第2話 強制途中下車(インターセプト)その2
ボロアパートに帰宅。
「お帰り。ねえ。どうだった?」
美鳥の漠然とした質問に、アンドレイは、共同リビングのソファーに先ほど気絶させたダーモンを寝かせながら答える。
「襲って来ましたが、大丈夫です。殺してはいません。今は意識を失っていますが、昼頃目覚めるでしょう」
「おーツインテ、超かわいい!」
美鳥が寝かされているダーモンを見て歓喜した。
この部屋は、住人全員が自由にテレビを見たり、寛いだり、冬には鍋を囲んだりする部屋で、共同食堂と合わせれば二十畳ほどの広さをもつ。この世界にやってきた異世界人は、だいたいがこの部屋で、新入生へのオリエンテーションのごとく、様々な説明を受ける。
「それよりも、ミロク様は、この世界について美鳥から説明してもらえましたか?」
ミロクは慌てながら、
「えっと、この世界は――、異世界へ召喚されそうな人を途中で下車させてこちらに引き寄せて――、元の世界に戻れるようにしてくれるためのもの、ってことと――」
ミロクは時折、中空を見ながら、理解したことをなんとか言語化しようと、ワタワタと手を動かして、たどたどしく、とぎれとぎれに話す。
「あと、乗車券に書かれた『一人で生きていける生活力を身につける』という条件を満たせば列車が来て元の世界に帰れることはわかりましたが、正直何が何だか――実感がないというか」
「そうですね。大方その理解でよろしいかと思います。けれども、重要な説明がいくつも欠落しています」
「え~、ちゃんと説明したよぉ……」
美鳥は説明に使った黒板を見せてアンドレイに抗議した。
駅から持ってきた『伝言板』の黒板には、
『元の世界A――――→この世界C……→異世界B』
とだけ書かれている。アンドレイは眉間に手を当て、
(美鳥は一体あと何回繰り返せば正確なプレゼンができるようになるのでしょう)
と思った。
アンドレイは、チョークを握り、複雑な魔術構造を八割ほど書き込んだところで、思い直して手を止めた。魔術構造を再構成しようとするたびに『赤毛の魔女』の影がちらつく。
こんな慈善事業を構築した元凶『赤毛の魔女』の事を話すことになる。それは避けたかった。
「詳しい魔術構造の説明はやめておきましょう。知らなくても元の世界に戻れるのですから。たとえるなら、自動券売機の内部構造を知らずとも、切符を買うことができるのと同じです」
ミロクは、ええ、とわかっているのかいないのか不明の、溜息のような相槌をする。
「ただ、是非とも理解してほしいことが別にあります。この世界は、決してミロク様たちのような被召喚者のための世界ではありません。この世界はこの世界です。この世界の人のものです。異世界人が元の世界に戻るための手段として存在しているわけではありません。私も美鳥もあなたたち異世界人が元の世界に戻れるよう努める義務は微塵も負っていないのです」
「でもでも義務はなくても、美鳥はいつだって全力でサポートするよ。最強の魔術師セバスチャンにかかれば、異世界人の一人や二人、あっという間にポポーィって元の世界に戻せるんだし」
美鳥が口を挟んだ。
「全力でサポートするのは確かですが、それは私たちのボランティアによるものだということ、これが何よりも大切です。くれぐれもこの世界の人々に――美鳥にも――迷惑をかけることのないよう、心よりお願い申し上げます」
アンドレイは、脱帽し胸に手を当てて深く頭を下げながら、
(ミロク様よりむしろソファで眠っているダーモンの方が心配ですね)
と思った。
「あと私の名前はセバスチャンではなく、アンドレ――」
「そんなことより、ミロクちゃんって、元の世界ではお姫様なんだって」
ミロクは、美鳥が遠慮なくアンドレイを遮るのを見て、果たしてアンドレイを差し置いてよいものか、迷うようにアンドレイと美鳥を交互に見てから、
「ええっと、王女といっても、小さな国の、王位継承権もない身分ですよ。ですので庶民に毛が生えた程度ですよ」
「こんな狭くてボロっちいところに押し込めちゃってゴメンねぇ」
そう言いながらも、美鳥は欠伸をした。
アンドレイは、壁に掛けられたモンディーン社の時計を見た。以前いた住人がアンドレイにプレゼントしたものである。
「夜も深いですし、お二人とも今日はお休みになって下さい」
「そうだね。もう寝るねぇ、ってミロクちゃんの部屋どうしよう。七号室が空いてるけど、とっ散らかってるかも」
三人は七号室に向かい、電気を点ける。三人は戸を開けた切り、踏み込まない。
案の定、部屋にはホコリが溜まり、蜘蛛の巣も張っている。黄ばんだ畳。薄い壁には二年前のカレンダーがぶら下がっていた。
「美鳥、『この部屋は思い出にずっととっておく』って言ってませんでした?」
美鳥と非常に仲良くなり、親友というべき存在であった異世界人が使っていた部屋だった。部屋をじっと見ている美鳥がその親友とのことを思い出していることは、アンドレイにも容易に察することができた。
「うん。でも、もう会うこともないだろうし……。会えないほうがいいだろうし……。思い出は胸の中にちゃんとしまってあるから大丈夫だし。それに、過去よりも今の出会いを大切にしたほうがいいかなって思ってるんだ」
「そうですか。それを『成長』というのかもしれませんね」
「偉いでしょ」
美鳥は腰に手を当ててエヘンと自賛した。
「そうですね。ではこの部屋を片付けてしまいますね」
アンドレイは指をパチンと弾く。一瞬にして洋風の部屋に変わる。部屋からホコリが霧消し、畳はフローリングへ変貌。窓には黄色いカーテンがかかる。ベッドも新たに現れふんわりとした掛け布団が載っている。家具もひと通り揃っていた。
女二人が、おぉ~と声を上げる。
「これでミロクさまはぐっすりとお休みになれます」
「ありがとうございます、セバスチャンさん」
「さすがセバスチャン、何度見てもすごいねぇ、魔法」
「私の名前は、アンドレイです。おやすみなさい」
アンドレイはリビングに戻る。一号室のディー・イチュマガがカロリーメイトを齧っていた。ローテーブルの上に牛乳がコップ一杯載っている。ミロクたち三人と入れ替わるようにリビングに来たのだろう。
ディーは、真っ黒いジャージ姿で胡座をかいていた。いつものソファーが、新入りの女に占領されているからだ。ショートのピンク髪のディーは、うさぎのように赤い眼をダーモンに向けている。
アンドレイはこの目の色は好きではなかったが、アンドレイを『アンドレイ』あるいは『アンディ』とよんでくれるディーには好印象を持っていた。
「ディー様、おはようございます。今日は少し早いですね。もしかして起こしてしまいましたか?」
「おはよう、アンディ。全然よく眠れたよ、って言いたいけど、さすがにこれだけバタバタしてたら起きるよ」
ディーは天井を指さした。
二階でミロクと美鳥が歩き回っている足音が階下まで聞こえている。アンドレイのレイアウトした部屋を早速、模様替えしているようであった。
(お休みになってからでも構わないと思うのですが……)
アンドレイは、部屋のレイアウトを気に入ってもらえなかったことが少し残念であった。ほぼ全能のアンドレイとはいえ、他者の好みや感性まで完全に把握するのは困難であった。
「ねぇねぇ、アンディ、新入りさんってどんなコ?」
「一人はお姫様で、もう一人は多少じゃじゃ馬のようです」
「二人も来たのか~」
「それより、もうそろそろボクシングの試合があるのでしょう? 相手を殴れるようにはなりましたか?」
「ギクッ! あはは~。まだ女を殴るのはちょっと……」
「元の世界で拳闘士なのですから、身体面に問題ないはずですが」
「対戦相手が男だったらな~。男の対戦相手さがして貰えたらすぐにでも……」
ディーはピンク色の頭を掻きながら言い訳をした。
「男女混合の試合というのは極めて稀なようです。女性を相手にする男性ボクサーはあまりいらっしゃいません。勝っても当然視されますし、負けたら競技者生命に関わりますから」
「そうだろうとも。そもそも女を殴るなんて風上にも置けないしな」
「でもあなたはこの世界では女性です。リングの上で女性が女性を殴っても問題ないでしょう」
「オレは元々男だ。それに今も男のつもりでいる。男子のほうにエントリーしたくても、いくら体脂肪を絞ってもこの胸は萎まない。手術してもすぐ再生するッ。こんな体じゃなかったら、とっくの昔に元の世界に戻れてるんだ」
ディーは自分の胸を忌々しげに見ながら、両胸を引きちぎらんばかりにグイグイと引っ張る。
「その体のせいではないでしょう。それに、本当に女性だけが殴れないのですか?」
「……」
ディーは沈黙し、視線をアンドレイから外した。
「あ、もうこんな時間。ランニングに行ってくるよ」
ディーは逃げるように出て行った。
アンドレイの中で『ディー・イチュマガは人を殴れない』という、定理に近い認識が随分前から確定している。ディー自身もわかっているはずだが、どうしてもその問題から逃げようとする。ディーの心の問題だ。これについても、アンドレイが直接介入できるものではないし、すべきことでもない。
(これでは、私が乗る最終列車がいつ来るのか、予測が出来ませんね……)
問題があるのはディーだけではない。
ソファに横たわる少女の顔を見て、アンドレイは溜息を吐いた。
アンドレイは寝ないのが
時折ベッドに横になり思索を巡らせることはあるが、寝ることはほぼ皆無である。この世界にきてから発生し始めた微細なエラーと折り合いをつけるため、思考リソースをそちらへ集中させるときには、外部からは眠っている状態に見えるが、休息効果のある睡眠とは性質が違う。
朝日が昇り、ディーがランニングから帰ってきたときも、ダイニングで悠然と紅茶をすすっていた。頭の上には未だ駅長帽が載っている。『赤毛の魔女』の魔法について思考を巡らせている。
異世界に迷い込み、元の世界に戻る糸口すら見つけられぬまま朽ち果てる運命のはずだった、決して物語の主人公とはなりえぬ、没個性的で無能力な登場人物たち。
その彼女たちを列車に詰め込み、この世界に引っ張り込む、巨大魔法構造『
その発動者たる赤毛の魔女はアンドレイに言った。
『最終列車に乗りなさい。そうすればお前の知らない最高の魔術がわかる』
すべての魔術によって構成されているはずの自分が知らない魔術。
つつがなく全ての途中下車客を無事に元の世界に送り返せばやってくる、最終列車。
この魔術はアンドレイをその構成要素として誘い入れ、自分に――不要な世界を破壊し排除する、最悪で最凶あるいは破壊される側からすれば理不尽そのものと認識されうる自分に――それとは正反対の、無力で哀れな者たちを破滅から救済する者として機能させている。
『赤毛の魔女』の目的は、想定不能。
『赤毛の魔女』の見返りは、想定不能。
喉から手が出るほどの知識。追求したい理不尽。
この世界にやってくる異世界人全てが、この世界から旅立った後、ようやくやってくる最終列車。
いつわかる? いつ確定する? いつ乗れる? いつ最後の異世界人がやってくる? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ? いつ……――
アンドレイの暴れ馬のような知識欲を自然に沈静化することはできない。膨大でバグに漸近する予測演算に思考資源を侵蝕されぬよう、手近な世界や容易に答えを導けるものを探求することでコントロールする。
「アンディ、また時刻表見てるの?」
ディーが話しかける。分厚い時刻表の本を無意識に眺めていた。ディーの帰宅に気づかぬほど集中していた。
「時刻表を見ているのではありません。数字の向こう側を見ているのです」
『数字の向こう側』と聞いて、ディーは吹き出した。
「そんな文学的な表現するなんて珍しいね。本当は電車で旅行でもしたいんじゃないか」
「この場を離れることはできませんので」
「デタラメにやってくる列車対応に忙しいのもわかるけど、ちょっとの留守ぐらいならオレだけでも何とか出来るぞ。行ってくれば?」
「いえ、この場を離れるわけには参りません」
「自分が留守の間になにか起きるのが心配なんだろう? 心配症なアンディ。鉄道に生きる男」
ディーは、先ほど自分の弱点を突いてきたことの
アンドレイは沈黙し、否定しなかった。
確率が低くても、想定外のことが起こりうるものとしておかねばならない。そもそも自分がここに存在するのすら想定外なのだから。
「ディー様の朝食の準備を……」
アンドレイは立ち上がりかけたが、
「いいよ。オレ、減量中だから」
ディーの言葉のワンツーパンチにより、整いつつあった思考に若干の混乱が生じていた。
アンドレイは掛け時計を見た。
先ほどの、電車で旅行にいく、というディーの案に少し引っかかる。
(仮に平日に出発するとして、美鳥が学校へ行くのを待つ。その後に乗れる列車の選択肢は……。夕刻までに帰宅すると設定すると、最長時間乗車できるのは……。違う。あそこで一旦途中下車すれば、今月は臨時列車があります。これに乗ればいつもよりも十二分も長く旅ができ――ハッ)
「にやけすぎ」
ワンツースリーを決めたディーは反撃されぬよう、水をコップ一杯、がぶりと飲むと逃げるように自室に戻っていった。
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