笑顔を求めて

 どれだけ歩いただろうか。この国は思った以上に広い。国は扇形に拡がっており、先端に黄金に輝く王宮が座し、そこからレンガ造りの立派な家々が建ち並ぶ富裕街が拡がり、更に広い範囲で土作りの簡素な家と露店が建ち並ぶ貧民街が拡がっている。


 アカツキが歩いたのはまだ貧民街だけだ。それでも、一日掛けても歩きつくせないほどに広かった。


「国に来ても暑さは変わらないか……。まあ、いつでも水が買えるから、砂漠のど真ん中よりマシなんだろうけど」


 手で庇を作りながら、ジリジリと照り付ける太陽を眺める。乾いた風が余計に肌の水分をさらって、喉を干上がらせる。腰にぶら下げた容器を開けて、アカツキは補給した水を煽った。


「なんだか、寂しい場所に出たな」


 今後のことを考えながら、宛もなく歩き続けていたアカツキは人気のない場所に辿り着いていた。先ほどの露店が建ち並んでいた大通りとは打って変わって、静かな枝路。遠耳に聞こえる喧騒は自分だけが世界から切り離されたように感じて、何処か心を落ち着かせる。


 なんとなくこの静けさが心地よくて、大通りに戻る気が起きない。何処か懐かしさを感じるのは、その喧騒から切り離された静けさが、アルバーンにいた頃を思い出すからだろう。


「そういえばリルを探してた時も、こんな感じだったよな」


 今は別に誰かを探している訳ではない。強いて言うのであれば、自分探しをしている最中だ。


 そんな感慨に耽りながら、何処か上の空で歩いていると、不意に肩に衝撃を覚える。


「きゃっ」


 小さな路の曲がり角、お互いに先の見えにくい場所で、アカツキは少女とぶつかった。


「大丈夫!?」


 少女は自分とぶつかった衝撃で転んでしまい、尻餅をついていた。慌てて手を差し出すアカツキに少女は不思議そうな顔をしながら、アカツキが差し出した掌を眺めていた。


「どうしたの?もしかして、何処か怪我して立てないとか?」


 自分の掌を見つめながら、一向に立ち上がろうとしない少女にアカツキは怪我の心配をする。


 けれど、少女はそれでも不思議そうな表情をアカツキに向けながら小さな唇を開いた。


「私は奴隷ですよ?どうして、手を差し伸べたりするんですか?」


 その少女の瞳には戸惑いと怯えの色が滲んでいた。自分に手を差し伸べてくれる人などいない。それどころか、ぶつかったりなどすれば全て自分のせいにされてしまう。どちらが悪かったなど関係なく、その身分の差が全ての責任を背負う理由なのだ。


 だと言うのに、目の前の少年は謝るだけでなく、手まで差し伸べてくれているのだ。こんなことされてしまっては戸惑って当然だ。自分の中の常識は、そういう風に定められているのだから。


「私はまだ、謝ってすらいません。いえ、その……、ごめんなさい」


 少女は突然思い出したように、額を地面に擦り付けながら謝り始める。あまりにも痛々しく、酷く自分を責め立てるようなその姿にアカツキの心は痛みを覚える。


 そんな姿が見ていられなくて、少女の身体に触れることを一度は躊躇しながらも、アカツキは覚悟を決めて、少女の腕を掴んだ。細くて今にも折れてしまいそうな枝のような腕を。


「ほら、そんなことしたら汚れるだろ。せっかく、その、え~っと……、可愛いんだから……」


 アカツキは少女と視線を交わすこともできず、顔を赤らめながら少女を引き上げた。


 少女は不意に掛かる力に少しよろめきながらも、アカツキの肩を支えに立ち上がる。その肩に掛かる彼女の体重があまりにも軽くて、彼女の存在があまりにも曖昧に感じてしまう。


「別に怒ったりもしてないし、むしろよそ見してたのは俺の方だから」


 自分が悪かったと、そう告げるアカツキに、少女はなおも不思議そうな表情を浮かべる。しかし、その瞳からは、怯えの色は消えていた。


 ただ、怯えの色が消えてしまったせいで、彼女の自らを卑下するような自嘲の色がより濃く滲み出ていた。


「いえ、どちらが悪かったとか、そういうことではなく、私は奴隷ですよ」


 アカツキよりは少し年上だろうか。身長は同じくらいで、顔はとても整っている。


 質素な格好をしていても隠し切れないその可愛さは、アカツキを余計に緊張させる要因だろう。先ほどは勇気を振り絞って『可愛い』という言葉を搾り出したのに、それに対する回答は一切なかった。


 それにしても、これだけ自らを卑下されたら恥ずかしさも霧散する。彼女の言葉の一つ一つが卑屈に聞こえて、同情にも似た哀れみの気持ちが心を満たしていく。


「そんなに身分のことを気にしていたら疲れないか?」


 率直な感想だった。アカツキは身分のことを見ているし、知っているが、自分がそれを味わったことがない。だから、何処か自分とは関係のない、外の世界のようにも感じるのだ。


「いえ、私が気にしているというより、むしろ……」


 それ以上は口にはできないというように少女は、俯きながら唇を固く結ぶ。当然だ、これ以上言えば、身分が上の者に対しての侮辱に他ならないのだ。それを言わせようとしている自分は悪者だろうか。


「ごめん。答えにくいよね。俺はその、この国の人間でもないし、身分とかってよくわからないから」


 彼女にとってはあって当然のものなのだろうか。これまでの旅で、自分の常識こそ疑わなければならないということは理解している。それでも、そんな悲しい常識は疑いたくはない。


「ほかの国でも、奴隷はありますでしょう。奴隷に手を差し伸べる人間なんて、いないのではないですか?」


 悲しげに俯きながら、自分の手を見つめる少女。その視線は悲しげで、寂しげで、アカツキには彼女が今何を思っているのかわかってあげられない。


「どうだろうね。俺は身分とか地位とかってよくわからないし、聞いてる限りロクなもんじゃないって思うからわかろうともしていないけど、僕が暮らしてた国では、誰かが困っていたら助けるのは、当然のことだったよ」


 だから当然のことをしたまで。驚かれるようなことも、不思議がられることもしていない。アカツキは彼女にそう伝えたかった。けれど、その言葉は彼女に届かない。彼女の口から漏れるのは、相も変わらず卑屈ばかりで……。


「それは同じ人間だからじゃないですか?私たち奴隷は、もう人間ですら……」


「同じ人間だっ!!」


 けれど、そんな卑屈をいつまでも聞いていたくはなかった。彼女の言葉を最後まで聞かずして、アカツキは彼女の言葉を遮った。その先を、彼女に言わせたくはなかった。そんな寂しいこと、絶対に言って欲しくなかった。


「俺たちは同じ人間だ。本来、どっちが上とか、どっちが下とかないんだよ。そんな考え方、間違っている。なのに、どうしてみんなそれが当たり前みたいに言うんだ」


 この制度を作り上げたのは、地位を持った上流階級の人間たちだろう。けれど、それを受け入れてしまった彼女のような奴隷たちもまた、その意識を変えなくてはならないのではないだろうか。


 それを彼女たちが受け入れている限り、この負の連鎖は終わらないのではないのだろうか。


 しかしそれは、自分が奴隷でもなく、戦うための力を持っているからこそ言える言葉だ。戦える力もなく、自分はそういう存在だと虐げられてきた彼女たちにそれを強要することはできない。


「君は、変わりたいと思う?」


「えっ?」


 突然投げかけられたアカツキからの問いかけに、少女は今までとは異なる不思議そうな表情を浮かべる。その答えどころか、自分が何を問い掛けられているかわからないといったような表情。


 変わる未来など想像したこともなかった。自分はもう、この道を歩むしかないと、そう決め付けていた。それ以外の道が他にもあるなど考えもしなかった。


 だから、問い掛けられた質問の意味を今の少女が噛み砕くことはできなかった。


「もう行かなければ」


 彼女は思い出したように、空を見上げる。彼女には彼女のやるべきことがある。


 今すぐ変えられる訳ではないし、無責任に彼女に干渉する訳にもいかない。彼女が拒絶するのであれば、それを無理やりに引き止める権利はない。


 彼女は胸の前で指と指を交差させながら、少しだけ考える素振りを見せると、そのままアカツキの横を通り過ぎていく。


 今の自分が彼女にして上げられることなど何もない。それでも、彼女に何か一言残しておきたかった。


「ねえ。また会えるかな?」


 彼女は一度だけ足を止めたが、振り返ることなく細い路地を駆けていった。







「何や、浮かん顔して。考えては見たけど、自分の脳みそのなさに愕然としとったんか?」


 開口一番そんなことを言ってくるヨイヤミに、暑さもあいまって怒りが爆発しそうになる。


 アカツキは無言でヨイヤミに近づいていくと、鼻先数センチのところで立ち止まる。そして感情の全てを消した瞳でヨイヤミをジッと見つめると、ヨイヤミから変な汗が噴出す。


「何やろ?もしかして、怒ってらっしゃる……?」


 ゆっくりと拳をヨイヤミの頭の高さまで上げるアカツキ。その動作に、自分の未来を察したヨイヤミは引きつった笑みを浮かべながらアカツキの視線を受け止める。


「あれ~、もしかして、僕けっこうヤバい……」


 その言葉を合図にするように、アカツキは滅茶苦茶晴れやかな笑顔を浮かべた後、ヨイヤミの頭の高さまで上げた両の拳をヨイヤミのこめかみに捻りながら押し付けた。


 『ぎゃ~!!』というヨイヤミの阿鼻叫喚から数分後、二人は宿屋を探してさ迷っていた。


「何で、風呂がないんだよ……。風呂がない宿屋を、宿屋と呼んでいいのか!?」


「いや、そんなこと言っても、この国で水は貴重なもんやから仕方ないやろ」


 風呂がないことに絶望していたアカツキは、この世の終わりとでも言うように憔悴し切っていた。


 この国に来てアカツキが一番楽しみにしていたのはお風呂だった。何しろ、ここ数週間一度も入ってない上に、毎日暑さで汗はダラダラ、身体はギトギト。もう、我慢の限界だった。


「まあ、頑張って探しては見るけど、あんま期待できんで」


 先ほどまでヨイヤミを痛めつけていた元気はどこへやら。アカツキは魂が抜けたように、項垂れながら歩いていた。どうやら、別れる前と別段変わった様子には見えないが、彼はいったい分かれている間にどのような答えを導き出したのだろうか?


「それで、少しは考えまとまったんか?」


 不意に真面目な口調で問い掛けるヨイヤミ。その口調に充てられてか、項垂れていたアカツキも姿勢を元に戻す。


「覚悟とか決心とかはまだついてない。でも、変えなきゃいけないものがあるっていうのはわかった気がする。それが、そう簡単に変わるものじゃないっていうのも……」


 だからこそ、自分が示さなければならない。変えられないものなんてないのだと。自ら変える勇気が必要なんだと。それを示すことが、自分の役割なんだと。


「ふぅ~ん。僕と別行動しとる間に何があっったんや?」


 意地の悪い笑みを浮かべながら、こちらをのぞきこんでくるヨイヤミ。まるで何かを知っているかのようなその表情に相変わらず腹が立つ。だが、ここで逆上してはヨイヤミの思う壺だ。


「別に、何もないよ。ただ、たまには独りで考えてみるのも悪くないかなって」


 努めて冷静に、ヨイヤミの問いに答える。ただ、ヨイヤミの顔だけはどうしても見ることができなかった。


「まあええか。それで、最終的な答えは聞いてないんやけど……?」


 そう、ヨイヤミが求める答えとは少しずれている。アカツキだってそんなことはわかっている。それでも、その答えを簡単に出してしまうのは、考えもなしに答えを出しているようで嫌だっただけだ。


「ああ、そうだな……」


 彼女の寂しそうな表情が、彼女の戸惑いの表情が、彼女の悲しそうな表情が脳裏を過ぎる。


 ヨイヤミが求める答えとは少し違うかもしれない。それでも、求める先にある未来はきっと一緒のはずだから……。


「俺は、笑顔が見たい」


「はあ?」


 ヨイヤミが不思議そうにこちらを覗き込む。まるで『どっか頭でも打ったんやろか』と言いたげな視線。まあ、そんな視線にもそろそろ慣れてきたところだ。


「俺は戦うよ。この国の奴隷を、みんな丸ごと救い出してやる」


 それが、アカツキが出した答え。


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