第13話 廃線のお知らせ その3

 日曜日の朝。美鳥は、パジャマ姿のミロクが台所でオロオロとしているのを見つけた。

(今日はたしか、デートに行く予定だっけ)

 にしても髪の毛もボサボサのままだった。

「どうしたの?」

「曜一郎さんに『手作りの弁当持っていく』って約束しちゃって。でも作らないほうがいいですよね」

(学校で散々弁当食べてるんだから、デートの時くらい、外食すればいいのに。おごってもらっちゃいなよ)

 と思ったけれど、

(約束したんじゃしょうがないか。高校生のデートだもんな。それほどお金掛けられないし)

「あああ、時間が……」

「デートに遅れる?」

「デートの時間はまだまだ先なんですけど、列車の時間が」

「日曜日は平日より本数が減るからね。本当に列車少なすぎて不便よね」

「もっと便利な街に住みたいですよね」

「ミロクちゃんはそうしたほうがいいかもよ」

 美鳥は冷凍庫をのぞき込みながら言う。白い冷気がゆっくりと外に漏れ流れていく。

「お弁当は私が作るから、ミロクちゃんは出かける用意してて」

 最近使うことの少なくなり余っていたお弁当用の冷凍食品を使う。野菜室にイチゴがあったので、サービスで入れた。

 弁当のふたを閉じたときにミロクがキッチンに様子を見に来た。

「こっちも出来たよ」

 と言いながら振り向くと、ミロクの、カワイイ系ファッション雑誌から飛び出てきたかのような気合の入った服装が目に入った。失敗を恐れるあまりの全力投球だろう。

(私が男だったら、すこし尻込みしそう……)

 時間があればもう少し楽な服装を推薦したいところだった。美鳥は弁当を包んでミロクに渡した。

「行ってらっしゃい」


 美鳥がリビングのソファで小説を読んでいると、ダーモンが

「糖分、糖分、おやつ、おやつ」

 と言いながら冷蔵庫を開けた。時計は午後四時を回っていた。

 ダーモンはチューブの練乳を取り出すと、

「あ~ん」

と口に注ぎこもうとした。ダーモンが力いっぱい握ると、ブチュッと空気と一緒に練乳がダーモンの顔とツインテールの髪に目掛けて飛び出た。

「うぇえ、両目に入った」

 美鳥が本を置いて、目をつぶっているダーモンに駆け寄り、ティッシュで顔を拭いてあげた。

「ダーモンちゃんの世界って恋愛ってあるの?」

「は? 恋愛? ないない。私たち、単性生殖だから」

「たんせいせいしょく?」

「寿命で死ぬ直前に独りで自分の分身を産むんだよ」

「じゃあ、男女の区別とかないの?」

「ないね。この世界の人間の恋愛活動は私から見れば時間の無駄にしか思えないよ。その上一日に何十回も生殖行動のことを考えているとフロイトなる学者の本に書いてあった。狂気の沙汰だね。どうせ美鳥も私の顔に掛けられた練乳を見て、恋愛という単語を連想したんだろう? うヘヘヘ」

 ダーモンが心理学の勉強もしていると知って驚く。

(順調に元の世界に必要な知識を吸収して、帰っていくんだろうな)

 美鳥は寂しくなった。

「ダーモンちゃんは、恋気より食い気、だね」

「当然だもんね」

 ダーモンが、握っていた練乳チューブに口をつけようとしたので、美鳥はそれを静止し、

「練乳は直接飲むよりイチゴにかけたほうが美味しいよ」

 野菜室からイチゴのパックを取り出す。朝ミロクの弁当に入れたので、数は多くない。

「ダーモンちゃん。これは、五で割るより、二で割ったほうが多いよね」

「悪よのう。お主も悪よのう。美鳥を縛ってしまえば総取りだけど、そうすると師匠が出てきてしまうから二人で山分けするとしよう」

 美鳥はイチゴのヘタを取り除いて二人分のボウル皿に分けた。ダーモンが練乳を回しながら掛ける。

「早く食べてしまうのがもったいないくらい、おいしい」

 美鳥が至福の時間を堪能しているときに、玄関が開く音がした。

(誰だろう。セバスチャンかな。でも今日はディーさんのトレーナーと話し合いがあるって言ってたし)

 リビングのドアが、軋む音が聞こえるほどゆっくり開けられた。ミロクだった。金色の前髪が作る影になり、両目の様子がわからなかった。ミロクは低い声で、

「美鳥さん、イチゴ……」

 とうめくように言った。

「ど、どうしたの。帰り早かったね」

 美鳥とダーモンは立ち上がって、ミロクの視線がテーブルの上のイチゴに向かわない位置に移動した。

「イチゴ……」

 ミロクがホラー映画のようにゆっくりと二人に近づく。

 二人は小声で「早く全部食べて証拠隠滅しよう」「もう遅いよ」「食べ物の恨みは恐ろしいな。おとなしいミロクをここまで怒らせるんだもん!」

 美鳥が取り繕うように

「いや、これは夕食のデザートの味見をしてただけだよ」

「そうそう。味見って大事だもん。ミロクも初めてカレー作った時、味見し忘れたから大変になったんだもん」

「それに、ミロクちゃんのお弁当にもイチゴあったし、いいかな? って」

 ミロクは、「イチゴ……」と歩みを止めない。ダーモンがこそこそと美鳥に「こいつ、こんなにイチゴが好きだったのか?」「知らないよ!」

 ダーモンは、

「二人で山分けしようとして悪かった。残りはミロクに全部やるから、見逃して欲しいんだもん……」

 背後にあったイチゴのボウル皿をミロクの前に差し出した。

 ミロクは、ビンタするようにダーモンの手を払った。ボウル皿は床に落ちて、皿の破片と共に練乳の掛かったイチゴが散乱した。

「何するんだもん!」

 ダーモンはフローリングに落ちたイチゴを拾って「もったいないもん」と流しに洗いに行った。

「こんなの要らなかったのに……」

「え? なんの話?」

「イチゴなんて要らなかったの! お弁当に!」

 ミロクが叫んだ。美鳥は話が掴めず、ダーモンの方を見た。ダーモンは洗ったイチゴを全て口に含んで頬をパンパンにしていたが、眉間にシワを寄せ、美鳥と同じくミロクの言っていることが理解できない様子だった。

「とりあえず、危ないから破片拾うね……」

 美鳥は床に落とされて割れた破片を処分して、濡れた床を拭いた。

 ミロクは隣のリビングに力なく落ちるように座った。少しバウンドするように上下に揺れた。

 美鳥は床を拭いたティッシュを捨てているときに、自分が弁当にイチゴに入れたことに対してミロクは怒っているらしいと気づいたが、なぜミロクがそれを怒っているのかはわからなかった。

「イチゴ傷んでた?」

 美鳥はミロクに恐る恐る訊いた。ミロクは訥々と話し始めた。

「今日、曜一郎さんと一緒に水族館へ行きました」

「楽しそうだね」

「ええ、すごく楽しかったです。お昼が来るまでは……」

「お、お昼に何かあったの?」

「お弁当箱を開いた途端、曜一郎さんの顔色はみるみる蒼くなっていきました」

「ドドド、どうして?」

 食あたりかと心配したが、

「イチゴですよ。イチゴ。曜一郎さんはイチゴを見るのもダメなんです。美鳥も知ってたでしょう」

「知らない。全然知らない」

「ウソ! イチゴのたわしを貰ったときに曜一郎さんはちゃんと言ってたじゃないですか! どうして覚えてないんですか!」

 美鳥がシンクへ一瞥すると、ダーモンがシンクの側にあったタワシを美鳥のほうに投げ渡し、「私タワシ渡したわ」と言った。ダーモンは上手いこと回文を言ったつもりで得意げな顔をしているが、美鳥はスルーした。

 わずかに湿ったアクリルたわしをじっと見る。ハードに使われて色がピンクになりかけている。洗剤がいらないということから重宝したものだ。

 確かに江口部長はイチゴが苦手だと言っていたような気もする。

 タワシを持っていても仕方がないので、ダーモンにアンダースローで投げ返す。

「ダーモンちゃん、ありがとう。元に戻しといて。あと、ちょっと席外して……」

「お呼びでない感じだし、糖分もとれたから部屋に戻るもん」

 ミロクはカバンから弁当箱を取り出し食卓の上に置いた。そして小さく泣きそうな声で

「曜一郎さんは気を使って全部食べてくれました。私は安心しかけました。でも、曜一郎さん、ずっと体調が悪そうでしたし、お話も相槌くらいしかしなくなって……。しんどそうなのを見ていられなくなって今日は途中で切り上げました。本当はもっとずっと長く一緒に居たかったのに」

「ご、ごめん」

 ミロクは涙の少し浮かぶ、鋭い眼光を美鳥に向け、

「美鳥は少し雑なんです。他人の恋愛だからって、いい加減にしてるんじゃないんですか?」

 美鳥は親切で入れたイチゴがこのような顛末に繋がるとはつゆ知らなかった。ミロクからこのような叱責を受けることに、少しだけ怒りも湧いた。

「謝ってるじゃない! 誰だってミスすることあるでしょう。ミロクちゃんだって、カレー大失敗してたじゃない」

「それとこれとは話が別ですよ! こっちのほうがずっと重要なことでしょ。私にとってもあなたにとっても!」

 ミロクが大きな声を出した時、玄関が開く音がした。この時間帯には列車がない。帰宅できる人物は一人だけだ。アンドレイが帰ってきた。

 二人の話はアンドレイに訊かれてはマズイ話だ。二人はクールダウンし、声も小さくなる。

「ゴメンなさい。言い過ぎました。私がちょっと確認すれば済んだ話でした。美鳥さんに悪気があったわけじゃないってわかってたのに。動揺しちゃって」

「私も気をつけるよ……」

 アンドレイがいつもの執事服姿で現れた。

「どうかなさいましたか?」

 二人は、何もない、と答えた。

 アンドレイが自室に戻った後、追うようにミロクは部屋に戻り、美鳥はテーブルに残っていた弁当箱とボウル皿一つをシンクに持っていった。

(もうそろそろ、夕飯の支度をしないとな)

 美鳥は、お手軽に済ませようと思っていたが、先ほどミロクに『美鳥は少し雑』と言われたので、手抜きはしたくなかった。少し悔しい。そして悲しい。

 野菜を洗う手が止まる。涙が止まらない。

 大したことを言われたわけではないのに。

 美鳥の足は、アンドレイの部屋へと向かった。

 部屋にいたアンドレイは、未完の列車模型を眺めているところだった。

 美鳥は、ノックもせずに部屋に入ると、アンドレイの体に抱きついた。

「また何か嫌な事でも思い出しましたか? それとも台所に虫でも出ましたか?」

 美鳥は首を振った。わずかに遅れてポニーテールの髪が自分の後ろで揺れるのを感じる。

 自分の気持ちが伝わってほしい。ただそれだけを念じた。

 何も言わずしばらくそのままじっとしてから、

「充電完了」

 何事もなかったかのようにキッチンに戻った。

 その日から、食事制限中のディーに気の毒なほど気合の入った夕食を美鳥は用意し始めた。料理に関わらないことにしたミロクのための弁当も手を抜かずに作った。

 ただ、日を追うごとに、ディーだけでなく、ミロクも徐々に痩せているように思われた。軽く喧嘩してから、上辺では仲直りしたが、どことなくミロクとの間には深い溝のようなものがある気がした。

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