血紅の恐怖

 瓦礫は雪崩のようにアカツキたちの頭上に降り注ぎ、人二人など容易に押し潰してしまうほどの山を形成していた。一瞬の轟音の後、誰もが息を呑むような静寂が場を満たす。


 ガリアスも場を静観し、動く気配を見せない。


「何の騒ぎでしか!!まさか敵襲……?」


 轟音を聞きつけて、焦ったように顔を引きつらせながら飛び出してきたセドリックの前に数人の兵士たちが躍り出る。


「お下がり下さいセドリック様。どうやらガリアスが敵を見つけたようですが、気付かれる前に始末できたようです。ですが、何が起こるかわかりませんので」


 その轟音の理由を耳にしたセドリックは誰にもばれないように小さく嘆息すると、口角を歪めて歯を剥き出しにする。


「僕の国に手を出そうとするからそういう目に合うんでしよ。身の程を弁えろでし」


 そう言って御車の中にセドリックが戻ろうとしたその時、ガリアスの視線が鋭く細められた。


 鈍い破裂音と共に、瓦礫の山が周囲に飛び散る。そこから現れたのは二人の少年。その身を覆っている布は既にそこら中が破れてボロボロになり、露出した肌にも傷が刻まれている。呼吸は荒れており、既に満身創痍のようにも見える。


「はあ、はあ……。間一髪ってところやな……」


 咄嗟の判断で展開された二つの魔導壁が二人の身を寸でのところで守護した。後数秒遅れていたら、いくら資質持ちとはいえ、二人は瓦礫の山に埋もれその命の灯火を吹き消していただろう。


 だが、状況が好転した訳ではない。依然として、二人をそんな状況に追い込んだ敵が目の前に立っているのだ。


 二人の目に大勢の武装した人間たちが映し出される。まだそれなりに距離もあり、意識しなければその存在にすら気付くことができない。


 それでも相手はこちらを見逃さず、的確に魔法を放ってきた。ともすれば、その資質持ちが自分たちよりも高い実力を持つ者だと、考えるまでも無く理解できる。


 そして武装した者たちの中に、一人だけ異様な雰囲気を放つ男がいた。この砂漠にあって、上半身はその抉られた傷と隆起した筋肉を露わにし、顔は布のようなもので覆い被されている。


 その異様な雰囲気は未だ手合わせをしていない二人にも、その者が異常なまでの強者だということが呼吸をするように自然と理解できてしまう。


 まるでウルガを思わせる男だとアカツキは思った。だが、それは肉体的なものだけ。まるで何かに縛り付けられているようなその男からは、何かに抗う意思のようなものは、欠片も感じることができなかった。


「あれは、ヤバいな……」


 横で息を荒げていたヨイヤミが、小さな声でそう呟いた。二人の感覚にどれだけの差異があるかはわからないが、アカツキも同じような感覚で目の前の敵を見据えていた。


「物理的にはこんだけ距離があるってのに、逃げられる気が毛ほどもせんわ……」


 乾いた笑い声を上げながら、恐怖に脚を震わせるヨイヤミ。相手が動き出さないのが唯一の救いだと思いながら、今戦うことが最善ではないと悟る。けれど、ここから逃げる算段も一向につかない。


「どうする?」


 そんな焦りに駆られている最中、隣のアカツキが尋ねてくる。だが、その答えを聞きたいのはむしろこっちだと言わんばかりに、ヨイヤミの中に怒りが湧きあがってくる。


 けれど、それを爆発させてしまったところでこの状況が好転することは無い。それを理解しているヨイヤミはことさら落ち着いて深呼吸をする。


「少なくとも、今は戦えん。あれが誰なのか、それくらいは僕にもわかる」


 目の前にいる敵が誰なのか、それはとある情報筋から耳にしている。そして、それを聞いた上で、ヨイヤミはこの国を一番目に選んだ。けれど、実際にその男を目の前にすると、自分の選択が間違いだったのでは無いかと思い知らされる。


「とにかく、タイミングを見計らって全力ダッシュや。ラッキーなことに、あそこに見える御車があるってことは、あそこに王様がおるんやろ。ってことは、あそこにおる奴らは、あそこからは動けんはずや」


 それだけが、ヨイヤミが見つけた突破口。だが、それもあくまでも予測に過ぎず、向こうがこちらを追いかけてくることに躊躇が無ければ、この疲弊した状態で戦闘を行わざるを得ない。


「崖が崩れてるお陰で、あそこを昇っていける。資質持ちの僕らの脚力ならあれくらい楽勝やろ」


 確かに昇ること自体は問題ないだろう。後は、相手に背を向ける恐怖さえなければ。


「タイミングはどうするつもりだ?」


 息を呑み、喉を鳴らしながらアカツキはヨイヤミに尋ねる。そのあからさまな緊張感にヨイヤミまでも感化されそうになるが、それに飲まれないよう必死に呼吸を整える。


「たぶんこのまま睨めっこしながらジリジリ後ろに下がってくのが一番ええんやろけど、そんなに待っててくれると思うか?」


「思わないな」


「やろな……」


 二人の意見が一致したその瞬間、まるでそれを待っていたかのように、ガリアスが凄まじい勢いでこちらに突進してきた。


「マジかっ!!」


 遠距離砲撃を予想していた二人を裏切って、ガリアスは単身特攻を仕掛けてきた。ならば全力で逃げる以外に道は無い。


「走るでっ!!」


 二人が一斉に踵を返して崖に向かって走り出す。だが、それはガリアスから視線をはずすことと同義。その瞬間をガリアスが逃すはずが無い。


「ぐるああああぁぁぁぁ!!」


 ガリアスの突き出した掌から氷の礫がほとばしる。乱雑に放たれた氷の礫は、広範囲に広がり背を向けたアカツキとヨイヤミに容赦なく襲い掛かる。


 魔法の気配を背後に感じた二人は、背後を確認する暇も無く振り返りながら魔導壁を展開する。それは必然的にアカツキたちが脚を止める結果となり、それを見逃すほどガリアスは甘くは無い。


「があああああ!!」


 地面に穴が空くほどの凄まじい脚力で地面を蹴り、その巨体を軽々と空中へ持ち上げる。ガリアスが両手を振り被ると、その二つの掌から徐々に氷が伸びていき、巨大な氷の大剣がその手に携えられる。


 それを見たアカツキが踵に力を入れてブレーキを掛ける。そして退魔の刀を手に召還させ、ガリアスを迎え撃つ体勢を取る。


「行けっ、ヨイヤミ!!」


「あほっ……」


 大剣を手にしたということはどちらか一方に狙いを定めたということ。それならば、退魔の刀を持つ自分がその相手をすれば、二人が逃げ出せる確率が増すとアカツキは結論付けた。


 ヨイヤミからの返事が耳に入ってこない。ヨイヤミが何も言っていないのか、それとも自分の聴野がそれだけ狭くなっているのか。それでも、目の前の敵に全力を注いで集中しなければ、逃げるものも逃げられない。


「来いっ!!」


 空中に跳躍した巨躯は、重力をも味方につけ、アカツキの頭上から氷の大剣を振り下ろした。


 凄まじい衝撃が周囲の砂を巻き上げ、ガリアスとアカツキを覆い隠す。振り下ろされた大剣はガラスが割れるように粉々に砕け散り、その衝撃だけがアカツキに襲い掛かる。


「うくっ……」


 その刀が魔法を斬る力を持っているとわかっていても、凄まじい勢いで振り下ろされる刃を止める行為はそれだけで身体中を締め上げる。緊張で呼吸は断続的になる。


「ふしゅううううぅぅぅぅ」


 目の前に鮮血のように爛々と輝く紅い瞳がこちらを射抜いている。荒い鼻息が聞こえるほど近い距離に恐怖の対象が存在している。


 これまでに感じていた恐怖など子供だましだったかのように、それを余裕で上回るほどの恐怖がアカツキの全身を走りぬけ身体を硬直させる。


 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ……。


 思考がまとまらない。相手は魔法が容易に崩されたことに動揺する気配を見せずに、その紅蓮の瞳でアカツキを睨み付ける。まるで蛇に睨まれた蛙のようにアカツキの身体が動かない。


 歯がガタガタと震え、恐怖で自制心も理性も思考も吹き飛ぶ。


「ああああああぁぁぁぁぁぁ!!」


 アカツキは悲鳴にも似た咆哮をあげて、退魔の刀を振り上げてガリアスに斬りかかろうとする。だが、その刃がガリアスに届くよりも先にガリアスの拳がアカツキの下腹部を捉え、その体躯を軽々と吹き飛ばした。


 崩れ落ちた崖の一画に叩きつけられ、アカツキは凄まじい嘔吐感に襲われる。打ち付けられた背中は急激に熱を増し、その熱さに感覚が麻痺する。


 殴打と激突、前と後ろからの衝撃に内臓がどうなっているかなど考えたくない。ここで立ち止まれば、そんな心配がちっぽけに思えるほどの恐怖が襲い掛かってくるのは明白だ。


 動け、動け、動け、動けよっ!!


 だが、身体は言うことを聞いてくれない。全身が痺れ、まるで悲鳴を上げるように身体が硬直する。いや、無意識のうちに、敵から向けられる恐怖に自律神経が震え上がっているのだ。


 そんな自らの神経との格闘を目の前の敵が待ってくれるはずも無く、ガリアスの掌には高密度の氷が球状の形を成していく。


 ガリアスは身体が動かなくなり項垂れているアカツキに向けてその氷の砲撃を、有無を言わさずに放った。


 アカツキに向けて一直線。その高密度の氷球は弾丸と相違ないほどの速度を伴って駆け抜けた。


 ダメだ……。


 アカツキは死を覚悟せざるを得なかった。目の前の状況がどう転んでも死へと帰結する。


 何よりも考える時間がもうない。考えがあったとしても、それを実行する身体が動かない。


 アカツキは、最後の力を振り絞ってその瞼を深く閉じた。


 バリンっ!!


 グシャっ!!


 そんな異質な音が二つ、瞼を閉じたアカツキの耳に入り込んできた。そして、その音から少し送れて、自分が先程聞いたものと同じ、誰かが崖に叩きつけられる音が鼓膜を振るわせた。


「えっ……?」


 何が起こったのか理解が追いつかない。けれど、自分はまだ生きている。それは疑いようも無い事実で。そして、自分をまもってくれる物など、この場にはたった一人しかいないはずで。


「ヨイヤミ……」


 感覚を失い、言うことを聞かなくなった喉を震わせて、掠れた声でその名を呼ぶ。


 身体が動かなくなったアカツキを、身体を張って守ったのはヨイヤミだ。ガリアスから氷撃が放たれた瞬間、アカツキの目の前に立ちはだかり、魔導壁を展開した。だが、ガリアスの強力な魔力に、ヨイヤミの魔導壁は絶えられず、その勢いを多少弱めながら崩れ去った。


 そして、ガリアスの氷撃を一身に受け、ヨイヤミは崖へと叩きつけられたのだ。魔導壁を展開していなければ、身体が粉々に砕け散っていただろう。魔導壁で勢いが抑制されたお陰で、ヨイヤミの幼い身体は何とか形を保っていた。


「ヨイヤミっ!!」


 動かなくなった喉からその名を搾り出す。失うわけにはいかない、大切な仲間の名を。


 動け、動け、動け、動けよおおおおぉぉぉぉ!!


 声にならない咆哮を上げたアカツキの身体に、痛みとは別の熱が湧き上がる。身体中の神経が息を吹き返していくような。まるで、別の何かに置き換わるような。


 身体が動く。ならば目指すのは一つしかない。カッコ悪くても、情けなくても、ただこの場から仲間を連れて逃げ出すしかない。


 アカツキは身体中に魔力を巡らせて、脚力・腕力を底上げする。その視界にヨイヤミを捉えながら、アカツキはガリアスに背を向けて疾走する。


 その速度はガリアスにだって負けていない。アカツキの中に眠っていた何かが、窮地において眼を覚ましたのか。それが何なのかは、今のアカツキにはどうでもいいことだった。


「ぐるあああああぁぁぁぁっ!!」


 突如動き出したアカツキを威嚇するかのように、ガリアスが咆哮をあげる。そして、ガリアスの背後に出現する数多の白群色の魔方陣がアカツキに向けて牙を剥く。


 その数多の魔方陣から繰り出された、先端を鋭く尖らせた巨大な氷柱の大群は、容赦なくアカツキの頭上から降り注いだ。


 そんな氷柱の大群に向かってアカツキが掌を差し出すと、そこから異様な魔力が吹き出す。


 アカツキの掌から放たれたのは、黒い炎の玉。その黒い炎は氷柱と肉迫する寸前で暴発し、凄まじい衝撃を生み出しながら、氷柱の大群を次々と砕いていった。まるで、退魔の刀で魔法を斬った時のように。


 その異様な衝撃波は、ガリアスの肌をビリビリと刺激し近づいてはいけないと警鐘を鳴らしていた。これまでの戦いの中でも、こんな魔力を感じたことは無い。その魔力に、気を取られていたガリアスの頭の中から、その時だけはアカツキの存在が抜け落ちていた。


 その時の記憶が吹き飛んでいることに、アカツキは後になって気付いた。だが、そのお陰で、アカツキとヨイヤミはガリアスの元から逃げ出すことに成功した。


 その異様な魔力の波が消え、ガリアスがようやくアカツキの存在を思い出した時には、二人の姿は崖の向こうに消えていた。

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