りかぶり。


「悪いが私は軍人だ。人を殺す覚悟はとうの昔にできている。私は彼ほど、甘くは無いぞ」


 そして、ギルの背中を斜めに切り払った。鮮血を散らしながら、ギルが床に倒れる。生きているのか、死んでいるのかすら定かではない。不殺を信条としてきたヨイヤミには、少しだけ戸惑いが生まれる行為ではあったが、彼女のその行為を否定することはできなかった。


「冷や冷やさせやがって。いつになったら出てくるんやと思っとったわ」


 一人の少女を胸に抱きながら、ヨイヤミはロイズに軽口を投げ掛ける。あんな状況になることを見越して、あの状況になるまで出てこなかったのだとしたら、彼女は相当の策士だ。


「悪かったよ。こちらも、やらなければならないことがあったからな」


 そういいながら、ヨイヤミと肩を並べるロイズ。兵士たちは何が起こったのかさっぱりわからないといった様子で動揺が拡散していく中、唯二人だけがそのざわつく群集を掻き分けて、ロイズの元に走り寄ってくる。


「ロイズさん……、やっぱり、この国を出て行くおつもりなんですね」


 もう包み隠す必要は無い。はっきりと、ロイズが何を考えているのかを問い質す。


「ああ、私はもうこの国にはいられない。私の心がそれを許さない」


 ロイズの胸当てと手甲がカチャリと音を立ててぶつかる。ロイスの覚悟を聞いたアリーナが何か得心がいったというような雰囲気で、一度嘆息を漏らしてから微笑を浮かべる。


「全く、ロイズさんはいつも勝手なんだから……」


「済まないな」


 ロイズの行為は、この国への裏切りに他ならない。けれど、そんなことはどうでもいいというように、二人はお互いに微笑を交わす。全てを言葉にしなくても分かり合えるというような、そんな信頼が二人からは感じられる。


「まあ、私も自分勝手ですから、勝手にロイズさんに付いて行きますからね」


 そんなアリーナの言葉にロイズの表情が少しだけ曇る。


「そんな簡単に決めていいのか?」


 彼女に考える時間などなかったはずだ。彼女には、何も伝えずに今日を迎えてしまったのだから。自分は十分に考えて答えを出した。それに、団長に牙を向けた以上、この国に留まることは許されないだろう。


 しかし彼女は違う。彼女は裏切り行為などしていないし、今自分たちに刃を向ければ怪しまれることも、罪に問われることもなく、この国に留まることができるのだ。


「いいんですよ。大体、私は最初からロイズさんがいなきゃ、ここにいる意味は無いって言ってるじゃないですか。ここが私の居場所なんじゃなくて、ロイズさんが私の居場所なんですよ」


 アリーナの愛は多少重いが、そう言われると悪い気はしない。確かに彼女はずっとそんなことを口にしていたような気がする。それが心からの本音だったということが、今証明された訳だ。


「ここにいれば、これからもずっと平和な暮らしができるかもしれないぞ」


 これから自ら崩そうとしている国が、今後も平和であり続けるなんて思ってもいないことをロイズは口にする。ただ単に、素直に受け入れるのが恥ずかしかっただけだ。


「ロイズさんと窮地に向かうとか、むしろ興奮します」


 「はぁ……」とロイズが疲れきった溜め息を吐き出す。二人の会話を聞いていれば、ロイズのこの反応にも同情せざるを得ない。というか、アリーナのロイズの前での豹変振りは、さすがのヨイヤミも驚きだ。


「余計なことを聞いた私が馬鹿だったよ。アリーナがそう言うってことは、私が一番知っているはずなのにな」


「そうですよ。ロイズさんは全てを知ってくれている。私の愛を知った上で、お側に置いてくれる。これはつまり……」


「はいはい、もうわかったから。その口を一度閉じろ」


 アリーナは本当に今の状況をわかっているのだろうか。ロイズを目にして、今までの記憶が吹き飛んだのでは無いだろうか。そう思えるくらい、彼女の言動は暢気なものだった。


「それで、ハリーはどうなんだ?」


 ロイズが、今度はアリーナの後ろについてきた青年に尋ねる。彼は彼で、アリーナとは打って変わって無口な性格をしている。その無表情もあいまって、本当に何を考えているのかわからない。


「俺は、アリーナについてきたからここにいるだけです。これからも、それは変わらないと思います」


 ヨイヤミはなんだか頭が痛くなってきた。なんだろう、この三人で変な三角関係ができていないだろうか。いや、今はそんなことを考えている余裕なんて無いはずなのだが。


 この三人を見ていると、自分が色々と考えを巡らせて悩んでいたのが馬鹿らしく思えてくる。ロイズの部下というのなら、彼女や彼もまた、自らの考えを持って動ける正義の心を持った者たちなのだろう。


 そんな三人の姿に、一人だけが別の意味での戸惑いを浮かべてこちらを眺めていることにロイズは気付いた。自分の部下が一人だけ、ここにはいない。そしてその視線の主こそ、長年自分の部下でい続けてくれた、もう一人の青年。


 ロイズとニールの視線が交わる。お互いに、お互いの視線を受け止め、言葉を交わさずともその思いを読み取る。


 不意にロイズが小さく首を横に振った。無理にこちら側に来る必要はないと。


 そんなロイズの行為に、ニールは悲痛な表情を浮かべて歯噛みをしながらこちらを眺めていた。


 きっと、心の中に迷いがあったのだろう。彼もこちら側に来ようかと必死で迷った挙句、向こう側に残ることを決めたのだ。


 だから、ロイズは優しく微笑みかけるような顔でもう一度首を横に二、三度振った。


『お前はそれでいい。こちら側に来なかったことに負い目を感じる必要はない』


 彼の顔がさらに歪み、今にも泣き出しそうな顔になる。そんな部下を見て、ロイズは何故か心が安らぐのを感じた。


『ここまで慕ってくれる三人の部下を持てて、私は本当に幸せだ』


 もう一緒にはいられない。ロイズはもう彼の上司ではなくなってしまったのだから。


 それでもこれまで付いて来てくれた彼に、感謝の気持ちが溢れて止まらない。そんな表情をしてくれるだけ、自分とこの国を天秤に掛けくれたのだ。彼がどれだけ信頼してくれていたのか、痛いほど伝わってくる。


『ありがとう』


「ふざけるなよ、貴様ら」


 ロイズが感傷に浸っていると、それを遮るように、怒りと憎しみ、痛々しさが込められた声が、まるで地面を這うようにして聞こえてくる。


「こんなことをして、唯で済むと思うなよ」


 悪運が強いというか、往生際が悪いというか、どうやらギルはまだ死ぬつもりは無いらしい。身体を血で真っ赤に染めながら、ギルはこちらに向けてなおも切っ先を向ける。


「そいつらは最早裏切り者だ。手加減など必要ない。その四つの首、今からこの広場に並べて、恥辱の限りを尽くしてやる」


 狂気は狂気を呼び、拡散していく。ギルという一人の男の怒りが、戸惑いで埋め尽くされていた場の空気を一変させてしまった。兵士たちが再び武器を手に取り、ギルの命令に答えるように雄叫びを上げる。


「どうやら、まだ終わってはくれないらしいな」


 ロイズがもう一度剣を構え直し、一歩前に出て剣の切っ先を兵士団に向ける。


「アリーナ、その子のことよろしく頼む」


 ロイズの指示により、ヨイヤミの手からアリーナへと少女が渡される。少女の無事を見届けたヨイヤミはゆっくりとロイズに肩を並べるように歩み寄る。


「心配せんでも、僕が助けたるわ」


「ふんっ、お前に助けられる筋合いなど無い。言っただろう、自分の決めた道に責任を持つのが大人だって」


「強がらんでもええんやで」


 悪戯な笑みを向けるヨイヤミに、また厄介なのが一人増えたなと言わんばかりにげんなりとした表情を浮かべてから、好戦的な鋭い笑みを浮かべて兵士団に視線を向けた。


「修練もせずに、散々怠けて衰えた奴らに負けるほど、私は落ちぶれちゃいない。お前こそ、資質持ちの力に頼りすぎて、足元すくわれるなよ」


 一人じゃなくなった瞬間、どうしてこんなにも心が晴れやかになるのだろう。


 そう感じた途端に、心の片隅に小さな痛みを覚える。


 自分の元に帰ってくると誓った友は、今一人で巨大な敵に立ち向かっている。


 できることなら、彼の元に行き手助けをしてやりたい。きっと、彼も今の自分と同じ気持ちになるはずだから。


 けれど、今はそれが許されない。ならば、今は自分ができることを精一杯、全力でやるだけだ。


 味方は四人、敵は数百人。そして誰も殺すことなく、この広間からは誰も出すわけにはいかない。無理難題にも程がある。だというのに、自然と恐怖感はない。それどころか、彼らとなら、この窮地を乗り越えられるとそう思える。


「そいつら全員殺してしまええええええええ!!」


 痺れを切らしたギルの命令に、狂気に充てられた兵士たちが咆哮し、ヨイヤミたちに向けて襲い掛かってくる。戦いの火蓋は再び切って落とされた。


「さあ、いくで。僕らの初陣、派手に暴れようや」


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