仮面に隠された思い
裏部隊の馬車は乗員が揃ったものから順に出発していく。アカツキたちの馬車も既に出発していた。
「皆で一緒に行かないんですか?」
馬車に備え付けられた小さな窓から外を覗いていたアカツキが、別々の方向に向かっていく馬車を眺めながら尋ねる。
「馬車が、何台も同じように移動していたら怪しまれますからね。なので、ある程度別れて、目的地まで向かうのですよ」
そんな普通なら誰でもわかりそうな問い掛けにクランは丁寧に答えてくれる。そんなクランの優しさにつけ込むように、ヨイヤミも間髪を入れずに疑問を口にする。
「じゃあ、何でこんなグランパニアから遠いところに本拠地を建てたんや。奴隷制度はグランパニアに近い国ほど顕著に見られる。もし奴隷解放をするなら、もっとグランパニアに近いところを本拠地に選ぶべきやないんか?」
ヨイヤミの質問に周囲の視線もクランに集まる。どうやら他の皆もそれについては疑問に思っているようだ。
「最もな質問ですね。わざわざこんな辺境の地に建てたのは、いくつか理由があります」
そう言いながら、クランは皆に向けて人差し指を一本立てる。
「ひとつは、あまり敵地に近づきすぎると、グランパニア傘下の国から集中砲火を浴びる危険性があるということです。いくら、ウルガがいるとは言え、多国家から集中砲火を浴びれば我々になす術はありません」
クランはお手上げだと言うように両手を上げながら首を振る。「しかし……」と言いながらその仕草を止め、ヨイヤミの顔をジッと眺めるように覗き込む。
「あの辺境の地であるバランチアは、周囲に森や海といった自然の防護壁がいくつもあります。少なくとも相手が攻める方向が狭められます。そうすれば我々にも少なからず勝機はあります。まあ、確立が数パーセント上がるぐらいですけれど」
クランは一旦話を切り、近くにあった水を口に含み一息つくと、次は指を二本立てて話を始める。
「そして二つ目は、相手をかく乱させるためです。私たちは、敵地に攻め込むときに必ず仮アジトを設営します。そして、必ず仮アジトを残していくんです。我々がひとつの拠点を持たずに、転々としていると思わせるために……」
今度はレジスタンスの内情を知っているバレルやナズナへと視線を向ける。
「裏部隊の方たちは、拠点を持ってはいませんから。まさか、グランパニア周辺を転々としている我々が実はこんな辺境の地に本拠地を構えているとは思わないでしょう」
視線を向けられたバレルとナズナは、納得するように二、三度頷き返す。
そこまで聞いて、アカツキはふと疑問に思う。なぜそんなレジスタンスの情報をヨイヤミは知っていたのだと、ヨイヤミの方に顔を向けるが、ヨイヤミは気付いているのかいないのか、知らん顔でクランの話を聞いている。
そしてクランは更にもう一本指を立てる。
「そして、三つ目なのですが、実はこれが大きな要因と言っても過言ではありません。実は我々レジスタンスは、バランチア国王とは協定関係にあるのです」
さすがにこの話にはアカツキもヨイヤミも驚いて身を乗り出した。呆然として、開いた口が閉じなくなっている。
「ま、待ってください。一国家がテロリストと手を組んでいるんですか。そんなのバレたら、大変なことになるじゃないですか」
凄まじい動揺を見せるアカツキたちに対しても、クランは依然として落ち着いた態度で答える。
「えぇ、確かにそうです。国際法的にいって、もしこのことが明るみに出れば、全世界の敵として、バランチアは攻撃対象となりますからね。まあ、この協定も一筋縄ではいかなかったのですが……」
どうやらバランチアとの協定に一枚噛んでいるのか、クランは思い出すかのように遠い目をする。
「実は、バランチアの国王は奴隷反対派なのです。だから、我々の活動に関してはとても協力的でした。しかし、我々はテロリスト。ですから匿うとなるとそれだけリスクを生じます。もちろん、そう易々と承諾はしてくれませんでした」
その時の苦労を思い出しているかのように、一度大きな溜め息を吐く。
「そこで、もしバランチアが戦場になったとき、レジスタンスはバランチアの兵士として戦う、という盟約を交わしたのです。ウルガの力があれば一国家と充分に渡り合える。バランチアにしても悪い条件ではないでしょう」
確かにお互いのリスクリターンは成り立っている。どちらにもリスクを伴うが、その分のリターンも大きい。しかしアカツキはふと疑問を感じた。
「あれ?でも俺たちが最初にギルドの依頼書でレジスタンスの手伝いをしたとき、検問に引っかからないようにわざわざ僕らが運び込んだのは……。国王と協定関係にあるなら、わざわざそんなことしなくても良かったんじゃ……」
話の途中で質問を投げかけるアカツキに、クランは依然として嫌な顔一つせず答えてくれる。
「レジスタンスとバランチアが協定関係にあるということを知っているのは、国王と近しい側近くらいでしょう。知っている者が多いほど、情報が漏れる危険性がありますからね。情報の漏洩はお互い避けたいですから」
そこまで聞いたヨイヤミは、乗り出していた身体を元に戻し、頭の後ろで手を組みながら納得の言葉を口にする。
「そういうことか……」
他の三人もどうやら深くはこのことを知らなかったようで、感嘆の声を上げながらクランの話に聞き入っていた。どうやらレジスタンスの面々は、あまりそう言う内情を気にしないらしい。
その後もいくつかの質問に対してクランは全て答えてくれた。クランの話は興味深く、お陰で馬車の中の退屈な時間もあっという間に過ぎていった。
やがて「少し休憩です」と前から声が掛けられた。各々は馬車を降りて深呼吸したり、大きく伸びをしたりしてリラックスしていた。どこまで来たのかはわからないが、川辺の涼しげな草原だった。
「クランさんは、どうしてレジスタンスにいるんですか?」
各々がバラバラに休憩をしていたものの、たまたま近くにいたクランに、アカツキは思いつきでそんな質問をした。これまではどんな質問にも気さくに答えてくれたクランだったが、初めてあまり芳しくない表情を浮かべた。
「そうですね……。まあ、強いていうなら『たった一つの目的の為』でしょうか」
そう告げた瞬間のクランには、一瞬何かおぞましいものを感じた。それは本当に一瞬で、そう感じたのがまるで嘘だったかのように、いつもの優しげな笑みに戻っている。
「恐らく、レジスタンスに所属している方々は皆、何かの野望を持っていますよ。君たちにだって、叶えたい何かがあるのではないですか?」
確かに、アカツキも目的があってこのレジスタンスに入った。彼らも皆、それなりの理由があってレジスタンスにいるのだろう。
「そろそろ行きましょうか。もう休憩も終わってしまいます」
クランはアカツキに背を向けて、馬車の待つ方向へと歩き出す。そんなクランの背中に向けて、アカツキは呼び止める。
「あの……、クランさんの『たった一つの目的』って何ですか?」
先程あれだけ色々なことに答えてくれたからだろうか。アカツキは聞いてはいけないと思いながらも、思わずその疑問を口にしてしまっていた。
クランは立ち止まり、アカツキに視線を巡らせることもなく、背を向けたまま言葉を紡ぐ。
「さあ、何でしょうね?」
先程感じたのと同じような、おぞましい何か……。これは幻覚では無い。間違いなく、彼自身が放っている心の闇だ。
アカツキの拳がいつの間にか握られており、その掌にはびっしょりと汗がにじんでいた。そして数歩歩いたところでクランは立ち止まり、今度は顔だけをこちらへと向ける。
「アカツキ君。これは忠告です。あまり人の心の闇を覗き込まない方がいい。特に君みたいな子供は、簡単に闇に飲み込まれて、帰って来られなくなりますよ」
その表情には笑みが貼り付けられており、彼の本当の顔を見ることはできなかった。
これから戦うということもあり、身体を休める為に出来る限り夜は街の宿に泊まるらしい。武器などは全て、仮アジトへと運搬されているため、検問に引っ掛かることはなく、他人から見ればただの旅の一行、といったところなので特に問題はない。
ナズナとバレルは緊急事態のために、武器を隠し持ってはいるのだが、このご時世、護身用に武器を持っている者も少なくはないので、それくらいなら許されるのだ。
部屋は二人部屋を三つ借りたかったところだが、金銭的な問題で、四人部屋と二人部屋になっていた。ちなみに六人部屋はこの宿には存在しなかった。
バレルとクランが二人部屋で、ナズナ、サクラ、アカツキ、ヨイヤミの四人が四人部屋で寝ることになった。
この状況にアカツキが緊張しない訳がない。こんな狭い場所に女性と並んで寝たことなどないのだ。確かに普段もアジトでは同じ部屋で寝ている。だが、数百人以上いるあの部屋と、四人しかいないこの部屋では訳が違う。
アカツキは、とにかく一番端で寝て、自分の隣にヨイヤミを寝かせようと、考えていた。だが、その考えはあっさりと、無意味なものになった。
意外なことに、ヨイヤミが部屋に入るなり「疲れた」と言って、自分で布団を敷いて一番端で寝てしまったのだ。そんなヨイヤミの様子を見て、アカツキは驚きと焦りで、開いた口が塞がらなくなっていた。
ヨイヤミの癖に、何で真っ先に寝てんだよ……、というアカツキの心の声は誰に届くはずもなく、当の本人は寝る場所を決める暇もなく、寝息を立て始めてしまった。
アカツキの心中はヨイヤミへの怒り一割、女性と隣で寝ることに対する焦り九割といった比率で占められていた。
部屋面積的に、布団の敷き方は四つ並べるしかない。つまり、必ずどちらかが隣に来ることになる。この三週間で確かに女性には大分慣れた。それでも、この状況は今のアカツキにはまだ少しばかり酷なものではあった。
仕方なく、誰に場所を聞くでもなくアカツキはそそくさとヨイヤミの隣に布団を敷き始める。こういうときは早く寝るに限る。
アカツキが布団を敷いていると、サクラがアカツキの傍に寄り、いつもの明るい声で告げる。
「私アカツキ君の隣で寝る。ナズナこっちね」
ナズナは呆れたように「はいはい」と言いながら自分の場所に布団を敷き始める。
宿に着いたのが案外遅かったので、すでにいつもの就寝する時間は回っていた。それもあって、みんなすぐに布団の中に入って寝る準備をする。やがてナズナが部屋の明かりを消し、部屋が暗闇に包まれる。
寝る体勢に入ったアカツキは体を横に向けてヨイヤミの方を向いていたのだが、部屋の明かりが消えたかと思うと背中をツンツンと指で突かれる。
いつもの悪戯だろうと思ったが、仕方なくサクラの方を向く。すると、サクラは無邪気な笑顔でこちらに笑いかけてくる。月明かりがうっすらと窓から入ってきて、薄暗い部屋にその顔がぼんやりと映し出される。
そんなサクラの儚い笑顔が目の前にあることで、アカツキは無性に恥ずかしくなってきて、さっと身体を元の状態に戻す。サクラはアカツキの真っ赤な表情を見て、息を殺しながらクスクスと笑っていた。
それから少し経った後、また背中に手が当たる。アカツキは、またか……、と思って今回は寝た振りをして無視をした。だが、その手が背中から一向に動こうとしない。
流石に心配になったアカツキが振り返ると、目と鼻の先にサクラの顔があった。どうやら寝返りを打って、アカツキの方に寄ってきたようだ。
その瞬間、アカツキは濁流のように顔に熱が込み上げてくるのを感じる。少しでも動いたら唇と唇が触れてしまいそうな距離に、サクラの顔がある。
アカツキはとにかく視線を逸らそうと、少しだけ視線を下に落とす。すると服が軽く撚れて、サクラの胸がアカツキの視界にチラついた。
アカツキは更に熱が込みあげてきて、息をするのも忘れてしまいそうなほど、必死に視線を逃がす場所を探す。顔は沸騰してしまいそうな程真っ赤で、サクラが起きていないことが唯一の救いだった。
こちら側を向いていると、どんどんどツボに嵌ると思い、身体を捻って何とか元の状態に戻す。アカツキは緊張で息が上がってしまい顔が熱く、目が完全に冴えて寝られるような状態ではなくなってしまった。
アカツキが気持ちを落ち着けようと、深呼吸しながら窓の外を眺めていると、背中から小さな声が聞こえてくる。
その声は泣き出してしまいそうで、まるで祈るかのような声音だった。
「みんな、無事に帰ってきてね……」
それはサクラの寝言だった。表情を見ることはできない。今後ろを振り向く勇気はアカツキにはなかったからだ。それでも、その言葉を聞いた瞬間、アカツキの熱は急激に冷めていった。
サクラはいつもふざけているように見えるが、それは心配の裏返しなのだ。そうやってふざけていないと、こうやって泣き出してしまうから……。
これから自分たちが行く場所は、そういう場所なのだ。誰がいつ死んでもおかしくない戦場。
アカツキの表情は自然と強張り、もう一度窓の外を眺めながら物思いに耽るのだった。
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