第15話(柳百奈)

「ただいま。」

「お帰り、蒼。」

「姉ちゃん、帰ってたんだ。」

「詩音とのショッピングが予想外に早かったからね…。あの子は相変わらずよくわからん…。紅茶とコーヒーどっちがいい?」

「甘めの紅茶。」

「わかった。」

「珍しく優しいじゃん。」

「あんたに淹れさせるより、自分で淹れたほうがおいしいからね。付き合いなさい。」

蒼の小さく震えた指先と、絶望をまとった弟の姿は生まれて10数年見たことのない姿だった。


「はい、蒼。」

「ありがと。」

リビングに戻ると、蒼はいつもの通りソファにもたれている。私もカップを一つ蒼に渡してソファに腰掛ける。

「姉ちゃん…。」

「ん?」

「藍ちゃんは灯兄ちゃんのこと好きだよね?」

「今更私に確認するようなことでもないでしょ。」

私はカップをすする。蒼の好みに合わせたから、吐きそうなほどに甘い。

「灯兄も藍ちゃんへの愛しさが言葉ににじんでるのに…。僕には灯兄がハルちゃんのことを引きずってるようには見えないのに…このままでは藍ちゃんが可哀想だよ…。」

蒼の言う、灯が遥のことをひきずっていないというのは厳密には違う。灯は恋をしない言い訳を遥に依存しているだけだ。

「灯兄は、2番目にしたくないって言った…。でも、灯兄にそんな器用な真似はできないよ。あの人は器用だけど、一度に二人の人を相手するなんてできないよ。目の前の人にバカみたいに向き合うんだから。」

「流石によくわかってるのね。」

「…うん。」

「でも、これが灯の問題だってのもわかってるんでしょ?いくら藍子が可哀想でも私たちにできることはない。思いあがらないで。」

「でも、藍ちゃんが可哀想だよ。」

「それは藍子の問題。」

いつもはドライなこいつは藍子にだけは特別な感情を見せる。自慢じゃないが割とスペックの高いうちで笑顔を振りまかない私や灯と違って笑顔を振りまくことで壁を作る蒼は想いを向けられることは多く、その中には歪みを持ったものも多かった。奏が明るくて快活な想いを向けられるなら、蒼はどこか静かで重みがあったのだ。

想いを抱かれないにしても、何かしらの感情を抱かれた蒼にとって、皮肉なことに従妹である以上に、灯と兄である優にしか興味のなかった藍子の感情は蒼にとって心地良いものだったのであろう。

そして、今の蒼はそれを恋と錯覚しつつある。それは確実にややこしいことになる。失恋ではない想いを失恋と感じることがいいことなわけがない。

「それじゃ、僕は…どうしたらいいの?」

「なにもするな。ただ放っておくことしかできない。せいぜいできることと言ったら…周りの悪気のない悪意と代わりに戦ってやることくらいだ。」

「悪気のない悪意?」

「灯は強い。守るものがあればこそな。だけど、灯にも勝てないものがあるんだよ。灯は守るものがあるから強くなるけど、守るために血を流すことを恐れない。」

そういって私はぬるくなった紅茶を飲み干す。

「カップ洗っておいてね。」

「え。姉ちゃん!」

私は部屋に戻りながら考える。

灯の勝てないもの…それはあの忌々しくも大切な幼馴染どもだ。あの二人は悪意がないからこそ、灯を傷つけられる。灯にとって二人は守るべき存在とともに戦う存在だから。灯は向かってくる敵には警戒していても、懐にいるものに対してどこまでも寛容で、疑うことを拒否する。最近はいい伏兵がいるみたいではあるが…。

蒼は救いを求めていた。どこまでいっても手に入ることのない幻の愛に焦がれて。しかもそれは蒼にとって偽りでしかないと来た。

灯は手に入ったかもしれない恋に焦がれていない自分に恐れ、目の前に差し出されていた純粋で無償の愛を手に取ることができないでいる。

どちらも答えを求めているのに、誰にも助けることはできない。

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