死の先に正しさなどありはしない
ウルガは手に持っていた巨大な鎖を、大きく振りかぶってドミニクに向けて投げつけた。その鎖の先端には、岩塊が膨張していき、巨大な鉄球のような形となっていく。
ドミニクは水を地面に放ち、その反発力で素早く跳躍する。ウルガの攻撃を難なく交わしながら、掌に水の塊を生成する。
躱した岩塊はそのまま壁に激突し部屋の入口がある壁を叩き割った。
壁が割れたことなど気にする様子もなく、ドミニクは掌に生成した水の塊を、そのまま掌で叩き割った。
すると水は飛沫のように、一つ一つが小さな水玉となり、凄まじい勢いで散弾銃のようにウルガへと襲い掛かった。銃弾に劣らない速度で放たれた水は、実弾銃に退けを取らない破壊力を持つ。
咄嗟に、ウルガは岩壁を体の前に出現させる。しかし、ほとんど魔力を練っていない岩壁は、水の弾丸により跡形もなく破壊される。それでも、岩壁と共に水も弾け飛んだので、ウルガが傷を負うことはなかった。
壊れた岩壁の欠片を防ぎ、視界が遮られている間に、ドミニクは次の動きに出る。
水が槍のように先端を尖らせて、ドミニクの手からウルガの元へ一直線に走る。
薄い壁ではどうにもならないと判断したウルガは、その巨体を凄まじい速度で移動させた。それでも、水の槍はウルガの腕の辺りを掠め、ウルガの肉を抉り取っていった。
なんとか交わしたウルガの巨木のような脚には薄らと光が纏っていた。魔導壁と同じ基礎魔法で『身体強化』。体の一部に魔力を込めることで、その一部を一瞬だけ飛躍的に強化する。
「ふっ、やるじゃねえか小僧。のうのうと暮らしてきたってわけじゃなさそうだな」
自分の力を少しでも知らしめることができたことに、少しだけ喜びを覚えたドミニクの表情に笑みが浮かぶ。
「えぇ、自分の身は自分で守らないといけませんからね。努力は惜しみませんでしたよ」
ドミニクの言葉を聞き終えたウルガは身をかがめて魔力を練ると、地面から先端の尖った岩の欠片がいくつも浮かび上がる。それらは揃って先端をドミニクの方へと向けた。
ウルガがそれらを操るように右腕を前に差し出すと、岩の欠片たちはドミニクへと向かって一斉に襲いかかる。
それを見たドミニクは両手を前にかざすと、地面から水が渦を巻いて出現し、ドミニクの眼前で円形の水壁を作り上げた。
岩の欠片たちは突き刺さるように、水の壁に飲み込まれていき勢いを失った。ドミニクが右手を握ると水の壁は崩れ落ち、飲み込まれた岩の欠片たちも流れ落ちていった
だがウルガの攻撃はそれでは終わっていない。ウルガは脚に魔力を集中させ、強化された脚力でドミニクに自ら突撃を仕掛ける。
それを眼にしたドミニクは慌てて水の散弾銃を放つも、何発かウルガの体を傷つけるだけで、ウルガの勢いを止めることはできない。
ドミニクの眼前までたどり着いたウルガは、額と額がぶつかりそうな位置まで顔を近づけ、ドミニクに向かって嘲笑するような笑みを浮かべると、岩と化した自らの腕でドミニクを殴りつけた。
ドミニクは壁まで吹き飛ばされ、そのまま壁に激突した。肺から空気が無理やりに押し出され吐き気を催す。しかしなんとか咽るだけに留めて、体勢を立て直す。
敵は待ってはくれない。既にウルガは鎖をもう一度持ち直し、自分と大きく距離が空いたドミニクに一歩、また一歩と近づいてきている。
「どうだ、殴られるのは初めてか?痛いだろ。だがな、俺たち奴隷が受けてきた苦痛はこんなもんじゃねえ。お前も、これぐらいなんてことないよな?」
巨体を揺らしながら、ウルガは少しずつドミニクへと歩み寄る。
先程の水の散弾銃を受けた場所から血が流れ出しているにもかかわらず、ウルガは痛みなど感じている様子は無く、平然とした態度でドミニクへと近づいていく。
「殴られるのぐらい慣れていますよ。そこまで甘く育てられていません」
ドミニクも痛みなどに負けている余裕はなく、急いで立ち上がって深呼吸をしてからウルガを見据えて、今度はドミニクから突進を仕掛けた。
ドミニクも、ウルガに劣らない程の身体強化で脚力を飛躍的に向上させる。そして、ドミニクは水で模られた剣を手に携えウルガに向けて一直線に薙いだ。
かなりの距離を一瞬で詰め寄られたことに、ウルガは驚愕し急遽鎖は捨て、自らの身を護るために岩の壁を生成する。しかし、岩は罅も入らずに綺麗に切り裂かれ、ドミニクの勢いを止めることは叶わない。
「何っ!?」
凄まじい水圧で放たれた水は、金属をも切断する。水と言えど、その切れ味は刃をも凌ぎ、その速度は銃弾をも凌駕する。
「一筋縄ではいかんか……」
攻撃の絶好の機会と言わんばかりの勢いで、ドミニクはウルガの懐へと入り込もうとする。
「喰らえええええええ!!」
凄まじい切れ味を見せつけた水の剣で、次はウルガの生身へと斬りかかる。
だが、その水の剣は一本の岩の大剣によって止められる。ウルガもまた、魔力によって最大限まで固めた岩の大剣を生成したのだ。ドミニクが生成した水の剣も、その大剣を切り裂くことはできなかった。
「そう簡単に、殺られはしないさ……」
二人の間で凄まじい鍔迫り合いが起こる。魔力と魔力のぶつかり合いにより、お互いの魔力が暴発し、お互いの剣が弾け飛ぶ。その勢いで吹き飛ばされた二人の間に距離ができる。
「よく、それだけの魔力を使って『
魔力は精神力を消費することで練ることができる。
つまり、魔力を使いすぎると、精神力を大きく消費し、精神崩壊を起こして意識を失ってしまう。それは、戦闘における実質的な死を意味するため、資質持ちが絶対に避けるべき現象として恐れられている。
「自分の魔力の上限ぐらい、心得ています。精神崩壊を起こす前に魔法の行使はやめますよ。あなた、少し私を侮りすぎていませんか?これでも、一国の王を担う身……。そう簡単にやられませんよ」
そうは言ったものの、正直なところ魔力は残り半分を切っているだろう、というのがドミニク自身による見解だった。ウルガがどれだけ魔力を残しているのか、いささか疑問であり、ここで二人はお互いを値踏みするように睨み合う。
二人の睨み合いは続いていた。そんな二人の様子をアカツキとヨイヤミは、瓦解した壁の影に隠れながら眺めていた。
「なんとか間に合ったみたいやな……。でも、どっちももうボロボロやないか」
戦場の様子を覗いながら、ヨイヤミが小声で呟く。ボロボロになりながらも、退く気など一切見せない二人の表情に惹かれて、アカツキは黙ったまま戦場を見つめていた。
無言の睨み合いが続いた後、先に動いたのはウルガだった。ウルガ地面に拳を叩きつけると、ドミニクの足許にいくつかの魔法陣が形成され、避ける暇もなく先の尖った岩が地面からせり出してくる。
ドミニクは何とか後ろに飛び退きその柱を避けることに成功したものの、それは眼暗ましだったようで、気付いた時にはドミニクに向かって鎖が投げ飛ばされていた。鎖の先には岩が集約されていき、これまでで一番巨大な岩塊が形成される。
ドミニクも出し惜しみは無しだと言わんばかりに、魔力を全力で練り、岩塊に向けて水の槍を放つ。水の槍は岩塊の中心部に突き刺さり、岩塊を砕け散った。
だが、砕かれた岩の欠片は、欠片と言えない程大きく、砕かれた岩の塊たちが勢いを失うことなくドミニクに襲い掛かる。
予想だにしなかった状況に、ドミニクは岩の塊たちを防ぐことができないまま押し潰された。ドミニクの身体の上に瓦礫の山が形成され、ドミニクの姿を隠してしまった。
一瞬戦場が静まり返った。プライア軍とレジスタンスとの戦闘の音が下から響いてくるほどに……。しかし、その静寂も長くは続かなかい。ガラガラと音を立てながら瓦礫の山は崩れ、そこからボロボロになったドミニクが立ち上がった。
彼の呼吸は既に乱れきっており、最早虫の息といったところだった。それでも彼は、歯を食いしばって両腕を前に伸ばす。
「負けるわけには、いかないんだああああああ!!」
咆哮と共に、水の散弾銃を繰り出す。ウルガはそれを岩の壁で防いだ。しかし、ドミニクは相手の行動を予測し、岩壁が出た瞬間にウルガの視界から姿を消す。
ウルガがドミニクを見失い、見つけるまでに掛かった時間はほんの数秒だったが、その時間でドミニクはウルガの懐に潜り込む。
あまりの速さにウルガの目が見開かれる。そこには、少なからず恐怖の色が覗えた。
「もらった!!」
全力を振り絞り、ドミニクは最後の魔力で水の剣を生み出す。その水の剣をウルガに向けて振り払った。
ウルガは身に着けていたローブを剥いでドミニクに投げつけるが、時すでに遅し。ドミニクの水の剣は確実にウルガを捉えた。その感触で、ドミニクは勝利を確信した。
だがその視線に入ってきたのは、確かに懐に傷を負い、赤く染まった血を流してはいるものの、倒れる様子などなく、こちらを見下ろすウルガだった。
「な、何故だ……?」
ドミニクの額に大量の汗が滲みはじめる。確かに先程の感触は何かを捉えた感触だった。なのに、ウルガの傷はそれほど深くはない。その理由がわからない。
「お前が斬ったのは、俺が創り出した土人形だ。まあ、多少掠りはしたがな……」
ドミニクはゆっくりと、地面に落ちたウルガのローブに視線を落とす。その下には確実に何かが倒れていた。隙間風がローブを揺らし、ローブに覆われていたものが露わになる。そこにあったのは、人型をした土人形。
まだ諦めるタイミングではないにもかかわらず、呆然とウルガを眺めていたドミニクの持つ水の剣が、みるみると小さくなっていく。アカツキの驚きを察したヨイヤミが説明を加える。
「魔力の上限に達したんや。あれ以上使うと精神崩壊って言うて、意識を失って倒れる。もうこれ以上、魔法を使うことはできん。つまり……、勝負ありや」
魔力の上限にして、精神崩壊の寸前。ドミニクの限界にして、この戦闘の実質的な決着。
それでも一国の王として、命ある限り、テロリスト相手に負けを認めるわけにはいかない。
ドミニクの目は、まだ死んではいなかった。魔力が無くとも、この体がある限り戦い続ける。それが、一国の王としての自らの務め。
「うおおおおおおおおおお!!」
ドミニクは咆哮を放ちながら、あらん限りの力を振り絞りウルガに突進する。
そんな子供の悪あがきのような攻撃に、ウルガは手を岩と化し、向かってくるドミニクをその場から動くことなく、赤子の手をひねる様に殴り飛ばした。
まるでボールが飛んでいくかのように軽々と飛ばされる。何度か地面に叩きつけられながら、アカツキたちが身を隠していた、瓦解した壁の辺りまで飛ばされる。
ドミニクは完全に地に伏していた。床から伝わるウルガの足音が大きくなっていく。一歩ずつ、着実に自らの元へと近づいている。
だが、そんな足音に混じってもっと軽やかな、別の足音まで伝わってきた。
あまりの驚きにドミニクは最後の力を振り絞って、ゆっくりと頭を上げていくと、目の前に見たことのない少年の背中があった。
「き、きみは……?」
ドミニクは驚愕で目を見開いていた。遠くなりそうな意識の中で、ウルガの声が聞こえてくる。
「何のつもりだアカツキ?これは戦争だ。情けをかける必要はない。言っただろ、迷いあるものはこのレジスタンスにはいらないと」
アカツキはドミニクを守るように、両手を広げてウルガの前に立ちはだかっていた。
アカツキの心の中を恐怖が埋め尽くしていた。目の前に立っているのは、何のためらいもなく人を殺すことの出来る人間。そんな人間の前に自分は立ちはだかっているのだ。
それでも、死ぬ必要の無い人間を目の前で見捨てることはできない。これ以上同じ過ちを繰り返すことはしたくない。
その思いが、アカツキの恐怖心を押さえ込み、恐怖で震える背中を押して、ウルガに立ち向かう力を与えていた。
「確かに、言われた。それでも、もう決着がついているこの戦いに続ける意味なんて無いだろ。この人に奴隷解放を宣言してもらって、奴隷解放を見届けたら、大人しくレジスタンスは退却するってことでいいじゃないか」
アカツキの言葉はウルガに全くと言っていいほど届いていない。ウルガはさらに踏み出し、アカツキと目と鼻の先まで近づいた。額と額がぶつかりそうな距離。ウルガにここまで近づかれれば、呼吸すらもままならない。
「どけ。お前のような子供が介入していい状況ではない。それでもそこをどかないというのなら、お前諸共そいつを殺すだけだ」
アカツキは正直、言葉を発することすらままならないような恐怖心に苛まれていた。だが、アカツキは必死にその恐怖心を押し殺して、ウルガに向けて吐き捨てるように告げる。
「やれるもんならやってみろ」
アカツキとウルガが睨み合う。目を合わせているだけで気絶してしまいそうなほど、ウルガの威圧感は凄まじいものだった。なぜ自分が、ウルガの前に立つことができているのか、それはアカツキ本人にすらわからなかった。
アカツキの言葉を受けて、ウルガが動き出そうとしたその時、背後から制止の声が響き渡る。
「ま、待てっ、ウルガ。彼は関係ないだろ。これは君と僕の戦いだ。巻き込む必要はない」
顔も名前も知らない子供を巻き込むわけにはいかない。子供に庇われていては、王の面子が丸つぶれではないか。ドミニクは心の中で苦笑しながら、なんとか力を振り絞って立ち上がる。
意外なことに、ドミニクの言葉でウルガの動きが止まった。アカツキは、ウルガが誰かの言葉で動きを止めることはないだろうと踏んでいたので、まさかの肩透かしに、膝から崩れ落ちそうになる。
そんなアカツキの背後で、ゆっくりと立ち上がるドミニク。彼は、焦点が定まらない視界の中、何とかアカツキの肩に、自らの手を添える。
「君の優しさは嬉しいよ。でも、ここで逃げる訳にはいかない。王として、この国の敵に背中を向けることはできないんだ。僕の後ろには、たくさんの国民がいるからね。僕ひとり逃げ出す訳にはいかない」
その言葉から、ドミニクの芯の強さを感じる。王という存在がどうあるべきか、それを教えられているような気がする。だからこそ、余計にこの人を死なせたくはない。
「死んだら確かに同じかもしれない。でも、どうせ同じなら、僕は最後まで国民のために戦い続ける。命の限りね……」
そして、アカツキに覚悟を伝え終えたドミニクは、魔力を振り絞り、アカツキを水の勢いで壁の向こう側まで吹き飛ばす。アカツキをこの戦いに巻き込まない為に……。
飛ばされたアカツキは、まるで何かを掴もうとするかのように手をこちらに伸ばし、悲痛の目でドミニクを見ていた。
そんなアカツキに対しドミニクは微笑みながら「ありがとう」と口の動きだけで感謝を告げた。
アカツキが壁の向こう側へ飛ばされた瞬間、アカツキと彼らを分かつように、巨大な岩の壁が床からせり上がってきた。アカツキの視界から、二人の姿が消え去る。
「ありがとう、ウルガ。こ、これで彼を、巻き込まなくて、済む……」
そう言いながら、ドミニクはふらつく身体を支えるように、自らの膝に手を付く。先程の強引な魔法の行使による反動で、既に意識が飛びそうになった。喋ることすら、最早辛そうだった。
「別にお前のためではない。邪魔が入らないようにしただけだ」
「そう、ですね……」とつぶやくと、ドミニクはふらつく体を強引に立たせ、両手を開いて仁王立ちをする。
「これ以上、何もできなくとも……、最後まで、貴方に、背中を見せることは、できません……。逃げて、あなたに背中を曝すくらいなら、ここで真正面から、あなたに向き合って、殺られる方がマシです……」
岩壁の向こうから、何か叫ぶ声が聞こえてくる。きっと彼が、まだウルガのことを止めようと必死にもがいているのだろう。
最後に、彼のような優しい子供に出会えてよかった。あんな子供が未来を担ってくれるのなら、きっと明るい未来もあるはずだ。そんな明るい未来を、自分も夢見ていたはずなのに、遠く及ばなかった……。
ドミニクは走馬灯のように、様々な思いを巡らせていた。
そんなドミニクとウルガの距離が更に縮まり、ウルガが鋭い岩を纏った腕をゆっくりと上げていく。
「その生き様、天晴れだ」
その言葉と共に、ウルガはドミニクに向けて、その先端を突き刺した。最後にドミニクは微笑みを浮かべた。そしてドミニクの心臓は、何の抵抗もなく突き破られた。
生暖かい鮮血の雨と共に、戦争は終結した。
岩壁の前でアカツキは、手がボロボロになる程に何度も壁を叩きながら叫んでいた。
そして、アカツキが飛ばされ、岩壁で行く先を遮られてから間もなくして、岩壁の向こう側から柔らかいものが貫かれるような「ぐちゃっ」という音がアカツキの鼓膜を突き刺すように震わせた。
その不協和音と共にアカツキの動きは止まり、そのまま膝から崩れ落ちると、言葉にならない嗚咽を漏らしながら、自らの双眸から止めどない涙の雨を降らせた。
人の命がこんな簡単に消えていい訳がない。こんなのは間違っている。それでも、これが現実なのだ。ドミニクは自ら、逃げることよりも死ぬことを選んだ。
それが王だと彼は言った。それが覚悟だと彼は言った。
彼の覚悟を侮辱する訳ではないが、それでも、死ぬ必要がなかった命が目の前で消えたことに、アカツキは後悔を覚えずにはいられなかった。
この戦争の終結を、アカツキは後悔と恐怖が渦巻く心境で見届けることとなった。
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