第10話 傘などお忘れにならないようご注意ください その3
「この制服、見覚えがあるな。ちょっと待ってくれよ、ネェちゃん」
最初に話しかけてきたのは、迷彩柄のズボンを履いた男だった。酒臭かった。
「何ですか、あなたたち」
迷彩男が小馬鹿にしたようにゲップで応えてきたので、ミロクは眉間にシワを寄せ、不快な顔をしてみせた。隣の細身の子分格の男が、
「あの高校の生徒ならヤバくないですか? ツインテールの先公、トンデモなく強かったでしょう」
「あれは、小さくてベビーフェイスだったから少し油断してただけだ。それにあの先公は学校辞めたらしいからもう来ないだろ」
「情報早いっすね。流石っすね」
ミロクは、前回コイツらを懲らしめた先生というのがダーモンのことだと分かった。
「乱暴な先生から受けた怪我の治療費をこのお嬢ちゃんに支払ってもらおうじゃないか。学校が大好きな、連帯責任ってやつだ。十三人分だから軽く二百万くらい、支払ってもらおうじゃないか」
「お金なんて持ってません。それに支払う理由もありません」
ミロクは毅然とした口調で拒絶したが、虚勢であった。膝が小刻みに揺れていた。舐め回すように不良たちがミロクの身体へ視線を上下させる。
「じゃあ、体で払ってもらおうか」
リーダー格の迷彩柄の男に手を掴まれたので、ミロクは、
「誰か! 助けて!」
と叫んだ。
「ここはあまり人が来ないところだから、助けには誰も来な――」
男は話し終わる前にすごい勢いで草むらへすっ飛んだ。ミロクは男が襲ってきたと勘違いして悲鳴を上げたが、目の前に私服の白いパーカーを着た江口部長がいて、頭が真っ白になった。
(どうしてこんなところに?)
「大丈夫ですか?」
江口部長が息を少し切らしながらミロクに聞いた。
「え、ええ。危ないところでしたが、大丈夫です」
「それはよかった。と言いたいところですが、まだ危険ですから、気を抜かないで下さい」
江口部長が来てくれて、助かったと少し思ったが、部長の言うとおり、まだ不良たちに囲まれたままだ。
「スキを見て逃げて下さい」
「でも……」
「僕は死んでもミロクさんを守ります!」
草むらに突っ込まれた男が、靴型の付いた顔をミロクたちに向けて、
「女の前だからって、カッコつけてんじゃねぇよ、糞ガキが。ぶっ殺す。殺っちまえ!」
最初に殴りかかって来た不良の拳を、江口部長は巧みに躱し、カウンター気味に右フックを入れた。
ただ、すぐに他の不良がローキックを部長の脚部に当てた。部長は顔をしかめたが、すぐ半身を切って攻撃姿勢に移る。
次々に不良たちが部長に襲いかかった。はじめの数人に対しては江口部長は殴り返しけり返して、よく応戦できていたが、数に物を言わせるような不良たちの暴行を捌ききれず、とうとう、江口部長は背後を取られ
ミロクが逃げるスキはとうとう生まれなかった。
江口部長は逃れようと体を動かしていたが、その間に顔を殴られたり腹に膝蹴りを入れられているうちに、抵抗できなくなっていった。
「もうやめて!」
ミロクが叫んだら、
「『やめて』なんて言われたらもっとやリたくなるよな」
男たちは嘲笑しながら江口部長をサンドバックのようにして殴り続けた。
抵抗出来ない江口部長をボディチェックした不良が、
「こいつ、財布持ってないみたいです」
「マジかよ。しけてんな」
そう言いながらリーダー格の男は吸っていたタバコを捨てた。
「こいつ、あんまり反応しなくなってきて、飽きてきたな。次はお嬢ちゃんに乱暴しようかな」
「先輩、どんな『乱暴』っすか?」
「女の子に乱暴するって言ったら、することは一つだろう」
江口部長の体を地面に捨てるように放置し、不良たちはニヤニヤしながらミロクの方へ視線を向けた。
ミロクはこの上ない恐怖を感じ、力が抜け腰が抜けた。
「や、め、ろ……」
江口部長が這うように声を絞り出した。口から少し血が出ている。
「まだ、殴られ足りないのか」
リーダー格の男が部長を力任せに蹴った。江口部長の口から血が出ていた。
(このままだと、本当に死んじゃう!)
ミロクの奥歯が勝手にガクガクと鳴る。
(セバスチャンさんには、この世界の人には迷惑を掛けてはいけないって言われてたのに……)
「私がどうなってもいいから、その人に手を出さないで」
ミロクは震えながら不良たちに懇願した。
「そうかい。お嬢さんの頼みってのなら仕方ないな。王子様の目の前でお姫様と楽しいことするのも悪くないな」「いいっすねぇ」
涙を流してへたり込むミロクを不良たちはニヤニヤと見下ろす。
絶望がミロクの心を覆い尽くそうとしていたとき、、
「おまわりさん、アイツらです!」
女性の大声が聞こえた。
「くっそ、これからいいところだってのにサツが来やがった。チキショウ! お前らずらかるぞ」
不良たちは地面にツバを吐いて逃げていった。
代わりに近づいてきたのは、部室に乱入してきた演劇部の美女だった。警察官は一人も姿を見せない。美女は小声で
「まだ何もされてないみたいね。でも急いで立って。ハッタリだって気づいたらあいつら戻ってくるかもしれないから」
美女は手を差し伸べ、ミロクを立たせた。
ミロクと演劇部の女の子が江口部長を立ち上がらせ、顔や体に付いた砂やゴミを払った。
部長は、酷く蹴られた部位を触れられるたびにビクリとする。
「どうして、こんなになるまで……」
ミロクが泣きながら力いっぱい抱きつくと
「イテテ、ミロクさん、もうちょっとやさしく……」
「あっ。すいません。ごめんなさい」
ミロクは離れながら謝った。
「ミロクさんは、大事な人だから。『部員は死守する』って言ったでしょ」
ミロクは放心しかけ、やっとの思いで「ありがとう」と言えた。
「なんかカッコイイこと言ってるつもりかもしれないけど、ボロボロにされちゃって、全然守れてないじゃん」
呆れた様子で演劇部の美女がミロクと部長を見ていた。
「どうしてこんなところに来たんだよ。ヨーコ」
ミロクは、やはりこのヨーコという人は恋人だろう、と思い、ちょっと残念な気持ちになったが、そんなことどうでもいいというような強い気持ちも湧いてくる。
「はい、これ忘れ物。私が機転を利かせて叫ばなかったら今頃大変なことになってたわよ」
「助かったよ。ありがとう」
江口部長は革の長財布を受け取った。
「財布忘れたり、女の子を助けるヒーローになりかけたり、返り討ちにあったり。ツイてるんだか、ツイてないんだか。お兄ちゃんは」
ミロクは、
「お、お兄ちゃん?」
と、混乱して江口部長の顔を見た。江口部長は恥ずかしそうに、
「ヨーコは変なヤツですから、びっくりしますよね」
「『変なヤツ』とは言いがかりも甚だしいわ。仮にあたしがそうだとしても、変なヤツと双子なお兄ちゃんも十分変なヤツでしょ」
「ふ、双子!?」
ミロクはビクッとわずかに飛び上がった。
「あ、知らなかったの? 私は妹の曜子。このボロ雑巾は兄の曜一郎」
部長・江口曜一郎の双子の妹は、言われてみれば目元が部長と――目の周りの青い痣でわかりづらかったが――よく似ていた。
「僕達は、普通の兄と変な妹の、双子なんだよ」
江口部長がミロクに笑い掛けた。
「お兄ちゃんこそ、男のくせに手芸が趣味とか変でしょ」
「変じゃないよ、ねえ、ミロクさん」
「変じゃないですね。変わっていますけど」
「ほら、変なんじゃん」「変じゃないって言ってるだろ」
江口曜一郎・曜子兄妹の掛け合いは、部室で見た時とは違い、微笑ましく思えた。
「ああ、もうこんな時間か。バイト遅れちゃうな」
「こんな状態でパン屋のバイト行く気? パン屋で新しい顔でも作ってもらうの? 口から出てる赤いのはジャム? ジャムパンマンが行くのは、パン工場じゃなくて、病院よ、病院」
「大したことない。こんなのただのかすり傷さ」
「なに、死亡フラグみたいなこと言ってるの。病院行くわよ」
「そうですよ、一度お医者様に見てもらうべきです。私もついて行きます」
「そうだね。わかった。病院いくよ」
「どうしてあたしの意見には反対するくせに、ミロクさんには素直なのよ」
曜子は頬をふくらませ少し怒ってみせた。ミロクはそれを見て可愛いとすら思えた。
近くの病院で受付すると、すぐ精密検査することになった。江口曜子が電話で親に連絡しに行っている間、ミロクと曜一郎は二人きりになった。検査の準備が出来るのを待つ。夜だったので、患者は少なく、広いロビーの待合室は閑散としていた。
「何かこういう所って緊張しますね。私が診られる訳じゃないんですが」
「うん。大したケガじゃ無いと思うけど、後遺症はあとで分かることもあるからなぁ……」
「不安ですか」
「ちょっとだけ不安かな」
江口曜一郎がそういうと、ミロクは曜一郎の手の上に手を重ねた。曜一郎の手は冷たかったので、ミロクは両手で握った。
「ミロクさんは優しいね。……、それと……可愛い」
「そんなことないですよ。私は普通です」
「バイトしてたときに初めてミロクさんを見たとき、この世にこんな可愛い人がいるんだってびっくりしたんだよね。もう一度会いえたらいいな、って思ってたときに、部室に来たから正直びっくりしたんだよ」
「江口さんがジャムの人だって知ったときは、私も驚きました」
ミロクの頭には『運命』という言葉が浮かんでいた。江口曜一郎も同じ事を考えているような気がした。ミロクの視線が江口の視線と交わった。互いに強い視線だった。
「もし大したケガじゃなかったら……。……僕と付き合ってくれませんか」
「はい。よろこんで」
ミロクは曜一郎の手を強く握った。長椅子の隣にあった観葉植物がカサカサと揺れ、
「聞いちゃった、聞いちゃった~」
曜子が悪戯っぽく節をつけて踊りながら現れた。隠れて盗み聞きしていたらしい。
「ぷぷぷ。実の兄が不良にボコボコられてる所に遭遇するだけでも珍しいのに、まさか女の子に告白する様子が見れるなんて」
ニヤニヤしていた。ミロクは恥ずかしいところを見られたようで顔から火が出そうだった。
「なんだかお兄ちゃんのセリフは、またしても死亡フラグみたいだったけど」
「不吉なこと言うなよ」
「演劇部員としては気になるところなのよ、お兄ちゃん」
「江口さん、江口曜一郎さん、検査室へどうぞ」
ミロクと曜子だけが病院の待合室で検査を終わるのを待った。
「帰らなくても大丈夫なの?」
「あっ。もう帰る列車がない! 家に連絡しないと」
ミロクは立ち上がり、どうしようかとオロオロとした。
「私のケータイ使う? あともし良かったら、私の家に泊まっていく?」
江口曜子の家はもちろん曜一郎の家である。
「もちろん兄の部屋というわけにはいかないけどね」
ミロクは生徒手帳に書き込んでいた美鳥たちの家の電話に連絡を入れた。
美鳥は江口部長の家に泊まると聞いて、エェッーと声を上げて驚いたが、
「わかった。セバスチャンには上手~く伝えておくよ」
と外泊許可がおりた。
江口曜一郎のケガは右腕の骨折、肋骨にヒビ。口腔内の軽い裂傷。その他は無数の打撲ぐらいで、脳や内臓にも後遺症の残るケガは無かった。三人で帰路に着く。ミロクは、曜一郎の右手のギブスを見て、
「これじゃあ、部活も難しいですね」
「確かにね。でも片手で出来る手芸もあるんだよ」
「曜一郎さんはさすがですね」
「よ、う、い、ち、ろ、う、さん」
曜子がクククと笑った。
「呼び方、どこかおかしいですか?」
ミロクは不安になって曜一郎に訊ねた。
「おかしくないよ、全然」
曜子は、
「長いと思ったら略していいよ。『ちろうさん』とか」
ゲラゲラ笑いながら言った。「遅漏さん、遅漏さん」と小声で言う。ミロクにはその意味はわからなかった。
「なにか、面白いんですか?」
「曜子のいうことはわからなくていいよ……」
三人の楽しい会話は江口家に着いても終わらなかった。
遅い晩御飯をごちそうになり、お風呂も借してもらえた。
さすがに曜一郎と同衾するわけにはいかず、曜子のパジャマを借り、曜子の部屋に泊めてもらう。電気を消しても曜子もミロクも眠らない。眠れない。
「お兄ちゃんのどこが好きなの?」
「優しいところ、ですね」
「優しいのは認めるけど、優男だからなぁ。あたしは手芸とか、好きな人がそんな趣味持ってたらヤだなぁ」
「すごいじゃないですか。物を作り出すなんて」
「確かに技術的には趣味のレベル超えてるけど。お兄ちゃん、きっと壁に耳あてて話聞いてるよ」
曜子は隣の部屋に聞こえよがしに言った。
「ヨーコさんは、どんな男性が好きなんですか?」
「私は、セバスチャン校長かな」
「えぇ~!」
「驚き過ぎだよ。学校でも学外でも人気あるよ、あの人」
ミロクには意外だった。ミロクはアンドレイのことを得体の知れない魔術師としかみていなかった。
「顔はきれいだし、よく見ると細マッチョだし」
「ヨーコさんは外面重視ですね」
「当然」
ミロクは曜子との話に夢中になった。元の世界に戻るのならば曜一郎とは別れなくてはいけないという事実から無意識に目をそらしていた。
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