背中あわせ・秋則

「おかえり」

ダイニングのドアを無言で開けると、ベランダで煙草を吸っていたそいつが室内を振り返った。手にしていた灰皿に押しつけて火を消し、窓を閉める。一度かがんだのは、ツナの空き缶を拾ったからだ。

 俺は仕事用の鞄をテレビ前のソファにほうった。

「あのな。ノラ猫に餌やんなよ。近所から苦情が来て困るのこっちなんだから。あと、人間用の食べ物やるなんて非常識だぞ。やるならやるで、ちゃんと猫用の……」

ふっとそいつが破顔した。

 笑ってる場合か。俺がむっとしている様子が伝わったのか、やっとまともな顔をした。

「いや、ほんと秋則(あきのり)は変わんないねーよな。厳しいようで、でも詰めがやたら甘いっていうか」

からかうように言うのは、義兄の晶一(しょういち)だ。同い年なのに、二ヶ月先に生まれているから、俺の兄だという。

 義父の連れ子だ。俺たちは中学三年の時に兄弟になった。


 今でこそ、シングルマザーなんて珍しくないのだろう。でも、俺が小さい頃はまだ世間は偏見と過剰な同情に満ちていた。

 息子の俺がちゃんとしなきゃいけないんだ。そして、世間の風評から母さんを守ってやるんだ。幼い時から当たり前のようにそう思っていた。

 それが俺の本心なのか、まわりに刷りこまれた価値観だったのか判然としない。

「秋則くんはいっぱい勉強して立派になって、ママを支えてあげてね」

 俺たち母子に優しくしてくれる人たちはみんな決まってそう言った。

 立派になれば母さんが幸せになれるなら、それは簡単なことだと思っていた。国立大へ進学、公務員試験合格。そして今度は二つ年下の職場の同僚と婚約。来月には挙式の予定だ。

 みんなに「ちゃんとしてる」と思ってもらえる人生を歩む。母さんに胸を張ってもらえるように。家族の幸せのために。

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