伝えられぬ苦しみ

「君、ロイズさんと話していた子だよね」


 刃を向けてきた女性兵は、ヨイヤミと鍔迫り合いを繰り広げながら問い掛けてくる。どうやら、ロイズの部下の三人の内の一人らしい。誰も、ヨイヤミに刃を向けようとしないお陰で、鍔迫り合いをしながら小声での会話ならば、誰からもそう簡単には怪しまれない。


「だったら何や?」


 あえて挑発的に、ヨイヤミは彼女に尋ねる。彼女が知っているかどうかは、ヨイヤミの知るところではないが、こちらからわざわざロイズの協力関係を打ち明ける必要はない。


「何を話したの?」


 その問い掛けを投げると同時に、彼女は力を込めてヨイヤミの持つ刃を振り払った。ヨイヤミもその勢いに従いながら後退する。恐らく、考える時間を与えるという彼女なりの意思表示。いつまでも鍔迫り合いをしている訳にはいかない。


 彼女の意図がわからない。彼女がロイズの部下であることは確かだが、ヨイヤミの答え次第で敵になるつもりなのか、それとも味方になるつもりなのか。


 だが、ロイズが話していないことを、ヨイヤミが勝手に話すわけにはいかない。彼女たちの関係に自分が介入する余地はないのだ。ロイズは自ら味方を名乗り出てくれたのだから。


 再びアリーナがヨイヤミへ向けて肉薄する。金属がぶつかり合う甲高い音が広間中に響き渡る。


 ヨイヤミは決して剣術の心構えがあるわけではない。多少知識があるくらいで、経験値だけで言えば、アカツキともさして変わらないだろう。


「答えてっ!!」


 ヨイヤミの振り下ろした剣を、アリーナはわざと音を立てるように勢いよく振り払う。


「答えなさい!!」


 その切っ先よりも鋭い視線をヨイヤミに突きつけながら、悲鳴にも似た声音で求める。


「答えろって、言ってるの!!」


 その叫びと共に振り払われた剣によって、ヨイヤミの剣がその手から吹き飛んだ。


 まるで泣いているようだった。何がそんなに哀しいのか、ヨイヤミにはわからない。ただ目の前の女性兵のあまりの必死さに剣を握る手から、力が失われてしまった。


 彼女の思いに答えたいと、そんな思いが頭を過ぎる。これだけ必死な思いをぶつけられて、それを無下にできるほど、ヨイヤミの心は図太くない。それに、ロイズの為にこれだけ必死になれる彼女が、ロイズを裏切ることなどないのではないだろうか。


「どうして、答えてくれないの……」


 もう、周囲に包み隠すことすら忘れてしまっている。それくらい、彼女にとってロイズは大切な存在なのだろうか。そんな彼女に何も伝えないなんて、ロイズはいったい何をやっているのだ。


 それに、何故かロイズはこの場にいない。本人がいてくれれば、自分がこんなに悩むことも無かったのに。


 ヨイヤミはここにいないロイズに向かって、心の中で愚痴を漏らす。けれど、いない人間に毒づいても仕方ない。ならば、彼女の誠意に答えるしかない。


「僕は、この国の奴隷を解放するためにここに来た!!」


 アリーナだけではない。この広場にいる全ての兵士たちに向けてヨイヤミは宣言する。ここにきた理由を。


「僕たちはこの国の、いやグランパニアのやり方に意義を唱える者。人に価値をつけるなど、傲慢の極みや。同じ人間にそんな権利はあらへん」


 これは、ヨイヤミなりの答え。ロイズと何を話したかは言えない。それは、協力関係を結んでくれた彼女への裏切りだから。だから、自らの目的を、ここに来た意味を、アリーナだけではない、全ての人間に伝える。それが、ヨイヤミが彼女にできる精一杯の誠意だ。


「奴隷の解放……」


 アリーナから気迫が消えていく。どこかヨイヤミを値踏みするような、ヨイヤミを通してロイズの真意を推し量っているような。


 正義感の強いロイズなら、自分が敬愛する彼女の芯の強さなら、ヨイヤミの言葉に意思を動かされないはずがないと、アリーナはそう思った。


 彼女がこの国のあり方を良く思っていないことは、アリーナも知っている。けれど、彼女にもそれを変えるきっかけが無かった。それが突然目の前に現れれば、彼女がそれに同調しても何らおかしくはない。


 アリーナの中でパズルのピースが少しずつはまっていくように、ヨイヤミの言葉がストンと心の中に落ちていく。そんなアリーナの背後から、クスクスと嫌気の走る薄ら寒い笑い声が鼓膜を震わせる。


「奴隷の解放だと……。馬鹿馬鹿しい。人間に価値をつけて何が悪い。使えぬ人間を少しは有効活用してやろうというのだ。むしろ感謝してもらわねばならんな」


 アリーナは声を聞くだけで、その声の主が誰なのかを悟る。


 ノックスサン兵士団団長『ギル・ドレイク』


 この腐り切った兵士団を纏める、この国の兵士団を腐らせた原因の一人。


「それが、あんたらの考えか……」


 怒りが奥底からふつふつと湧き上がるような思い声音と共に、ヨイヤミが怒りで歯軋りする。アリーナに向けていたのは別の、もっと憎悪を帯びた敵意を込めて、ヨイヤミはギルを睨み付ける。


「俺たちではない。この世界の人間が知っていることだ。大体、奴ら奴隷と俺たちを、同じ土俵で考えるなど怖気が走る。あれは人間ではない。ペットや家畜と同じものだ」


 その言葉を聴いたアリーナも、他の誰かにばれない様に歯噛みをする。自分も、この国のあり方に、この団長の考え方に賛同などできない。けれど、そのぬるま湯に浸かって、今まで生きてきたのも事実だ。今更、自分がそう簡単に意見を変えるなど、あまりにも薄っぺら過ぎる。


「そんな訳ないやろ。あの人がそんな扱いされていいはずがない……」


 誰にも聞こえない声で、ヨイヤミは怒りの炎の熱が少しずつ増していく。ヨイヤミの言葉に興味を持つ者などいない。ただ、ギルの言葉に同調して周囲から再び、薄ら寒い笑い声が響き渡る。


 彼らは幼い頃から、奴隷というものがどういうものか教え込まれてきた。だから、悪意を、持ってその発言をしているわけではない。その考えが当たり前だと、何の疑問も持たずに育てられてきたのだ。それを、ヨイヤミだって理解している。


 悪いのは決して彼らだけではない。この社会そのものが、彼らに害悪を植え付けているのだから。けれど、それが異常だということにどうして気付けないのか。どうして、自分の発言に疑問を抱けないのか。


「つまりお前はたった一人で、しかも奴隷のためにここで戦っているというのか?おめでたい奴だ。お前はその救おうとしている奴隷によって殺されるんだよ」


 先ほどまで怯えて一歩も動けなかった者たちが、周囲の雰囲気に充てられたように、突然威勢を取り戻し始める。まるで虎の威を狩る狐だ。ガリアスの存在が浮き彫りになった瞬間、自分自身が強くなったかのような幻想に囚われる。


 「そうだ、そうだ!!」と周囲がギルの言葉に同調して沸き上がる。そんな様子を気持ち悪いと、アリーナは心の中のざわつきを抑えるのに必死だった。自分がこんな者たちと同じ場所にいることを受け入れていたことに。


「奴隷は所詮奴隷だ。我々に使われているのがお似合いだ。お前が奴にどんな感情を抱いているか知らんが、奴はお前の心を汲むほどの知能など持ち合わせてはおらん」


「お前たちが、そういう風に仕立て上げたんやろうが。それを平気でのうのうと」


 分かり合うことなどできない。考え方が違いすぎる。常識がズレている。


 彼らはもう、取り返しのつかないところに足を踏み入れている。自分の考えが絶対に正しいとは言わない。けれど彼らは、他の考えを受け入れるだけの余裕すらない。自分が絶対的に正しいと、そう思い込まされている。


「まるで、洗脳やな……」


 正しさなど、世界によって、国によって、個人によって変わってくる。だから、多くの者と関わり、多くの者の考えを取り入れ、その正しさを誰もが分かち合える柔軟なものにしなければならない。


 けれど彼らは、この国から出たこともなく、幼い頃からこの国の考え方を植えつけられ、それが正しいと思い込まされている。それを洗脳と呼ばず何と言う。


「何を言っても、平行線や……」


 もう、言葉を尽くす意味は失われた。ヨイヤミの考えを語ったところで、聞く耳を持つ者はいない。いや、少なからず目の前に一人、確かに揺れ動いている者がいる。


 けれど、人間は多数派に流される。彼女を無理やりこちら側に引き込むのは無茶だろう。せめて、ロイズがいてくれれば話は別だが。


 それにしても彼女は何をしているのだ。協力関係を自ら申し出ておきながら、この場にすら顔を出さないとは。


「一回痛い目見んとわからんなら、教えたるわ。他人の背中でのうのうと生きるあんたらの知らん痛みって奴を」


 ヨイヤミは戸惑いに身動きが取れなくなっているアリーナの横を颯爽と通り過ぎ、戦意を取り戻したギルへと肉迫した。






 その頃アカツキは人気のなくなった廊下を、身を隠しながら進んでいた。ヨイヤミが暴れてくれているお陰で、ここ一帯はもぬけの殻と化している。


 それでもアカツキは自らの息を殺しながら、ゆっくりと廊下を進んでいく。


 もうすぐガリアスと対峙しなければならない。そう考えるだけで、心臓が飛び出しそうになる。


 砂漠で交戦したあの日から、あの鮮血のような紅い眼光が記憶に刻み付けられている。あの眼光で睨み付けられたら、動ける自信が持てない。


 恐怖は十分に刻み込まれている。要素エレメントの相性など一瞬で消し飛んでしまうほど、その恐怖はアカツキにとって、魔法と同じくらい殺傷能力のある攻撃に他ならない。


 ヨイヤミはよく、戦いは魔力の違いだという。だがそうではない。魔力を覆してしまえるほどの、恐怖や、はたまた勇気は間違いなく存在する。自分の中に、そんなものが眠っているのだろうか。


 そんなことを考えながら進んでいたせいで、少しだけ視界が狭くなっていたのかもしれない。人気があまりにも無いことに、意識が別の場所にいっていたのかもしれない。


 アカツキが角を曲がろうとしたその瞬間、突然の人気にアカツキは武器を構えて飛び退いた。


「君は……」


 アカツキは自らの眼を疑う。曲がり角には確かに人がいた。そこにいる者の顔をアカツキは知っている。この国に来てから、何度か顔を合わせている。


「あなたは……」


 アカツキは慌てて武器を消し、攻撃の構えを解く。出くわした相手が、この国の兵士でなかったことに安堵し、それと共に疑問を抱いていた。


「君は、王宮の奴隷だったのか?」


 彼女と顔を合わせていたのは貧民街の一画だ。まさか彼女が王宮にいるなどとは予想していなかった。こんなところで再び出会えるなどと思っていなかったから、少しだけ動揺してしまう。


「はい。私はよくとある物を引き取る為に、貧民街に顔を出していますから」


 その時に、たまたまアカツキと出会ったのだと彼女は言う。たまにしか出会うことができなかったのは、彼女も数日に一度しか、貧民街を訪れないからだ。


 それにしても、彼女は王宮には不釣合いな格好をしていた。アカツキが貧民街で出会っていた時と同じような、一枚の布に穴を空けて頭から被ったような簡素な衣服。布から露出する腕や脚はやせ細っていて、骨の形が薄っすらと見て取れる。


「君を、ここから救い出してみせる」


 今は彼女と言葉を交わしている余裕などない。一刻も早く、ガリアスの元へとたどり着き、この国の戦いを終わらせなければならない。自分がこうしている今も、親友は自分を信じて戦ってくれているのだから。


「御帰りください」


 彼女が床へと視線を落とす。彼女の栗色の髪が、ハラハラと額に垂れ、彼女の表情を隠してしまう。どこか悪寒を誘う雰囲気が漂い始める。


「今、何て?」


 聞こえなかった訳ではない。ただ彼女の言葉を信じたくなかったのだ。その言葉が自分の聞き間違いだと、そう信じたかったのだ。


 だが、その言葉をもう一度聞く前に、アカツキは彼女の言葉に聞き間違いなど無かったことを思い知らされる。


 髪の合間から覗く彼女の視線が細められ、敵意を剥き出しにした鋭い視線がアカツキを射抜く。それに気付いた時には、既に彼女は地面を蹴り、アカツキに向けて脚を踏み出していた。アカツキに向かう彼女の右手には銀色に鈍く光る刃物。


 アカツキは咄嗟に退魔の刀を召還し、その刃物を受け止めた。力はない。受け止めるのは造作も無かった。けれど、心への傷は刻まれる。


「どうして!?」


 彼女の行為がわからない。自分は彼女を助け出したいだけなのに、どうしてその本人から刃を向けられなければならないのか。


「あなたは私の敵ですっ!!」


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