変わりたい
「それで、別行動している間、お前は何やってたんだよ?」
残念ながらアカツキが求める風呂は無く、それでも何とか水を買って身体を拭いたアカツキたちは、宿屋の布団に包まりながら月明かりの元、薄暗い部屋の中で話し合っていた。
「情報収集ってところや。まあ、アカツキの性格上、戦うっていうのは何となくわかってたし」
だから、戦うための準備を進めていたと、ヨイヤミはそう言った。『どんな答えを出しても受け入れる』と彼はそう言った。
けれどそれは、ただ一方的に受け入れるという訳ではない。どんな答えを出そうとも、それを受け入れるだけの準備をしておこうという、彼なりの宣言だったのだ。
「それで、何か有利になりそうな情報は手に入れられたのか?」
ヨイヤミは何かを企むような笑みを浮かべながら答える。月明かりだけが照らすその笑みは、いつにも増して余計に不敵に見える。
「まあ、使い方次第ってところやな」
「なんだよ、もったいぶらないで教えろよ」
「敵を騙すにはまずは味方からって訳でもないけど、まあこの情報を使うのにアカツキは必要ないから、今のところは黙っとくわ」
アカツキは微妙な表情を浮かべながら、納得いかないというようにヨイヤミをジッと見る。どうやら、まだそういった面での信用は得られていないらしい。まあ、自分にも色々と落ち度はあるから強くは言えないのだが。
「まあ、もう少しこの国を探る必要はあるやろうな。正面突破も悪くはないと思うけど、少しでも魔力は残しておきたいところやし」
資質持ちではない兵士と戦うにしても、少なからず魔力は削られる。だが、そんな多少の魔力ですら、ガリアスとの戦闘に残しておきたいというのが本音だ。
「本当は、二人で協力してあのデカぶつを倒したいとこやけど……」
この国から奴隷を解放しようというのであれば、この国に戦争を仕掛けて勝つ他ない。だが、こちらはたったの二人しかいない。いくら二人とも資質持ちとは言え、百を超えるであろう兵士たちを相手にするのは骨が折れる
「まあ、片方は他の兵士たちの足止めになるよな」
ヨイヤミの言葉を継ぐようにアカツキがこれから自分たちに訪れる現実を述べた。
「まあ、そういうことや。つまり、あのデカぶつとは、一対一で戦う必要があるってことやな」
ヨイヤミが神妙な顔つきで顎に指をあてる。自分がヨイヤミの考えに勝るわけがないと理解しているアカツキは、ヨイヤミが答えを出すのをただ黙って待った。
「僕らが勝てる可能性としては、魔力の相性とアカツキの持つ退魔の刀ってところか」
王の資質にはそれぞれ相性がある。アカツキとヨイヤミが持つ『火』の要素エレメントとガリアスが持つ『氷』の要素は相性が良い。アカツキの魔法をガリアスが相殺しようと思えば、倍近い魔力を必要とするのだ。
「まあ、正直あのデカぶつの魔力は、僕らの倍なんかに収まるもんじゃないやろけど」
ただ、彼と同じレベルの資質持ちと戦うのであれば、『氷』の要素では勝ち目など微塵もないだろう。相性はそれくらいに戦争の勝敗を左右する要因なのだ。
「俺の退魔の刀が勝てる可能性ってことは、あいつと戦うのは俺なんだな?」
ヨイヤミの話を聞いていれば必然的にその答えに辿り着く。ヨイヤミも別にアカツキに苦労を押し付けようという訳ではない。客観的に見て、ガリアスと戦うのはアカツキだという話だ。
「別に僕が戦ってもいいけど、多分一瞬で決着つくと思うで」
ある意味自信満々にそんなことを言うヨイヤミの潔さに、アカツキは思わず笑みを零す。それだけはっきり言われてしまえば、こちらもやると言わざるを得ない。
「わかったよ。あいつの相手は俺がやるよ」
アカツキとしてはそれなりの決心を胸に刻みながらの発言だったのだが、ここで腰を折るのがヨイヤミだ。
「僕は一瞬で決着が着くって言うただけで、僕が負けるなんて一言もいうてへんで」
何に対して意地を張っているのかよくわからないが、ヨイヤミの中の何かがアカツキの決定をそう簡単には受け入れられないと抗っているらしい。
「ほお……、一瞬で決着が着くって言うなら、やっぱりヨイヤミに戦ってもらおうか」
珍しくアカツキが不敵な笑みを浮かべると、少し悔しそうに歯を鳴らしながら、ヨイヤミはそっぽを向いて答えた。
「まあ、今回だけはアカツキに譲ったるわ。一瞬でけりが着いても面白くないやろうし……」
いったいヨイヤミは何と戦っているのだろうかと苦笑を漏らしながら、アカツキはそっぽを向いたヨイヤミの背中を眺めていた。すると、そんな背中からヨイヤミにしてはおとなしい口調の声が聞こえてくる。
「まあ、他の兵士たちは僕に任せといてくれ。アカツキがあのデカぶつとの戦いに集中できるように、僕が他のやつらを止めといたるわ」
ヨイヤミなりの最後の抵抗だったのだろうか。ヨイヤミは自分の力の無さを理解している。自分がどこまでできて、どこからできないのかの線引きがちゃんとできるのだ。
それは作戦を立てる上でとても大切なことだし、戦う相手を選ぶ上でも無くてはならない能力だ。ただ、無茶は絶対にできなくなる。自分の力がわかっているからこそ、能力以上の力は出せないと高を括ってしまう。いや、奇跡を前提とした作戦など、立てられないのだ。
「ああ、よろしく頼むよ。俺はお前のこと信じてるから」
やがて夜は更けていく。窓から差し込んでいた月明かりは、いつの間にか角度を変えて、ヨイヤミの顔は暗闇に溶けてしまっていた。アカツキの意識も、睡魔の訪れと共に、暗闇に溶けていった。
それからも、二人の情報収集の日々は続いた。いろんな露店を回りながら、買い物ついでに色々な噂を尋ねていく。時には一人で、なんてこともあるが、アカツキは基本的に役に立たない。
一人になるときは大体がヨイヤミが一人になりたい時なのだ。アカツキが自ら一人になりたいと言い出すことは無かった。だから、一人の時は手持ち無沙汰になり、気づけばここを訪れている。
奴隷の少女と出会った、人気のない路地裏に。
「今日もいないか……」
辺りを見回しながら彼女の姿を探る。けれど、その視界のどこにも彼女どころか、誰の姿も映りこむことはない。
この国の路地裏はアルバーンと違って、居場所のない者たちがうろついたりすることはない。ただ、喧騒から外れた小さな道がありの巣のように枝分かれているだけ。だから、誰かがいればすぐに気づく訳で。
「あっ……」
気づいたのはほぼ同時だった。アカツキが立つ路地の百メートルほど先に、彼女の姿があった。
アカツキが捜し求めていた彼女の姿が。
こちらに気づいた彼女は咄嗟に踵を返して走り出す。何故だかわからず、アカツキは考えるよりも先にその背中を追っていた。
「待って!!」
くねくねとありの巣のように入り乱れる路地を何度も何度も曲がる。視界に映る景色は変わらず、今自分がどこにいるのかも曖昧になる。
ただ、その少女の後姿だけを目印にアカツキはひたすらに走り続けた。
やがて、少女の体力が底を尽きたのか、息を荒げながら膝に手を着く少女にアカツキはようやく追いつく。
「どうして逃げるの?」
アカツキも全く息が上がっていない訳ではない。二人が追いかけっこをしていた時間を考えても、少女の体力は尋常ではないように思える。働かされている奴隷であれば、それくらいの体力があるものなのだろうか。
「……、わかりません。ただ、身体が自然に……」
まだ息が落ち着いていない彼女に、アカツキは自らの腰にぶら下げていた容器を彼女に差し出す。
「飲みなよ、少しは落ち着くはずだよ」
だが、彼女がそれを素直に受け取るはずもない。何となくそうなることはアカツキもわかっていた。わかっていて、それでも彼女に差し出したのだ。
「どうして、私に構うんですか?」
今日の彼女は少し怒っている気がする。彼女は物静かな雰囲気を醸し出しているし、それに実際言葉数も少ないからわかりにくいが、その声音は少しだけ棘があった。
「どうしてって言われると困るんだけど……」
アカツキは照れたように苦笑を浮かべながら、首を傾げて唸る。アカツキはその答えを、自分でも持っていないのだ。
「なんとなく、放っておけないからかな……。それが何かは、言葉にできないんだけど」
そんなアカツキの答えに、彼女はアカツキの視線から逃げるように、俯いて自らの視線を反らす。
そんな素直な視線を自分に向けないでくれと、彼女はアカツキに訴えかける。
「それに、まだ答えを聞けてないし」
「答え?」
アカツキの言葉の意味を理解できない彼女は、彼との会話を反芻する。彼女の記憶の中にも、彼が求める答えの質問が確かに存在した。
「君は、変わりたいと思う?」
全く同じ口調で投げられたその言葉は、彼女の心にぐさりと突き刺さる。以前出会った時に、その未来を考えてしまった今の彼女には、その言葉が重く圧し掛かかる。考えてしまうのだ、考えもしなかった、未来の自分を。
彼女の表情が痛々しく歪む。そんなことは考えてはいけないと、自分の中の何かと葛藤するような面持ち。それがアカツキには、酷く悲しいものに感じた。
「私は……」
この少年と会話を交わしていると、自分が自分ではなくなっていくような気がする。昔の頃の強い自分が、もう一度立ち上がろうと心の奥底をざわつかせる。
そんな気持ちは抱いてはいけない、いずれ来るかもしれない未来など想像してはいけないと、自らの心の檻に閉じ込めた過去の自分が。
「私は……」
「どうしたんだね?」
不意に彼女の言葉を遮ったのは、アカツキではない他の誰か。扉を開けてこちらを覗いているのは、白髪と白髭を蓄えた老父だ。
「まだこんなところにおったのか?」
その老父はどうやら彼女のことを知っているらしい。彼女も老父に声を掛けられてハッとする。
「ごめんなさい。すぐに戻りますので。このことは……」
彼女が老父に向けて何度も頭を下げる。恐らく、彼女がここにいるのはこの老父が関係しているのだろう。彼女はアカツキから逃げていると、無意識の内にこの場所に戻ってきてしまったらしい。
「わしは別にお前さんが何をしていようが構わんよ。金さえくれればな」
そう言いながら老父は素知らぬ顔で扉を閉めて、家の中へと消えていった。老父が彼女を見る目は、優しさでも憂いでもなく、何処か卑下するような腹立たしい視線。
アカツキの中に怒りの火が灯る。何か一言言ってやらないと気がすまないというように、アカツキが扉に向けて足を踏み出そうとしたその時、珍しく彼女から声を掛けられた。
「やめてください!!」
悲しげな視線を向けながら、彼女はアカツキの進行を阻む。本人に止められてしまえば、アカツキが怒る理由は何処にもない。けれど、この怒りの灯火はいったい何処に向ければいいのだろうか。
「どうして?だってこんなの……」
「それはあなたのエゴです。あなたがここでその怒りをぶつけても、何も変わりません。むしろ、下手をすれば悪くなってしまうかもしれません」
だから、これ以上手を出すなと彼女は言う。確かに、まだこの先が不透明な状態で彼女に干渉しても、彼女を本当に救い出すことはできない。一時の感情の起伏に任せて、むしろ悪化させてしまっては元も子もない。
「ごめんなさい……。私はもう、行きますから……」
少女はアカツキの横を走り去る。その足を止める術を今のアカツキは持っていなかった。彼女の足音が消えるまで、アカツキは振り返ることができなかった。
いつかの、バランチアに辿り着く前に立ち寄った国を思い出す。
あの時も彼女は今日の少女と同じように、虐げられる自分が悪いのだとアカツキを止めた。そしてその静止を、アカツキは受け入れることしかできなかった。あの日から自分は何も変わっていないのではないだろうか。
自分の不甲斐なさに、アカツキは奥歯を噛み締める。無意識に握り締めた拳は、いつの間にか震えていた。こんな自分に彼女を救い出すことはできるのだろうか。
「また名前、聞けなかったな……」
そんなアカツキの寂しげな声は雲ひとつない空の青に、誰の耳にも届かずに溶けていった。
心ここにあらずといった様子のアカツキを、しかしヨイヤミは何も聞くことはなかった。何かがあったことは明確だ。けれど、戦いを直前にして彼を慰めてやれる言葉を自分は持っていない。
「なあ、今日は何食べたい?」
「別に、何でもいいけど」
自分にしてやれることは、いつも通りに声を掛けてやることだけ。ずいぶん長い間時を一緒にしているはずなのに、彼を救ってあげられる言葉が見つからない自分が不甲斐ない。
「何でもってことはないやろ?ほら、もうすぐ決戦の日なんやから、美味しいもの食べて英気を養わんと」
「ああ……」
ここまであからさまに落ち込まれると、流石に聞かずにはいられないかもしれない。というか、アカツキはもう少し感情の抑え方を学んだほうがいい。これだけ感情に左右されてしまっては、戦闘中も簡単に揺さぶられてしまう。
かれこれ三日くらい、この状態が続いている。時間が解決するかと思っていたが、そう簡単には直ってくれないようだ。せめて、美味しいご飯でも食べれば、少しは元気を取り戻してくれるだろうか。
「そういえば、一人でおる時にいいご飯屋さん見つけたんや。スープがめっちゃ美味しくてな。涼しくなり始める夕方にぴったりなんや」
アカツキの分までというように、無理に明るく振舞うヨイヤミ。それだって余分な精神力を十分に使う。そんな気苦労をわざわざしていることに、アカツキは気づいているのだろうか。
「なあアカツキ、らくだの足の裏ってめっちゃ柔らかいらしいで。今度触ってみたいわ」
そんな中身のない一方的な会話にもめげずに、ヨイヤミは食事処に着くまでの間、ひたすらアカツキに声を掛け続けた。
そんなことをしていたせいもあり、喉はもうからから。精神的にもかなり参っているが、今のアカツキに無理やり腹を割らせるのも気が引ける。どうして自分がこんな気苦労を背負わなければならないのかと葛藤するが、余計に疲れるのでそれも止める。
そうこうしている内に、二人の前に口が広めの器がコトリと置かれる。そこには、白く濁った液体の中に、干し肉や豆、野菜などがふんだんに入ったスープが湯気を立てていた。
ほんのりと甘く香るその湯気が鼻腔を刺激し、途端にお腹が悲鳴を待ちきれないというように鳴り始める。どうやらそれはアカツキも同じようで、ようやく上の空だった瞳が、スープに焦点を合わせていた。
「いただきます」
そう言いながら器を両手で持ち、器の縁に口をつけてゆっくりと器を傾ける。とろみの強いスープはなかなか口に入ってくれなくて、けれどその時間は迫り来る甘い香りに酔いしれる。
ようやく口の中に入ってきたスープは野菜の甘さが瞬時に広がり、口の中を優しく包み込む。そして噛めば噛むほど、干し肉の旨みが染み出してきて、野菜の旨みと肉の旨みが調和を奏でる。
「うまい……」
何の奇もてらわずに述べられた素直な感想。けれど、その言葉が聞けただけでヨイヤミは満足だった。何か肩の荷が下りたように、小さな嘆息を漏らしながらヨイヤミはそんなアカツキの姿を眺める。
「まったく……」
思わずこぼれた笑みを隠すように、ヨイヤミもアカツキと同じようにスープを喉に流し込む。熱を帯びたスープは、冷え始めた夜の砂漠にはピッタリだ。
美味しい食事は誰しもの心を解き、優しく包み込む。言葉を交わさなくても、心を通じ合えるものは確かにある。言葉を交わすことだけが、拳をぶつけることだけが、分かり合うための手段じゃない。
食事には味以上の意味があると確信しながら、ヨイヤミはそのスープに舌鼓を打っていた。
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