錆び付いた警鐘
いつ以来だろうか、この国の警鐘が鳴り響くのは。戦いなど忘れたこの国に、不必要となったその鐘は、緊張感の無い、錆び付いた鈍い音を響かせる。
部屋の外が途端に騒がしさを増す。誰も戦う準備などできていないのだろう。そもそも、この国に戦える者など、彼を置いて他にいるのだろう。
自分はどうだろうか。彼に甘えて、この身を鍛えることを怠っていたのではないだろうか。自覚があるだけ、他の者よりマシなくらいか。
「ロイズさん」
自分の部下であるアリーナがノックも無く扉を開く。普段の彼女ならありえないことだ。
彼女は落ち着いた様子の自分を見て、驚きと共に不思議そうな表情を浮かべる。彼女がいるということは、きっと後ろにハリーも控えているのだろう。
開け放たれた扉の向こうからは、先ほどよりもけたたましい音が絶え間なく響き渡っている。
「どうしますか?」
どうしてそんなに落ち着いているのか、などと彼女は聞きはしない。彼女は、ロイズの姿を見た瞬間全てを察したのだ。彼女の表情はとても真剣で、こちらの真意を測っているのだろう。
「始まってしまったのなら、もう私に残された退路はない」
既に冷め切ったティーカップを、ロイズはゆっくりと口元に近づける。その行為は、十分な答えになり得ただろう。アリーナは下唇を噛み締めながら、黙ってロイズの姿を見つめる。
「もう、戻るつもりはないのですね」
後ろでは多くの者たちが行き来している。ロイズのこの姿を自分たち以外の者に見せてはいけないし、自分が問い掛ける言葉の意味を誰かに悟られてはいけない。
「大人の責任を果たさなければならなくなったからな」
アリーナは知らない。あの日、ロイズと二人の間に、どのような会話がなされたのかを。けれど、彼女が求める未来は、アリーナも知っている。今のこの国が、彼女の求める未来とは決して交わらないことも。
「私は行きます。私には、私の責任がありますので」
アリーナはその言葉を残して、一度だけ頭を下げるとそのまま踵を返して戦場へと向かっていく。その後ろに構えていたハリーも、無言でロイズに一礼をしてからアリーナの後を追った。
少し遅れてニールがやってくる。彼はこちらの様子を見ても驚くばかりで、その真意には気付いていないのだろう。彼には悪いことをしたと少し心が痛む。
「ロイズ士官はいかれないのですか?」
彼の瞳から戸惑いの色が容易に感じられる。自分の上官が、警鐘が鳴っているにも関わらず、落ち着いた様子で月明かりの下で佇んでいるのだ。驚くのも無理はない。
ロイズは手にしていたティーカップをニールに向けて掲げながらこういった。
「今は紅茶を楽しんでいる最中なんだ。これが終わったら、私も行くよ」
彼がその言葉をどう取ったのか、それはロイズにはわからない。けれど、どこか納得できない表情を浮かべながら、それでも上官に逆らうことはできないと、自分の中で折り合いをつけたのだろう。
ニールは一礼すると扉の向こうの喧騒に消えていった。
喧騒は中々鳴り止まない。恐らく、戦場に向かうか迷っている者が大勢いるのだろう。修練を怠り、怠惰に溺れ、自らに戦う力が無いことを今更ながらに後悔する者たち。
それでいい。彼らは自らのこれまでの行いを振り返り、この先の未来を見直すべきなのだ。
例え彼らが歩むその先に自分がいなかったとしても。
ただ一つ後悔があるとすれば、こんな自分を敬ってくれる三人の部下を裏切ってしまったことだ。
今ならまだ間に合う。一瞬そんな考えが頭を過ぎる。今ここで、彼らに敵対すれば、自らの企みは無の彼方へと消え去り、これまで通り彼女たちと共にぬるま湯に浸かりながら暮らしていくことができる。
「いや……、そんなの、私が私を許せない」
月明かりだけがロイズの部屋を照らす。窓から臨む月が、紅茶の水面に映り、扉の向こう側の喧騒に月が歪む。
水面に揺れる月を眺めながら、ロイズは冷め切った紅茶を一気に飲み下した。
「さあ、行こうか。我が戦場へ」
ロイズは月と共に覚悟を飲み下し、戦場へ向かって脚を踏み出す。
王宮は階段を越えた先にある。王宮は巨大な土の土台の上に建てられており、長い階段を上らなければ辿り着かない。もちろん、資質持ちであるヨイヤミにはどうということはないが、生身の人間ならば、この階段を登るだけでも一苦労だろう。
階段を抜けた先には大きな扉が構えている。階下の衛兵は既に伸してきたが、いくら衛兵たちが怠けていようと、流石に数人の衛兵が駐在していた。
「何者だ!!」
しかし、反応は遅い。ヨイヤミの姿を見ても、すぐに異常事態だと認識できていない。
「ちょっと頼まれ事されたからな。お前らの尻、叩きに来たったわ」
仮面の下から不敵な笑みを浮かべてヨイヤミは衛兵たちに襲い掛かった。
王宮に警鐘が鳴り響いたのは、そのすぐ後だった。資質持ちのヨイヤミといえど、数人の衛兵を留めておくのは、そう易々とできることではない。その結果、衛兵の内の一人に警鐘を鳴らされた。
だが実際のところは、その衛兵はわざと見逃されていたのだ。ヨイヤミは、この王宮にいる者たちの意識を全て自分に向けさせるために、わざとその衛兵に警鐘を鳴らさせた。
「ご苦労さん」
既にヨイヤミの周りには七人ほどの衛兵がうつぶせに横たわっていた。彼らが持ってたはずの剣や槍は、金属の部分を失い、ただのガラクタと成り果てていた。
「手加減はしとるやから、多少の痛みは勘弁してくれや」
そしてゆっくりと王宮の扉の前に立つと、扉の取っ手に手を掛けることなく、その拳に炎を宿しながらヨイヤミは不敵な笑みを浮かべる。
「一回こういうの、やってみたかったんよな」
そういいながら、ギリッと歯を食いしばり、腰を深く落として構えると、ヨイヤミは勢いよく王宮の入り口である巨大な扉を突き破った。
轟音が王宮の中に響き渡る。扉の一部は吹き飛び、もう扉としての機能は果たせなくなってしまった。ヨイヤミが殴り飛ばした勢いで巻き上がった砂埃が徐々に晴れ、王宮の中身がベールを脱ぐ。
警鐘を聞きつけて集まったのは、ざっと五十人程度。ロイズから聞かされていた話によれば、ノックスサン王国兵士団の所属人数はおよそ百人。つまり、約半分しかこの場に集まっていないのだ。
「せっかく大袈裟に暴れたんやから、もう少し集まってきて欲しかったわ」
アカツキを招き入れるにはまだ足りない。アカツキが少しでも魔力を使わずに、あの化け物と対峙できるよう、自分がやれることはひたすらに目立つこと。
「あんま得意やないんやけどな……」
そう呟きながらヨイヤミは周囲に誰もいない柱に向けて掌を差し出す。その掌には真紅の魔方陣が形成されていく。
「派手にいこうや」
ヨイヤミが軍人たちに向けて不敵な笑みを浮かべたのと同時に、その魔方陣から炎の砲弾が放たれる。炎の砲弾は柱を打ち抜き、爆砕音が王宮中に鳴り響く。
資質持ちであることを惜しげもなくアピールする。ヨイヤミのその威嚇に、大勢の者たちが恐怖に肩を震わせる。
彼らは資質持ちの恐ろしさを知っている。その恐ろしさを何度もその目に焼きつけ、その恐ろしさに甘えて怠惰を貪ってきた。だが今、その恐ろしさが敵として目の前に立っているのだ。
それが味方であればこれ以上ない強みだが、それが敵に回ればこれ以上ない恐怖だ。
誰しもが一歩を踏み出すことに躊躇する。腐り切った性根は、恐怖に立ち向かう勇気など根こそぎ奪ってしまっている。だがその中でも、その恐怖に打ち勝つ者がいる。
「賊の好き勝手になど、させはしない」
真っ直ぐな瞳の中に恐怖の色を滲ませながら、一人の女性兵がヨイヤミの前に立ちはだかった。
警鐘を合図にして、アカツキは階段を駆け上がった。既に、階下の衛兵はヨイヤミの攻撃により伸びている。上に敵襲を伝えることもできずに、何の役目を果たせずに倒れた彼らに、少しだけ同情する。
「あんたたちみたいにならないように頑張るよ」
アカツキは、既にヨイヤミが登った階段を駆け上がる。
この階段の上では既にヨイヤミがわざとらしく大暴れしているはずだ。
アカツキはロイズから教えてもらった抜け道から、ガリアスの下まで突っ切る手筈だ。
そのために、ヨイヤミはわざとらしく暴れて、王宮の者たちの意識を一点に集中させている。誰も殺さずに百人もの人間を相手にするのは、資質持ちだろうと骨が折れる。
「ヨイヤミの為にも、早く終わらせてやらないと」
ガリアスが待ち構えるのは、この国の王『セドリック・クラウノクス』が座す王座の間。一番の近道は、もちろん真正面から真っ直ぐに突っ切ることだが、ヨイヤミが一所に兵士たちを集めるためにも中央広間はヨイヤミに譲るしかない。
少し遠回りにはなるものの、アカツキはロイズから教えてもらった抜け道を選ぶ。
ロイズから教えてもらっていた通り、王宮西側にある扉の鍵が開け放たれていた。いくらなんでもそんなに警備が薄いはずも無いので、そうした犯人は容易に脳裏に浮かび上がる。
「悪い人だな……」
その犯人を思い浮かべて呟きながら、アカツキは音を立てないように静かに王宮の中へと侵入する。
その入り口から入ると、すぐに階段がありそれを足音無く上っていく。
その先は人気のない廊下が真っ直ぐに続いおり、普段この廊下はあまり使われていないらしい。ロイズの話では所々にある扉も、その先は物置や倉庫になっているとのことだ。
「確か、四番目の倉庫から、食堂に抜けられるはずだよな」
ロイズから教わった抜け道を自らの確認し直しながら、アカツキは誰かと出くわさないように慎重に扉を開け、中を警戒してから静かに扉の奥に入っていく。
それだけコソコソしていると、少しだけコソ泥の気分になってくるのは自分の良心が痛んでいる証拠だ。正直なことを言えば、自分も正々堂々真正面から通り抜けたい。
だが、余分な魔力を使って勝てる相手ではないことは重々承知している。だから、この作戦を飲まざるを得なかった。
「ヨイヤミ、大丈夫かな……」
そんなことを考えていると、つい真正面から突撃したヨイヤミのことが脳裏に過ぎる。こんな呟きを彼に聞かれれば、人の心配する暇があったら自分の心配でもしとけ、と怒られるのが容易に想像できる。
そうだとわかっていても心配になるのが、仲間というものだ。それでも、その心配をヨイヤミなら大丈夫と、信頼に変えることができるのが、親友というものだろう。
「頼んだぞ」
食堂を目指すアカツキの耳にも、大広間からの轟音が時々鼓膜を震わせていた。
そして食堂にいた数人の料理人を、魔力を使うことなく無力化し、アカツキは次の目的地向けて走り出す。
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