還る場所

「レーヴァテインさん、どうしてガリアスはその王の下を離れないんですか。それだけの力があれば、そんなこと容易いですよね?」


 「ロイズで構わない」と一言告げてから、ロイズは表情を曇らせながら唇を噛み締める。その表情は、まるで何か棘のようなもので自らの心を刺しているかのようだった。


「彼は幼少期から、幾度と無く拷問を受けてきた。王は躾と言っていたな。それはもう、普通の人間が耐えられるようなものではなかった」


 ロイズの視線は地面へと落ち、とても苦しそうに、そして悔しそうに奥歯を噛み締めてロイズは続ける。


「それでも相手が奴隷であり、やっているのが国王だ。誰もそれを止めることは無かった。それを止めるだけの勇気を持った者など、私も含めてこの国にはいなかった」


 そこで一度言葉を切ったロイズは、二人から視線を逸らす。誰かと目を合わせていられない程に、彼女は自らの過去と葛藤している。


「そしていつしか、彼を閉じ込めていた牢獄から、叫び声が消えたのだ……」


 それは言葉尻だけを取れば、悪くないことのように思えた。けれど、それがそんな簡単なことでは無いということは、ロイズの雰囲気を見ていれば、想像に難くない。


「慣れというのは、人間の中に眠る恐ろしい性質だと私は思う。慣れてしまえば大体のことは受け入れられてしまう。それがどれだけ自分の身体を痛めつけるものであってもな」


 つまりガリアスは、痛覚や感情といったものを失っていった。痛みや苦しみ、悲しみといった人間に備わっているはずのものが彼から奪われた。


「それぐらいの頃だろうか、彼が力に目覚めたのは……」


 そして、彼の中の化け物が目を覚ました。人間を捨て、化け物に心を売ったガリアスは、人が持つべき物を投げ捨て、自ら化け物になる道を選んだ。いや、化け物にならざるを得なかった。そうしなければ自分が壊れてしまうから。


 彼は自らを守るために、化け物へと成り果てのだ。


「王はその力に気づくと、ガリアスを最前線で戦わせるようになった。それから、王の拷問は減った。ガリアスはそこに救いを求めたのかもしれない。戦えば、これ以上自分が化け物になる必要は無いと」


 痛覚や感情がなくなっても、幼少期の記憶が彼の心を縛り付ける。拷問をされないことが彼の中では喜びになっていたのだ。


「彼はその力で王に逆らうことよりも、王のためにその力を使うことで自らを守っているのだ。幼少期の記憶が今もなお、彼を縛り付けている」


 ロイズは過去を顧みるように、屋根と屋根の間から覗く夜空を見上げる。そこには天に広がる星々が輝き、煌々と太陽のない地上を照らしている。


 ロイズはまるでこの星の中から一つだけを探し出すように、過去の記憶から何かを探しているのだろうか。


「彼を化け物にしたのは、私たちだ……。私たちが弱かったから、彼は化け物になるしかなかった」


 力があるにもかかわらず、逆らうことよりも、従うことを選ぶほどの拷問。それは、アカツキが想像できる域を遥かに超えているのだろう。


 拷問そのものよりも、記憶という名の拷問が、抵抗という名の未来をも容易に壊し得る。


 化け物に変わってしまった人間を、自分は救い出すことができるのだろうか。それだけの力を、自分はこの手に掴めているのだろうか。


 自分の中の何かが、土台を失ってぐらつくのを感じる。恐怖や不安、そういった感情に押されてしまえば、自分の中に積み上げてきた勇気や覚悟が、いとも容易く崩れ落ちるのではないか。


「このままではこの国はいずれダメになる。力で抑えた化け物に頼りきって、誰も力をつけようとはしない。ガリアスがいなければ、この国はもう終わりだ」


 戦争が起きようと、ガリアスが全てをその手で片付ける。だから、兵士たちは自分たちが力をつける必要などないのだと、誰も修練に励まなくなる。


 一度浸かったぬるま湯からは、そう簡単に出ることはできない。後はただ、怠惰を貪り堕落していくだけだ。この国の兵士団は、そうやって破滅への道を辿っている。


「無理を言うつもりはない。だが、もし本当にできるならば……」


 自らも既にその道に踏み込んでいる自分が、そんなことを言う資格がないことは理解している。この国と関係ない彼らに、こんなことを頼むのはお門違いだと理解している。だが、そうだと理解していても、藁にも縋り付いてでも、変えたいものが、自らの心に嘘をつけないことがある。


「頼む、この国を救ってはくれないか?」


 ロイズは深々と頭を下げる。一国の兵士団の士官が、余所者である、しかも逆賊かもしれない二人にだ。こんなことあってはならない。この事実が知れ渡れば、彼女も唯では済まない。


 だが彼女もまた、それだけの覚悟を持ってこの行為に及んでいるのだ。それは、今日初めて出会った二人でもわかる。


 二人を見逃して欲しいという話が、いつの間にかこの国のために戦って欲しいという話にすり替えられていた。それがなんだかおかしくて、アカツキは苦笑しながら答えた。


「約束はできません。でも、期待に応えられるように精一杯尽くします」


 悪く無いとそう思った。彼女と会うまでは、たった一人の女の子の為に、アカツキは覚悟を決めていた。けれど、これで背負わなければならないものが二つになった。


 期待や背負うものの数が多ければ多いほど重圧も増えるが、それ以上に勝たなければならないと、自分の中に力が湧いてくる。一人では決して発揮することのできない力が、アカツキの中でゆっくりと火を灯し、少しずつそれが大きくなって熱を増していく。


 アカツキの答えを、そして覚悟を聞いたロイズは静かに頷き、もう一度微笑んでからこう言った。


「こうなれば私も協力せざるを得ないな。これから私たちは協力関係だ」


 そう言いながら、ロイズは自らの手を二人に向けて差し出す。それに応えようとした二人だったが、ロイズが不意に不思議そうな表情を浮かべた。


「そういえば、二人の名前を聞いていなかったな……」


「アカツキ・リヴェルです。協力関係を申し出てくれたこと感謝します」


 改めてロイズが差し出した手をアカツキが握り返す。女性にしては大きくて、それでも握り締めた柔らかさはやはり女性的で。そんな風に女性を感じてしまったせいで、アカツキの頬が少しだけ紅潮する。


「ヨイヤミ・エストハイムです。協力者そしてはこれ以上ないわ。これで、ロイズさんの運命も、僕らに託された訳や」


 そんなヨイヤミの言葉にロイズは思わず苦笑する。


「協力関係を持ち掛けたのはむしろ私だ。それに、お前たちのような子供に責任を押し付けるほど、私は落ちぶれちゃいない。自分の決めた道に責任を持つのが、大人の務めだ」


 そう言いながら、生意気を言うなというようにヨイヤミの手を握る自らの手に力を込める。


「それにしても、これで私も逆賊だな。ふむ、なってみると案外悪くないような気がしてきた」


 などと暢気なことを言い始めるロイズに、今度はヨイヤミが苦笑を漏らす。


「なってみるとって、まだ何もやってないやろ。今ならロイズさんは僕らを裏切っても、還る場所がある訳やし」


 実際に行動に移していない今なら、まだ彼女は二人を裏切る可能性だって拭い切れない。


 けれど、そんな二人の不安を消し去るかのように、力強い眼差しで二人を射抜きながら、自らの胸を二、三度叩いた。


「私が裏切るような人間に見えるか?」


 それだけ自信満々に言われてしまえば、否定などできるはずもない。それに、最初わかっていたはずだ。彼女がそんなことを平気でするような人間では無いと。


 今出会ったばかりのはずなのに、何故だか彼女のことを信頼しても問題ないと確信が持てる。これが『ロイズ・レーヴァテイン』という女性が持つ、カリスマ性なのかもしれない。


「改めて、この国をよろしく頼むぞ」


「「はいっ!!」」


 こうして、ロイズを加えた三人きりの反乱が幕を開けようとしていた。







 二人はロイズに薦められた宿屋で羽を休めていた。流石にこのままの勢いで王宮に突入する訳にもいかないということになり、今日の襲撃は延期となった。


 しかし、ロイズの協力を仰げることになった上に、王宮への侵入経路まで教えてもらえた。敵の内部に味方がいると思えるだけで、気持ちの持ち様が全然違う。


 宿屋に着き、自らの部屋へと入った途端、ヨイヤミがストンと力無く膝から崩れ落ちた。


 突然のことに驚いたアカツキが「どうした?」と駆け寄ると、ヨイヤミは放心状態でうなだれていた。


「あ~、緊張した。よかった~、いきなり僕らの作戦が終わるかと思った」


 ヨイヤミは重荷が急に取り払われたかのように、深く安堵の溜め息を吐く。それくらい、凄まじい緊張感の中、ヨイヤミは平静を装っていたのだ。アカツキはそんなヨイヤミを素直に凄いと思った。


「それにしても、一人でいるときに、あんなことを調べてたんだな。やっぱりお前は凄いよ……」


「やから、知識は武器やて言うてるやろ。それにしても、鉢合わせたのがあの人でホントよかったわ。自分の運の良さに感謝やわ」


 余程の緊張していたのか、どうやらすぐには立てそうにない。膝はガクガクと震えており、拳もアカツキが見てもわかるくらいに震えていた。そう、震えているのは掌ではなく拳、あまりにも強く握り締めていた拳がどうやら解けなくなってしまったようだ。


「まだ震えが収まらんみたいや」


 ヨイヤミはその震えを隠すために、ロイズとの会話を交わしている間、ずっと拳を握り締めていた。そうしていなければ、すぐに緊張の震えが身体を支配しそうだったから。


「お疲れ様」


 アカツキは素直で真っ直ぐに、ねぎらいの言葉を掛ける。今のヨイヤミには軽口を叩くことも、茶化すことも許されない気がした。ヨイヤミがいなければ二人の作戦は終わっていたのだから。


「肩貸そうか?」


 本当に動けなさそうなヨイヤミを心配してアカツキが助け舟を出す。それくらい誰が見ても酷い有様だった。


「今日は甘えとこうかな。本当に動けそうにないわ」


 ヨイヤミも変な意地を張ったりはしない。自分の身体が言うことを聞こうとしていないことを、本人が一番良くわかっている。


 アカツキがしゃがみこんで自らの肩を差し出す。ヨイヤミも素直にその肩に腕を回して、自らの体重を預けると、アカツキはその身体を軽々と持ち上げる。


 アカツキが立ち上がると、少しだけヨイヤミの踵が浮く。少しだけ小さなその身体に、いったいどれだけの知識を溜め込んでいるのだろう。身体が少し大きい自分など、彼の小指ほども役に立てていないのではないだろうか。


「何か余計なこと考えてるやろ」


 そんな風に自らを卑下していると、突然耳元でヨイヤミが悪戯な笑みを浮かべながらそう呟いた。自分の心を読まれているようで、あまりいい気はしない。


「どうしてそう思った?」


「何となくな……。これだけ近くにおれば、アカツキの心臓の音も少しは聞こえるし」


 心の乱れが脈拍の乱れに繋がっていた。ヨイヤミはそれに気づいただけだ。


「これから大一番が待ってるって言うのに、アカツキは余裕やな」


 正直、扉からベッドまでの距離はさほど遠くない。普通に歩けば、一言二言言葉を交わしている間にヨイヤミをベッドに届けることはできる。でも、自らの脚が言うことを聞いてくれない。


「余裕なんかじゃない。本当は怖くて怖くて仕方ない。だから、目を逸らす為に余計なことを考えているのかもしれない」


 自分でも無意識な内に、これから怒る戦いのことを避けていたのかもしれない。


「戦うの、辞めるか?」


 「辞める」と言ってしまえればどれだけ楽になれるだろうか。本当は言ってしまいたい。言って、この国から逃げ出したい。本音を漏らせば、そんな弱音がばかりが溢れ出す。


 それでも、アカツキは首を横に振る。それはできないと、アカツキの心の奥底にある根元が、決して首を縦には降らせない。


「失敗は許されない。失敗すれば俺たちはきっと死ぬ」


 砂漠での戦いとは訳が違う。今回は逃げ場など何処にもない。そんな戦場に自ら足を踏み入れるのだ。


「それでもやるしかないんだ。ここで逃げたら、きっと俺たちはもう、この先踏み出せなくなる。逃げ癖がついて、何からも逃げてしまうようになる」


 戦って訪れる『死』は本当の『死』ではない。戦う勇気の有るものは必ずその姿を誰かが見ていてくれる。だからきっとその先も、その誰かの中で生き続けられる。


 けれど、戦わずに逃げ出してしまったら、逃げ出した自分を見てくれる人など誰もいない。いずれ誰からも忘れ去られ、本当の『死』を迎えてしまう。


 命を失うのは確かに怖い。でも、誰の記憶にも残らないのはもっと怖い。


「俺は逃げない。命を落としても、悔いだけは残さない」


 アカツキの真剣さは顔を見ていればわかる。だから、彼がどれだけ背負い込んでいるのか、その横顔を見れば理解できる。だから、少しでもその重荷を分け合うために……。


「気張り過ぎんなよ。そんなに堅くなってたら、勝てるもんも勝てへんわ」


 体重を預けているアカツキの方をポンっと叩きながら、ヨイヤミは努めて柔らかい声音でアカツキに語りかける。彼の緊張を少しでも解して上げられるようにと。


「ヨイヤミは、俺が勝てるって信じてくれるのか」


 肯定するのは簡単だ。言葉で言うだけなら、いくらでも選択肢は探し出せる。でもきっと、そのどれもが、今のアカツキには薄っぺらく聞こえてしまう。だって、自らを信じられていないのだから。


「信じとるって、そう言って欲しい訳やないんやろ。だったらそんな意地悪な質問するなや」


 どう言われたかったのか、それはアカツキ自身にもわからない。でも、信じていると言われたかった訳ではないことは、自分の中でも頷ける。


「だから、僕が言えることは一つや」


 そうやってわざと間を空けるヨイヤミに、アカツキは自らの右肩に視線を移す。そこには、いつもの邪念の消え去った、真っ直ぐな微笑を浮かべるヨイヤミがいて。


「帰って来い。何があったとしても、僕の元に帰って来い」


 「戦いに勝て」などとは言わない。自分がアカツキのことをどう思っているかも言及しない。


 それでも、アカツキに守って欲しい約束は、確かな形を成してそこにある。


 何があっても、どんな結果になっても構わない。必ず、ここに帰って来いと。ここに、お前の帰る場所があると。


 それだけでアカツキの心は救われる。それが欲しかった答えなのかはわからない。それでも間違いなく、ヨイヤミに問い掛けた意味はあったと思える。


「ありがとう」


 戦う覚悟が確かなものとして、アカツキの中にある訳ではない。


 他人に刃を向けることも、誰かの命を奪うことも、化け物に立ち向かう勇気も、今のアカツキには砂のように不確かで、風が吹けば簡単に掌から零れ落ちていく。


 でも、こうやって帰りを待ってくれる存在が今の自分にはある。帰るべき場所があるなら、必ずそこに帰らなければならない。


 それだけは、確かな輪郭を象って、心の中に宿っている。


「必ず生きて帰ってくる」


 アカツキはゆっくりとヨイヤミをベッドへと横たわらせると、「おやすみ」と一言残して、自らも眠りへと落ちていった。今日はいつもよりも深い眠りに就けるような、そんな気がしていた。






 砂漠の国の夜の静けさ。太陽が落ちれば、震え上がるほどの寒さが待ち受けている。


 その寒暖差に街に顔を覗かせる者などほとんどいない。平和が続くこの国では、衛兵すらもその寒さに室内で丸くなっている。この国を襲う馬鹿など、誰もいないと言わんばかりに。


「じゃあ、後は頼んだぞ」


 漆黒の闇に覆われた砂漠の国に、白き仮面で顔を隠した二人の少年。約束を交わすかのように、お互いの腕と腕をぶつけて、二人は別々に動き出す。


 一人は夜の町並みに、一人は王宮へとそれぞれの目的を果たすため踏み出した。


「それじゃあ、行くで」


 錆び付いた警鐘が、夜の砂漠の国に響き渡った。


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