涙の別れと笑顔の旅立ち

 ヨイヤミに連れられて、アカツキは王宮の外へと出ていた。


 先程の窓から飛び降り、ヨイヤミが誰にも見つからないように先導してくれたおかげで、難なく戦場を離れることができた。


 戦場から鳴り響いていた銃声や悲鳴は、いつの間にか無くなり、一時の静けさがこの国を満たしていた。


 今回の戦争で、どれだけの人が命を落としたか、考えたくもない。こんなレジスタンスのやり方にアカツキは賛同できるはずもない。彼らは、ただ復讐に身を任せて、この戦争に身を投じているのだ。


 元奴隷のテロリスト集団『レジスタンス』。


 奴隷を容認している国家は、彼らが一番憎むべき相手なのだろう。だからこそ、何の迷いも無く人を殺すことができる。普段は優しい人たちが、戦場においては鬼と化す。


 これが彼らのやり方であり、彼らの戦争なのだ。


 アカツキは、この戦争で人の命の重さを改めて実感した。逆に、人は思っているよりも簡単に死んでしまう、という命の軽さも……。


 アカツキたちは野次馬の人ごみに紛れながら城下町を下っていた。城壁で囲まれているため、ここから外に出るには、ウルガが破壊した城門を潜るしかないのだ。


 やがて、王宮からウルガの声が鳴り響いてくる。戦争に負けたこの国は、彼らの命令を聞かざるを得ない。相手がテロリストだったとしても、逆らえば殺されるのならば、言うことを聞くしかないのだ。


 王宮から城下町を抜ける間、アカツキはずっと無言のままで、唇を噛み締めながら今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。また護れなかった後悔が、気を許せばすぐに心を蝕み始める。


 ようやく城門へと辿り着くと、ヨイヤミは一度後ろを振り返り、この国の惨状をその眼に焼き付ける。アカツキは、これ以上自らの心を責め立てられたくなかったため、後ろを振り返ることはなかった。


 城門出て少し歩いたところで、サクラが祈るように手を組みながら佇んでいた。急に現れたアカツキたちに驚いた様子で、こちらに駆け寄ってくる。


「あれ、アカツキ君たちどうしたの?静かになったけど、戦争は終わったの?みんなは無事なの?」


 アカツキたちの顔を見たサクラは、もの凄い勢いで、捲し立てるように尋ねてくる。きっとみんなのことが心配で、仕方がなかったのだろう。


 彼女も元々は奴隷だと言っていた。ならば彼女もまた、彼らと同じように、人を迷い無く殺せるほどの憎悪を抱えているのだろうか……。いや、きっとそれが出来ないからこそ彼女はここに留まっているのだ。


 アカツキが話せる状態ではないだろうと思っていたヨイヤミは、自ら進んで前にでて、サクラの問い掛けに答えていく。


「戦争は終わりました。今、ウルガが奴隷解放を宣言しとるとこです。そのうち、みんなも帰ってくると思います。でも……」


 そこまで言ったところで、アカツキがヨイヤミの肩に手を置いて制止を促した。不意に感じた肩の熱に驚き、ヨイヤミは言葉を止めて咄嗟にアカツキの方を振り返る。


「ヨイヤミ、ここから先は俺が説明する。少しだけあっちで休んでいてくれないか?」


 アカツキはヨイヤミに少し距離を取るように頼む。ヨイヤミは不思議そうな顔をしていたものの、すぐに軽く頷くと黙ってアカツキから離れていく。


 ヨイヤミが離れたことを確認したアカツキは、軽く笑みを浮かべながらサクラと向き合う。今のアカツキでは、どれだけ必死に作り笑いを浮かべても、わざとらしいものになってしまうだろう。


「サクラさん……、ただいま」


 唐突にアカツキは挨拶をする。無事に帰ってきてという約束を、この言葉を持って果たすために……。


「う、うん……。おかえり」


 急にされた挨拶に、サクラは少しだけ戸惑いながら返事をする。


「たぶん、みんなも無事だと思います。後から帰ってきますよ」


 そこで言葉を切ると、アカツキの笑みに靄が掛かっていく。ここから先の言葉は、笑顔を浮かべながら言える言葉ではない。


「でも、僕たちはもうここにはいられません」


 サクラに別れを告げる後ろめたさから、アカツキの表情が俯いていく。そんなアカツキをサクラは驚きを隠せない表情で見つめていた。


「どうして。戦場で何かあったの?」


 サクラはアカツキのことを心配して、不安気な表情で尋ねる。そんなサクラの優しさに対して、アカツキは首を横に振りながら否定する。


「いえ……、レジスタンスのやり方を俺が許容できなかったんです。みんなのことを、わかったような気になって、わかったような振りをして、今まで過ごしてきただけだったんです。俺には、みんなのことが全然理解できていなかった……」


 俯くアカツキの顔から苦笑が漏れる。勝手に期待して、勝手に裏切られた気になって、自分は一体何をしているのだろうと……。これでは、ただ一人で空回りしていただけではないか……。


 アカツキは意を決したように、俯いていた顔を上げ、むっすぐにサクラを見つめる。そんな真っ直ぐな視線を向けられたサクラは、一歩も引くことなくその眼差しを受け止めてくれる。


「だから、俺たちはもうここにはいられません。俺たちは、俺たちのやり方で、こことは違う道で、俺たちの夢を叶えます」


 自らの視線をしっかりと受け止められていることが逆に辛い。いっそのこと、この視線から逃げてくれた方が、気持ちが楽になるような気がした。


「あの……」


 それでも、この言葉だけは伝えなければならない。


 この一ヶ月を過ごす中で、アカツキはサクラに惹かれていった。世話を焼いてくれたり、夜の展望台で慰めてくれたり、たまにちょっかいを掛けてきたり。そんな彼女に、アカツキはいつの間にか惹かれていた。


 初めての気持ちだったから、アカツキにはこの気持ちが何と呼ばれるものなのか、わからないままにここまで来てしまった。


 それでも、今を逃せば一生彼女とは出会うことが無いかも知れない。だからこそ、彼女には自分の口から告げなければならないという、決心がアカツキにはあった。


「あの、僕たちと一緒に来てくれませんか?」


 アカツキなりの告白、コレが彼女に伝えることの出来る最後の機会。昔のように、少し赤面しながら、しかしその視線を逸らすことなく真っ直ぐに彼女に伝えた。


 サクラは驚いたような表情で、時間が止まったかのように固まってしまった。弟のように可愛がってきた男の子から急にそんなことを言われれば誰だって困惑する。


 サクラは曇った表情を浮かべながら、ゆっくりと視線を落としていき、俯いた状態で重たい口をゆっくりと開く。


「ごめんなさい。君たちと一緒に行くことはできない」


 サクラから発せられた言葉は、明確な拒絶の言葉であった。けれど言葉を聞くよりも前に、その表情を見せられたときに、既に理解してしまっていた。彼女が自分になびくことはないのだと。それでも、やはりどこかで期待していたのは嘘ではない。


「私は、まだウルガに恩を返しきれていない。それに、レジスタンスには、みんながいる。バレルやナズナ、タツミやトオル君。もちろん、アカツキ君やヨイヤミ君も好きだよ。でも、やっぱり私は、レジスタンスを離れることは出来ない」


 その言葉には芯があり、彼女の意思が感じられる。これが彼女なりの答えであり、最早弁解のしようもない程に完全な拒絶でもあった。


「アカツキ君、ホントにここを出て行っちゃうの?他に方法は無いの?」


 そうやってサクラに引き止められると、気持ちが揺らぎそうになる。そんな自分の心の甘さに釘を刺すように、自らの拳を胸に押し付ける。この件に関してはもう迷わないと決めた。ここにいては、自分の本当に叶えたい夢は叶えられないから……。


「はい。もう決めたことです。俺たちがここに残ることはありません。二人だけだったとしても、ここを抜けます。元々、二人きりでしたから、元に戻るだけです……」


 きっぱりと、ここには残らないと言い切った。その言葉を自らに刻み付ける為に、はっきりと言葉にしてサクラからの誘惑を断ち切った。


 サクラの気持ちは確認した。レジスタンスの皆が帰ってくる前に此処から離れようと、最後の別れを告げる。


「サクラさん、今まで本当にお世話になりました。この一ヶ月であなたから教わったことは、一生俺の胸に留めておきます」


 いつもどおり、瞳が涙で溺れていく。別れの哀しさは何度味わっても、馴れることはない。


「道は違たがえますけど、いつかまた、平和になった世界でもう一度会えたら、これまでみたいに世話を焼いてください」


アカツキは深々と頭を下げると、精一杯の笑みを浮かべながら最後の言葉を告げた。


「本当にありがとうございました。サクラさんのこと大好きです」


 その言葉を聞いたサクラが口許を抑えて、瞳から涙を溢れさせる。


『サクラさんも泣いてくれるんだ……』


 そのことが嬉しくて、こんな状況にも関わらず、アカツキの心の中は暖かい何かで満たされていく。少なくとも、泣いてくれるくらいには、自らの存在を彼女の中に刻み込むことができたのだ。


 サクラは彼らが決意した道を遮ることはない。彼らの世話役として、最後の役目を果たす。レジスタンスのとしての世話役ではなく、彼らの人生としての世話役として、最後に精一杯彼らの背中を押してやる。


「そっか、それなら仕方ないね……。私も、大好きだったよ、アカツキ君。いつかもう一度会えたら、その時はまた仲良くして下さい」


 サクラも精一杯の笑顔を浮かべる。いつまでも見つめていたいと思える笑顔を……。もう、この手につかむことはできない笑顔を……。


 アカツキはサクラに背を向ける。これ以上、彼女の笑みを見ているのは辛すぎるから。また、レジスタンスに戻りたくなってしまうから。


 自分のこの決意を、たった一人の女性に変えられる訳にはいかない。自分の覚悟がそんな甘いものであっては、これから先、必ず揺らいでしまうから。


 サクラに背を向けた瞬間、今まで堪えていた涙が一気に溢れ出し、アカツキの視界がぼやけていく。唇を噛み締め、嗚咽を漏らさないようにし、腕で涙をぬぐうと、ヨイヤミの元へと歩み寄る。


 グシャグシャに崩れたアカツキの酷い表情を眺めながら、ヨイヤミは優しく笑みを浮かべながらアカツキに声を掛ける。


「もう、ええんか?」


 アカツキが涙を噛み殺しながら黙って頷くと、ヨイヤミは立ち上がりサクラへと視線を移す。


 そこには泣きじゃくるサクラの姿があった。きっと離れたこの場所から何をしたところで、今の彼女へと届くことはないだろう。けれど、けじめはしっかりとつけなければならない。


 ヨイヤミは深く、サクラへと向けて頭を下げる。きっと彼女はその姿を見てくれてはいないだろう。けれどそれでいい。これは自分なりのけじめなのだから……。


 ヨイヤミは頭を上げると、アカツキの背中を押してサクラの元を離れて行った。







 数時間後、二人は平原を歩いていた。既に空はぼんやりと明るみを帯び始めており、朝日が地平線の彼方から昇り始めていた。


 崩れていたアカツキの表情も元に戻り、清々しそうに、その朝日を眺めていた。


 今回は案外立ち直りが早いな、と思いながらもヨイヤミは少し思いつめるような表情を浮かべながら、アカツキに謝罪する。


「悪かったな……」


 不意に掛けられたヨイヤミの謝罪の言葉を、欠片も理解することができなかったアカツキは、素直に「何のこと?」と尋ね返す。


「いや……、レジスタンスに誘たんは僕やでさ。アカツキには色々と嫌な思いさせたかなと思って……」


 ヨイヤミの思いつめた表情に、アカツキは吹き出してしまう。


「な、僕が謝ってんのに、それはひどくないか?」


 アカツキのことをそれなりに心配しての謝罪だったにもかかわらず、その本人から笑われると少しだけ気に障る。けれど、アカツキは全く気にしていなかったようで、優しげな笑みを浮かべながらヨイヤミに告げる。


「お前が気にすることは何も無いよ。それに、賛成したのは紛れも無く俺なんだから……。この件に関して、ヨイヤミが後ろめたく思う必要は全く無い」


 そう言って頭の後ろで手を組みながら、軽く頬を紅潮させて、どこか恥ずかしそうに続ける。


「それに、少なくともいい思い出だって出来た訳だし……」


 嫌な思いをいくつしたとしても、楽しい思い出が一つでもあれば、それで全てを清算できる。人生なんて、嫌なことの繰り返し。その中にある、ほんの一握りの楽しいことのために、人は生きているのだから。


 今回アカツキには、いくつかの心の傷を残す結果となっただろう。それでも、こうやって嬉しそうに微笑むことが出来る思い出があるのなら、その思い出は彼の今後の力になる。


 だから、今回の件は様々な意味で、アカツキの背中を押すものとなったのではないだろうか。ヨイヤミの思い描くような結果にはならなかったが、それでも全てが悪い結果になった訳ではない。


 ヨイヤミは微笑むアカツキの横顔を眺めながら、アカツキには届かない声で呟く。


「ありがと」


 ヨイヤミの抱えていた悩みは、アカツキのその微笑で清算された。いつまでも暗い顔をしていては、またアカツキに気を遣わせてしまうので、ヨイヤミはいつもの態度を取り戻す。


「そういえば、最後サクラさんに何て言ってたん?二人して大泣きして……。なあなあ、教えてや」


 いつものように、ヨイヤミのむさ苦しい絡みが始まる。最近、あまり二人きりと言うことが無かったので、なんだか新鮮な感じがした。


「内緒だよ。お前には関係ない。俺とサクラさんの秘密の約束だから、お前には教えない」


 ヨイヤミとこうやって話していると、自然と笑みが漏れてくる。出会って数か月の仲だけれど、彼はもうアカツキにとって掛け替えのない存在になっている。


「えぇ。秘密の約束ってなんなん?教えてや」


 まあ、一緒にいると少し疲れるのはたまに傷だけれど……。


「やだよ。ああ、もう、鬱陶しい」


 そんな言葉とは裏腹に、アカツキの表情は楽しそうで、久しぶりに二人でふざける時間が、新鮮で少し懐かしく、まるで故郷に帰ってきたような、そんな暖かさを感じた。


 二人がじゃれあいながら進む道を、地平線から臨む朝日が明るく照らしていた。まるで、彼らのこれからを祝福するかのように……。






 そして、二人の本当の物語がようやく幕を開ける……。

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