第四章 融けゆく呪われし氷

砂漠の道を幾星霜

 乾いた風が水分を奪っていく。喉も鼻腔も潤いを失い、それを求めて身体が痛みを訴える。


 風に舞った砂埃が口の中にざらついた感覚を残し、声を出すことさえも億劫に思われる。


「なあ、いつになったら着くんだ、その場所には……」


 もう言葉を紡ぐことさえも嫌気が差し始めたアカツキは、それでもこの先どれだけの時間をこうやって過ごさなければならないのか尋ねずにはいられなかった。


「もうちょっとやから我慢せえ」


 ヨイヤミの声音にも生気が宿っていない。馴れない足場の悪さに、体力は奪われていくばかり。それでもこうやってアカツキの問い掛けに応えてあげるのは、彼なりの優しさなのだろう。


「もうその答え聞くの何度目だよ。お前、本当に答える気あるのか?」


 そう、その答えは何度も聞いていた。けれど、一向に国の影すら見えては来ない。


 げんなりとした表情を浮かべながら、アカツキの歩く体勢は常に猫背。老人が歩いているかのように、落ちていた枯れ木を杖代わりにして歩いていた。


 ジリジリと照りつける太陽から身を守るように、全身を覆い尽くすほどの大きな布を身にまといながら、二人は黄土色の世界を歩き続けていた。


「辛いのはアカツキだけやないんや。アカツキの恨み節聞くだけでも、体力奪われるっちゅうのに……」


 二人はレジスタンスを脱退した後、自分達の目的を果たすためにとある国へと向かっていた。


 『ノックスサン』


 砂漠の地域に存在する油田国であり、グランパニアとの繋がりも深い。グランパニア傘下の国の幹部にまで成り上がるのではないかと噂されるほどに、ノックスサンの国勢は急激に伸びていた。


 というのも、ノックスサンは元々独立国家として別の名を持つ国であったのだが、油田の発掘により多くの他国に目をつけられた。


 その中で最も早くに手をつけ、その土地を戦争と言う名の交渉で手に入れたのが、現ノックスサン国王『セドリック・クラウノクス』。この世界では、戦争は手段として認められている。


 彼はいち早くその油田を我が物とし、グランパニアの後ろ楯の元、その国をさらに繁栄させていった。グランパニアの後ろ楯があることで、その土地を狙っていた各国も警戒し、手を出せなくなっていた。


 まあ、そんな国の歴史など説明しても、世界のことなどほとんど無知なアカツキには無意味だと踏んで、ヨイヤミはとある事情だけをアカツキに伝え、その国へと向かっていた。


『その国はグランパニア傘下の国であり、奴隷を大量に保有する奴隷国家である』


 今のアカツキを動かすには、その情報だけで事足りた。


 奴隷解放こそ、自分たちが成さなければならないと決めた目的。だが、レジスタンスのやり方を自分たちは否定した。だから自分たちのやり方で、この世界で苦しむ者たちを救わなければならない。


 何がそこまでアカツキを突き動かすのか、ヨイヤミはまだ掴みかねていたが、それでも彼が自分の意思に同調してくれるのであれば、今はそれでいいと思っていた。その根源は必要な時に尋ねればいいと。


「やっぱり、あの周辺の国から徐々に攻めていった方がよかったんじゃないのか?」


「あの周辺はレジスタンスの近くやからな。出会す確率はほとんど無いにしても、避けるに超したことはない。それと、僕らの目的を考えると、まずは一国でより多くの人を助けられた方がいい」


「まあ、四大大国みたいなでかい国から眼をつけられる前に、そこそこ大きな国から多くの奴隷を解放した方が、俺たちの目的も達成しやすいってことか」


「まあ、そういうことや。拠点も持たずにまばらな人数を連れて練り歩くのは骨が折れるしな」


 奴隷解放を目指すにも、その解放した人々の行く先が必要になる。そうでなければ、空腹な者の前に、捌き方も教えずに、生きた魚だけを与えるようなものだ。


 それではただの自己満足であり、誰の為にもならない。レジスタンスのように、皆が身を寄せられる拠点が必要なのだ。


 そこでアカツキたちが考えたのは国を作ること。『奴隷たちの、奴隷たちによる、奴隷たちの為の国』。アカツキたちはそんな国を作ろうとしていた。


 国を作ることで帝国から制限されることも多々あり、レジスタンスが国ではなくテロリストであり続けるのはそれが大きな原因だろう。だが国であることで護られることもあるので、アカツキたちはまず、自らの国を世界に知らしめることにした。


「そういえば、国王が『王の資質』を持っている訳じゃないんだろ?変わった話だと思うのは俺が物事を知らないからか?」


 アカツキがヨイヤミから聞かされていたことはもう一つあった。この国の王は資質持ちではなく、その王が自ら所有する奴隷こそが資質持ちであること。


 資質持ちの下に資質持ちが就くことはそこまで珍しいことではない。恐らく、四大大国全てがそうなっているだろう。だが、力を持たない王の下に資質持ちが就くことはかなり珍しいのだ。


「いや、かなり珍しいやろうな。大体の国王は、王の資質の力で成り上がって、国民を得て王となる。まあ、ノックスサンの前国王は資質持ちやったみたいやけど、今の国王はただ血族であるというだけで王位を継承したみたいなもんやし」


「そこがわからないんだよ。どうして、王の資質を持つ奴が、持たない奴の奴隷になるんだよ!?」


 アカツキは少し怒りが混じったような声音でヨイヤミに訴えかける。


 ヨイヤミからすれば、このくそ暑いのに余計に熱くなってどないするんやという意見だったが、それを口にすると余計に暑苦しくなりそうだったので、小言を挟むのは諦めることにした。


「それは順序が逆やから、ってところやろな」


「順序が逆?」


 ヨイヤミの言葉にアカツキは眉を寄せて納得のいかない表情を浮かべる。その先を要求するような視線に、ヨイヤミは嘆息しながらも話を続ける。


「ああ。資質持ちが奴隷になったんやなくて、奴隷が資質持ちになったんちゃうか?まあ、そんな内情まで知っとる訳やないから、ただの予想でしかないけどな」


 ヨイヤミが言っていた順序が逆という意味は理解できたが、それにしてもやはりその結果が腑に落ちないアカツキはさらに言葉を重ねる。


「それでも、王の資質を手に入れたなら、その国王の元から離れるのは簡単なことだろ!?」


 それをヨイヤミに訴えかけたところで何も変わらない。けれど、アカツキは誰かにそのわだかまりをぶつけなければ気が済まなかった。ただそこにヨイヤミしかいなかっただけで……。


「奴隷の気持ちなんて、僕らがどれだけわかってやれとると思ってるんや。それは、僕らが理解してやれるほど簡単なものやない。それは、あの時十分に理解したんちゃうんか?」


 突然ヨイヤミの声音が冷たく凍える。まるで、ヨイヤミの中の何かのスイッチを押してしまったかのように、ヨイヤミの態度が急変する。それは、アカツキを黙らせるには十分な効果を発揮し、アカツキはまだ言葉を紡ごうとして開いた口を、ゆっくりと静かに閉じた。


 奴隷の気持ちだけではない。ヨイヤミの気持ちも、今のアカツキには解りきっていない。あまり感情の起伏を見せないヨイヤミが見せた冷たい声音に、アカツキは心の中に小さな震えを感じていた。


 ヨイヤミが口にしたように、レジスタンスでは奴隷を経験してきた多くの者たちと触れあって、彼らがどんな感情を抱いているのか、少しは理解していた気になっていた。


 だが、結局アカツキは彼らのことを何も理解できてなどいなかった。それは、理解した気になっているだけ。彼らの心の奥底に眠る闇など、自分たちには到底理解できない。


 まるでヨイヤミも、そんな壁にぶつかったことがあるかのように、奥歯を噛み締めて悔しそうにそう告げる表情が、アカツキの脳裏に焼き付いて離れなかった。


 ヨイヤミのそんな表情に、それ以上何も言えなくなったアカツキは、身にまとう布で口許を隠しながら、静かに先へ進むことに決めた。







「そろそろ休憩にしよか」


 それから幾分か歩いた頃、ヨイヤミは崖下の涼めそうな影を見つけて休憩を提案する。砂漠の旅は水を飲むことにすら気を遣わなければならない。


 唯一二人の救いとなっているのは、王の資質のお陰で荷物は普通の人たちよりも多く持てることだろう。


 だが、それも砂漠に入ってから一週間ともなると、残りの資源も心許ない。こういった休憩の時以外は、お互いに何も口にしないようにしている。


 ヨイヤミが背に担いだ大きな布袋から金属製の容器を取りだし、それを勢いよく開けると喉を鳴らしながら中に入った水を流し込んだ。


 そんな美味しそうに飲むヨイヤミを見ていて我慢ができるはずもなく、アカツキも急いで布袋から容器を取りだし喉に流し込んだ。


 周囲の熱気ですっかり生ぬるくなっているものの、それでも干からびた喉が潤いを取り戻し、乾燥に悲鳴をあげていた唇が息を吹き返す。


「ぷはー!!」


 水をこんなにも美味しいと感じる日が来るとは思っていなかったアカツキは、改めて水の大切さを思い知る。水など何処にでもあるものだと思っていた自分の無知さに、落胆するくらいに。


「俺はこんなところで生活できる自信ないな……」


 水の入っていた容器の注ぎ口をぼうっと眺めながら、アカツキはそんな弱音のような言葉を吐いた。


「なんや突然?心配せんでもこんなところに国を建てる気はないで。流石にデメリットが大きすぎるわ」


「それだけデメリットが大きいのに、油田があるってだけでここに国を作った……、ってよりもわざわざ奪ったのか?」


 アカツキには油田がどれだけ利を生み出すものなのかよく分からない。実際、これまで生きてきた中で、実感として油田からの恩恵を受けたことがないのだ。


 それもそのはず。油田はほとんど、グランパニアやレガリアなどの主要国家が独占している。ここにある油田も、ノックスサンのものとはいえ、実質グランパニア領のものに他ならない。


 ノックスサンが油田を堀り続けるのは、原油を手に入れたいからなどではなく、それを必要とするグランパニアから利益を得るためでしかない。


 ただ、その得られる利益が砂漠のような住み難い場所を選ばなければならないとしても、そんなものなど気にならないくらいに莫大だった。


 仕事は奴隷にさせておけば、自分は王座にふんぞり返っているだけで、あとは勝手に懐が溢れかえる。


 だからこそ、この国の奴隷の数は他と比べて異常に多い。この国にとって奴隷の売買など日常茶飯事なのだ。奴隷を買うお金よりも、原油を買うお金の方が多ければ、後は時間が経てば財産は山のように膨れ上がる。


 だが、そんな説明をしてもアカツキの理解が追い付くはずもなく、とりあえず『奴隷が多い』という、アカツキのやる気を出させる言葉だけを、ヨイヤミは選んでいた。


「それくらい油田ってものが、この国にとって宝の山みたいなもんなんやろ。自分にとってどれだけ価値があるものでも、他人から見たら一銭の価値もないことなんて別に珍しくもなんともないやろ」


「そう……、なのかな……」


「そうなんや。あんまり色んなこと考え出すと、今度は動けんくなるで」


 アカツキには納得のできる話ではない。そんな個人的な利益のために、誰かの命が買われているなど許されるはずがない。でも、それが奴隷というもの。それについては、頭では理解している。


「だから、変えるしかないんだよな……」


 そう、アカツキが決意を新たにした瞬間。


「危ないっ!!」


 ヨイヤミの悲鳴にも似た声が駆け抜ける。それを耳が認識した時には、既に巨大な物体がアカツキたちの頭上を通過し、日除けに使っていた崖へと轟音を響かせながら突撃していた。


 その物体が氷塊だと気づいた時には、崖はアカツキたちの頭上で崩れ、瓦礫となって襲いかかる。無数の瓦礫から逃れる術はなく、アカツキたちは自らの力を信じ、その瓦礫に向けて自らの手を突き出す。


 この時ノックスサンはもう目前まで迫っていた……。


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