わからなくなった正しさ
移動二日目もだらだらと馬車の中で過ごすだけだった。
まだ陽も昇りきっていない早朝から移動は開始され、眠い目をこすりながら馬車の中へと入った。正直アカツキはほとんど寝ることができていなかったので、移動しだしてすぐに眠気眼はそのまま閉じていき、もう一度夢の中へと旅立った。
クラン、ナズナを除いた四人は、皆狭い馬車の中で寝息を立てながら眠っており、クランはいつもの表情を変えることはないが、ナズナは大層嫌そうな顔で四人(特にバレル)を睨みつけていた。
陽も完全に昇りきり、気温が少しずつ上がりポカポカしてきた頃に、四人は順番に目を覚ました。最後に目を覚ましたのはアカツキだった。
目を覚ますと昨日と同じような大きな川に沿って歩いており、時々吹いてくる風が涼しくてとても気持ちがよかった。鳥の鳴き声がどこからか鳴り響き、川が流れる一定のリズムを刻むような音は、まさしく自然の中といった感じだった。
アカツキは自然の空気をいっぱいに感じ深い深呼吸をする。
「このあたり気持ち良いですね。自然がいっぱいで、空気も美味しいです」
アカツキのそんな呑気な様子に、バレルが少しだけ怪訝な顔をする。
「アカツキ、わかっていると思うが、これから俺たちは戦争に行くんだ。戦争がどんなものかわからない訳じゃないだろう」
いつもとは違う堅い表情で、バレルはアカツキに向けて告げる。
「自分たちの手で誰かを殺すこともあれば、逆に自分が誰かに殺されることだってある。戦場に出たら、自分も一つの駒でしかない。殺されても、文句は言えない。戦争に行く前は、そういう覚悟を決めておくもんだ。気楽に過ごすなとは言わないが、少しは緊張感を持てよ」
そう言って拳をアカツキの胸に突き出す。そして、すこしだけ笑顔を見せると、拳を引っ込める。
そんなバレルに、少しだけ間を空けてから、ナズナが呆れたように溜め息を吐きながら口を開いた。
「今まで寝こけていたやつが、何を偉そうに……」
そんなナズナの言葉に「うっ」と唸ってから、バレルがだらだらと冷や汗を流す。そして悔しそうにナズナを睨みつけてから、頭を抱えて項垂れる。
「せっかく俺がいいこと言ったのに、何台無しにしてくれてんだよ」
どうやら、いつもの自慢話と同じく、格好をつけたかっただけのようだ。アカツキが『バレルらしいな』と苦笑していると、ナズナがこちらを向いて語りかける。
「まあでも、こいつが言ったことは正しい。これから、罪のない人や、誰かの大切な人を殺すことになる。だから、残された者の怒りや憎しみを背負う覚悟はしておかなくてはならない。それができない者に戦場に立つ資格はない。少なくとも、私や普段はふざけているこいつでも、その覚悟だけは忘れずに持っている」
バレルが隣で「ふざけたは余計だ」と文句を言っているが、ナズナは無視して続ける。
「初めて戦場に行くお前たちにその覚悟を持てというのは無理かもしれないが、それでも心の片隅に、そのことを留めておいて欲しい」
実際に戦場を経験している者の言葉がアカツキに重くのしかかる。アカツキは少し間を置いて、息を呑むように喉を鳴らしたあと深く頷いた。
その後の馬車の中は重たい空気が漂ったまま、無言で目的地へと向かった。アカツキもヨイヤミも、気楽に何かを話してはいけないような気がして、口を開き難くなってしまったのだ。
その日も別の街の宿に泊まり、同じように早朝に出発し、夕方頃に彼らは仮アジトへと辿り着いた。
仮アジトはプライアから少し離れた雑木林の中に設営されていた。ここからでも、城壁に囲まれたプライアを確認することができる。
その雑木林の中の何本かの木を切り倒して森の中に吹き抜けを作り、そこにいくつかのテントが張られていた。中心に位置するテントは、少し周囲より大きなものとなっており、幹部がここを使用するのだろうというのは容易に想像がついた。
かなり暗くなってきているのにも関わらず明かりを灯さないことに疑問を覚えながら、アカツキがヨイヤミに尋ねると面倒くさそうに答えが返ってくる。
「多分、火なんか起こすと、敵に見つかる危険があるからちゃうか。それぐらいしか考えられへんけど」
ちなみテントの中は、アカツキ、ヨイヤミ、バレル、タツミ、トオルの五人だ。さすがに、寝る場所は男ばかりである。ここでもサクラと一緒だったらどうしようかと心配していたアカツキは、ホッと安堵の息を吐いていた。
「バレルさんと一緒かぁ……」
トオルがあからさまに嫌そうにしていると、バレルが力づくでトオルの首に腕を回して手繰り寄せる。
「なんだ、このチビ。俺と一緒がそんなに嫌か」
そう言いながらバレルがトオルの頭にグリグリと拳を押さえつける。トオルは泣きそうな顔でバレルの腕から逃げようとしていた。
「バレルさんっていうか、バレルさんのいびきが嫌なんですよ。その上、タツミもいるとか、明日絶対寝不足じゃないですか……」
タツミもなかなかいびきのうるさい方だが、言うまでもなくバレルはレジスタンスの中のいびきの煩さで一、二を争う。そんな二人と一緒にこの狭いテントの中で寝るのかと思うと確かに、眠れるかどうかが心配になってくる。
決戦前夜になんとも気の抜けた光景だと思いながら、アカツキがその二人のやり取りを少し呆れ顔で眺めていると、急に誰かに肩を叩かれる。
「ほら、これ二人にやるよ」
そう言って二つのお守りを差し出してきたのはタツミだ。この前にももらったことがあるので、少し困惑の表情を浮かべていると、それを察したタツミが聞くよりも先に告げる。
「この前のやつは、初任務用だったからな。今回は本当に命の危険がある。だから、無事に帰って来られるようにって願い事を込めてある。同じお守りでも効果が違うんだよ。まあ、お前たちの場合、初任務も危ないものだったけどな」
そういって、少しはにかむと「ほらっ」と言ってもう一度差し出してくる。受け取らない訳にもいかないアカツキは笑顔で礼を言うと、タツミの手から二つのお守りを受け取り、一つをヨイヤミに渡した。
そうしている内にトオルがバレルの腕からなんとか抜け距離をとった場所で四つん這いになって毛を逆立てながらバレルを威嚇していた。本当に猫のようなトオルに、アカツキは笑いを堪えながらその光景を眺めていた。
こんな気の抜けたやり取りをしていると、明日の戦争をするというのが嘘のように思えてくる。彼らは何度か戦争を経験しており、それでも決戦前夜にこれだけ気の抜けた過ごし方をしている訳だ。
実は、自分が思っている以上に戦場は生温いものなのかもしれない、とアカツキは甘い期待を抱きながら布団の中へと入り、バレルやタツミがいびきをかき始める前に、寝てしまおうと目を閉じるのだった。
翌日の昼頃、レジスタンスのメンバー全員が一箇所に集まった。前にはウルガと幹部四人が並んでいる。その中にはクランの姿もあり、眼が合うとこちらに微笑みを向けてくる。
「これより、今回の作戦を伝える。今回の作戦は午前零時ちょうどに開始する。王宮に辿り着くには城下街を抜ける必要がある。よって先遣部隊には、門前の衛兵を打ち取り、我々の道を切り開いてもらう。外に出ている住民がいたら殺しても構わん。奴隷の場合は、これから起こることを教えてやれ」
殺しても構わない、とウルガは簡単にそう告げる。その言葉にアカツキの中の緊張感が一気に増していく。いつの間にか拳を握りしめており、その中が湿り気を帯びていく。
「先遣部隊が衛兵を片付け次第、全員で城下町へと攻め込む。邪魔ならば、外に出ている住民は、随時殺して構わない」
アカツキはまだ、それがどういうことかを、はっきりと理解することができないでいた。ただ、誰も外に出てくるなよ、と切に願うしかなかった。
「王宮に入ったらいつも通りにやってくれ、自らの目の前の敵を屠り、王の首を取る。特に変わった作戦は必要ない。いつも通り迷いなく、自らの心に秘める思いのままに作戦を遂行してくれればそれでいい」
いつも通りとウルガは言う。アカツキはいつもの明るい彼らしか知らない。戦場における彼らのいつも通りとはなんなのか。彼らは戦場で一体どんな日常を過ごしてきたのか……。アカツキは彼らのことを何も知らないのだ。
アカツキはウルガの言葉を聞くたびに、これから自分が何をしに行くのかがわからなくなってきた。ただ、その迷いは誰にも打ち明けることができないまま、作戦会議は着々と進んでいった。
「先遣部隊にはサリア、ナズナ、トオル、アカツキ、ヨイヤミの五人を任命する」
考え事をしていると、急に名前を呼ばれてアカツキは戸惑ってしまった。他の四人が同時に返事をする中、アカツキは少し遅れて返事をした。ウルガは少し訝しげな顔をしたが、特にそのことに触れることなく事は進んでいった。
その後もいくつかの部隊に振り分けられていき、やがてすべてが終わるとウルガ自らの胸を叩いて猛々しい声で告げる。
「では、武運を祈る」
ウルガの言葉に、全員が「はっ」と声を合わせて答える。アカツキも今回は、皆と同じように声を合わせることができた。だが、迷いは深まっていく一方だった。
仮アジトから少し外れたところで、アカツキはひとり考え事をしていた。
これから起こることを、自分は本当に理解できているのか?自分は本当に彼らのことを、レジスタンスのことを理解できているのだろうか?彼らが何を抱えているのか、自分は何も知らないのに……。
一人で考え事をしていると、目の前の木がカサカサと揺れて、アカツキは思わず身構えてしまった。その視線の先の木の合間から、サクラがヒョコッと顔を出した。
「どうしたの?そんな怖い顔して」
優しげに、しかし少し困惑したような表情を浮かべながらサクラは尋ねる。アカツキは慌てて、身構えていた身体を解き、照れ隠しのような笑みを浮かべる。
「なんでもありません。ただ、少し怖くなっただけです。今まではなんとなく過ごしてきたけど、時間が近づいてくるにつれて実感が湧いてきて、怖くなっているんだと思います」
アカツキの顔が少しずつ俯いていく。しかし、これはサクラから視線をそらすとか、そういった類の俯きではない。単に自分の恐怖心に負けそうになっているだけだ。
この三週間ですっかりサクラにも慣れることができた。もう赤面したり、視線を逸らしたりすることはない。彼女とは自然に話せるようになっていたし、一昨日のような状況が珍しかっただけで、あんなことは滅多にない。
これだけ早くに慣れることができたのは、彼女の人懐っこさが大きな要因だと思う。こちらが拒否しても、しつこく絡んでくる彼女にアカツキはいつしか、女性に対する恥ずかしさを感じなくなりだしていた。自分でも驚く程早く、アカツキは彼女のことを受け入れられるようになっていた。
「そっか、そりゃそうだよね。戦争なんて、知らない人からしたらなかなか実感の湧くものじゃないよね」
「う~ん」と唸って少し考える素振りをみせると、サクラはアカツキをしっかりと見据えて、いつもとは雰囲気の違う表情になりを浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。
「君はこのまま戦争を知らなくてもいいのかもしれない、と私は思う。戦争は決していいものじゃないから、知らなくて済むのなら、それが一番だと思う」
サクラはジッとアカツキを見つめて少しの間をおくと、何かを決心したように頷くとアカツキに告げる。
「私は思うんだけど、怖いなら逃げてもいいんじゃないかな。君は、まだこの世界に足を踏み入れていない。まだ引き返せるところにいるんだよ……」
逃げるという選択肢。それはアカツキにとって考えてもみない選択肢だった。普通なら、真っ先に出てきそうだが、レジスタンスに入った理由が、その選択肢を無理やりに押さえつけていたのかもしれない。
逃げるという選択肢を与えられて、アカツキは大いに戸惑ってしまった。逃げてしまえば、この迷いからも逃れられる。故郷はもうないけれど、平穏な生活を送ることもできるかもしれない。
しかし、アカツキがその選択肢を選ぶことはなかった。
「それはできません。この作戦には俺も既に含まれています。俺が抜けて何かが変わるほど俺に影響力はないかもしれません。それでも俺に逃げるという選択肢を選ぶことはできないんです」
サクラは少し戸惑った顔をしたが、すぐにいつもの優しい笑顔に戻った。
「そっか……。やっぱり君は男の子だね。責任感が強くて、ちょっと強情で……。でも、かっこいいと思うよ、そういうの。戦場に行く決意をしたのなら、私から掛けられる言葉はひとつだけだよ」
そう言うとサクラは胸の前で両手を組み、祈るようにアカツキに告げた。
「無事に生きて帰ってきてください」
アカツキは胸の奥が熱くなるのを感じた。一昨日の夜も同じ言葉を聞いたような気がする。しかしそれは誰かではなく、皆に向けられたものだったのだろう。だが、今回のその言葉は自分一人に向けられたものだった。
誰かから無事を祈ってもらえることが、こんなに嬉しいものだとは知らなかった。いや、そうではない。誰かでなく、サクラだからこそ……。
アカツキは目頭が熱くなり溢れ出しそうな涙を、しかしそこは必死で堪えて、無理矢理に笑顔を貼り付けてサクラに向かい合う。
「必ず、生きて帰ってきます」
その言葉を聞いたサクラは、満面の笑みを浮かべて嬉しそうにこう答える。
「うん、待ってるね」
彼女がそんな気持ちで言っていないことはわかっている。彼女は面倒見がよくて、人懐っこくて、おせっかいで……。
きっと彼女は誰にでもこうやって言えるのだろう。だから、今はこの気持ちは抑えておこう。いつか、自分だけの為にそう言ってもらえる日が来るまでは……。
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