第9話 傘などお忘れにならないようご注意ください その2
次の日の朝、いつもとは違い、ミロクと美鳥とアンドレイの三人だけが登校する。
「副担任の四天王ダーモン先生は、本日からお休みです」
アンドレイが朝のホームルームでそう言うと、クラスはざわついた。ミロクは事前にダーモンが学校をやめることは知ってはいたものの、前列の男子生徒から、
「暴力事件を起こしたっていう噂があるんですが本当だったんですか?」
という話を聞いて動揺した。
「四天王先生からは『一身上の都合』としか聞いておりません。今日から校長の私が直々にクラスの面倒を見ますのでよろしくお願いします」
ミロクは美鳥のほうを見たが、美鳥も初めて聞いたふうな様子だった。
昼休みに入ってもダーモンの話はクラス中で囁かれていた。「不良を数十人をバッタバッタとなぎ倒したらしい」とか、「いや相手はヤクザだった」とか、「不良たちは秘孔を突かれて爆死した」とか。
美鳥とミロクにとって初耳だったので、何が本当かわからなかった。生徒たちが「それは話盛りすぎ」と言ってしまうレベルの話ですら、ダーモンの真の姿を知っている二人にはありえることだと思われた。
「一番近いところにいるのに、ダーモンさんのこと全然知らないです。セバスチャンさんも知らなかったみたいですし」
ミロクが伏し目がちに弁当箱に詰めたハムサンドを口にした。
「セバスチャンは全部知ってると思うよ。ダーモンちゃんもセバスチャンみたいに聞かれないと答えない主義みたいね」
「そういうの寂しいですね」
「でもそういうことを知れば知るほど、別れるとき辛いし」
美鳥は、別れの経験だけは豊富である。
「美鳥さん、今まで大勢の異世界人と出会って別れて、辛いですよね……」
「別れる、って考えるんじゃなくて、元の世界にいる家族とか友だちとかとの再会するのを手伝ってる、って考えたら、寂しいけど辛くはないよ」
そう言いつつも美鳥は、やけ食いのような速度で弁当を口に入れていく。
「いつ頃から異世界の人を助けてるんですか?」
「私が小学校に入るか入らないかくらいかなぁ。ぼんやりとしか覚えてないから。その頃私は全然何もしてないから記憶が薄いのも仕方ないんだけどね。昔のセバスチャンは今よりもずっと口数がなくて、何もしゃべらないから、異世界の人と遊ぶのが仕事みたいなものだったよ。あっ。今と変わらない!」
美鳥は自分で言って笑った。
「ご両親とかは?」
「うーん。『赤毛の魔女』が来た時に死んじゃったからいないよ~」
「変なこと訊いてごめんなさい」
「大丈夫だよ。今思えばろくな親じゃなかったし。セバスチャンがいるからね」
(セバスチャンさんが元の世界に帰っちゃったらどうするのか、なんて聞けないなぁ)
ミロクは話を変えるように
「私がこの世界にきてからまだ異世界人はダーモンさんしか来てないですが、もういらっしゃらないのですかね?」
「どうなんだろう。ディーさん、ミロクちゃん、ダーモンちゃんの三人しかいないから、もうそろそろ来てもいいかもしれないねぇ。いっぺんに数十人来ることもあるからそのときは覚悟してね」
「そうなったら食費が大変なことになります!」
「毎日お茶漬けでしのぐんだよ!」
「えぇ~!」
「冗談だよ。冗談。セバスチャンがなんとかしてくれるよ」
ミロクと美鳥はその後も冗談を言いながら談笑し昼休みを消費した。
ミロクの放課後は手芸部での活動である。美鳥はメイド喫茶の仕事があると言って部活には参加しなかった。
江口部長はわからない編み方があれば丁寧に教えてくれる。
「わかりにくいところは一度聞いてわかった気がしても、一からやり始めるとまたわからなくなったりするから、そのときは恥ずかしがらずに聞いてね」
江口部長はとてもやさしい。ミロクにとって江口部長はこの世界で初めて損得抜きで付き合ってくれる人だった。美鳥も無償どころか身銭を切って支援してくれているのだから、感謝しきれぬほどの恩人であるが、恩人であるがゆえに過剰に気遣いをせねばならず、窮屈に感じてしまう。
この部室にいると落ち着く。別に楽しいおしゃべりがあるわけでもなく、じっと座って淡々と手芸に勤しんでいるだけなのに。
そんなゆっくりと落ち着いた二人の空間に、
「ヨウちゃーん」
とドアがいきなり開き、
(誰? それに、ヨウちゃんって誰?)
ミロクの前を黒髪で長身の美人が小走りに通り過ぎ、江口部長の首の周りに抱きつく。
「何し来たんだ」
江口部長は呆れた様子だが、密着している美女を振り払う様子はない。
「演劇部の勧誘」
美女は江口部長の肩を揉んだが、すぐやめた。
「入るわけないだろ。こう見えても手芸部の部長だぞ」
「廃部寸前じゃない」
「部員もいるよ」
「どうせ、幽霊部員でしょ」
「違うよ。ほらそこにちゃんといるだろう」
ミロクは「こんにちは。ミロクと申します」と座ったまま挨拶した。江口部長の背もたれに手をかけて立っている美女の周りに、男子の友達が多い女が持つフェロモンのような雰囲気が漂っている。
(この人、苦手だ……)
「あっ、いけない。ごめんね。普通にマネキンかと思った!」
美女は、長くてツヤツヤした黒髪を生えた頭に右手を乗せてケラケラ笑った。ミロクは少しいらついた。
「この子がヨウちゃんが部員になったって言ってた、外国人のコか~」
(違います。外国人じゃなくて異世界人です)
ミロクは、外国人というのもあながち間違っていないと心の隅で思ったものの、目の前の女性は間違っていると思いたかった。
「部員はミロクさんだけじゃないよ。他にも早乙女美鳥さんっていう一年生も部員に入ったし」
「部員ができたんじゃしょうがないな~。でも、部長の座をミロクさんか早乙女さんに譲ってヨウちゃんは演劇部に来ればいいじゃない」
「何をバカなことを言ってるんだよ」
(そうよ、バカなこと言わないでよ)
「僕は部員を死守しなくちゃいけないんだ」
この美女はミロクと絡む気はさらさらないらしく、ミロクに何か質問したり、話しかけたりしてこない。ミロクも『あなたはどなた?』と質問したかったが、こちらが先に名乗ったのに、自らは名乗らない相手に下手に出るのは嫌だった。
それに不快感を隠して話せなさそうなので、むしろ話しかけられぬよう、ミロクは自ら存在感を消した。
聞き耳をたてて、会話の中から二人の関係を示す手がかりを探る。
ミロクは、黙々と編み物を続けていた。手がまるで他人のもののようでウネウネと自動的に動いている気がする。
美女はマネキンがかぶっていたコリント式ヘルムを手に取ると、
「演劇部に来ないならこうしてやる」
そのトサカの部分で江口部長の首筋にグリグリ当てた。
「くすぐったいし、ときどき痛いし、やめてくれ」
「演劇部に来るならやめてあげる」「行かないって」
江口部長は、美女の脇腹をくすぐって逆襲し、美女は「もう。それイヤっ」と体をひねるようにして部室の外へ追い出された。
「今日はこれくらいで勘弁してあげるっ」
見知らぬ美女は、笑いながら息を切らして逃げていった。
「あいつ、本当に何しにきたんだ?」
「さぁ」
ミロクは、私が知るわけないじゃない、と内心で叫び少し憤った。
部室は静かになった。ミロクは席からほとんど動いていなかったが、息が短くなっていた。
「今日は目が疲れたみたいなので、これくらいで帰ります」
心ここにあらずの状態で編んだ部分は粗雑過ぎ、ミロクは、今日やった分は全部解いてしまうことにした。
「目は大事にしないとね。夜に星とか遠くのものを見ると楽になるよ。じゃあ、お疲れ様~」
ミロクは小さく「失礼します」と部室を出た。
息苦しさはましになったが、今度は酷く寂しくなった。中途半端な時間に下校する生徒はほとんどいなかった。
家に帰るにも列車が来る時間ではない、その間時間をどうつぶそうか。
(給仕するのにはまだ抵抗があるけど、美鳥のいる店にいこう)
思えば、一人で下校するのは初めてだった。美鳥と話しながら登下校してばかりいたので、通学路の風景もうろ覚えで、新鮮さよりも不安を感じる。沈みゆく夕日とカラスの不気味な声がそれをより一層強くする。
(まるで異世界みたい、って、ここは異世界だった)
これを美鳥に言えば、きっと手を叩いて笑ってくれるだろう。美鳥は本当によく笑うから。
一旦駅に向かい、駅からメイド喫茶に向かう道順は覚えていたが、それではかなりの遠回りな気がする。次の列車までの約2時間だけ働くつもりだから、できるだけ早く到着したい。
ジグザグに西に進んでいけば、大通りに入るだろう。大通りに出ればメイド喫茶の場所はすぐわかるはずだ。
江口部長と謎の美女のことが頭に浮かぶ。
(何よ、あの女。ふしだらな感じで。それにエグチさんもまんざらでもない感じだったし。男ってああいう女が好きなのよ。外面ばっかり見て、人の中身とか性格とかまるで見抜けないんだから。遊ばれて食い物にされて捨てられるのが落ちなのに)
ミロクは苛立ちを紛らわすように、早歩きで進む。だがすぐに、
(なんでそんなにイライラしてるんだろう、わたし)
と冷静になった。思えば結構長い間歩いているような気がする。
(もうそろそろついてもいい頃なのに)
さっき渡ったそこそこ広い道が大通りだったのかもしれないと思いつつも、もう少し進んでそれらしき広い道がなかったら、その道に戻ろうと心に決めて進む。
迷子になったのではないかと、少し小走りになる。
(遠回りしておけばこんなことにならなかったのに)
公園の中に図の描かれた大きな看板があったので、喜び勇んで近づいて見てみたが、それは公園の内部の地図だった。求めていた周辺地図ではない。看板やその周辺のあちこちに汚い文字のサインや卑猥な落書きがあふれ、ミロクは眉をひそめ、顔を背けた。
公園は広いのに、散策する人や遊ぶ子供もいなかった。立地条件が悪いのかもしれない。樹々が鬱蒼と茂り、沈みかけの夕日は届かず薄ら寒い。手付かずの枯れ葉と捨てられたゴミが散らかっている。
もはやバイトに行くのは諦めた。素直に帰ろう。駅ならそこらにいる誰かに場所を聞けばわかるはずだ。
公園から出ようと出口を探していたところ、ちょうど男性の一群が公園へ入って来た。話しかけようと思ったが、彼らの風貌を見てやめた。
ほとんどの者が、ルームウェアをそのまま着て外出したようなラフな格好で、酒を飲んでいたのか赤ら顔になっていた。彼らは、自分より歳上とはいえ、まだ十代だろうと思った。二十歳にならないと酒を呑むのは非合法だと聞いていたし、二十歳になっていたとしても日も暮れぬうちから飲酒するなどろくでも無い輩だと思った。
ポケットに手をつっこんで、偉そうに周囲を威嚇するようにガニ股で歩いている。
ミロクは、この人たちと関わらないよう、脇をすり抜けようとしたが、遅かった。絡まれ囲まれた。
「この制服、見覚えがあるな。ちょっと待ってくれよ、ネェちゃん」
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