最終列車に乗りなさい

手水鉢直樹

第一部

強制途中下車(インターセプト)

第1話 強制途中下車(インターセプト)その1

 深夜三時。列車が通過するはずもない時間帯に踏切が鳴り響く。

(正常な音ですね)

 アンドレイは急いで着替えを始める。共同風呂・共同トイレのボロアパートの住人には似つかわしくない、執事服を洋ダンスからベッドに放り投げた。アンドレイはこれしか服がないのを確認すると、溜息を一つ吐き、ネクタイを締め赤いベストを羽織った。

 女の子の、

「また異世界人が来たよ」

 という声とともに、あずき色のジャージを着た少女が、ノックもせずにアンドレイの部屋に上がりこむ。少女の頭の上には、これまたジャージには似合わぬ国鉄助役制帽がのっている。帽子から黒髪セミロングの髪がのぞいていた。

「またあなたですね、美鳥。私の駅長服をこの服にすり替えたのは」

「そうだよ、セバスチャン。私の見込んだ通り、執事服のほうがよく似合ってるよ」

「私の名前はセバスチャンではありません。アンドレイです。後で私の服を返して下さい。あれはオークションで手に入れた大切なコレクションなのです」

「わかってるよ、セバスチャン」

 美鳥の発言に対してアンドレイはツッコミを入れない。壁も床も薄い。声は筒抜けになる。一階には泥のように眠っているボクサー志望の住人がいる。静かにぐっすりと眠らせてあげたいのだ。

「ネクタイはズレていませんか?」

 アンドレイは美鳥に尋ねた。美鳥は少しだけ位置を直して、

「オッケー。でも自信がないから自分で鏡で確認してね」

「お断りします」

「そう言うと思ったー」

 アンドレイは鏡と接するのが苦手であった。自分の姿を見るのが何よりも苦手だった。

 最初にして最後の難敵との戦いで、恐怖のあまり変化してしまった髪の毛の色が気に入らない。赤毛で気に入らない。赤毛が気に入らないというよりも、名前も素性も能力も、さらには負けた理由もわからせぬまま勝ち逃げしていった難敵の毛色と同じだというのが気に入らない。鏡を見ると『赤毛の魔女』がまた現れたのかのような錯覚に陥り、反射的に鏡を割ってしまいそうになる。

早乙女美鳥さおとめみどり、あなたこそ私にとって理解しがたい異世界人ですよ」

 独り言のようにつぶやく。そして、テーブルの上に置いてある、鉄道員の象徴たる制帽を手に取った。旧国鉄の帽章と二本の金線がわずかに輝く。

「そうそう、異世界人。早く駅に行かないと異世界人ちゃんが困っちゃうょ」

 美鳥は、脱線した話を元に戻した。

「美鳥は寝ていても結構ですよ」

「でも明日学校休みだし、いいでしょ」

 一階の玄関で丁寧に磨かれた黒革の靴を履き、近くにある駅舎へと向かう。


 アンドレイと美鳥の二人が、無人駅の無人改札口を通りぬけたとき、ちょうど列車が停まり、ドアが開いた。暗闇の中、列車の明かりが薄く周囲を照らしている。

(今回はキハ二〇系ディーゼル……。相変わらずやってくる列車の種類はデタラメですね)

 いつもどおり乗客は一人だけ。混乱し、号泣する女の子が列車を降りてくる。

三つ編みされた金色の髪が背に伸びている。白い薄手のワンピース姿であった。

 いつもどおり二人は乗客をこの世界に迎える。

 駅舎の柱にあったマイクを手に

「ご乗車ありがとうございました。乗り換えのお客様はしばらくお待ちください」

 たった一人の乗客のためにアナウンスをした。マイクを切り、なお泣いている女の子に話しかける。

「こんばんは。心中お察しします。突然姿を替えられた上に、列車の中に放り込まれ、列車を降りてみれば、見知らぬ二人が現れ、『こんばんは、心中お察しします』などと言われている訳ですから」

 アンドレイがこういうと、女の子は、ぽかんとした面持ちでアンドレイと、アンドレイの隣の美鳥の顔へ目を向ける。

「私の名前はアンドレイ。そして――」

「私は早乙女美鳥だよ」

「元の世界に戻れるよう、私たち二人が全力でサポートさせていただきます」

 少女がようやく口を開く。

「私、古い本を片付けていたら、急に本から声がして、足元がぴかっと光って……」

 美鳥がくすくすと笑う。

「えらくベタな異世界召喚モノのプロローグだなぁ。あれだよ、お爺さんの骨董だとか、考古学者のお父さんが家に届けた古代の遺物だとか、魔導図書館の奥深くに眠っていた禁忌の魔導書とか、そういった類のモノには近寄っちゃダメなんだよ。異世界に飛ばされちゃうから。ぴかっと光に包まれて異世界に吸い込まれちゃうから」

「魔導書は開きましたが、骨董品とか遺物とかに触った記憶は……」

「後学のためだよ。もう」

 美鳥が恥ずかしそうに女の子の背中をバシバシと軽く叩く。

「ここは……そのぉ……本の中の異世界なのですか?」

 アンドレイは美鳥の手を制止しながら答える。

「半分正解、半分不正解です。この世界は確かにあなたにとっては異世界です。ところでお名前は?」

「ミロクと申します」

「ミロク様ですね。半分不正解と申し上げたのは、この世界は、本の中、ではないからです。つまり、ミロク様の開いた魔導書が転送するはずだった世界とは異なる、別の異世界でございます」

 ミロクが乗ってきた列車は『回送』と方向幕の表示を変えた。ミロクの真後ろの扉が閉まった。ミロクがビクッと軽く驚く。

 アンドレイは「列車が発車いたします。危険ですから、白線の内側までお下がり下さい」とアナウンスした。美鳥がミロクの手を引いて白線の内側に引き寄せた。

 列車が音を立ててゆっくりと発車、加速する。駅から遠ざかってゆき、駅舎が少し暗くなった。

 アンドレイは、指をパチンと鳴らした。駅舎の明かりが点った。

「私、元の世界に戻りたいです」

「そうでしょうね。あちらを御覧ください」

 アンドレイは、駅名標を指さした。駅名標には『この世界』とあり、その下の左側だけに次の駅として『行くべき世界』と表示されてあった。

「『行くべき世界』とある通り、あなたは行くべき世界に行くことができます。ポケットの中に乗車券が二枚入っていませんか?」

 ミロクは、ガサガサとポケットの中を探る。

「これですか?」

 二枚綴りの紙切れを見せた。アンドレイは一礼し「拝見させていただきます」と受け取る。

 『オノリウス魔導書世界行き』『ミロク・ソツテの部屋行き』の二枚の特急乗車券。

「あなたの開いた魔導書は、オノリウスの魔導書というそうですが、見覚えは?」

「いえ。全く。本はよくわからない文字で書かれていたので」

「ミロク・ソツテというのはミロク様のフルネームでよろしいですね」

「はい」

「『ミロク・ソツテの部屋行き』の列車に乗れば、元の世界に戻れますよ」

「本当ですか? その列車というのはいつ来ますか?」

「それは……」

 踏切が鳴った。通常よりも半音低い音で鳴っている。別の列車がホームに向かって着ていた。

(今度はミキ三〇〇形)

 アンドレイはミロクに乗車券を返す。

「説明は後でゆっくり致します。とりあえず避難して下さい。美鳥、避難誘導をお願いします」

「はいはいー。ミロクちゃん安心して。大したことないから」

 美鳥はミロクの手を引いて駅舎の外へ走っていった。

 アンドレイはマイクで「さきほど強い敵意を感知致しました。車両点検のためしばらくお待ち下さい」と無人のホームでアナウンスした。

 アナウンスが終わったちょうどそのとき、列車がぐわんと揺れ、列車の中央の屋根を破って、女が飛び出る。黒髪にツインテール。赤と黒のチェックのゴスロリ衣装を体に纏っていた。

「どこだ、ここは!? なんなんだこの姿は!?」

 女は叫んだ。

 列車の屋根に乗っている女の手には、巨大な鎌が握られている。

 パラパラと先ほど壊された車両の屋根の一部が地面に降ってくる。

 アンドレイは、平然と「車両への危険物の持ち込みはご遠慮ねがいます」とアナウンス。

「うるせぇ、クソ下等生物が!」

 女がアンドレイに向けて鎌を振り下ろす。アンドレは平然と一歩だけ体をズラして避ける。女は鎌を薙ぐ。アンドレイはバク転して躱した。落とした帽子を、次々と繰り出される斬撃と刺突を避けながら、ホームから拾い上げ、かぶり直した。

 よく見るとアンドレイの執事服の一部が切られていた。

「今日は駅長服でなくてよかったです」

 アンドレイは美鳥に少しだけ感謝した。

 なおも女の攻撃は続く。

「このようなチンケな体に身をやつされたとはいえ、このダーモン様の攻撃にいつまで耐えられるかな。ククク」

 アンドレイはそれを避けながらジリジリと後ずさりしていく。次第にホームの端へと移動していた。

 ホームに逃げ場がなくなったアンドレイは、ポンとプラットホームから線路へ飛び降りりた。ダーモンと名乗る女も釣られて線路に飛び降りた。アンドレイは線路に沿って走り始めた。ダーモンもアンドレイを追う。

 そのとき、『回送』に変わった列車が発車し、ダーモンとアンドレイに向かって直進する。

「な、何だぁ?!」

 ダーモンが後ろを振り向き、列車に気を取られた瞬間、アンドレイは、腹に一発拳を叩き込み、一言。

「線路への立ち入りは、大変危険ですのでおやめ下さい」

 アンドレイは、気を失ったダーモンを抱えて、ヒラリと列車を飛び越える。

 そしてホームに舞い戻ると、ダーモンに握りしめられた大鎌へ魔力を注ぎ込み蒸発させた。

「今日の客は二人ですか。これで異世界人は三人。正確には、私を含めて四人ですね」

 天井に穴の開いた回送列車を見送りながらアンドレイはひとりごちた。

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