傘などお忘れにならないようご注意ください

第8話 傘などお忘れにならないようご注意ください その1

 ミロクと美鳥は二人で部室にいた。部室の戸が開く。

「先に人がいると部屋間違えたのかと勘違いしちゃうんだよね」

 入ってきたのは部長の江口曜一郎よういちろうである。

「よろ~」

「こんにちは。今日もよろしくお願いします」

 江口部長は笑顔を浮かべながら紙袋から編み棒の刺さったままのニットを取り出した。

「ミロクさんには、今日はこれを完成して頂きます!」

 ミロクはニットの肩掛けを受け取ると笑顔になり、

「これ、私が前に『作りたい』って言ってたやつじゃないですかー」

 自分の体に合わせてみた。

「ぴったりです! もしかして、私のために作ってくれたんですか?」

 江口部長は恥ずかしそうに、

「編み物の楽しさを知ってもらいたくて。出来てない最後の部分はミロクさんが完成させてね。初めての部員だから張り切りすぎたかもしれません」

「本当に嬉しいです。ありがとうございます!」

 ミロクは、肩掛けを抱いたまま、お辞儀をした。

「で、私は何が貰えるのかな?」

 美鳥はワクワクして聞いた。が、

「あ、忘れてた!」

 期待した分だけ失望が湧く。美鳥はちょっと口を尖らせたが、本来もらえなくて当然なので、すぐに普通の顔に戻した。

「早乙女美鳥さん用のは今度作りますよ。ミロクさんの分でちょっといっぱいいっぱいだったので」

 美鳥は「いや、完全に『忘れてた』って言ったよね……」と誰にも聞こえないほど小さい声でつぶやいた。

「え、すいません、今なんて?」

「いえいえ、私の分は遠慮しておきます。私ごときのために時間取らせたら悪いので」

 実際、美鳥にとって、部長が作ったニットはそれほど欲しいものではなくなっていた。

「今日はミロクさんにはこのニットの残りの部分を仕上げてもらって、美鳥さんは、前回のクマの続きをしましょうか」

 美鳥はクマを取り出した。不格好で不細工なクマの顔と、体のパーツを机に並べた。惨殺された死体のように見えた。もし校門に置けば、地方紙なら怪事件として掲載されるかもしれない。

 江口部長がミロクのそばにいって手厚い指導をしているのを見て、美鳥はゲンナリとした。美鳥はチマチマとクマへの縫合手術を終えると

「休憩します」

 と部室を出た。当て所なく歩いていたら、校長室の前に来ていた。ノックもせずそっと音を出さないよう部屋に入る。

 想定通りアンドレイがいた。ソファでティーカップに口を付けていた。

「手芸部、飽きましたか?」

「うん」

 美鳥はソファに座る。アンドレイに少しだけくっついて座る。

「美鳥は飽き性ですからね」

「そんなことないよ」

 美鳥はアンドレイの顔を見る。赤毛を見る。

「セバスチャンは紅茶ばかり飲むからそんな紅茶色の髪になるんだよ」

「違います。これは恐怖の色です。白銀から赤に変わったのです」

「怖くなって色が変わるなんて、『ドラえもん』みたい。魔法で元に戻せないの?」

「試しましたがダメでした。心の奥底でいまだに恐怖しているためだと思います。おそらくずっとこの髪のままでしょう」

「このままでもカッコイイよ。セバスチャン」

「そうそう、私達がいつも使っている列車がこのままでは廃線になるという噂が出ていますが、美鳥は何か知りませんか」

「セバスチャンが知らないのに私が知ってる訳ないよ。それにあの列車は私達しか使ってないから友達からもそんな話聞いたこと無いし。でもセバスチャンなら列車を残すことなんて簡単に出来るんでしょう?」

「はい。というより、ずっと私の裏工作で維持していました。本来ならとっくの昔に廃線になっているところですよ。ここは盲腸線と揶揄される不要な線ですから。問題は、私が工作しているにも関わらずそのような噂が出たことです」

「火のないところにも煙が立つ時代だから、あまり大げさに考えなくていいんじゃない? あんな誰も使ってない路線を見たら遅かれ早かれ潰れるだろうって思うよ」

「でももし私の力が及ばず廃線になれば、美鳥はどうします?」

 美鳥はそんなことにはならないと確信していたから、あまり真剣には検討しない。

「異世界の人が来る限り私は引越しせずに残るよ。それにセバスチャンなら列車を作ることも出来るでしょう? ディーゼルで動く列車が魔法で動く列車に変わるだけだし」

「そうですね。美鳥はあまり変化に動じない性格でほっとしますよ」

「動揺したほうが可愛かったかな。見てみたい?」

「『見てみたい』そう言わないと美鳥は怒るでしょう?」

 美鳥は笑って「うん」とアンドレイの目をじっと見つめた。

 すると、ドーンと大きな音を立ててドアが開き、ダーモンが校長室に闖入してきた。

「いつになったら力をくれるんだよ。早く帰りたいんだもん」

「まだダメです。ダーモンさんの知能が十分と判断されなければ力は差し上げられません。さて問題です。七・五?」

「三十五!」

「九九はもう大丈夫なようですね。魔力はあげられませんが、お小遣いを少しさし上げましょう。これで遊んでらっしゃいませ」

 アンドレイは、ダーモンに財布をぽんと渡した。

「わーい。お金とかいう免罪符だ~」

 ダーモンは、扉を開けたまま校長室を出て行った。

「ダーモンちゃん、どこで遊ぶんだろう」

 扉は、まるで自動であるかのように、静かにしまった。

「マンガ喫茶等本がある場所ですよ。ダーモンさんは、マンガが好きなようで、マンガに近いイラストがついていればなんでも読みます。頭の使い方を会得しつつあって良い傾向です」

「暇な時はメイド喫茶で働いてくれたら儲かるのに……」

「確かに賃金をほとんど払わずにすむので儲かりますが……。外国人実習生を違法に就労させる悪徳資本家を彷彿とさせますね。美鳥の将来が不安です」

「大丈夫だよ。セバスチャンがいるし」

 美鳥は部活の時間の殆どを校長室で過ごしたが、下校時間が近づき手芸部に戻る。

 ミロクは肩にニットを羽織っていた。

「あ、肩掛け完成したんだ」

「何処に行ってたんですか? 今日の部活はもう終わりですよ。私だけ色々教わっちゃいましたよ」

「うん、ちょっと校長と話してた」

 美鳥は軽くミロクの肩掛けを撫でてみて、よく出来た作品だと感心する。ここに来て自分も欲しいと思うが、

(もしねだっちゃったら、ミロクちゃんが元の世界に帰ったちゃった後、部活を辞めづらくなりそうだし)

 ミロクは、カバンを肩にかけながら、美鳥のカバンを手渡した。

「それ、着たまま帰るの?」

 ミロクは一瞬きょとんとした後、

「家宝にするのに、汚れたらいけないですね!」

 江口部長は、

「そんな大層なものじゃないよ。どんどん着ちゃって大丈夫だよ。洗うときは、縮まないよう洗濯機じゃなくて手洗いで洗濯してね」

 とずっと嬉しそうに笑っていた。


 同じ頃、本を読んでいたダーモンはちらりと図書館備え付けの時計を見た。六時の列車にはもう間に合わない。次に来る九時の最終便にはまだまだ時間がある。が本を閉じた。少し体を動かしたくなっていた。

(バカな生徒が繁華街で遊んでいるとかいう噂があったな~。けしからんな。それに先生どもがどうやってそいつらを見かけたのかは少し気になる。擬似生殖行動でもしているのではないか。それが分かればちょっと強請ゆすれるかも。パトロールにいこう。生活指導は大変だな!)

 先生たちを強請ゆすって大金をせしめた妄想をしつつ、

「ウハハハハ、フハハハハ」と静寂を破りながら、図書館をあとにする。

 ゴスロリ衣装の上に白衣を着たダーモンが夕暮れの繁華街を歩く。ダーモンはゲームセンターとカラオケ店を中心に巡回する。

 煙草臭いゲームセンターに入る。UFOキャチャーやスロットの音が騒々しい。仕事帰りの若いサラリーマンと大学生くらいのカップルが客層のようであった。セーラー服の二人を発見すると近づき、自分の高校の制服か確認する。ビンゴだった。すぐさま話しかけた。

「こんな時間まで何やってるんだ? 遊んでないでとっとと家に帰れ。バカどもめ」

「げ、四天王じゃん。学校は終わったんだから、何処で遊んでてもいいじゃん。先生が口出してんじゃねぇよ」

「つーか街で白衣っておかしくね?」

 学年不詳の少しスレた感じの女子生徒がダーモンに文句を言っている。

(こいつらぶん殴りたい……。リンチにしてミンチにしてイカの餌にでもしてやりたい)

 という気持ちを飲み込む。

「勉強教わるだけなら学校は要らない。生活や性格を正すのも学校の役割」

 気持ちを飲みこみすぎて、どこか教科書的な発言になってしまった。

「うっせーなぁ」

 女子にしては荒々しい口調で二人は走って店を出た。

 ダーモンは、追いかけることなく、ただぼんやりと見送った。

(口で説得するとか、無理じゃないか? 結局は力づくでないとあんな奴らにすらナメられる)

 ダーモンは巡回を続ける。目は学校の制服がないかブラウジングしていたが、頭は別の事を考えていた。

(力で全てが解決するなら、師匠はとっくに私に力を与えて元の世界に送り返すはず。そうしないのは、力が全てではないから? それとも単に私に対して意地悪をしているだけか。師匠に聞いてみようか。それとも自力で見出さなきゃいけないのか。そうだとすれば答えは見つかるはずだ。見つかるからこそ師匠は黙っているのだろう。何か気づきを与える事件を師匠は起こすのかもしれない。師匠に頼るのはその事件を待ってからでもいい)

 ダーモンはそう考えると同時に、自らの思考力も以前と違っていると感じられた。これまでは事態に対して脊髄反射のように場当たり的に反応していた。今では、一度冷静になって考えて行動できる。それまでの自分が愚かな雑魚で恥ずかしくなる。四天王の中で最弱だったのも、うなずけた。

 その後巡回しても成果はなかった。巡回しているという情報が他の生徒らに伝わったのだろう。

ダーモンは、諦めて帰ることにし、最寄り駅への最短ルートを通る。ダーモンにとって最短ルートとは、駅まで文字通り直進することである。

(日がな一日大人しくしてたおかげで、師匠に力を没収されなかったのはラッキーだったな。楽に帰れそうだ)

 ビルの上から街を見下ろす。二つに束ねられた長い髪を強い夜風が揺らす。

(なんだ? あれは)

 二人乗りの原付が五台ほど魚群のように大通りを走っていた。自動車の間をスルスルと巧みに縫って抜けてゆく危険な運転で、彼らが善良な市民ではないことは明らかであった。

 ダーモンは彼らの進行方向と駅の方向が違っていたので、捨ておこうと思ったが、足は自然と原付の赤いランプを追いかけていた。

 原付のランプが全て消え、不良の一団が公園に集結していた。ダーモンは木陰からその様子を覗う。

 不良たちが二人の女の子を囲んでいた。見るとゲームセンターにいた礼儀知らずの女子生徒たちだった。

 女子生徒は二人寄り添いながら大きな声で威嚇していた。

(類は友を呼ぶ、とはいうけど、あれはどうみても友だちの大集会じゃないな。狩りだな)

 男たちの輪は徐々に狭まっていた。

 ダーモンは、生意気な生徒が不良たちに蹂躙される様子はなかなかの見物ではないか、と期待しつつ待つが、不良たちはなかなか行動に移らない。

(ヘタレどもが!)

 公園の時計は九時に差し掛かる。最終列車に乗れないと歩いて帰らねばならない。

(仕方ない。助けるか)

「おーい。人間の子供は帰ってママのおっぱい吸う時間だぞ」

 見かけは小さいダーモンが不良たちを挑発しながら近づく。

「それはこっちのセリフだ。なんだ? てめ――」

 セリフが言い終わる前に、ダーモンのハイキックが、坊主頭の不良の側頭部にヒットした。蹴られた不良は、オーバーサイズのだらりとした迷彩柄のズボンがずれ、だらしない尻を半分あらわにしたまま横倒しになった。

「あ、そういや戦いで足を使うのは反則なんだっけ? 審判が出てきたら紙幣とかいう免罪符を使えば問題ないか。いやそれはもったいないな~欲しい本を手に入れるのに使うんだもん」

 ダーモンは、女子生徒二人を一瞥した。互いに肩を寄せあい今にも泣き出しそうな目だったが、ダーモンに話しかける暇はない。

「いてまうぞ、コラ」「このクソアマ」などマンガに出てくる三下の言いそうなセリフを吐きながら襲いかかる不良たちを、投げ飛ばし殴り飛ばし、捻ったり転がしたりするのに忙しい。。

「目だ、目を狙え」

 三下の一人が叫ぶ。

「目は反則だろう」

 ダーモンはそう言ったが、

「ケンカにルールなんてあるかぁ!」

 関取のような体型の三下がボーリングの球ほどの石を両手を使ってダーモンの頭部へ投げつけた。

ダーモンは片手でそれを掴み、握り砕く。石を投げた奴が怯む。

「ここでは、ルールは要らないのかー」

 顔面ど真ん中に正拳突きを叩き込んだ。関取が大きな音を立てて地に伏した。

「ルールっていうのは、要らないと言われたら、守りたくなるんだもん。不思議だ」

 ダーモンの周りに戦闘不能化した不良たちが、死屍累々然と倒れている。

 当たりどころがよくまだ少し動こうとする不良を踏みつけ、

「次から次へと湧いてきて、めんどくさいなー。とっとと逃げろよー。そうじゃない奴は、ルール無用で叩き潰す。キンタマすり潰す」

 そう言ったあと、足蹴にしていた不良の腹と地面と間に足を入れて、不良を丸太のようにゴロゴロと転がした。

 まだ立っている一部の不良たちは微動だにしなくなる。微動だにできなくなっていた。

 最初に蹴り倒した坊主で迷彩服の不良が意識を取り戻して、ようやく立ち上がり、「今日はこれくらいにしておいてやるっ」とダーモンに背を向けて原付に跨ると、他の不良たちも「覚えてろよ!」とか「このブスが」など悪役によくある、月並みな捨て台詞を吐き、ある者は地面に血の混じった唾までも吐いて、逃げていった。

 不良の姿が消え、女子生徒は二人同時に泣きはじめた。

「だから早く帰れといったのに」

「財布盗られたから追いかけてて、そしたら仲間が来て囲まれたんです」

「ケガはないな。財布も無事か」

「財布は盗られたままです……」

「勉強代だな。あきらめろ。ルールはお前らを守るためにあるんだぞ。破りたくなる気持ちもよくわかるが、ルールを破っていいのは誰かを守るときだけだ」

 先生風を吹かせる。

(さすがダーモン。いいことを言う!)

 と自画自賛した。

「もう一度言うぞ、放課後はとっとと家に帰れ、これがルールだ」

「すみませんでした!」「助けていただいてありがとうございました!」

 女子生徒らは深々と頭を下げた。

「駅まで送る。ガキども、支度をしろ」

 ダーモンは、女子生徒と一緒に徒歩で駅へと向かう。走れば最終列車には余裕で間に合うが、女子生徒を置いていくわけにはいかない。

 駅前のビルに付いている電光掲示板で時刻を確認する。最終列車が出そうである。

「列車なくなるから、私はここで。ちゃんと真っ直ぐ帰れよ!」

 と生徒らに言い残して、ダーモンは疾走した。今日の最終便にギリギリ滑り込んだ。

 列車の中でダーモンは、ゲームセンターでの態度から一変した女子生徒のことを考えていた。

 もしゲームセンターの中で女子生徒へ実力を行使して家路へ向かわせたとして、本当に家に帰っただろうか。たとえ駅までは向かったとしても、またすぐ別のところへと遊びに出かけてしまうに違いない。では、今はどうか。彼女たちはきっと明日からまっすぐ家路につくだろう。この差はなんだろう。今までは相手に対して直接力を使うことしか考えたことがなかった。脅迫し強制する。それしか力の使い方を知らなかった。けれど今は感化させるような力の使い方があることが分かった。師匠に対しては、とっとと力をよこしやがれ、などと思っていたけど、浅はかだった。力の使い方を間違えれば反発を産む。ひいては破滅を招くことになりかねない。

 ダーモンがさらに思索を深めようと思った時、気づけば列車はホームに着いていた。

 雨が降っていて、美鳥とアンドレイが迎えに来ていた。

「おかえり」「おかえりなさいませ、ダーモン様」

「ただいまだもん」

 ダーモンはアンドレイの顔を見て、ハッとした。

(さっきの事件は、師匠が仕組んだものなのかも……)

 少しだけ不愉快であった。自由だと思っていた思考すら操られているようで。と同時に、自分が師匠と本気で思い始めた存在が、本来同じ大地に立つのも不敬に当たるような、途方もなく強大な存在のように思えた。

 思い過ごしと思いたい。そう思って突っ立っていると、

「どうかしたの? ボーっとして」

 列車から降りないダーモンに美鳥が話しかけた。

「大丈夫だもん」

(いい加減この口調はしんどいな……)

 アンドレイが列車の運転手に「いつもご苦労様です」と笑顔を浮かべ丁寧に挨拶している様子を見ると、買いかぶり過ぎかと思う。無理にでもそう思うことにする。

 美鳥とダーモン、アンドレイの三人で帰る。アンドレイが傘を差し出しても、

「別に雨にあたっても怪我なんかしないもん」

 と渡された傘をささずに歩く。

 黙々と。

 黙々と考える。

(事件が起きるかもしれないと思った時に事件が起きた。師匠が事件を仕組んだとしか思えない。でもお膳立てをしたとしても、自分がさっきみたいな気づきを得るとは限らないしなぁ。自分なら手っ取り早く無理矢理にでも相手の意思をコントロールしてやるけど。ああ、それは逆だって自分で気づいたばっかじゃないか、バカダーモン。じゃあ、やっぱり師匠は自分を少し後押ししただけか。今まで気づかなかっただけで、ずっとそういうことをされてたのか。もしかして、本当に師匠は、この世界に来たヤツら全員のためにずっとこういうことをしているのか? いや、はじめから『全力でサポートする』とはいってるけど、売り文句みたいないい加減のものじゃなくて、本気の本気でやっているのか……)

「ダーモン様、今日は何かいいことでもありましたか?」

 ハッと目が覚めたようにアンドレイの声に反応する。周囲は真っ暗だ。美鳥が懐中電灯を片手に道を照らしているほどで、ダーモンは自分が今どこにいるかわからなかった。

「全然なんにもないもん」

 ダーモンは、自分が全く濡れていない事に気づいた。横を見ると、美鳥がずっと傘をさし掛けてくれていた。

 ダーモンは、小さく「ありがとう」といって、渡されていた自分の傘を広げた。

(師匠から力を力づくでももらい受け、元の世界に戻ってやろうとおもってたけど、師匠の言うように自分にはまだまだ学ばなきゃいけないことがたくさんある。自分の世界は他の世界から色んな物をうばったり貢がせないと潰れちゃう。早々に滅びちゃうよ。でもこの世界にある知識を使えば、解消できる問題もたくさんあるはず。でも、ゼロから知識を詰め込んでいくから、かなり時間がかかる。かなり根気もいりそうだ)

「師匠。この世界にしばらく居てもいいかい?」

 美鳥が

「『しばらく』じゃなくて、ずっとここに居てもいいよ!」

 うれしそうに言う。

「ずっとは無理だもん……」

「誰にも迷惑がかからない程度滞在するのは構いません」

「それと、学校もやめていい?」

「えー、ついさっき来たばかりじゃん!」

「もう学校じゃ学ぶことないもん……」

 ダーモンは申し訳なさそうにする。

「そうですね。ダーモン様はいつか学校で事件を起こしそうですからね。いいでしょう」

「ありがとう」

「学校行かない間、何するの? メイド喫茶くる?」

「図書館で勉強するもん」

「ひょえ~。勉強!」

 美鳥が素っ頓狂な声を上げて驚く。

「そんな苦行チックな単語がダーモンちゃんの口から出てくるなんて!」

「美鳥にとって勉強は苦行そのものでも、目的を持っているダーモン様にとっては『使命』のようなものなのですよ」

「使命かぁ。ん~なんか明治時代の留学生みたいだね」

「美鳥も何か目標を持って勉強したほうがいいですよ」

「私にはメイド喫茶があるし、セバスチャンもいるからいいの」

「私もいつまでこの世界にいられるか、分かりません。メイド喫茶だって美鳥だけできちんと経営できるとはとても思えません」

「セバスチャンはずっとこの世界にいるから大丈夫なの!」

 美鳥が駄々をこねる。

「異世界人がこの世界にいる限り私はこの世界に留まりますが、誰もいなくなれば、私もこの世界から去ります」

「そんなのダメ! 絶対に帰さない」

 美鳥とアンドレイが半ば痴話喧嘩のような平行線の言い合いをしていた。

 『帰る・帰さない』というのは、二人だけの間の、お決まりの掛け合いのようで、美鳥がそれに夢中になる度、懐中電灯の光がでたらめにチラチラと動く。

 ダーモンは鬱陶しさを少々感じたが、口にはしない。代わりに、

「おなか空いたなぁ」

 とつぶやいた。もう家は目と鼻の先に来ていた。

「今日の晩御飯は、ミロクちゃんが作ったハンバーグだよ」

「えっ。ミロクが作ったって!?」

 ダーモンは、激マズ有毒カレーの一件を思い出して、きびすを返した。

「ダメだもん。臨死体験なんてもうコリゴリだもん」

 ダーモンは、少し嗚咽の声を漏らした。

「大丈夫だよ。ダーモンちゃん。今度のは食べられるから! むしろ美味しいくらいだから!」

「本当か?」

「ホントホント」

 ダーモンと美鳥は、「本当?」「ホントにホント」「本当に、本当か?」「ホントにホントにホント!」「本当に、本当に、本当?」「ホントにホントに……」……という掛け合いをしながら、家に入った。

 結局ダーモンは、ハンバーグを4回もおかわりし、ミロクを褒め称えた。

 ダーモンは、他のみんなも少しずつ元の世界に戻る準備を進めているのだと思った。

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