不可視からの襲撃

 五人は鉄と油の国を抜け、ようやくジープの元へと到着する。


 荷物持ちを任されていた三人は、到着するや否や持っていた荷物を投げ出してその場に倒れ込む。三人の疲れ切った表情を、笑みを浮かべて覗き込みながら、サクラは労いの言葉を掛ける。


「みんなお疲れ。ごめんね、力になれなくて」


 サクラの優しげな労いの言葉に続いて、ナズナも「お疲れ様」と三人を労う。


「あぁ、もう無理だ。動けん……」


 バレルは地面に大の字になって倒れ込むと、額を流れる汗が地面へと飛び散り、黄土色の地面に小さなシミが生まれる。さすがのナズナも今回は、軽口を叩かずにそんなバレルを優しげな表情で眺めていた。


 資質持ちのアカツキとヨイヤミですらも、すっかり疲労が溜まっており、バレルと同じように、黄土色の大地にその身を預ける。簡単な仕事だと言っていたが、全然そんなことはなかった。


 サクラはそんな疲れ切った三人を、あっちに目線を向けたりこっちに目線を向けたり、と忙しくみんなに気を遣おうとしていた。しかし、息の上がった三人に声を掛けられないまま、ただあたふたしている様にしか見えなかった。


「ナズナ、私、水買ってくるね」


 何を思いついたのか、サクラが突然そんなことを言うと、踵を返して颯爽と街の方へ走っていった。ナズナの「気をつけろよ」という言葉に、振り向き様に手を振って返事をし、鉄の国に消えていった。


 数分後たくさんの水を抱えて帰ってきたサクラは、遠目から見えるその光景に、思わず苦笑いしてしまった。


 なんと、三人が大の字で倒れたまま、寝息を立てながら眠っていたのだ。「もう……、子供じゃないんだから……」と呟きながら近づいていく。


「おかえり。こいつら疲れきって眠ってしまったようだ。まあ、サクラが帰って来るまで出発もできないから、そのままにしといた」


 サクラが帰って来たことに気が付いたナズナは、こちらも苦笑いをしながら彼らの様子を眺めていた。


 アカツキとヨイヤミはまだ子供だからわかるけど、バレルはもういい大人なのに……、と心の中で毒づきながら、サクラは三人を揺り起こした。


「ほら、みんな起きて。水買ってきたから、これ飲んで落ち着いたら出発するよ。日が暮れちゃうから、急いで戻らないと」


 三人は眠たげに目をこすりながら目を覚ますと、サクラから受け取った一リットル近い水を一息で飲み干した。あれだけ汗も掻いていたことだし、喉が渇くのは当たり前だろう。


 そんな三人を見ていると、買ってきた甲斐があったなと、サクラは微笑ましげにその様子を見ていた。


「じゃあ、さっさと帰るか……」


 ずいぶんと疲れ切った声音で掛けられた出発の合図に、サクラとナズナは相槌を打ったものの、アカツキとヨイヤミは既に眠る体勢に入っていた。


 黄土色の荒野を抜けて緑の平野へと差し掛かると、心地よい揺れが睡魔を誘い、後部座席の三人はウトウトと頭を揺らし始める。お互いの肩にお互いの頭を寄せ合いながら、穏やかな表情を浮かべていた。


 バレルも随分と疲れた表情で、大きな欠伸をしながら、のどかな平野を走り抜けていた。何かが起きるような様子もなく、ナズナだけが辺りを見回しながら、それでも何も起こらないだろうと気を抜いていた。


 襲撃は突然だった。一発の銃声がどこからか鳴り響いた。銃声に皆が気が付いた時には、バレルの肩から鮮血が飛び散り、ジープは突然制御を失って回転した後に転倒した。


 一瞬の出来事にも関わらず、アカツキやヨイヤミ、ナズナの三人は上手く受け身を取って対処したものの、肩を撃ち抜かれたバレルと、そもそも戦闘技術など持ち合わせていないサクラはジープから完全に投げ出される。バレルは運よくナズナの近くに投げ出されたものの、サクラだけは一人取り残された形となった。


 考えるよりも先に身体が動いていた。これ以上誰も失いたくない。その思いが、アカツキの背中を強く押した。迷いなどなく、ただ目の前の大切な人を救うためにアカツキはその足を踏み出す。


 踏み出した目線の先には、銃を持った野盗が数人、サクラに銃口を向けている。


 このままでは間に合わない。たった数歩先にサクラはいるのに、その距離が永遠のようにも感じられた。どれだけ力を込めて走っても、決して届くことのない奈落の狭間。


 それでも、アカツキは持てる力を振り絞ってサクラの元へと走る。届かないから諦めるのではない。届かなくても、やるしかないのだ。後悔しない為に……。これ以上、目の前で誰も失わない為に……。


 背後から「サクラ、早く逃げろ!!」と叫ぶ、ナズナの声が聞こえる。それに背中を押されるように、アカツキも「サクラさん、早く!!」と必死で叫ぶ。


 アカツキが認識しているだけでも、三つの銃口がサクラへと牙を剥いている。しかし、数など関係ないのだ。銃弾の一つでもサクラを貫けば、目の前の命は消えてしまう。


 アカツキの脳裏に、真っ赤な血の湖に沈むシリウスの姿が映し出される。そこに横たわるシリウスが、やがてサクラへと姿を変え、その虚ろな眼がこちらを向いている。そんな幻影を振り払うかのように、アカツキは首を振り、必死にサクラの元へとひた走る。


 ようやく立ち上がることができたサクラは、状況を飲み込めないままに、アカツキの元へと走り出す。二人の距離が近づいていく。あの時は、手を伸ばすことすらできなかった距離。あの時は背中を見ることしかできなかった距離。


 アカツキの脳裏にシリウスの姿が再び宿る。赤く塗り固められた記憶は、容易に拭い去ることはできない。それでも、同じ過ちを繰り返す訳にはいかないのだ。


 消えろ、消えろ、消えろ、消えろ…………。


 恐怖で足が止まりそうになる。恐怖で手が震えて動かなくなる。また目の前で、人が死ぬのか……。


 違う……。もう、あの時の自分とは違うのだ。後ろ向きなことばかり考えるな。これ以上、自らの目の前で大切な人を殺させないと誓ったんだ……。


 アカツキの中でもう決心はついていた。あの頃では、救えなかった距離。けれど今なら、きっと救うことができる距離。ヨイヤミとの約束は破ることになるけど、あの時とは違う力が、今の自分には秘められている。


 アカツキの視界から赤い幻影は消え、鮮明な現実へと還っていく。


 手を伸ばせば触れられそうな距離にサクラはいる。アカツキとサクラが触れようとしたその瞬間、アカツキの視界の先の銃口は火を噴き、耳をつんざくような轟音を響かせながら銃弾を吐き出す。


 サクラを護ることができるのなら、この力を使ってサクラを救えるのなら、出し惜しみはしない。後でヨイヤミにいくらでも怒られても構わない。だから届いてくれ……。


 アカツキの掌と、サクラの掌が触れあい重なり合う。その瞬間アカツキはサクラを抱き寄せ、それと入れ替わるようにして、襲い掛かる銃弾へと自らの掌を差し出す。


 赤く燃え上がる炎が収束するように渦を巻き、アカツキの掌は赤熱する。銃弾がアカツキの掌と、目と鼻の先の距離まで接近した瞬間、アカツキは雄叫びと共にその掌から魔力を解放した。


「いっけええええええええええええええ!!」


 赤熱したアカツキの掌から、今にも爆発しそうな程に赤く染まった炎球が放たれる。炎球は銃弾を飲み込みながら突き進み、野盗が身を隠していた岩場を粉々に粉砕した。


 サクラは何が起こったのか理解が追いついていないようで、唖然とした表情を浮かべたまま、アカツキの胸の中で「えっ?」と気の抜けた声を漏らしていた。それはそうだ……。今目の前で起こった事は、あまりにも非現実なことなのだから。


「大丈夫ですか?とにかく今は、ジープの影に隠れて下さい」


 視線の先にジープの影に隠れてこちらを眺めるヨイヤミがいる。ヨイヤミの視線はサクラを気に掛けるような視線ではなく、どこかアカツキを責め立てるような鋭い視線だった。それも、承知の内だけれど……。


「え、えっと……、何がどうなって……」


 未だに何が起こっているのか理解ができないサクラは、困惑しながらアカツキと視線を交わらせる。そうやって、彼女の存在をはっきりと認識すると、先程やったことが異常に恥ずかしく思えてきた。


「とにかく、早くあっちに隠れて下さい」


 半分恥ずかし混じりに頬を染めながら、しかしそれをバレないように、無理矢理にサクラの背中を押して、先へと急がせた。普段は赤面しながら恥ずかしそうにしているだけのアカツキに強引に背中を押されたサクラは、なんとなく従わざるを得なかった。


 訳がわからないまま、オロオロと困惑した表情でジープの影へと逃げ込んできたサクラに、肩を真っ赤に染めたバレルを引きずってきたナズナが心配して駆け寄る。


「サクラ、大丈夫か?」


 慌てるナズナに、現実を受け止められないような表情を浮かべながら、一先ず頷き返す。


「うん、なんともないんだけど……。何がなんだか……?」


 ナズナは、困惑しながらも無傷で無事でいてくれたサクラにホっと胸を撫で下ろす。そんな二人の隣で、バレルがジープの中からライフルを取り出して、手負いながらも戦う準備を始める。


「今は、何が起こったかなんてどうでもいい。っつぅ……。とにかく、早くここを切り抜けるぞ」


 打ち抜かれたバレルの肩からは、未だに血が止まることなく流れ出している。バレルは自らの肩を抑えながら、自らの腕の布を引きちぎり縛り付けて無理矢理に血を止める。


「ナズナ、援護を頼む。不意打ちなんて汚え真似する奴らに、やられたままなんかじゃ気が済まねえからな。ちゃんと動けるだろうな?」


 まだ肩が痛んでいるにも関わらず、それでも強がりながら相手へと立ち向かっていくバレルを眺めながら「ふんっ」と鼻を鳴らしたナズナは、すっかりと好戦的な表情へと変わっていた。


「上等だ。むしろ手負いのお前が役に立たないんじゃないかと心配しているくらいだ」


 こんな状況にも関わらず軽口を叩くナズナに、バレルは安心して笑みを漏らす。


「こんな怪我、なんてことねえよ。野盗相手にいいハンデができたってだけだ」


 そして二人はバレルの合図と共に、ジープの影から飛び出す。

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