交差する紅と蒼

 先ほどはあまりに急な展開に反応が遅れたが、今度はそうはさせない。身体中に魔力を巡らせて、いつでも動けるように構えを取る。


 ガリアスが鎖を引きずる音を立てながらアカツキに向けて一歩踏み出す。


 たったそれだけ行為だ。だというのに、アカツキの中に重圧が増していく。死の臭いが嗅覚を刺激する。あの日の記憶が、脳裏に焼きついて離れない。


 思った以上に、自分が彼から植え付けられた恐怖心は根深く突き刺さっているらしい。


「まずは俺が、恐怖の檻を壊さないと……」


 そうでなければ示しがつかない。自分ができないことを人に押し付けるなど、そんな傲慢な言葉を誰が耳にするものか。


 アカツキが思いを巡らせている最中、アカツキに向かって踏み出していたガリアスが両手を地面に叩きつける。そこから波紋のように魔方陣が形成されると、そこから巨大な氷柱が一直線に、地面から這い出した氷柱がアカツキに向けて襲い掛かる。


 地面から這い出す氷柱を横っ飛びで回避したアカツキに向けて今度は、ガリアス本人から先端をこちらに向けた氷柱が豪速で投げつけられる。


 咄嗟の判断で退魔の刀を召還したアカツキは、凄まじい速度で襲い来る氷柱に向けて、その刀を振り下ろした。ガラスが割れるように、粉々に砕け散った氷柱は、アカツキに傷をつけることなく消え失せる。


 自らが放った魔法がたやすく切り刻まれる光景に、ガリアスは疑問を抱いたりしない。彼の勢いはそんなもので失われることはなく、今度は自身の掌をアカツキに向ける。


 形成された白郡色の魔方陣からは放たれるのは、あの日ヨイヤミを貫いた高密度の氷塊。凄まじい冷気が溢れ出し、ガリアスの顔に靄が掛かる。


 そしてその氷解はもちろんアカツキに向けて放たれる。


「うああああぁぁぁぁ」


 アカツキは雄叫びと共に、あの日の意趣返しとでも言わんばかりに、その氷塊を切り伏せた。


 氷の結晶がキラキラと舞い散る。その氷塊からは切り刻んでなお、凄まじい冷気が漂ってくる。筋肉が硬直し、動きが鈍りそうになる。


 消滅させてなお魔力の痕跡を残すことができるのは、ガリアスほどの実力の持ち主だから為せる業か。


 流石のガリアスも、これで多少は警戒をしてくれたようだ。それなりの魔力を込めた一撃が、いとも容易く消滅させられたのだから無理も無い。


 アカツキとしては、もう少し魔力を吐き出してもらってからでも良かったのにと、内心で舌打ちしていた。


「何をしてるでしか、さっさとそんな餓鬼仕留めるでし」


 どうにも外野がうるさい。ただ、そんなものが耳障りにすらならないほど、アカツキはガリアスの一挙手一投足に集中する。


 お陰でガリアスの脚から漏れた鎖が引きずる小さな音を聞き逃すことはなかった。その音が鼓膜を振るわせた瞬間、ガリアスはアカツキに向けて肉迫した。


 何らかの理由で魔力が通じないのであれば、接近戦に持ちかけるのは目に見えていた。だからアカツキも右腕に魔力を集中して、ガリアスが放つその拳に向けて、自らの拳をぶつけた。


 肉と肉がぶつかる音とは思えないほどの轟音と共に、周囲に凄まじい衝撃波が吹き荒れる。ビリビリと電気が走るような痛みが、アカツキの右腕に襲い掛かるがそれまでだ。自分の身体が吹き飛ばされることは無い。


「それだけの力があるのに、どうしてお前はそんなに弱いんだ」


 何が、などと言葉にしなくてもわかる。


 拳と拳をぶつけ合いながら、二人はお互いに近距離で睨み合う。アドレナリンが溢れ出ているからだろうか、その紅蓮の眼光に先ほどまでの恐怖は感じない。


「いつまでも、怖がっていられねえだろうが」


 アカツキの左手に魔方陣が形成される。それに気付いたガリアスは、咄嗟に地面を蹴って後ろに飛び退く。相性の悪い要素の攻撃を生身で、しかも近距離で受けるのはいくら頑丈な身体と言えども堪える。


 だが、逃がさないというように、アカツキは飛び退くガリアスに向けて炎の砲弾を放った。まだ脚が地面に辿り着いていないガリアスに、その炎砲を回避する手段はない。


 周囲に爆風を放ちながら、ガリアスに激突した炎砲は爆発する。爆煙でガリアスの身体は包み隠され、どれだけのダメージを与えられたのか判断することはすぐにできない。


 一瞬の静寂。アカツキはその爆煙が晴れるのを、額に汗を噴出しながらジッと待ち続けていた。


 だが、ガリアスの傷を確認することは叶わない。爆煙から飛び出すようにして、ガリアスは再びアカツキに肉迫したのだ。今度はその拳に氷を纏って。


 爆煙でその姿が隠れていた事を利用されたため、アカツキはそれを先ほどと同じように受け止めるしかない。再びの轟音と衝撃波。しかし、今度アカツキの拳が凍りつく。


「ぐあっ」


 それが冷たさだと理解するよりも前に痛みが右腕を喰らい尽くす。冷たいのか熱いのか、腕に張り巡らされた神経が、機能を放棄して判別できない。


 腕はガリアスの拳と共に凍りつき、縛りつけられる。退魔の刀をそこに当ててやるだけで、恐らくこの氷は割れて消えるだろう。だが、そんな時間があるずもなく……。


 凄まじい衝撃がアカツキの下腹部に襲い掛かる。最早それが痛みなのか何なのか、それすらもどうでもよくなる様なほど、全身が悲鳴を上げる。


 その衝撃に、右腕を縛り付けていた氷を砕きながら、アカツキはまるでボールのように軽々と吹き飛ぶ。何度も地面に叩きつけられながら、壁にぶつかるまでの間勢いが収まることはなく。


「かはっ……」


 喉の奥から血の味が溢れ出してくる。身体の内部のどこかが破裂でもしたのかもしれない。そう思えるほどの衝撃がアカツキの身体を襲っていた。


 呼吸が急激に荒くなる。少しは克服し始めたと思っていた恐怖心が、再びアカツキの寝首を掻こうと舌なめずりをしているようだ。恐怖心に血流が早くなり、動悸が激しくなる。


 アカツキの視界が揺らいで、ガリアスに焦点を合わせることができない。痛みは最早、臨界点を超えてよくわからなくなっている。


 そういえば、右腕の感覚が無い。ただ、そこにあることだけで、こちらの言うことを聞いてくれそうにはない。引き千切れていないだけ、まだマシだったのだろうか。


「ぎひひっ、口ほどにも無いでしね。もう終わりでしか?もっと僕を楽しませてくれでし」


 まだ戦える。こんなもので終わってたまるか。


 セドリックの不気味な笑いに応えるように、アカツキは口の中の血液を地面に吐き捨てる。相手に弱みを見せる訳にはいかないと、平気な素振りで立ち振る舞う。


「まだまだ終わらねえよ。俺はまだ何もしちゃいないからな」


 アカツキが立ち上がるのを見たガリアスは、再び右手を前にかざす。今度は複数の魔方陣がガリアスの背後に現れる。


「ちょっとは休ませてくれよ……」


 焦点が定まらない視界でも、ガリアスの攻撃が再び襲い来ることは容易に想像がつく。


 ガリアスの背後に形成された複数の魔方陣から、横殴りの雨のように、幾許の氷の礫が降り注ぐ。


 退魔の刀でどうにかなるものではないと悟ったアカツキは、氷の雨に向けて両の掌をかざす。掌の前には渦を巻くように炎の壁が形成され、氷の雨はその中に吸い込まれるように消えていった。


 氷の雨を全て受けきったアカツキは炎の壁を発散させると、左腕に炎を纏ってガリアスに肉迫する。先ほどの意趣返しとでも言わんばかりに、先程と同じ状況に持っていく。


 それに応える様に、ガリアスもまた右腕に氷を纏って応戦する。


 炎と氷の拳がぶつかり合う。相性的に言えば、この瞬間氷は炎に負けるのが常であるが、ガリアスとアカツキの場合、魔力の差がそれを許さない。お互いの熱気と冷気がぶつかり合い、部屋中に霧が立ち込めはじめる。


「うおおおおおおおおおおおおお!!」


 ともすれば、それは恐怖を打ち破るための咆哮。自分で自分を奮い立たさなければ、恐怖で心が折れてしまいそうになるから。


 アカツキが咆哮するのとは裏腹に、ガリアスは無言のまま魔力を込める。


 数秒の拮抗。しかし魔力の暴走により、その激突は幕を閉じる。


 二人共がその衝撃に吹き飛ばされ、二人の間に再び距離が生まれる。


 未だに与えられたのは一発の炎砲のみ。同じことを何度繰り返しても、無駄に魔力を失うだけだ。


 それでもここで止まるわけにはいかない。退くわけにはいかない。自分の背中には、自分を信じて戦い続けている仲間たちがいるのだ。


 ガリアスが両手を地面に付けて魔力を込め始めた。アカツキは何かが来ることを察して身構える。この距離なら何が来ても反応できる。


 だが、ガリアスの元からは何もやってはこなかった。


 気づいた時にはもう遅い。アカツキの足元に異様な痛みと違和感を覚えて視線を落とすと、足元が凍り付き地面に縛り付けられている。


 その氷に退魔の刀を突きつければ、おそらくその氷は砕け散っただろう。しかし、自分の予想と異なる攻撃に、思わず慌てたアカツキをガリアスがまってくれる筈もない。


 磔になったアカツキに向けて、肩に氷の塊を纏ったガリアスが突進を仕掛ける。巨大な鉄塊にでも襲われたような衝撃に、張付けていた氷はいとも容易く地面から剥がれ、骨が砕ける鈍い音と共に、アカツキは吹き飛んだ。


 身体が粉々にひしゃげる。肉は千切れ、骨は砕け、内臓はぶちまけられる。鮮血の海に溺れて、アカツキは溺死する。最早死因が何なのかも判然としない。


 だがそれはアカツキが見た幻影だ。それが現実であれば、楽になれていたかもしれない。もしアカツキが資質持ちでなければ、間違いなくその幻影が現実になっていただろう。王の資質と言う名の鎖が、アカツキの魂をこの世に繋ぎ止めた。


 だが、身体は痛みで動こうとはしない。意識をしなければ息をすることすらできない。


 骨の大多数は既に折れているか、皹が入っているだろう。


 耳は心臓の鼓動の音が大きすぎて、他には何も聞こえない。鼻は自分の生臭い血の臭いで埋め尽くされて機能しない。視界は焦点が定まらず、意識しなければ瞼が自然に落ちていく。


『このまま目を閉じれば、楽になれるかな』


 アカツキがそんな弱音を心の中で吐いた途端に、脳裏に二人の言葉が浮かんできた。


『帰って来い。何があったとしても、僕の元に帰って来い』


『生きて私の元に帰って来て、私をこの国から救い出してください』


 二人の笑顔と共に脳裏で再生されたその言葉は、アカツキを無意識の内に立ち上がらせる。


 最早視界は定まらず、陽炎でも見ているかのように世界が歪んで見える。それでも何とかガリアスを視界の内に捉える。どうやらガリアスは動かずにこちらの様子を伺っているようだ。


 セドリックがアカツキに視線を向けて、笑いながらアカツキに何かを言っているようだが、今のアカツキの耳には心臓の鼓動以外には何も聞こえない。


 心臓の音だけが無音の世界に響き渡る。やがてセドリックの姿も視界からは消え失せ、ガリアスだけがアカツキの視界に留まる。


 まるで二人だけの世界。他に何もない、何も聞こえない、二人だけの無の世界。


 不意にガリアスが動き出す。先程見た、複数の魔方陣。そこから放たれるのは無数の氷の礫。


 アカツキに向けて放たれた氷の礫の中に、アカツキは自ら突っ込んでいった。アカツキは退魔の刀を出現させ、自分に接触する氷の礫だけを確実に消滅させていく。


 無の世界は続いている。ガリアスだけがその世界の中にいる。


 向かってくる氷の礫がアカツキにはかなり遅く感じられた。


 氷の礫の速度が遅かったわけではない。アカツキの反応速度が、この一瞬で格段に上昇したのである。


命の危機に陥ったことで、アカツキの中に眠る血が目を覚ましたのだ。代々受け継がれてきた資質持ちの血が……。


 アカツキは自分に襲い来る全ての氷の礫を往なしガリアスに迫った。今までの動きと一変したアカツキを目にしたガリアスは、この戦いの中で初めて肩を振るわせた。


 アカツキがガリアスの目の前に躍り出る。この距離ではもう、何をしても間に合わない。


 アカツキは動かなくなっていた右腕に炎を纏い、布で覆い被されたガリアスの顔を目掛けて、その拳を全力で振りぬいた。


 拳が肉塊を捉える感覚が確かにアカツキの中を走り抜ける。重い衝撃は、ガリアスの巨体を吹き飛ばした証。


 遠かった二撃目がようやく届く。


 ここが始まり。ここがスタートライン。これまではただの準備運動。


「さあ、立てよガリアス。俺たちの戦争を始めよう」

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