第7話(神野優)

「僕がこの家に引き取られたのは…僕が5歳のときだったかな?もうろくに覚えてないんだけど…。交通事故にあって、両親と…血縁上の母の腹の中にいた命を失って僕だけが生き残った。」

蒼が息をのんだのが分かった。といっても僕自身の多い記憶の欠落の一つで、僕の中で哀しみさえ薄れている。僕の記憶は不安定だ。

「身寄りがなかったわけじゃないけど、僕は知っての通り病気もちだから引き取り手がいなくて…。施設に入ったけど、入院を繰り返す僕を引き取ってくれたのが、今の両親…。お前たちにとっては叔母に当たる人だ。うちは割と金持ちだから…。昔から頭だけはよかったから、それを見込んでくれたんだろうな。」

蒼は黙って聞いている。

「母さんと父さんが俺に愛を注いで育ててくれたことは疑っちゃいないけど…。藍子が生まれることは不安だった。いくら愛して育ててもらっていても、やっぱり血がつながった子が生まれるんだもん、不安だよ。それに僕がかつて失ったものだ。」

俺は蒼の顔を見つめた。

「だけど二人は、そんな不安だった僕に、生まれた妹が一生背負う名前を決めさせてくれた。」

「藍ちゃんの名前って、優兄ちゃんが考えたんだ。」

蒼が言う。僕はその時のことを思い出す。

「藍子は難産で…。やっと二人にあえた時窓からすごく綺麗な空と海が見えて…。僕はそれに魅せられた。」

僕は今でもそれに魅せられ、あの時の色を探している。

その愛のためなら、僕は悪魔にだって修羅にだってなる。もっとも今の僕は放浪癖のある変な兄でしかないけれど。

「だから優兄ちゃんは放浪したの?」

「衝動だった…。」

正直その記憶もあいまいだ。僕はこの年になって、藍子が大人になっていくにつれて、自分の意味を認識できず、気が付いた時には家を出ていた。

「優兄ちゃん、最近藍ちゃんの部屋入った?」

唐突な疑問に戸惑いを覚えながら

「いや?そんな機会はなかった。」

「だよね…。」

「何かあったのか?」

蒼は一つため息をついて

「優ちゃんがいない間、叔母さんに頼まれものをしてね、上に上がったんだ。そしたらそのとき藍ちゃんの部屋の扉が開いてて。一面優ちゃんが撮った写真で埋め尽くされた壁を見て、泣いてた。」

僕は何も言えない。

「僕は藍ちゃんの部屋には入らないけれど、優兄ちゃんの部屋には何度か入った。…それで本棚からはみ出している、見たことのない家族の写真があった。考えてみれば、僕と藍ちゃん、優ちゃんの本当に小さいころの写真見たことないんだ。でも、その知らない家族の顔は…優兄ちゃんによく似てた。」

「もういい分かった…。」

その写真は、僕だって読まないような洋書に挟んでいたはずだ。それがなんで出てきたのかは知らない。でも、藍子が知った、それだけが真実だ。

「優兄ちゃん、藍ちゃんたぶん今きっとすごく怖いんだと思う。このことを誰にも言えず、今まで向けられていた無償の愛が自分のものではない、って考えるのは

。それにきっとものすごく申し訳ないんだよ。僕も同じ末っ子だから。」

「僕は藍子に偽りの愛を向けたことなんてない。」

「うん、知ってる。でも、そういうことじゃないんだ。」

「藍子には僕がいなくても面倒見のいい血のつながったお前らがいる。特別な灯だっている。」

「優兄ちゃん。」

蒼は怒ったような哀しいような表情をする。

「わかってるんでしょ?確かに藍ちゃんにとって灯兄は特別だよ。でも、優兄ちゃん。優兄ちゃんも藍ちゃんにとってトクベツのトクベツなんだよ。」

「蒼…。」

優し気に見えて、姉弟の中で一番冷たい蒼。自分で冷たいと思っている灯よりよほど冷徹。その蒼が踏み込んでくる理由は、間違いなく愛なのだろう。

でも、ごめんな蒼。

僕は藍子が幸せになるためなら何でも犠牲にして見せる。それだけの愛を俺は藍子と藍子生みの親である両親にもらった。

「そういえば、蒼、今年受験だろ?こんなとこでのんびりしてていいわけ?」

これ以上はさすがに兄貴分としての心がとがめて、ついつい話を逸らす。

「僕は藍ちゃんと違って気楽な推薦だよ。灯兄みたいにできもよくないしね。もちとん優ちゃんみたいにも無理。」

「僕は勉強だけが取り柄みたいなもんだから。」

「国公立一本とか強いよねー。それでストレートでて、親の手伝いしてたのに、急に放浪しちゃうんだもん。」

「ははは…。たまには藍子の気晴らし付き合ってやってくれよ。」

「今度灯兄の学園祭行ってくるよ。…優兄ちゃん、ちゃんと藍ちゃんと話をして。」

「ああ、必ず。」

「じゃあ、僕そろそろ帰るね。体に気を付けて。」

「蒼。」

「なに?」

「ありがとな。」

「どういたしまして。」

八つも下の弟分に背を押されて一歩踏み出すのに、こいつを助けてやれない自分に不甲斐なさを感じながら、帰る蒼の背を見送った。

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