第8話(柳蒼)
「兄ちゃん…。」
俺は言ったはずだ、藍ちゃんと一緒に学園祭に行く、と。それなのに兄ちゃんは彼女さんなんだかなんだんだかわからないメイドさんの格好をした黒髪美人からクレープをもらっているんだ?
横で藍ちゃんは動揺してるし…。藍ちゃんもずっとこれで俺に隠しているつもりなのが笑える。実は一年前にものすっごく遠回しに告白していたのも知ってる。お互い照れた上に、忙しすぎてそのままになってしまったみたいだけど。
だから藍ちゃんの気持ちも知っているくせに。
「灯兄」
「ああ、蒼。」
「誰!?ばか!」
藍ちゃんには聞こえないくらいの声で言い募る俺に、灯兄は不思議な顔をして少し考えたあと、放置されていた藍ちゃんとなぜか見つめあっていたメイド服の子の肩を引き寄せる。
「何かと思えば…。こいつのことか。」
表情一つ変えないメイドさんにこちらがいらっとして思わず兄貴をにらみつけると、灯兄はため息をつきながら
「よく見てみろ、蒼。」
「なんなんだよ…ん?」
ショートの黒髪に、ローヒールの靴であることを考えると割と高い身長。垂れ目で犬を連想するような顔に、見覚えのある今にも涙をこぼしそうな表情…。
「航太先輩…!?」
「正解。だがこの格好で呼ばれると恥ずかしいからコウさんで頼む。」
この人は表情なく意味わからないことをいう…。
「コウさん…?」
呼ばれた通り呼ぶと急に営業スマイルを浮かべる。本当に意味が分からない。いうことを聞かせられる灯兄もわからない。
「あ、そうだ、藍ちゃん。」
完全に停止していた藍ちゃんに声をかける。
「ああ、うん…。灯ちゃんの後輩で、蒼ちゃんの先輩なのね…。それは分かったんですけど…えっと、コウさん?」
「ハイ。」
「なんで女装してるんです?」
「確かに。」
衝撃事態過ぎてそのことを問うていなかった。
「趣味だよ。」
「君の悪い冗談はよせ。」
間髪入れずに、灯兄が頭をはたく。思わず納得しそうになった。
「うちのサークルの慣習だよ。1.2回生が女装させられるんだよ。」
なるほど、でもそれだと…。
「灯ちゃんは?」
同じことを思ったらしい藍ちゃんの質問が終わるか終わらないかで、別の声がかぶさる。
「灯発見!」
「灯さん、来ましたよ。」
「げ…。家族来るのに女装は勘弁だ…。」
「灯さん、後日埋め合わせれば許してくれるでしょう…。犠牲出しますか?」
「くっ…。すまん。あとは頼んだ。」
言うが早いが、灯兄が藍ちゃんの手をつかんで走り出す。体育会系の二人だ、普通に足は速い。俺も慌てて追いかけようとすると、航太先輩に手を引かれる
「ごめんな、蒼。」
耳元でささやくと、俺の体を反転させて道をふさぐ。
「先輩。」
「なに!?灯逃げたんだけど!」
「もう灯さん面倒なんで、こいつでどうです?」
「え、ちょっ…。」
俺の顔をじっと見つめた女の先輩は
「誰?」
「灯さんの弟です。」
「ふーん、確かによく似てる…。しかも灯よりオンナノコ顔。…よし、兄の不始末は弟に責任とってもらおうか。」
「え…え!?嫌ですよ!」
抵抗するが、まったく聞き入れてはくれない。
「まあまあ蒼。藍子ちゃんだっけ?あの子のためだと思ってさ。あとは灯さんのため。」
「…っ。」
この人はあの短い時間でどこまで勘づくんだ…。
「今の僕はオンナノコ、だからかな。」
人の心を読んだうえで揶揄うニュアンスとやさしさが含まれた言葉に俺は深くため息をつく。
こんな規格外に変な先輩は、規格外に世話焼きで優しい兄貴くらいだ。
それに先輩の言う通り、二人の時間が取れるのは、俺にとっても願ったり。
それなのに、心の奥に刺さったこの甘い痛みはなんなんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます