桜色の失心

「二人の初任務、無事成功を祝して乾杯」


 サクラの掛け声とともに、五つのグラスが高い音を立ててそれぞれにぶつかった。

 今はバランチアのとある食堂にて、例の五人で祝杯をあげている最中だった。


「まあ、無事だったかどうかは怪しいとこだけどな」


 バレルがわざわざ口を挟むと、サクラがいつものように口を膨らませて幼い表情をして見せる。


「いちいちそんなこと言わなくてもいいじゃん。本当にバレルは空気読めないなあ」


 そう言いながらも、サクラの表情に一瞬ではあるが哀しみが過る。恐らく、バレルの肩に巻かれた包帯が目に入ったのだろう。無事というには、あまりにも大きな傷だった。


 バレルはまだ肩に傷跡が深々と残っているが、医療班の制止を振り切ってここへやってきていた。


 五人とも昨日のお昼から何も食べていなかったので、丸一日振りの食事だった。


「おばちゃん肉くれ、肉。血が圧倒的に足りないんだ」


 バレルは店主に向けて抽象的な注文をするが、それでも困った顔ひとつせずに「はいよ」とすぐさま料理に取り掛かってくれていた。


「それにしても、バレルって銃で打ち抜かれたのに、ホント元気だよね」


 サクラが先にきた前菜を口に運びながら、バレルの頑丈さに感嘆の声を上げていた。確かに、肩を撃ち抜かれた上に、その後も自らのライフルで散々追い打ちをかけていたのに、今は何の痛みも感じていないかのようにピンピンしている。


「こいつは、もう少し大怪我してくれた方が静かになって良かったんだが、ホントに残念だよ」


 サクラの驚きの声に、自慢げな表情を浮かべているバレルに、ナズナの冷たい声が降り注ぐ。そんなナズナに相変わらずバレルが食って掛かっているが、どこ吹く風といった様子で前菜を口の中に運んでいた。


「いやあ、でもバレルさんとナズナさんはホントすごかったなあ。相手五人もいた上に、バレルさんなんか手負いやったにもかかわらず、二人が負ける気がしませんでしたもん。」


 ヨイヤミが二人に向けて賞賛の言葉を送ると、ナズナがあからさまに嫌そうな顔をする。


「こいつと、一緒くたにするな。気分が悪くなる」


 相変わらずアカツキは無言で食事に集中している。いや、集中する振りをしている。ひたすら食べることに集中することで、しゃべる機会を減らそうと必死になっていた。


 ちなみに円卓にはアカツキ、ヨイヤミ、サクラ、ナズナ、バレルの順番で座っている。当然、アカツキがここに逃げてきたのだ。


 バレルが一番に座ると、そそくさとその隣に座り、ヨイヤミに隣に来るよう指示する。


「はい、お待ち。たんと食べなさい」


 ようやくやってきた主食に、バレルが一目散にかぶりついていた。ナズナやサクラも、淡々と自分の皿に料理を運び、バレルに取られる前にちゃんと料理を確保していた。


 アカツキとヨイヤミもバレルの勢いに圧倒されながら、何とか自分たちの食べる分を確保することが出来た。


「なあ、ヨイヤミ。お前の出自は聞かない方がいいんだよな?」


 突然、言い辛そうにしながら、ナズナがヨイヤミに尋ねる。気になっていたアカツキは、ふとヨイヤミに視線を向けてしまう。


 しかしヨイヤミは答える気は内容で、申し訳なさそうな顔をしながら、誰とも視線を合わさないように俯いて答えた。


「すいません。仲間に隠し事とかあんま良くないんやろけど、聞かんでもらえると嬉しいです」


 さっきまで勢い良く食べていたバレルが急に食べるのをやめ、口の中の物を急いで飲み込んだ。


「誰にだって、言いたくない過去の一つや二つはある。そもそも、こんなガキ二人でレジスタンスに入りたいがためにここまで来て、自分たちの力でアジトまで見つけやがったんだ。そんなやつらが普通の育ち方してきた訳がないだろ。心配すんな、ここにいる三人は信頼できる。お前のことを誰かに言い触らしたりはしねえよ」


 屈託のない笑顔を見せると、すぐにまた食事に戻った。バレルのこういうサバサバとしたところには、救われることがある。そんなバレルの影でナズナがボソッと呟く。


「まあ、アジトに連れてきたのはお前だけどな……」


 そんなナズナの言葉に「うるせえ」と、バレルは口の中に料理を押し込みながら返していた。


 その後は、楽しい食事が続いた。五人とも食べたり、話したり、笑ったりしながら何時間も店に滞在していた。いつの間にか、アカツキもその楽しい雰囲気に当てられて、話の輪の中に入り、みんなと会話することが出来ていた。


 丸一日分の料理(バレルに至っては、二日分くらい食べていた気がする)を一気に食べるかのような勢いで料理を平らげた五人は、風呂に寄ってアジトに帰ることにした。


「今日はお前らの祝いだ。俺がおごってやるから、気にすんな」


 店を出る直前になってそんなことを言いだしたバレルに任せて、四人は店の外へと出た。


 しかし店を出た後、四人が店の中のバレルの姿を覗いていると、伝票を見た瞬間にかなり苦い顔をしたので「あの、格好付けが」と四人の間で大爆笑が起こっていた。


 バレルは怪我のこともあるので、風呂には付いて来なかった。四人が街中の喧騒に紛れながら歩いていると、不意にサクラが口を開く。


「混浴とかないかな?」


 そんなサクラの思いつきに、アカツキは思わず足を止め必死に反対し始めた。


「こ、混浴なんて無理です。だ、男女別々で……」


 サクラの冗談にあまりにも真顔で反対するアカツキが面白くなってきたのか、ヨイヤミもサクラの悪乗りに参戦する。


「えぇ、もったいなっ。こんな機会、二度とないかもしれんで」


 二人は本当に楽しそうに、アカツキをからかいながら、それでも流石に可哀想に思えてきたのか、サクラがようやく冗談であったことを明かす。


「冗談だよ、冗談。ふふっ」


 そんな楽しそうなサクラの姿を見て、ナズナは溜め息を吐きながら、隣からサクラの頭を小突いていた。


「だから、新人で遊ぶなっ」


 小突かれた頭を抑えて、泣き真似をしながらアカツキの腕に抱きついていく。


「ナズナ、ひっどぉい。アカツキ君慰めてぇ」


 サクラの顔が目前にあり、揺れる髪からは甘い香りが漂ってくる。腕には何か柔らかいものが押し付けられ、頭の中が真っ白になっていく。


 アカツキはサクラを引き剥がす術を持っておらず、顔を真っ赤にして慌てふためいていると、見かねたナズナが止めに入った。


「サクラ、ホントにやめておけ。アカツキが瀕死状態になってる」


 ナズナに止められたサクラがアカツキの顔を覗き込むと、沸騰するかのように顔を真っ赤にしていた。それに気が付いたサクラが、慌ててアカツキから離れると、アカツキは目を回してその場で倒れてしまった。


「ちょ、ちょっとアカツキ君……」


 さすがのサクラも焦って、アカツキに呼びかけたのだがそのまま完全に気を失ってしまっていた。


 意識が遠退いていく中でサクラがアカツキを呼ぶ声と「はぁ、全く……」「コレは一種の病気やな」と溜め息をついているナズナとヨイヤミの姿がうっすらと見えた後、アカツキの視界は真っ暗になった。


 意識が戻ると、判然としない視界の中に何やら二つの山のようなものが見え、頭の下に何か暖かく柔らかいものを感じる。視界に入ったものが何なのか解らず、アカツキはそれを確かめようと手を伸ばす。


 それはとても柔らかく初めて触るような感触で、しかし触った瞬間に「ひゃっ」と聞き慣れた甲高い声が鼓膜を震わせる。だんだんと覚醒していく頭で、自分が何に頭を乗せていて、自分が何を触っていたのかがようやくわかるようになってくる。


 それを完全に理解した瞬間「うわぁっ」と声を上げながら飛び起きると、サクラが少し恥ずかしそうに胸を隠しながらこちらを眺めていた。しかし直ぐに咳払いをして、佇まいを直すとアカツキに向けて謝罪の言葉を述べてくる。


「お、おはようアカツキ君。ごめんね、ちょっとお姉さんふざけすぎちゃったね。大丈夫だった……?」


 どうやら、先程のことはなかったことにしてくれるらしい。やはり何だかんだ言っても、サクラは優しいのだ。まあ、後は先程の負い目もあるのだろうが……。


 サクラの優しさを汲み取って、アカツキは先程のことには触れないことにする。


 とりあえず落ち着くために辺りを見回すと、どこかの宿の休憩室のようで、残りの二人の姿は見当たらない。そのことを疑問に思っていると、口にする前にサクラが答える。


「二人なら先にお風呂に入りにいったよ。アカツキ君も起きたことだし、私たちも行こっか」


 それを聞いた瞬間、意識を失う前のことを思い出し、混浴ではないかと疑いの視線をサクラに向けていると、それを察したサクラが苦笑いを浮かべながら答える。


「大丈夫だよ、ちゃんと男女別々だから」


 安堵の溜め息をつきながらサクラの後についていき「じゃあ、私こっちだから」と言って女風呂に入っていくサクラを見送ると、アカツキも男風呂の方へと入っていった。


 どうやら、なかなか立派な浴場に来たようで、脱衣所の内装も今まで入ってきた浴場に比べると豪華なつくりになっていた。


 扉を開けるとそこは外に繋がっていて、湯船から立ち込めた湯気を、浜風が攫っていく。


「すごい……、露天風呂とか初めてだ」


 アカツキが感嘆の声を上げならが辺りを見回していると、不意にヨイヤミの姿が視界に入る。


「お、やっと目覚ましたんか。ホントに、あんなので気失うなよ。そこまでいくともう病気やで」


 先に湯船に浸かっていたヨイヤミがアカツキを見上げながらそんなことを言う。そんなヨイヤミを視界に収めながら、アカツキは置いてあった桶でお湯を掬い、肩からお湯を掛ける。


「あんなんで気を失ったのは反省してるよ。サクラさんにも申し訳ないことしちゃったと思ってる」


 申し訳なさそうに話すアカツキを慰めることもなく、ヨイヤミは更に追い打ちを掛けていく。


「ホントやで。近づいただけで気失われたら、向こうも気分悪いで。まあ、いい経験にはなったと思うけど……」


 そんなことを言うヨイヤミは相変わらず意地の悪い笑みを浮かべていた。そんなヨイヤミに素直に謝るのは癪だったので少し勢いよく湯船に入ることで、水しぶきを掛けてやった。


「わかってる。これからは気をつけるよ」


掛けられた水しぶきを払いながら、ヨイヤミは続ける。


「アカツキのそれは、気つけてどうにかなるもんとちゃう気がするけど……。まあ、サクラさんをええ練習相手やと思て、克服してくしかないかもな」


 アカツキは頷きながらも、それはどうなのだろうと小さな疑問符を浮かべていた。


 任務を終えた後、二人でゆっくり話す機会もなかったので、ようやくできた二人の時間となった。


「それにしてもアカツキ、僕が言いたいことわかるよな」


 ヨイヤミが何か言いたそうに眼を細めながらこちらを見てくる。むしろこの話が最初に来るかと思っていたので、アカツキとしては、ようやくかという感じだった。


「あぁ、わかってるよ。魔法のことだろう。使ったのは悪かった。怒られるのも覚悟の上だ」


 これに関しては、アカツキも真面目に謝る。サクラを護るためとはいえ、約束を破ったのはアカツキだ。非があるとすれば、それはアカツキに求められるものだろう。


「いや、別に僕は怒る気はあらへん。あれがアカツキの思う最良の手段やったんやろ。それなら僕が口出しすることは何もない。この力が誰かを護るために使えるのなら、それ以上の使い方は無いんや」


 ヨイヤミの顔にいつものふざけた様子は無く、物思いに耽るように、自らの右手をジッと見つめる。それをギュッと握りしめたと思うと、もう一度アカツキに向き合う。


「アカツキ、ようやったな」


 ヨイヤミは怒ることなどなく、むしろ褒めてくれた。その言葉を聞いた瞬間、アカツキはやっと自分のしたことを認められたような気がして、野盗の怯えた視線のせいで、胸の奥にこびりついていたわだかまりが、やっと消えていったような気がした。


「じゃあ、覗きに行くか」


 いい話をしていたかと思っていたら、ヨイヤミは急に何やら楽しそうな表情に変わり、何を言いだすかと思えば覗きの提案だった。


 そんなヨイヤミの提案にアカツキは盛大に吹き出した。あまりの話の展開にアカツキは脳が追いついていかない。


「す、するわけないだろっ。やりたきゃ勝手にやってろ」


 慌てて顔を真っ赤にしたアカツキはヨイヤミから視線をそらすと、その視線の先に男風呂と女風呂を仕切る柵があった。


 ヨイヤミのせいで余計に意識してしまい、神経が変な方向に研ぎ澄まされていく。どうやら向こう側に二人がいるらしく、何やら話声が聞こえてくる。


「ちぇ。そんなんやから、全然女慣れできんのやわ」


 そんなアカツキの様子を見てがっかりしたような素振りを見せると、ヨイヤミはひとりでに柵の方に向かっていった。


 まさか本当に行くと思っていなかったアカツキは、冷や汗を掻きながらヨイヤミの後姿を眺めていると、ホントに柵をよじ登り出した。


「もう知らん……」


 アカツキは完全にそっぽを向くが、女子二人の会話はなぜかどんどん大きく聞こえるようになり、嫌でも意識してしまい、仕舞には変な妄想まで浮かび上がってくる。


 アカツキが自己嫌悪に囚われながら、頭まで湯船に浸けて一度落ち着きを取り戻していると、高いところからヨイヤミの声が聞こえてきた。


「うおっ、やっぱりナズナさんすげぇ。サクラさんもバランスいいなあ」


 そんなヨイヤミの言葉に、アカツキはもう一度盛大に吹き出した。本当に見ているようで、ヨイヤミは興味津々な顔で、辺りを見回している。


「なんやあ、他にはおらんのか……」


 どうやら他にお客さんはいないようで、アカツキは二人だけならいけるかも、などと少しでも考えてしまった自分の頬を独りでに叩いていた。


 そろそろ不味いような気がしてヨイヤミを止めようとアカツキが視線を向けると、ヨイヤミが鬼気迫った声を漏らした。


 ヨイヤミの表情から血の気が引いていき、引きつった愛想笑いを浮かべた瞬間、桶が宙を舞いヨイヤミが叫び声を上げながら柵から落下した。ヨイヤミの額は真っ赤に腫れ上がっていたものの、それを差し引いても嬉しそうな顔をしていた。


「えぇもん見せてもろたわ」


 ヨイヤミは倒れ込んだまま、こちらに親指を立ててくるので、アカツキはお風呂で暖まった身体も冷めるような冷たい視線を送るとそのまま風呂場を後にした。


 風呂を上がった後、ヨイヤミはこっぴどくナズナに叱られており、アカツキはというと、そんな二人をよそ目にサクラに飲み物をおごってもらっていた。


「さっきのお詫びね。これでチャラってことでいいかな?」


 サクラがアカツキの顔を覗き込む。お風呂上がりの少し上気した顔は、いつもよりも艶めかしく、余計にアカツキの心をざわつかせる。桃色の髪もまだ少し湿り気を帯びており、そこから漏れる香りはいつも以上に鼻孔を刺激していた。


「べ、別に、気にしていませんよ。むしろ、俺の方こそごめんなさい」


 いつも通り顔を合わせることはできない。それでも何とか誠意を見せないと、と必死なアカツキはゆっくりとサクラに焦点を合わせていく。するとサクラが不思議そうな顔をして首を傾げている。


「なんでアカツキ君が謝るの。私、なんかアカツキ君にされたっけ?」


 本当にわかっていないようで、頬に人差し指を当てながら、考え込むように首を傾げる。


「いや、サクラさんが近づいてきただけだったのに倒れちゃって、そんなことされたらサクラさんも気分悪いですよね……。ごめんなさい」


 ちゃんと伝わるようにアカツキがもう一度謝ると、腕に顔を埋めて泣き真似をし始める。


「ホントだよぉ。私すっごい傷ついちゃったなぁ」


 サクラはそこまで言うと、ケロッとした顔でアカツキの顔を覗き込み、晴れやかな笑顔を浮かべて続ける。


「っていうのはウソ。アカツキ君のことはわかってるつもりだから安心して。わかってたのに、あんな事しちゃってごめんね」


 そこで一度言葉を切ると、サクラには珍しく少し照れたような笑みを浮かべる。


「でも、これだけは覚えててね。私はもっとアカツキ君と仲良くなりたいの。だから、ああやって少しでもアカツキ君と触れ合おうとしてるだけなの。それだけは、わかってね」


 そんな初めて見るサクラの本当の照れ笑いに、アカツキは呆けながらその表情に釘付けになる。初めて見るサクラの顔は、これまで見てきたどんな表情よりも愛らしく、そして綺麗だった。


「は、はいっ。俺も、サクラさんとはもっと仲良くなりたいです。だから、少しずつでもサクラさんに近づけるように頑張ります」


 この「近づける」はどういう風に捉えられたかはわからない。それでも、言葉足らずなところに反省しながら、自分の中に芽生えようとしている、知らない感情を飲み下すように、サクラからもらった飲み物を飲み干す。


 そうこうしている内に、ようやくナズナのお説教も終わったようで、ヨイヤミは生気を抜かれたような顔をしながらアカツキたちの元へと戻ってきた。そして四人はアジトへと帰っていく。

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