波音は哀しみを攫って

 アカツキはアジトに戻って少しすると、ふと潮風に当たりたくなって外へと出た。昼間の喧騒はすっかりとなりを潜め、波の音だけが優しく耳を撫でていく。


 そんな波の音に耳を傾けながら歩いていると、いつかと同じように透き通るような歌声が、潮風に乗って響き渡る。


「あっ、アカツキ君。また来たんだね。ここ気持良いよね」


 サクラは大きく伸びをしながら、気持ち良さそうに髪を潮風になびかせる。そんな風に身を任せるように、サクラは眼を瞑って風を感じる。


「ここ気持ちいいよね」


 そしてゆっくりと瞼を開けると、大きな月がまるで二つあるかのように映り込む海へと視線を向けながら、アカツキに向けて問い掛ける。


「ねえ、一つ聞いていいかな?アカツキ君もウルガと同じように不思議な力を持ってるの?」


 サクラの問い掛けに、何と答えていいのかわからなかったアカツキは口を噤んでしまった。静けさを嫌ったサクラは、照れ隠しのような笑みを見せると、慌てて付け加える。


「あ、無理に答えなくていいからね。でも、私は君からウルガと同じものを感じたから。あれがどういうものなのか、私にはわからないけど、きっとその力は誰かを守るために与えられたものなんだろうね」


 本当にそうなのだろうか。あの力を使った自分を、野盗はどんな眼で見ていた。あれが護るための力であったのならば、なぜ自分は化け物でも見るような眼で見られたのか。


「君たちは何かの使命があって、そういう力を与えられたのかな?私には、何の力もないからわからないけど、力があるのって少し羨ましい」


 そんな羨ましがられるものでは無い。この力のせいで、自分は化け物扱いされたのだ。


 しかし、自分は大切な者を護るためにこの力を欲した。自分が化け物になろうとも、その大切な者を護りたかった。だから野盗が向けた視線は当たり前のものなのかもしれない。


 サクラは海沿いの柵に肘をのせて、両手で顎を支える。アカツキも、サクラと並ぶように、柵に手を置きながら、月明かりで照らされた海を眺める。


「私は何も力がないから、誰かを護ることも、誰かを救うこともできない。力があればきっと君たちみたいに誰かを護ったりできるんだろうなって、ちょっと考えちゃうんだよ。無いものねだりってやつかな」


 サクラ自嘲するようには少しだけ笑みを浮かべる。力が無いことは決して悪い事ではない。けれど、力がなくて目の前の物を失ってしまえば、力がなかったことを悔いるのは当然のことだ。だから誰もが力を欲する。誰かを護るために……。けれど……。


「そんな事ないですよ。こんな力があったって、何も護れやしない……。俺は結局何もできないんです」


 柵を掴むアカツキの掌に力が込められる。アカツキが握った拳が小さく震える。アカツキはまだ過去に囚われていて、過去の後悔から抜け出せていない。


 小さく震えるアカツキの拳の上に、柔らかい掌がそっと乗せられる。アカツキの手の震えは治まり、アカツキはその手の主にゆっくりと視線を巡らせる。


「そんなことないよ、私はアカツキ君に救われた。それがどんな力であれ、その力で私の命は救われたんだよ」


 サクラはいつもと違う真面目な顔でアカツキに語りかける。そんな真っ直ぐな視線を、流石のアカツキも逸らすことはできない。今アカツキの目の前にいるのは、過去とは異なる、救うことができた命。


「だから、何もできないなんて言わないで……。もっと、自分に自信を持っていいんだよ。君には人を護れる力があるんだから」


 アカツキの拳を握る手に少しだけ力が加えられる。サクラの熱が掌を通してアカツキに伝わっていく。この温もりは、アカツキが護り抜いた温もり。


 サクラはコロコロと表情を変え、今度は優しげで、まるで子供に何かを教えてあげる母親のような笑みを浮かべる。


「でも、あまり責任感を感じないでね。君はきっと背負っちゃうタイプだから。力があるからってなんでも護れる訳じゃないんだよ。だから、もし君の前で誰かが取り返しのつかないことになっても、あまり背負い込まないで。それは、君のせいじゃない。その人の運命なんだよ、きっと……」


 わかっている。シリウスが死んだのは自分のせいではないことぐらい……。


 自分にはどうすることもできなかったし、逃げるのが精一杯だった。それでも、後悔せずにはいられないのだ……。シリウスを守れたかもしれないという、一抹の希望を考えると自分を責めずにはいられないのだ……。


 目頭が熱くなり涙が溢れ出す。涙で視界がぼやけサクラの表情を視認することができない。


「でも、きっと君は背負っちゃうから、だから護れなかった人じゃなくて、護れた人のことを思い出して。私は君に命を救ってもらったよ。君のおかげで今こうやって君と話すことができているよ」


 サクラの優しい言葉に涙が溢れて止まらない。その言葉に寄り添うことが甘えだとわかっていても、寄り添わずにはいられない。だってそれは救えた命だから……。目の前で大切な者を失わずに済んだのだから。


 アカツキの拳を握り絞めていた掌が離れていく。もう少し、この温もりを感じていたかった、と思っていたアカツキの身体を、急に誰かの身体が包み込む。それが誰なのかは言うまでもない。


「ちゃんと言えてなかったから、今言うね……。あの時は助けてくれて、ホントにありがとうございました」


 耳元で優しくささやかれたその言葉に、アカツキは感情を抑えることができなかった。悔しい気持ちと、嬉しい気持ちが混じり合い、それらは涙の粒となって頬を流れ落ちる。


 昼間と同じ様な状態のはずなのに、今は恥ずかしさなど微塵も感じない。ただ、抱き寄せられるがままに、アカツキは身を寄せて、その肩に自らの顔を埋めた。


 そんなアカツキの耳元で「ありがとう、ありがとう……」と嗚咽混じりに何度も繰り返す、サクラの声が聞こえていた。


 一通り泣いた後、アカツキはサクラから離れ、ちゃんと目を合わせてから頭を下げる。お互いの目許は赤く腫れ上がっており、せっかく佇まいを直しても、なんだか締まらない。


「ありがとうございます。少し心の靄が消えた気がします。サクラさんに教わった通りこれからは、救えた人のことを思い出して、前向きに生きていこうと思います」


 過去のことを思い出して、後ろ向きに生きるのはもう止めよう。彼女のお陰でそう思うことができた。


 そんなアカツキは少しだけ自嘲気味に頬を掻きながら笑みを浮かべる。


「まあ、これからどれだけの人を救えるかわからないですけど……。もしかしたらサクラさんが、最初で最後の人になったりして……。」


 自信なさ気な事を言うアカツキの肩を、サクラが少し強めに叩く。


「大丈夫。君なら、きっとこれから、いろんな人を救うことができるよ。私を救ってくれたように……。だから、自分の思うように頑張れ。君には意思があるんでしょ。誰かを護りたい、誰かを救いたいっていう意思が……」


 数日前の記憶を思い出しながらアカツキは少し恥ずかしそうに笑う。


「そうですね。頑張ります」


 アカツキの目から曇りが少し薄れたような気がした。まだまだ過去に囚われているけれど、少しは迷いが消えたように思う。サクラはそんなことを思いながら、アカツキのことを見つめていた。


「それじゃあ、戻ろっか」


 あの時と同じように、二人は並んでアジトへと戻っていった。それでも、二人の間に空いた距離は確実に近づいていた。


 それから三週間の時が過ぎた。アカツキたちもすっかりレジスタンスに馴染み、様々な任務をこなすようになっていた。


 バレルは傷が癒えるまで絶対安静、と医療班に言われたのだが、最初の頃はよくひとりでに外に出かけていた。しかしあるとき、ウルガに幹部部屋に呼び出され、部屋から戻ってきた後は、借りてきた猫のようにおとなしくなって、完治するまで静かに過ごしていた。


 バレルが安静のため、任務は基本サクラ、ナズナ、アカツキ、ヨイヤミの四人で行っていた。特にこの四人で一組という訳ではないのだが、ウルガも気を遣ってか、アカツキとヨイヤミにはサクラとナズナを同伴させていた。


 この三週間は任務も特に大きな事件はなく、順調に事は進んでいた。これだけ運搬や調達をしているのに、レジスタンスが動く気配がまるでないなと思っていた矢先のことである。ウルガから団員全員招集が掛けられた。


「諸君、これまで良く働いてくれた。お前たちのおかげで遂に準備が整った。これより、奴隷解放作戦を開始する」


 ウルガのその言葉に、団員全員が雄叫びを上げた。地鳴りを起こすのではないかと思う程の咆哮に、アカツキとヨイヤミは圧倒されていた。


 アジトの中が揺れ動くかのごときその咆哮は、待ちわびていた日がやっときた、という団員たちの思いを容易に感じ取ることができた。


「今より数刻後、アジトの移動を行う。裏部隊により、今回の戦地であるプライアの近くに仮設基地を準備した。コレまでお前らが運搬してくれた物資は全てそこに運び込まれている」


 アカツキが裏部隊という言葉に疑問を覚えながら首を傾げていると、サクラが顔を近づけながらそっと耳打ちしてくれる。


「裏部隊って言うのは、仮設基地の設営とか、戦地での情報収集とかを行ってる部隊のこと。ここにいるメンバー以外にも、後百人くらいレジスタンスにはメンバーがいるんだよ。まあ、こっちが実働部隊なら向こうは隠密部隊って感じだね」


 耳元で話し掛けられたため耳がすごくこそばゆく、じわじわと恥ずかしが込み上げてくるが、さすがにコレくらい我慢できるようになった。


 それにしてもここの人以外にもレジスタンスのメンバーがいると言うのには、驚きを禁じ得なかった。最早テロリストというよりも、一国家と呼べるのではないかと思うほどの規模だ。


 この世界の国と認められる基準は、その国だけで最低限の生活を営むことができ、その国を治める王が存在し、はっきりとした領土が存在することなのだ。つまり、住人の数がどれだけ少なかろうと、国王と領土さえあれば、そこは国として認められるのである。


 だから、アカツキの故郷であるルブールのような、住人が数十人しかいない場所でも、シリウスの存在によりひとつの国として認められていたのである。


 この世界にやたらと国が多く存在するのはそれが原因である。帝国王であるアルブレアが決めた、この世界の国としての基準は、国を増やし、王を大量に存在させる為に存在するかのようにも思える。そのせいで、多くの国が領土や覇権を争い戦争を繰り返しているのだ。


「裏部隊に馬車を用意させた。諸君らは、いくつかの組に分かれて馬車に乗り込み、戦地へと向かってもらいたい」


 ウルガから告げられたのは、サクラ、ナズナ、バレル、アカツキ、ヨイヤミ、そしてクランと呼ばれる男だった。


「君たちとちゃんと話すのは初めてですね。クラン・オグルフィデーレです。よろしくお願いします」


 それぞれの組に分かれると、挨拶と共にクランはアカツキとヨイヤミに向けて手を差し出す。アカツキはその手を取りながらも、どこかで見たことのある顔だなと思いながら、訝しげにクランの顔を覗いていた。


「僕の顔に何かついていますか。あっ、僕の顔を余り見ないから疑問に思っているんですね」


 病弱そうな顔に、何処か綺麗な言葉遣い。テロリストには似つかわしくない相貌男だからだろうか、記憶の片隅にこの男がちらつく。確かに見たことはある気がするのだが、普段アジトにいて見かける顔ではない。


「こう見えて、僕はレジスタンスの幹部なんです。だから幹部部屋から出ないので、普段は君たちとの接点がないのですよ」


 そう言われて、やっとどこで見たかを思い出した。最初バレルに幹部部屋に連れて行かれたときや、任務で呼ばれたときにその顔を見ていたのだ。


「まあ幹部なんてしてますけど、自分で自分の身も守れない軟弱者です。ですから、ナズナさんやバレルさんみたいな前線を担ってもらっている人たちと同じ馬車に乗せられたという事です」


 戦えないと言われても驚きはしない。むしろその相貌からは合点がいくものだ。しかし、そんな男がなぜ幹部などを務めているのだ、と疑問に思っていると、その答えはバレルから告げられる。


「そんなことないですよクランさん。適材適所ってやつですよ。あなたのような組織のブレインも必要なんです。あなたの頭脳があってこそのレジスタンスっすよ」


 つまりは参謀ということだろう。戦う者だけでは組織は成り立たない。バレルが述べたように、適材適所は組織にとって不可欠なものなのだ。


 そんなバレルの言葉に、クランは少し照れくさそうな笑みを浮かべながら答える。


「ありがとうございます。皆さんのお役に立てるように善処しますね」

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