失くしてしまったもの

「悪かった。突然、お前たちを襲ったりして」


 謝られてもやはりその事に身に覚えがない。むしろ襲い掛かったのはこちらの方だと記憶しているが。


「数日前、戦闘意思のないお前たちに襲い掛かるガリアスを、私はただ眺めていることしかできなかった」


 そこまで説明されて始めてヨイヤミの中で合点がいく。というか、直接的にこの人が関係のある話ではないではないか。どうやら人伝で聞いていた人物像のまま、どこまでも御人好しな性格なのかもしれない。それならば、これから先の交渉も進めやすい。


「それをあなたに謝られても困ります。謝って欲しい相手は他におりますから」


 顔を上げたロイズの表情は決して明るいものではなかった。何かを噛み締めるような、痛みを帯びた表情。その表情の理由をヨイヤミは視線で促す。


「彼は、謝ることなどできない。そういう風に育てられている」


 アカツキたちを襲ったあの男を、その脳裏に浮かべているのだろうか。ロイズの表情はとても痛ましく、視線は再び地面へと帰っていく。


「それを容認し、そんな彼に甘えてきた私たちもまた同罪だ。私たちにも、君たちに謝る義務がある」


 『この国の人間全てにな』とロイズは神妙な顔つきでその言葉を締めた。


 つまり、あの男はたった独りでこの国をこの地位まで引っ張りあげたのだ。他の者たちは皆、彼の後ろに隠れながら、その地位を、この平和を甘受している。だから彼の行いは、この国全ての責任だと。


「それで、どうして私の名を知っていた?」


 突然の話題の展開にヨイヤミはハッとして眉を上げる。よくよく考えれば、自分がやっていることは一種のストーカー行為に等しいではないか。それを理解した瞬間、脳天に向かってドッと熱が這い上がってくる。そして、少し恥ずかしそうに頭を掻きながら言葉を紡いでいく。


「すいません、色々とこの国について調べさせてもらいました。その時にあなたの名前を耳にしたんです。女性の士官と聞いていたので、出会った時にあなただと確信しました」


 「そうか……」とロイズは顎に手をやりながらつぶやくように小さな声で頷く。交渉に入るまでは下手に情報を包み隠さず、とにかく怪しまれないように持っていかなければ。


「この国を調べていた理由は?」


 まあ、真っ先にその質問が来るのは予想していた。それでも困惑した表情を隠すことはできない。不自然な間が空く。ロイズも急かすようなことはなく、ヨイヤミが口を開くのを静かに待つ。


 アカツキもヨイヤミの考えに従うつもりだ。ここでヨイヤミの考えを邪魔するような真似はしない。彼が答えるのをただジッと待った。その答えによって、状況が一変することも覚悟して。


 短くない沈黙が通り過ぎたあと、一度息を呑んだヨイヤミは小さく頷いて口を開いた。


「僕らの目的は、この国の奴隷解放です。そのために、今夜王宮を襲撃するつもりでした」


 ヨイヤミの言葉を耳にした者たちがそれぞれの反応を見せる。ロイズの視線には力が宿り、アカツキの瞳には驚きが宿る。


 ヨイヤミは真実を隠すことなくロイズに告げた。それはヨイヤミにとっても大きな決断だった。


 まだロイズの人となりを量り切れた訳ではない。それを聞けば表情を一変させて襲い掛かってくるかもしれない。これはヨイヤミにとって大きな賭けだった。


「それを私が聞いて、黙って見逃すと……」


 ロイズの纏う雰囲気が一変する。元々鋭い瞳がさらに鋭さを増す。突如増した緊張感にアカツキは思わず構えを取って状況の変化に備える。あくまでも、ヨイヤミの邪魔になるようなことはしたくない。


 だが、ヨイヤミはあくまで冷静に、一切の動作を見せずにロイズに相対した。


「黙って、とまでは思っていません。そんな人が、一国の兵士団の士官になれるとも思っていませんから」


 ヨイヤミはあくまでも平然と言葉を述べる。もちろん内心は必死で頭を回転させて、最善の答えを死に物狂いで探しているが、それを隠すことができるのがヨイヤミの度量である。


「ならどうして?」


「あなたなら、そうやって僕らの話に耳を傾けてくれると思うたからですよ」


 ヨイヤミが笑みを浮かべて相手の緊張を解かせる。あくまでも今は戦闘の意志はないと、だからそちらも構えを解いてくれと、言外に告げる。


「レーヴァテインさん、あなたはこの国に相当の不満を抱えとる。違いますか?国の体制にも、兵士団の方針にも納得はしてないはずや」


 ヨイヤミの口調が少しずつ砕け始める。自らのペースに持っていこうとしていることがそれだけでもわかる。だが、ロイズの鋭くなった視線はそう簡単には崩れない。


「何故そんなことをお前が知っている。それも調べたのか?」


 ロイズは息を飲みながら、表情を歪ませて焦りの色を見せる。もちろんその表情こそ、ヨイヤミの質問に対する肯定に他ならない。


「はい、とある居酒屋の店主から色々と話を聞けましたので」


 ニコッと、それはもう晴れやかな笑顔を見せるヨイヤミ。


 ヨイヤミの言葉にロイズも心当たりがあるらしく片手で頭を抱えながら、疲弊しきった顔を見せる。どうやら行きつけの居酒屋らしく、よく愚痴を溢しているようだった。


 それにしても、わざわざ貧民街で飲んでいるというのは、よほど庶民的なのか、それとも富裕街では間違っても溢すことのできない愚痴を溢しているのか。


「で……、私に話というのは、その襲撃の片棒を担げということか?いくら私がこの国のやり方に納得していないからっといって、賊に力を貸すほどこの国を見限ったつもりは無いぞ」


 当然の答えだ。もちろんヨイヤミもそうだろうと予想していた。彼女はあくまでも根は真っ直ぐで、愚痴を溢すようなことがあっても、裏切るような真似をすることは、よほどの理由が無い限りないだろう。


 だからヨイヤミは小さく首を左右に振りロイズをもう一度見据える。


「別に力を貸して欲しいって訳やないです。ただ、今日のことは見逃してくれると、嬉しいなって思てます」


 あくまでもロイズはヨイヤミを威嚇するように睨んでいる。見逃すということは、今日以降必ずもう一度この国を襲撃するということだ。それを黙って見逃すことなど、この国の一士官として見逃す訳にはいかない。


「そもそも、お前たちのことをどうして私が信じることが出来る?お前たちがただの賊で無いと、どうして言える」


 ロイズは攻撃的な態度を解かない。答えによっては、このままもう一度剣を抜くという勢いだ。何故なら、その手は既に剣の柄に添えられている。


 だから、ヨイヤミも精一杯真面目な表情を作り、彼女に訴えかける為の言葉を自らの引き出しから引っ張り上げる。


「正直、今あなたにそれを信じさせられるものは何もありません。僕たちには僕たちの言葉を信じてもらえるだけの時間がありませんから」


 ヨイヤミは言葉を探るようにゆっくりと語る。その間、ロイズは邪魔をすることなく、ただ黙ってヨイヤミの言葉に耳を傾ける。


「だから、僕たちに出来るのは信じてくれと訴えることだけです。僕らは誰も殺すことなく、この国の奴隷を解放する。そのためにここにいます」


 全てを信じてもらえるなどとは到底思っていない。それでも、この必死さだけは伝わって欲しい。


「どうか今夜は見逃してはもらえませんか?」


 これが自分なりの誠意だと言わんばかりに、ヨイヤミは深々と頭を下げる。その態度に、ロイズも攻撃的な態度を解かずにはいられない。


「誰も殺さずに我々を抑え、その上であの国王から奴隷解放を宣言させるつもりか。そんなこと本当に出来ると思っているのか?」


 『できる』と断言できるほどヨイヤミは強くない。だからそこに、小さな間が生まれてしまった。しかしそれを埋めるようにして、ヨイヤミの背後から一人の声がその場に投げ込まれる。


「出来るか出来ないかじゃない。俺たちはやらなければならないと思うからやるんだ」


 今まで黙って二人の様子を伺っていたアカツキが、急に二人の会話に口を挟んだ。普段、こういった交渉ごとには口を挟まないアカツキが、突然現れたことにヨイヤミは驚きを隠せないでいた。


「この国は、いや、この世界はもうどうしようもなく追い詰められている。戦争や反乱、それに奴隷制度。世界中が今にも崩れそうなバランスの中、なんとかその均衡を保っている」


 アカツキの視線が真っ直ぐにロイズを射抜く。その意思の強さに答えるように、ロイズも真正面からその視線を受け止める。


「でも、俺たちに世界中の戦争や反乱を止める力はない。そもそも、俺たちに人を殺す覚悟を持つ勇気がない」


 アカツキの中の葛藤が表情に浮かび上がる。それはレジスタンスでの記憶が生み出す、アカツキの中に刻まれた痛み。実際に経験した痛みだからこそ、その表情がその迫真さを語っている。


「兵士団の人からしたら不殺なんていうのは甘い考えなのかもしれない。それでも、それが俺たちが出した結論なんです。あなたが引く気がないと言うのなら、俺は力ずくでもそこを通ります」


 多少議論からズレているが、彼女にこちらの意思を伝えるには十分な演説だったように思う。だからヨイヤミはアカツキの介入を、ただ黙って聞いていたのだ。


 ロイズの表情には迷いや葛藤、そしてどこか敬意を表する眼差しが伺える。それだけで、アカツキの言葉には意味があったのだと確信できる。


「人を殺す覚悟か……。私はそれを、弱さと呼んでいるよ」


 自嘲気味な笑みを浮かべながら、ロイズはか細い声を漏らす。まるで何か懺悔をしているような、そんな口調に二人は言葉を挟むことはできない。


「お前たちの言う通り、私は軍人だ。誰かを守るために誰かを殺すことを善しとする人間だ。それを間違えているとは言わないが、決して正しいとは思っていない」


 これまでも何人もの人をその手で殺めてきた。既にその手は真っ赤に染まり、理由があれば迷い無く人に手を掛けることができるだろう。でもそれは、本当に自分が掴み取りたかったものだろうか。


「自分が弱いから、その選択肢を選ばざるを得ないだけだと、私はそう思っているよ」


 自分に力があれば、もっとやり方があったはずだ。自らの弱さが、行き着く未来の道を狭めてしまっているだけなのだ。


 だから必死に葛藤した。自分の弱さを知り、自分の弱さと戦い、自分の弱さを克服しようとした。けれど、『資質持ち』という巨大な壁を見せ付けられて、自分の弱さに抗う意思は、音を立てて崩れ落ちた。


「だから、人を殺す覚悟が無いというのは、あるいみ強さの証なのかもしれない。弱い者は、自分の大切なものを守るために、誰かの大切なものを奪うしかないんだよ」


 二人のことを素直に羨ましいと思った。だって彼らは強いのだ。あれだけの力の差を見せられて、それでもこの地に立つ勇気がある。ガリアスとの戦いに勝算があると、そう思えるだけの力がある。それが、どうしようもなく羨ましかった。


「お前たちは本当に、誰も殺さずにこの国の奴隷たちを救えると、そう思っているのか?」


 ロイズの言葉にアカツキはいつもよりも、覚悟を込めた重く低い声ではっきりと返事をした。


「私が失くしてしまったものを、お前たちは持っているんだな……」


 ボソリとロイズがそんなことを漏らす。その表情はどこか寂しげで、どこか遠くを眺めるように視線を空へと向けていた。


「お前たちは、二人とも資質持ちなのだろう?ガリアスとの戦いを見ていればわかる」


 資質持ちという言葉を平然と使うことに、ヨイヤミは少し驚きを覚える。その言葉を、資質持ち以外から聞くことはほとんどないから。


「確かに、人間相手ならそれも可能なのかもしれないな」


 彼らにとって自分は、自分が口にした『人間』の一人に過ぎないのだ。それがどうしようもなく悔しくて、恨めしくて、羨ましかった。


 ロイズはそこで言葉を切ると、空に向けていた視線を二人に向ける、まるで覚悟を問うかのような視線を。何故なら、ここにいるのはそんな『人間』だけではないのだから。


「だが、ガリアスはどうする。お前たちは、彼に一度敗北しているのだろう?」


「勝てるかどうかなんて、誰にもわかりませんよ。ただ俺は、全力で戦うだけです」


 それがアカツキの答え。自分が全力を出して負けたのであれば、自分はそこまでの男だと、そう覚悟を決めている。人を殺す覚悟が無いと言っていた男が、ずいぶんと腹を括っている。


「それにしてもガリアスっていうのは、俺たちが戦った、あの資質持ちの名前なんですよね?」


 突然のアカツキから問い掛けに、最初は何を問われているのか戸惑ったが、よく考えれば余所者のアカツキたちがそれを知らないのは無理も無い話だと悟る。


「ノックスサン国王セドリックに遣える奴隷『ガリアス・エルグランデ』。彼もお前たちと同じ資質持ちで、いくつもの戦争で我々の前に立ち最前線で戦い、ほぼ独りで戦争を終わらせてしまうような強者だ。いや、あれは最早、化け物だな」


 資質持ちの奴隷。一度ぶつかっただけで、彼の力が凄まじいことはこの身体に刻まれている。


 彼女が『化け物』と形容したことも、いちど拳を交わしたアカツキならば頷ける。何故なら、同じような感想を彼に抱いたから。彼の戦う姿は、まるで人間を捨てているかのようだった。


 だが、それならばどうして彼は誰かに従い、あまつさえ奴隷などという身分に収まっているのか。


「レーヴァテインさん、どうしてガリアスはその王の下を離れないんですか。それだけの力があれば、そんなこと容易いですよね?」


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