誰が為の砂の国
「生き返るわぁ」
ヨイヤミは息つく暇もなく、掻き込むようにして皿に乗った干し肉と野菜を炒めた料理を食べ、それを流し込むように水を一気に飲み干した。
「落ち着いて食べろよ。数日前に死にそうなくらいボロボロになってるんだから」
数日前のガリアスとの戦争を経て、アカツキたちはある国の食堂で昼食を取っていた。
此処は砂漠に位置する国『ノックスサン』。アカツキたちが慣れない砂漠を途方もない時間を掛けてようやくたどり着いた、二人が目指した油田の国。
グランパニアの傘下の国であり、世界有数の奴隷保有国家。そのほとんどが、油田の採掘のために使われている。だからだろうか、この国に入ってから二人はほとんど奴隷と思わしき人を目にはしていない。
「本当にここが、ヨイヤミの言う奴隷保有国家なのか?あんまりそうは見えないけど」
まだこの国に足を踏み入れて間もないが、アカツキのこの国の印象は、明るく活気の溢れる元気な国だ。
町には露店が立ち並び、客引きがこの暑さに負けないくらいの暑苦しい大声で客を呼び寄せる。奴隷が働いている様子はなく、皆自給自足の生活をしながら精一杯生きている、というのがアカツキの感想だ。
「まあ、ここは貧民街やろうからな。奴隷とはあんまり関係ないやろ。奴隷を買えるほど、裕福な家庭はここにはないし、そんなものに価値を見出す人間もおらんのとちゃうか」
「貧民街?」
聞きなれない単語にアカツキは首をかしげる。まだ、多くの国を知らないアカツキは、貧富の差で国が分断されていることなど知らない。今までアカツキが踏み入れた国にはそんな制度などなかった。
「お金を持っている人間たちが、それ以外の人間たちを見下して優越感に浸るために、金の無い奴はここから入ってくるなって分断した結果、同じ国やのに富裕層と貧民層で二分してもうたって話や。でかい国なら結構よくある話やで」
相変わらずアカツキよりも知見の広いヨイヤミは当たり前のように答える。今でこそアカツキの質問にヨイヤミが答えるのが当たり前になっているが、よく考えたら同い年の子供がどういう生活をしていたらそれだけのことを知ることができるのだろうか。
「まあ、金持ちの自分勝手でできた、ロクでもない制度や」
心の内にひっそりと怒りの炎を燃やすように、ヨイヤミはアカツキから視線を反らしながらボソッと呟いた。そう話す彼の視線は、まるで遠い記憶を探るように遠くを見つめていた。
「それはそれとして、いくら資質持ちの怪我の治りが早いって言っても、いくら何でも早過ぎやしないか?」
ヨイヤミの小さな変化に気づいたアカツキは、何とか話題を変えようと全く異なる話題を引っ張り出す。話題展開はもちろんだったが、これもかなり気になっていることだったのだ。
「自分で聞いたくせに、扱いが酷いんやないか……?」
せっかく答えたにも関わらず突然の路線変更。当然ヨイヤミはジト目でアカツキを眺めている。
「悪かったって。よく考えたらそっちの方が気になるからさ」
「だったら最初からよく考えて発言してほしいんやけど……」
『はあ~っ』と大きくため息を吐きながら、ヨイヤミはコップに残っていた水を飲み干した。
「悪かったって。それで、何か秘密でもあるのか?」
ヨイヤミとアカツキが襲われたあの日から、実は三日しか経過していない。
ガリアスに襲われたあの日、ヨイヤミは胸に穴が開くほどの傷を負っていた。内臓だって何箇所かやられていたっておかしくは無いほどの傷だった。むしろ、ガリアスの攻撃を受けて、その身が五体満足であるだけでも奇跡だった。
治療方法など知らないアカツキはただ日陰の涼しい場所で、ヨイヤミを休ませてあげることしかできなかった。『ごめん、ごめん』と嗚咽を漏らしながら、ただヨイヤミの無事を祈ることしかできなかった。
アカツキは明日になったら国を探し、医者に助けを求めようと決心していた。国ならば、どこにだって医者の一人くらいいるはずだ。だが翌日、その決心が無駄になることを知る。
「おはよう、アカツキ」
翌朝の目覚めと共に鼓膜を震わせたのは、そんな言葉だった。そこにいたのは、素知らぬ顔で挨拶をするヨイヤミ。アカツキはまるで幽霊でも見ているのではないかと本気で驚いたものだ。
傷こそまだ塞がってはいなかったが、それでも昨日までは空いていたはずの大穴は、すでに見る影もなかったのだ。痛々しい傷は残りながらも、素人目で見ても命に別状はなさそうなくらいに塞がっていた。
「お前……、ヨイヤミだよな……?」
そんな的外れな質問をしたアカツキも仕方の無いというものだ。ヨイヤミと同じ顔をした人間が入れ替わったのではないかと疑ったっておかしくは無いだろう。それくらい、彼の身体は別人のように回復していた。
「僕じゃなかったら、ここにいるのはいったい誰なんや?」
だが、幽霊でも誰かが入れ替わったわけでもない。そこにいたのは確かにヨイヤミなのだ。それは、彼の声が、表情が、仕草が証明していた。
「まあ、この力を手に入れた時から、傷の治りがちょっと早いのは確かやな」
ちょっとなんてものではない。いくら資質持ちだって、それだけの速度で傷が治ることは無い。これは自分が持つ退魔の刀のように、ヨイヤミだけが持つ特殊能力なのかもしれない。
そんな数日前の記憶がふとアカツキの脳裏を過ぎった。だから、ちょうど話題を変えるにもいいタイミングだと思い、そんな疑問を口にしたのだった。
「さあ?秘密なんてあるなら僕が知りたいとこやわ。まあ、最近はこんな大怪我が多くて、実際自分でもビックリしてるとこではあるんやけど」
そういえば、レジスタンスに入る前にも、なぞの女との戦いで致命傷を与えられたはずのヨイヤミは次の日の夕方には意識を取り戻していた。
あの時は、自分もそんな傷を負ったことが無かったから、そんなものだろうで済ませていたが、どう考えても治りが早すぎる。
「まあこんな傷、そう何度も受けたいものやないからな。この力にお世話になるのも当分先にしてほしいわ」
ヨイヤミは自分の胸を抑えながら、唇を噛み締めるようにして言葉を紡いだ。
当然だ。ヨイヤミが受けているのは、二回とも一歩間違えれば死んでしまうほどの傷。それを羨ましいと少しでも思うのはお門違いなのだ。今回にいたっては、ヨイヤミはアカツキを守るためにそんな傷を負っていたのだから。
けれど彼は覚悟をしている。いずれ、この力が再び役に立つ時が来ることを。だから、もう来ないで欲しいとは口にはしなかった。
「悪かったな……」
そんなことを考えていたら、思わず謝罪の言葉が口から漏れていた。二人の間に微妙な空気が流れる。どちらも先に言葉を口にし辛いこの状況で、流石と言うべきか、声を発したのはヨイヤミだった。
「ああもう、ちゃうやろっ!!別に謝って欲しくてアカツキを助けた訳やない。そうやなくて……」
ヨイヤミが気まずい表情をしながら頬を赤らめている。何をそんなに恥ずかしがっているのか、いくら鈍感なアカツキでも流石に察しがつく。本当に素直じゃないなと、思わず微笑が漏れる。
「ああ、そうだな」
アカツキはそんな素直になり切れないヨイヤミを横目に微笑を浮かべながら、謝罪ではなく感謝の言葉を口にした。
「ありがとう」
食事を終えた二人は、店の外に出てブラブラと辺りを探検することにした。何しろ初めて来る国である。一戦交える前に、この国のことをもっと知っておきたい。
「指名手配とか、何かしらされてるかと思ってたけど……」
町を見渡しながら、アカツキはそんなことを呟いた。辺りを見回しても、自分たちが警戒されている様子は微塵もない。恐らく、国の外で一戦があったことなど、あの場にいなかった人間たちは知らないのだろう。
無駄な不安を煽らないためなのか、それともこの街の人々が国王から見捨てられているのか。そこにどのような真意があるかはわからないが、それでも今は自分がたちが警戒されていないその事実が、素直に有難かった。
「たぶん、あれだけボロボロにされたから、俺たちが怖がってこの国に入れやんと思てるんちゃうか?それに入ってきても、あの資質持ちで十分対処できるってとこか」
確かに、精神的ダメージは大きい。万全ではなかったとはいえ、圧倒的な力の差を見せ付けられた。あれだけの大物を相手に、自分たちはこの戦いを勝ち抜けるのだろうか。
「怖いか?」
不意にヨイヤミに声を掛けられて肩が震える。その声に振り向くと、ヨイヤミが優しげな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「まあ、二人掛かりであんだけボロボロにされたら、怖くなるのも当然や。だからこそ、僕らが指名手配されてないんやろうし」
ヨイヤミは周りには聞こえないように、首に巻いている布で口元を隠しながら会話を続ける。不安を煽らないためでも、この街の人々が見捨てられている訳でもない。ただ自分たちが弱かったから、そんなことをする必要が無かったのだと。
「別に、無理しやんくたっていい。僕らの人生まだまだ長いんや。生き急ぐことはない。アカツキが無理やって思うなら、別の場所から始めてもいいんや」
ヨイヤミも少し思うところがあるのだろう。ヨイヤミだって全てを知っている訳ではない。知識は確かにあるが、それに比べれば実戦経験は皆無だろう。だから、見誤ることだって多分にある。
先の戦いで、自分の考えが浅はかだったと感じているのかもしれない。だから、思わず弱音のような言葉を吐き出してしまっているのかもしれない。
「悪い、少し考えさせてくれないか?」
一人になりたい気分だった。今のままではヨイヤミに流されてしまいそうな気がする。恐らく、ヨイヤミは既に、ここではない別の場所をいくつか考えているだろう。彼はそれくらいのこと造作も無くできてしまう。
でも、二人で力を合わせて、長い長い時間を掛けてここまできたのだ。途中で死にかけるような思いをしながらここまできたのだ。そう簡単に答えを出していいはずがない。
「ええんちゃうか?僕も諦めた訳やないからな。アカツキがどんな答えを出すにしろ、やることはある」
ヨイヤミは少し不適な笑みを浮かべながらアカツキと視線を交える。性懲りもなくまた何かを企んでいる様子を見ると、どうやらヨイヤミも転んでもただでは起きないようだ。
「じゃあ、こっからは別行動や」
「えっ?」
「何や、一人になるのが寂しいのか?」
「はっ?別にそんなんじゃないし」
「アカツキが図星くらって怒っとる~」
「この野郎……」
本当に寂しかった訳ではない。だって一人になろうとしていたのだから。だからそれを読まれたことに驚いた。なのにヨイヤミときたら、おもちゃを見つけた子供のように……。
「どんな答えを出しても、僕はそれを受け入れる」
最後に小さな微笑を浮かべて、その瞳だけは真っ直ぐにアカツキを射止めながらそう言った。そして逃げるようにして、ヨイヤミは町の雑踏の中に消えていく。
「どこまで気づいているんだか……」
この国の兵士たちにある程度顔を覚えられてしまっている手前、あまり一人にならない方がいいと思っていた。だから、一人になりたいとは言い出せなかった。
多分ヨイヤミはそれを察して、わざとあんな風に離れて言ったのだろう。それはヨイヤミなりに、そこまで気にしなくても大丈夫だという合図だったのだ。
「本当に驚かされてばかりだな……」
アカツキはヨイヤミの消えていった雑踏を眺めながら、もう視界からは消えてしまった少年を脳裏に焼き付けるのだった。
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