第12話 廃線のお知らせ その2
昼休みが来ても、美鳥は一人で昼御飯を食べる予定だった。今日一日、誰とも話をしたくなかった。友達に何か考え事でもしているのかと
けれども、ミロクがどうしても一緒にお弁当を食べたいというので手芸部で弁当を広げていたら、江口部長もやってきた。部長の右手のギブスは三角巾もない簡素なものに変わっていて、随分と関節の可動範囲が広がっていた。日常生活に支障はほとんどないと思われる。
江口曜一郎は「次の時間の授業の準備があるからすぐに移動しないといけないんだ。本当はゆっくりしたいんだけど」と弁当を食べ終えると、美鳥とは殆ど話さず、行ってしまった。
部室から手を振って見送ったミロクが、今度は真剣な顔をして、美鳥の方を見た。
「曜一郎さんのこと、美鳥さんから見てどう思います?」
「うーん」
美鳥は、髪を少し触りながら考える。
(こういうのって、どんなアドバイスしても無駄なんだよね。だって仮に『あの男には気を付けたほうがいい』『やめとけ』ってアドバイスしても最凶呪文『でも好きだから』で一蹴されちゃうし)
「江口部長は悪い人じゃないと思うから安心して付きあえばいいと思うよ」
「はい! ありがとうございます」
ミロクは自分が褒められたのかのように笑顔でお辞儀した。
部室を出て、鍵を締めながら、美鳥は、深く考えることなしに、その時思ったことをそのまま口にした。
「でも、ミロクちゃん、元の世界に戻るときどうするの?」
言い終わった時に、人の恋愛に水を刺す、酷い無粋なこと言ったことに気づいた。
ミロクの顔色はみるみる悪くなり、両手で顔を覆った。
「ご、ご、ごめん。悪気は全然なくて……」
美鳥は、うつむくミロクの腰に手を回して、顔を覗き込む。
「いえ。いいんですよ。悪いことは何ひとつも言ってないです」
美鳥は、何か言って挽回しなきゃと、頭を回転させ、記憶を探り、言葉をひねり出す。
「ずっと前に帰った人だけど、ペットの犬を元の世界に連れて帰った異世界人がいたよ。ケージに入れておけば列車に持ち込みOKなんだって! ミロクちゃんも江口部長に猫耳でもつけてケージに押し込めれば連れて帰れるんじゃない?」
美鳥は冗談めかして言ってみた。ミロクは青い顔で、
「ペットのケージには、入らないと思います……。たとえ一緒に帰れたとしても、曜一郎さんは貴族ではないので、結婚は不可能です」
「身分を超えた恋愛が難しいのはわかるけど、不可能じゃないんじゃない? むしろ燃え上がるというか。物語でよくあるでしょ。ミロクさんが王女の地位を捨てて庶民になるとか、部長が何か手柄を立てて王様に認めてもらうとか。いろいろ選択肢がある気がするけど」
「身分は捨てられても血は捨てられないんです。貴族と庶民の違いは匂いですぐにわかってしまうのです。庶民と貴族は声を交わすだけでも重罪なんです。手柄を立てる前にきっと処刑されてしまいます」
「ミロクちゃんの国のしきたりとか、詳しくはよくわかんないけど、部長を連れて行くのが難しいのだけはわかったよ」
美鳥とミロクは黙って廊下を歩く。教室までの短い距離だったはずだが、長い時間に感じられた。そして薄暗い廊下を抜けた時、日差しともに美鳥の頭に何かがひらめいた。
美鳥はじっとミロクの眼を見て小声で訊ねた。
「ミロクちゃん。『この世界にずっといてくれない?』って頼まれたらどうする?」
ミロクはしばらくハッと息を飲み、
「そんなことが許されるんですか? 出来るんですか?」
小声で質問返しをした。
「簡単なことよ。ミロクちゃんが、帰る列車に乗らなきゃいいだけだから」
しかし、それは決して容易でないと美鳥にはわかっていた。けれども、なんとかしてみようと思った。ミロクのために。自分のために。
「私、これまでずっと『一秒でも早く自分の国に帰りたい』って思ってました。でも今は、ここで一生を終えてもいいって思ってます」
ミロクは深く青い、真剣な眼差しを美鳥に向けた。
「わかったよ。このことはセバスチャンには秘密だから。絶対に秘密だから。それにこのままミロクちゃんが手芸部も料理も両方頑張ってたら、帰りの列車が来ちゃうかも。どっちか半人前のままにしておかないと。列車には乗らないんじゃなくて、『乗れない』ようにしておいたらセバスチャンも文句は言えないでしょ」
「何かあったんですか? どうしてそんなこと言い出すんですか?」
「私だって……。セバスチャンには帰って欲しくないから」
ミロクは両手で開いた口を隠した。美鳥は自分の顔が熱くなるのを感じた。そしてアンドレイが帰ってしまうかもしれないということを言葉にした後、言葉が上手く口から出なくなった。
「セバスチャンが、いなくなったら……。私……」
セバスチャンがいないことの想像など美鳥には出来ず、セバスチャンと楽しく過ごした日々が自然と想起され、勝手に涙が出てきた。
「だから、ミロクさんがこの世界に残ってくれたら、私もうれしい。だから、残って……下さい」
美鳥はミロクをじっと見た。
「列車に乗らないで。列車を呼ばないで」
「はい、もちろんです。これ以上何か進歩するのはやめておきますね」
「ありがとう。せっかく料理も手芸も上手くなってきたのに。ごめんね」
美鳥は笑った。
「いいんです。それは私のためでもあるんですから。でもどっちを諦めようかな? うーん。料理の方はやめますね。手芸は曜一郎さんと一緒にしたいので」
美鳥は微笑んだ。
廃線についての調査のため、アンドレイの帰宅は少し遅れる予定であった。
学校から帰った美鳥とミロクは、食卓にスーパーの買い物袋をドサリと置いて、夕飯の支度を始めた。
ミロクには、元の世界に戻る下り列車を呼ばないためにも、料理が下手になってもらわないといけない。美鳥はそう考えていた。
「今まで習ったことは忘れて、初心に戻って料理をするようにしよう」
「はい」
ミロクの腕が落ちたと示すため、インパクトのあるものを目指す。
ミロクは、ぎこちなく、食べられないものを中に鍋の中に忍ばせていく。
今日のメニューは、〝見た目はごちそう、味はゴミ〟な多国籍料理だ。国境どころか世界を超えるつもりで作る。
そういうのを意図的に作るのは、心理的にも材料的にもとても難しかったが、
「これならいける」
と全品について確信を持てるものができた。言うまでもなく、絶望的に不味い。
トレーニング後のシャワーを終えたディーが、首からタオルを下げて、食卓に座る。
「今日は豪華だなぁ。なんかの記念日かい?」
食卓に並んだ、料理数々を見渡していう。七面鳥の丸焼きや山盛りのパスタが、地獄への入り口になっているとは微塵も思っていない。見た目も匂いも正常なのだ。
「ディーさんがもうすぐ試合かもしれない、って聞いたので」
ミロクが弱々しくいう。半分ウソであるということと、味見した時の後味が尾を引いているからだと美鳥にはわかる。これを口にしたら食欲は一週間は減退するだろう。減量の一助になるに違いない、と言い訳を作り、美鳥は罪悪感を消そうとする
ディーは手を揉みながら、みんなが揃うのを待つ。
「へー。食い納めみたいなものか。ありがたくいただこう。ホント、減量は嫌なんだよね~。それにしても二人共、目が赤いけど、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
美鳥は安心させよう思うが、今並んでいる料理を見ると、逆流しようとする胃酸で涙目になる。
ダーモンを呼んでこようと思っていたところにちょうど、ダーモンが、独り言のように
「全然わからない。イライラする」
と食卓へとやってくる。
「ククク、ちょうど腹が減っていたところだ。気が利くではないか」
来た当初のダーモンが戻ってきたような口ぶりだった。ヨダレをたれそうなほど、口を開けている。
「ダーモン、お前勉強しすぎて振り出しに戻ってないか? 前みたいに本能がむき出しになりかけてんぞ。それにこれは俺のためのごちそうだ」
「寝言は寝て言うんだな。全て、この魔界四天王ダーモン様がもの!」
ダーモンの目が少しうつろだ。
(セバスチャンいないし、ちょっと、面倒なことになりそうだな)
美鳥がそう思っていると、アンドレイが帰宅する。
「あちらこちらで、ひどい事になっていますね」
帰ってきたアンドレイの存在をディーもダーモンもまだ気づいていない。
ディーが食い意地を張って、七面鳥の大皿を抱えると、ダーモンが手を伸ばし奪おうとする。ディーはそれをササッと軽く避ける。
「避けるしか能のない、哀れな人間よ。そうして逃げまわるれるのも時間の問題だ」
ダーモンが追いかける。ディーが軽やかなステップでダーモンの魔の手から逃げる。
「そう言う割にはたいしたことないじゃないか、ダーモン」
ディーが逃げながら皿の七面鳥を鷲掴みにし、かぶりつこうとした時、ダーモンの髪が、触手のようにディーの両足に巻き付き、ディーをぐいっと引き寄せる。そしてディーの手元から離れた七面鳥を、もう一本の髪の毛の束で掴み取る。
「クソッ、反則だぞ」
「指を咥えて、おのが無力を恨むがいい!」
ダーモンは、高笑いすると、口を大きく開き、七面鳥をまるごと突っ込んだ。
「ダーモン、そんなに一辺に食べて大丈夫か?」
ディーが負け惜しみ混じりに言う。
美鳥も、ダーモンに呆れた。
ダーモンの勝ち誇った顔は、みるみる青くなり、口の中の物を飲み込むと、土色になって、
「やはり本能まま行動するとこうなるのか、シショー!」
と叫びながら倒れた。ディーは、泡を吹いているダーモンを介抱しながら、
「おいおい、もしかしてこれって」
ディーが全部を言い終える前に、ミロクが
「すいません、また私のせいみたいです」
と名乗り出る。
「ミロクまでふりだしに戻ってるのかよ! ダーモンは一時的な症状みたいなもんだろうけど、ミロクのそれはヤバイだろう!」
「いえ、問題ありません」
アンドレイは、指をパチンと弾くと、ダーモンが、息を吹き返したかのように、意識を取り戻した。「アンディがそういうなら、大丈夫なんだろうけど」
ダーモンがビクンと立ち上がり、虚空を見据えたような目に光がゆっくり戻る。
「閃いた。わからなかった難問が解けた!」
と飛び上がり、嬉々として自室に駆けて行った。
アンドレイは、何事も無かったかのように、
「そんなことより、ディー様。試合のマッチングがうまくいきました。一ヶ月後です」
ディーはゴクリと喉を鳴らした。
「もうちょっと準備期間が欲しいんだけど」
「ディー様には確実に勝てると思っている人は少なくありません。人気が出てきたんでしょう」
「そんな人気要らないよ……。ああ、また減量地獄だよ」
ディーはピンクの頭をぶんぶんと左右に振った。
美鳥は、ミロクの行動についてアンドレイがなんと言うのか見守ったが、何も言及することなく、淡々としている。実際ダーモンも何か帰るために前進したし、ミロクが料理が下手になった振りをしても、影響がないかもしれない。
そんなことより重要なのは、アンドレイにこの世界に残って欲しいと本当に願っているとわかってもらうことだ。けれども、アンドレイは何も言わない。美鳥は唇を噛んでアンドレイを軽く
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