第14話 廃線のお知らせ その4

 美鳥は時折、嫌な夢を見る。真っ赤な炎が街を包み、目の前で人が焼けて灰となって消えてしまうという、まるで空襲のど真ん中に放り出されたような、熱くて息苦しくて、物が焼け落ちる音が周囲に満ち満ちて平衡感覚もなくなる。そんな嫌な夢だ。

 炎で眩しい夢の中の光景から目が覚める。孤独な深夜のまっくらの部屋がかえって安堵を感じる。

 嫌な夢だが、この夢を見ると近日中に異世界人が元の世界に戻れることが多いのだ。

 ボクシングの試合も近い。

(たぶんディーさんが帰るんだろうな)

 それは喜ばしいことだけれども、美鳥は、心の底からは祝えない自分が少し嫌いになった。

 美鳥が軽く水を飲もうと台所に向かった。廊下に明かりが漏れている。

 台所とリビングはつながっているので深夜に明かりが点いていても不思議ではない。アンドレイはほとんど睡眠をとらないし、ディーも早起きだ。それに今はもうこないけれども異世界人は深夜にやって来る。深夜でも誰かしらが起きているのはこの家の常態だ。

 美鳥はアンドレイがいるなら少し甘えようと思い、ちらっと頭だけ出して台所を覗いた。

 見えたのは、ミロクがエプロンをして立っている様子だった。そばにはお弁当箱があった。美鳥と ミロクは目があって二人とも硬直した。

「あああ、これは……」

 ミロクが弁当箱を隠そうとしたが、隠す場所がなく、自分の背の後ろに隠した。

「ななな、なんでミロクちゃんが、弁当作ってるの?! 作らないって言ったでしょ」

 ミロクも口をパクパクとさせてから、

「わかってます。でも、曜一郎さんがおいしい手作りのお弁当が食べたいって言うから」

「いつも私が代わりに作ってるじゃない!」

「私が作ってないってすぐにバレちゃいましたよ。すごく残念そうな顔してました。自分ができないならともかく、出来るのにやらないなんて……。こんなことを続けてたら私嫌われちゃいます」

「わからず屋っ! 自分のしていることがどういうことなのか分かってるの?」

「この世界にいたって、曜一郎さんに嫌われたら意味がないじゃないですか! 美鳥さんは、私のことを応援してるんじゃなくて、セバスチャンさんが帰ってしまうのを引き止めたいだけじゃないですか。それこそ、あなたの魅力でこの世界に引き止めれば良い話じゃないの! それができないから私を利用しているだけじゃないですか!」

「そんなことないよ!」

 美鳥は勢いでそういったが、実際には、アンドレイを思いとどまらせこの世界に引き止める自信はなかった。いままで何度も、残って欲しいと明に暗に伝えている。けれどもアンドレイの帰還願望は強固で、美鳥が一人で生きていく準備まで整えてくれている。

 一方元の世界に美鳥もついて行くということはどうか。アンドレイの乗る列車に自分が乗れるのかわからなかった。ミロクには気安く、江口部長をペットのケージに入れたらいい、なんて言ったが、実際の電車や列車でそんなことをするのは認められない。魔女が作った列車でも不正乗車とみなされ、実現できないだろう。

 ミロクが指摘する通り、美鳥はミロクを、ミロクの江口曜一郎に対する想いを利用している。もっとも美鳥は『利用』という相手をモノのように扱うつもりはない。『便乗』ではあっても『利用』では決してない。

 美鳥の、そんなことはない、という発言を支えるものはその一点だけだった。だから美鳥は二の句を継げない。

 深夜の静寂が舞い戻る。二人は少しだけ冷静になった。

「座って話しませんか?」

 ミロクの提案に美鳥はうなづいてこたえた。食卓の弁当を二人で脇に避ける。

 ミロクが、先ほどとは打って変わって、ゆっくりと話し始めた。

「美鳥。この世界に来た時、本当に右も左もわからない状態でした。美鳥がいなかったら私は絶望し切っていたでしょう。何も考えなくても美鳥の言うことやセバスチャンさんの言うことに黙って従っていれば間違いないだろうって、信じてました。美鳥のお陰で学校という楽しいところで過ごせましたし、曜一郎さんとも出会えました。でも最近、違うんだって思うようになったんです。美鳥のことが信じられないとかそういうことじゃなくて。私の人生なんだから私が責任をもって行動しないといけないっていう当たり前のことがわかったんです。ここに来るまでは――私が王女として暮らしていたときは――周りの人々に流されて生きてきました。そのときも不幸に感じたことは一度もありませんでした。人を信じることは大事な事です。信じられる人がいるのは幸せなことです。でも人に依りかかって生きるのは正しくないんです。自分の人生は自分の足で歩かないといけないんです」

 美鳥は少し間を置いてから

「ミロクちゃんがそう言うのなら、そうしたいなら、そうすればいいと思う。でも一つだけ、言っておくよ。セバスチャンは、列車が来たら乗らないっていう選択肢を絶対に選ばせてくれないと思う。だから……」

 ミロクの言葉を遮るように踏切が鳴った。その音は甲高く、そしてテンポが速い。美鳥は、

「え? え?」

 と一人混乱した。ミロクが尋ねる。

「踏切が鳴ってますけど、誰か来るんですか?」

 美鳥は頭を振って、

「この音はたぶん帰るための〝下り列車〟……。でも誰の?」

 独り言のようにつぶやく。視界の焦点がどこにも合わない。

 踏切が激しく鳴っている。美鳥は立ち上がったが、行く先がわからない。

 駅長帽を被ったアンドレイがリビングにやってきて、

「美鳥、まだそんな格好なのですか? ミロク様も。お二人とも着替えて下さい」

「セバスチャン、あの音は……?」

 一階に部屋があるディーも現れたのを傍に見つつ、美鳥はアンドレイに曖昧に訊ねる。明確な答えが知りたいと同時に知りたくもない。

「どなたかが帰るための列車が来る音ですね。ディー様ということは無いでしょうし、ダーモン様はいつでも帰れるので急に踏切は鳴らないはずです。消去法でミロク様と考えるのが素直でしょう」

 美鳥にとって聞きたくなかった答だった。

 ディーは、ジャージの上着のポケットに手をツッコんだまま、

「よかったじゃん。帰れるんだから」

 とミロクの肩にぽんと手を載せた。

「私が……。でも私まだ未熟者ですよ!」

 ミロクはアンドレイに抗議するようにアンドレイに近づいた。ディーの手がスルリとミロクの肩から離れた。

「ミロク様、乗車券はお持ちですか? 見せて下さい」

 ミロクは急いで自室に取りに行き、また戻ってきた。

「な、なんか、光ってます!」

 美鳥は、ミロクがアンドレイに見せている乗車券を覗き込むように見る。乗車券全体がゆっくりと点滅している。

「決まりですね。ディー様、よろしければダーモン様を起こしてきていただけませんか? 今から送別会を始めましょう」

「はいよ」

 ディーがリビングを出ていこうとしたとき、美鳥が、

「ちょっと待って」

 呼び止めると、ディーは、非常出口のイラストのようなポーズで一時停止して、美鳥の方へ振り返った。

「わ、ミロクちゃんの話を聞いて」

 美鳥自身、言いたいことがあって口を開いたが、まずミロクに自分の言葉で話させる方がいいと思った。咄嗟とっさに『私の話を聞いて』といいたいところをなんとか言い換えたのだ。

 ディーもアンドレイも、きょとんとした顔で美鳥の方を向き、そして美鳥を加えた三人でミロクの方を向いた。急に話を振られたミロクだったが、慌てることなく、

「列車を呼ぶ必要は、ありません!」

 ミロクは、絞り出すように付け加える。

「私は列車には、乗りません」

 アンドレイは、

「私としたことが。さすがに今すぐというのは性急ですね。異世界の方々は通常一刻でも早く帰りたいと考えていらっしゃいますから、てっきりミロク様も同様だと早合点してしまいました。ミロク様は学校での交友関係もございますでしょうから、そちらの精算もしなければいけませんね」

「そうじゃないんです。私、ここに、この世界に残ります」

 アンドレイは硬直し、

「今なんと、おっしゃいました?」

「私は、この世界に残りたいんです。だから列車には乗りません」

 アンドレイは被っていた駅長帽を取った。

「それは……。良くないことです。良くないことが起こります。およしになったほうが」

「私は決めたんです。自分で決めたんです。この世界に残るって」

「絶対にお勧めしません。はっきり言います。ミロク様、ここは、あなたがいるべき世界ではありません。この世界であなたは決して幸せになれません。元の世界に帰りなさい」

 アンドレイは命令調で言い放つ。めったにないことだ。

「帰りません。幸せになれるかどうかは私の問題です。それに、不幸になっても私は好きな人のそばにいたいんです」

 ミロクが決然と言うと、美鳥も

「ミロクちゃんがそういうなら、私も乗車券に印なんてしないから」

 と援護した。

 アンドレイは、ミロクをじっと見ている。

「ミロク様が私に明確に意見を述べるのは初めてですね。おそらく、自分の意見を自分で見つけて主張できるようになることが、乗車券が求める条件だったのかもしれませんね」

 ミロクは、口に手を当てて息を呑んだ。

 あり得る話だった。『生活力を身に付ける』という曖昧な条件を記載することで、本当の条件が無理やり成就されることを防止した、ということも考えられた。もしミロクの乗車券記載の条件がたとえば『自分の意見を自分で見つけ主張する』と明示されていれば、アンドレイたちはミロクのためにならない形で強引に成就させただろう。これまでにも、ズルできないように手を加えられていたということは、数回経験したことがあった。

 美鳥は、『赤毛の魔女』の残したこの『強制途中下車』というものは老獪なシステムだと思った。老獪な上に、まるで人の心の中までのぞき込んでいるようで、美鳥は気分が悪かった。

 ミロクは手元の乗車券を両手で裂いて捨てようとしたが、乗車券は全く無傷であった。

「無駄なことです。焼いても燃えません。この乗車券には『赤毛の魔女』の力で守られています。私ですら不可能です。強い魔力ですので捨ててもすぐに場所は特定できます」

「でもこれは私には不要なものです」

 ミロクはアンドレイをにらみながら、乗車券を差し出した。アンドレイはそれを拒んだ。

「それはミロク様が持っていればいいでしょう。使うも使わないもあなた次第。もっとも、今日は帰らない、という点に私としても異論はございません。しばらく心を整理する時間が必要でしょう。ただ、あまり時間はないかもしれませんよ」

「どういうこと? セバスチャン」

「この列車の路線は今年一杯で廃線になります。もしかしたら、強制途中下車システムも同時に廃線するとも考えられます」

 ディーは、

「今年帰れなかったらもう帰れないってこと? それは困る。すごく困るな」

「まだ仮定の話ですが、予想される結果は重大です。ディー様にも腹を括ってもらわねばならないかもしれません」

 ディーはだた、うーん、とだけ唸ると食卓の椅子に座った。

「あ、ダーモンにも知らせておかないと」

 ディーは、ふと気付いたようにアンドレイへ顔を向けたが、

「ダーモン様は既にその可能性を考慮しているようです。ですので昼も夜も時間を惜しんで必死になってこの世界の技術や思想について学んでいるのです」

「でもミロクちゃんもダーモンも帰ろうと思えば帰れる分、切っ掛けすら掴めない俺より気楽でいいな……。ゴメン、だれも気楽じゃないか」

 美鳥もこの場の空気は苦しかった。

 これまでも『帰れなかったらどうしよう』という不安を抱いた異世界人は何人もいて、重苦しい空気をモヤっと体から漏れ出しながら苦悩している様子を見るのには慣れていた。美鳥には、絶対に帰らせてあげられるから大丈夫、という確信があって、重苦しい空気に感染することはなかった。

 けれども今は、もしかしたらディーさんは帰れないかも、とも思い始め、ディーの苦悩が痛いほど感じられた。

 そして同時に心の片隅で、早く廃線しちゃえ、とも願っていて自己嫌悪に陥りそうになる。

「今夜は冷えるので、もうそろそろお休みになって下さい」

 ミロクは、

「私も寝ます」

 まだまだ話は続くだろうと思っていた美鳥は驚いた。その間にアンドレイはリビングから出て行った。

「明日からどうするの?」

 美鳥がミロクに訊ねると、

「いつも通り過ごすだけですよ。美鳥と一緒に学校に行って、曜一郎さんと一緒に過ごして、それでここに帰ってきます。もちろんやるべきことはちゃんとしますよ。分担された家事もちゃんとしますし、バイトだってちゃんと行きます。あ、バイト代はちゃんと頂ければありがたいです。ヨーコに――曜一郎さんの妹さんなんですけど――話したら、バイト代ちゃんと貰わないと駄目だって言われました。賃金を貰った上で必要な家賃なり食費なりを払うのが筋だって」

「確かに……」

 美鳥は異世界人に対しては労働法を遵守していない。その点を突かれると少しイタい。とはいえ、異世界人には多額のお金は必要ないし、有害となることもあるから、美鳥が管理していたのにも理由はあった。この世界で生きていく決意をしたミロクにその理屈があてはまらなくなっただけだ。美鳥としては当然ミロクに賃金をちゃんと支払うのは吝かではないが、ただ、頭ではわかっているが、感覚として、経営者として手元で自由に使えるお金が減るというのはいささか抵抗がある。美鳥は、

(お金が絡むと友人関係はこじれやすい、って話は本当かもなぁ)

 自分は大丈夫だと思っていただけに一層ひしひしと実感した。先々ミロクにはバイトを辞めてもらったほうが良好な関係を維持しやすいかもしれないと思った。

「路線が廃止になるなら、ここにいても不便なだけです。引越しの準備もしていく予定です」

 美鳥は、そうなんだ、としか言えなかった。美鳥は廃線後もここに残るつもりだった。不便でもここが自分の家なのだ。ミロクは、

「じゃあ、ディーさんも、おやすみなさい」

「おやすみ~。でも私はどうせ後一時間で起床時間が来るから、ここでテレビ見ながら微睡むよ……あ、美鳥、電気は消してくれたら助かる」

 美鳥が電灯を消すとディーは「サンキュー」とソファーに横たわり、テレビを点けた。画面の中で外国人がダイエット器具を紹介していた。通販番組だった。ボリュームが絞られていく。

 夜の静寂の中には、暗闇に浮かぶ四角い画面と微かな音声だけになった。いつの間にか踏切は鳴り止んでいた。

 美鳥は

(ディーさんとダーモンちゃんが帰った後、廃線までミロクちゃんが粘れたら全て解決じゃん)

 そう思った。けれども、美鳥にはわかっていた。

 ミロクがこの世界に残るのは至難なことだ、と。

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