運命の邂逅

 それから数日して、二人はようやく富裕街への門を通ることになる。ヨイヤミの情報収集が満足いくまで終わり、アカツキは迷いなくその決定に首を縦に振った。どうやら、少しは自分の中の迷いに向かい合うことができたようだ。


 陽が完全に落ち、気温が下がりきった頃、二人は大通りから外れた迷路のように広がる枝路を、迷いなく右へ左へと曲がっていく。ここ数日を掛けてヨイヤミが作り出した見取り図で、この周辺の地図はしっかりと頭の中に入っている。


 いつもの格好に黄土色の外套を纏い、顔は商店で売っていた白い簡素な仮面で隠している。夜の砂漠の、しかも昼の間もあまり陽が入らないこの路地裏は、生身の人間が薄着ではとてもではないが歩けない。けれど、二人には王の資質の力があるお陰で、ある程度体温のコントロールができるのだ。


「アカツキ、ちゃんと付いて来れとるか?」


 颯爽と走る二人の先頭を行くのは常にヨイヤミだ。誰かに見られる可能性を考慮して、立ち止まったり、後ろを振り返って確認したりすることはしない。だから一度だけ、随行するアカツキに声を掛ける。


「当たり前だろ。俺がお前に足の速さで負けるかよ」


 どうやら軽口を叩けるくらいには余裕があるらしい。それくらい余裕があってくれなければ、これから戦う相手と万全の状態で戦うことはできないだろう。何しろ一度は、完敗している相手なのだから。


 その記憶が脳裏を過ぎれば、怖くて身が震え上がっていてもおかしくはない。


 もしかしたら強がっているだけなのかもしれない。ヨイヤミの中には止め処ない迷いが渦巻いている。


 何故ならヨイヤミ自身、本当は足がすくみそうなほど怖かったから。必死に隠しているだけで、あれだけの力量の差を見せられて平気なはずがない。


 アカツキは迷いや戸惑いといった感情を隠すのはとても下手だ。しかし、恐怖や痛みを隠すことだけは器用にできてしまう。それだけが、ヨイヤミの中でアカツキの扱いにくい部分だった。


「言うやないか。だったら、もう少しスピード上げたるわ」


 アカツキが抱いている感情の全てを理解しているなどと、そんな大口を叩くことはできない。


 人の心なんて、そんな単純にできていないのだから。だから、信じるしかないのだ。わからないのであれば、ネガティブに考えるのではなく、ポジティブに受け止めておこう。それがきっと、お互いにとって、最善の選択肢なのだ。


 本当は言葉にし合えば、もっと分かり合えるのかもしれない。けれど、言葉にしてしまえば恐怖は輪郭を持ち、暗闇の底から這い上がってくる。そうなれば、どれだけ器用に隠していても、恐怖は明確な形を持って心臓を鷲掴むだろう。





 富裕街への侵入は案外容易に済んだ。人気の少ない枝路を行き、富裕街と貧民街を隔てる壁の中で、最も低い場所へと辿り着く。


 グランパニアの後ろ盾を得てからはすっかり平和ボケしたこの国は、警備はあまりにも緩慢で、隔てた二つの街を行き来する門以外は、ほとんど目が行き届いていない。


 王の資質の力を持ってすれば、自分の二倍くらいの壁を飛び越えることなど朝飯前だ。二人は路地を疾走していた勢いそのままに、地面を蹴って壁に手を掛け、そのまま壁を飛び越えて富裕街へと足を踏み入れた。


 ここから先は未踏の地だ。ヨイヤミが集めた情報によって視覚化された地図はあったが、それ以外の情報はない。


 ヨイヤミが予想していた通り、富裕街と貧民街の関係はあまりよくない。だから、少し仲良くなれば、富裕街の裏道や抜け道などの情報は貧民街で容易に手に入れることができた。


 まあ、情報を教えた当の本人は、こちらが子供ということもあり、悪戯をするくらいにしか思っていないだろう。明日の朝には顔面蒼白になっているかもしれない。本当になってくれれば良いのだが……。


「こっからは貧民街よりは警戒していくで」


 いくら警備の目が甘いとはいえ、貧民街と比べれば多少は夜も目を光らせている。まあ、警備が何処にいるかも、ヨイヤミは大体把握しているのだが。


 アカツキは声を出さずに頷くと、ヨイヤミが手で出す合図に従ってその後を付いていく。


 どうやら、貧民街で手に入れた情報はほとんど正しかったようで、道もほとんどヨイヤミが書いた地図通りになっており、警備にも一度も出くわさずに済んでいる。


 これは王宮まで苦労せずに行けると、ヨイヤミが心の中でフラグを立てた途端、そろそろ夜の悪い視界の中でも王宮が確認できそうというところで、しっかりとフラグが回収された。


「誰だ!?」


 くぐもった声は、仮面の下から告げられている証。その声はアカツキよりも後方から聞こえてくる。アカツキは言うが早いか、咄嗟に身を翻しその声の主に向かって肉迫した。


「何だっ!!」


 兜の下から驚きの声が上げられるが、しかしやはり一国の軍人。その対応は素早く、アカツキが振りぬいた刀を咄嗟に受け止めた。


「何のつもりだ……」


 声から少し戸惑いの色が感じられるが、それでもその根元では落ち着きを保っている。恐らく、それなりの手練れだろう。剣の扱いで、アカツキが兵士団で鍛えられた使い手に勝てるはずがない。


「攻撃の意思があるなら、容赦はせんぞ」


 その言葉を皮切りに、相手はすぐにアカツキの刀を払い除けて次の攻撃に移る。突きの応酬がアカツキに襲い掛かる。アカツキは必死に刀で受け止めるが、相手の攻撃速度はアカツキの反応速度を凌駕している。


「相手の得物が届く範囲に入るな。剣術でお前が敵うはずがないやろ。下がれ!!」


 アカツキは相手の突きを受け止めるのに必死で、ヨイヤミの言葉のほとんどは聞き漏らしたが、最後の「下がれ」だけで瞬時に地面を蹴って後ろに後退した。


 どうやら相手は追ってくる様子は無い様で、切っ先をアカツキに向けたまま立ち止まっている。


「お前たち、いったい何者だ」


 遅れてきたのか、三人の兵士がこの場に駆けつける。どうやら不味い状況になってきたらしい。


 このまま援軍を呼ばれれば、こんなところで一戦を交えることになる。アカツキがガリアスと戦っている間、他の敵は一箇所に固めておきたいヨイヤミとしては、こんな広い場所で戦うのは得策ではない。


 ただ、今のやり取りで少しだけ希望が見えた。こちらの思惑通りに行けば、この邂逅はこちらの追い風となる。ヨイヤミはそんな風に、心の中で不敵な笑みを浮かべていた。


 だが、ヨイヤミの心の内など知りもしないアカツキは、かなりやばい状況になっていると思い込んでいる。ヨイヤミの指示が無い為に我慢をしているが、如何に敵を無力化するか、必死で頭の中を巡らせていた。


「何も答えないつもりか?ならば、こちらもそれなりの手段をとらせてもらうぞ」


 兜の下から聞こえる声は、くぐもってはいるが確かに女声らしさを残している。だが、それもわずかで、とても凛々しい声音に無意識に従いたくなる欲求に苛まれる。


 後ろには仮面を被ることなく、顔を露わにした兵士が三人。


 それだけの情報が揃っていれば、ヨイヤミとしては自身を持ってカードを切ることができる。


「無言は肯定と取らせてもらう」


 その女性兵が改めて切っ先を二人に向けて構えを取り直したのと同時に、ヨイヤミがアカツキの一歩前に出る。ヨイヤミの行動に疑念を抱く女性兵の鎧が、カチャリと金属同士が触れる音を響かせる。


 ヨイヤミはまるで戦闘の意思は無いと女性兵に向けて訴えかける様に両手をゆっくりと広げて、一歩、また一歩と近づいていく。


 そんな無防備な格好で近づいて来られれば、女性兵も迂闊に手出しすることはできない。


「それ以上動けば、この刃がお前の身を切り裂くぞ」


 威嚇する女性兵の切っ先はどこか震えているようにも見えた。当然だ得体も知れない者が、無防備でこちらに近づいてくれば、戸惑いもするし迷いも生まれる。


 その上、怪しい格好をしているとはいえ、その体躯は二人とも明らかに幼い。二人の体躯は年齢に比べて決して秀でているということはない。ヨイヤミはむしろ、身体年齢が実年齢に追いついていないくらいだ。


 女性兵の言葉にヨイヤミが流石にこれ以上は不味いと察して立ち止まる。ヨイヤミが立ち止まったことで、女性兵の小さな震えも少しは収まっていく。


 今一番不味いのは、後ろの兵士たちに援軍を呼ばれること。この国が平和ボケしているお陰で、すぐさま戦闘という荒っぽいことにはならないのは、ヨイヤミにとっては幸いだった。


 ヨイヤミはゆっくりと仮面に手を掛けて自らの素顔を晒す。それを見た女性兵の肩が少しだけ震えたのか、金属のすれる音が再び静かな路地裏に響く。


「お前はまさか……」


「ノックスサン王国兵士団、ロイズ・レーヴァテイン士官とお見受けする。少しだけ、僕らの話を聞いて欲しい」


 突然のヨイヤミの言葉に、アカツキもロイズと呼ばれた女性兵も驚きを隠し得ないといった状況になる。当然だ、会った事も無いはずの相手に突然名前を呼ばれれば、誰だってそういう反応をする。


 蚊帳の外に放り出されたアカツキに関してはヨイヤミの言葉を聞き違えたかと思うくらいに動揺していた。


「どうして、私の名前を……」


 その理由をヨイヤミはすぐには答えない。まずは邪魔な存在を排除することから始めなけば。


「その前に一つお願いをさせてください」


 そう確認を取りながらも、相手の答えが返ってくる前にヨイヤミは言葉を続ける。本当は相手にこちらの要求を聞く義務などないのだ。ならば先に全ての要求を述べた方が、相手にも考える余地を与えられる。


「レーヴァテインさんと個人的に話し合いをしたいんですが、そちらの方々に席を外してもらうことはできませんか?僕らと出会ったことは内密にという条件付で」


 傍から聞けば図々しいにも程がある要求だ。そんなものを聞く義務はロイズにはない。反故にされても、ヨイヤミは何も文句は言えない。


 無言の時間が流れる。決して答えを急かすことはない。考えてくれる余地があるというだけで、ヨイヤミとしては十分な反応だった。


 やがて、ロイズの切っ先が地面へと落ちていき、その刀身が鞘へと収められていく。どうしてその答えに到ってくれたのか、とある人物から彼女の人物像を聞いていたヨイヤミとしては、思い当たる点はいくつかある。


「お前たち、済まないが、ここであったことは見なかったことにしてくれ」


 どうやら向こうでは戸惑いの空気が流れているらしい。こちらの要求を何の取引もなしに呑んでしまったのだから当然だろう。だが、ロイズの中ではそれを受け入れる理由が確かにあったのだ。


 数日前、彼女は二人の少年を砂漠のど真ん中で見た。彼らには一切の攻撃の意思は感じなかった。けれど、ガリアスの警戒の網に引っ掛かってしまったばっかりに、二人は圧倒的な力に蹂躙されてしまった。


 他の者がその姿を見てどう思っているかは知らない。けれど、ロイズは申し訳ないと思ってしまった。今、目の前で生きている彼らが現れてくれたことに安堵した自分がいるくらいだ。


 だから、彼らの要求に無理が無ければ、聞いて然るべきなのだ。それが、唯一自分ができる彼らへの償いだと思ったから。


 やがて、三人の兵たちが納得できないといった表情のままその場を後にした。納得ができなくとも、上司が下した決断に誰も逆らいはしなかったのだろう。


 彼らの姿も夜の街に消え、三人だけがその場に残った。お互いに出方を伺うような無言の時間。けれど、向こうが顔を露わにしているのに、自分が隠したままでいることを失礼だと思ったロイズが、兜を外してその表情を露わにした。


 武人の凛々しさと聡明さを遠目でも感じさせるような、美しい顔立ち。兜を外すと胸に垂れそうなぐらいの長さの藤色の髪を、後ろで一本に纏めていた。少し鋭さを帯びた瞳は、森を思わせる深緑をしていた。


 ロイズが兜を外す姿を見て、アカツキも慌てて自らの顔を隠していた仮面を外す。


「どうして、こちらの要求を呑んでくださったんですか?」


 理由など本当はどうでもよかった。要求を呑んでくれた時点で、ヨイヤミとしての目的は達している。けれど、これは彼女の人となりを知るいい機会だと感じた。あくまで彼女の人物像は人伝で聞いているだけだから。


「謝りたいことがあったから、かな……」


「謝りたいこと?」


 身に覚えのないことを言われたヨイヤミは不思議そうに小首をかしげる。その反応に、彼女は小さく微笑むとゆっくりと頭を下げた。


「悪かった。突然、お前たちを襲ったりして」


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