第25話 本当の決戦が始まろうとしていた……
俺と古泉はぐったりと動かなくなったサンドバッグを、コンピ研部室前まで運んだ。俺が足の方を持って、古泉が頭の方を持った。コンピ研の部室までは10メートルも離れてないが、それでもこの暑い中運ぶのは古泉と二人がかりでも重労働だ。ようやく部室前に着いたので、そこらへんにカバンでも放り投げるようにして適当に置いといた。
あとは、ハルヒに言われた通りに、額に「天罰」と大書された紙を、胸のところに今までの罪状を特徴的な丸い字で記した紙を貼り付けてようやくハルヒの復讐は終わった。紙が少し血を吸って、赤くにじんだ。
「よくやったと思うよ」俺が誰に言うでもなくそう呟いた。
「だと思います」
「これだけ痛めつければこいつももう絡んでくることはないだろうな」
「しかし注意しすぎるということはありませんからね。これからはコンピ研の動向もよく監視しておきますよ」
「その前に――
古泉が屈みこんで紙越しに指先でサンドバッグの顔面を触った。
「あまりにひどい怪我だけ治しておきましょう。彼もこれだけ痛めつけられ、恐怖を味わったので十分懲りたでしょうし。怪我さえ治してしまえば証拠は残らないですしね」
「あとあと先生なんかにチクられたら困るしな」
「そういうことです」
「それにしても、あの釘バットだけは俺もビビッたよ」
そのままサンドバッグに振りおろされそうな勢いだったが、結局は寸止めで終わった。サンドバッグは、恐怖のあまり白目を剥いて気絶した。
「僕はそうも思いませんでした。涼宮さんはあれでも限度はわきまえています。最初から当てる気はないと確信していました」
確信していても、もしもということがあるだろうに。手元が狂ってサクっといっちまう、なんてよくある話だ。
「だからこそ、この能力を4時間目に授かったんでしょうね。もしもの時の保険のために」
そういうことか。
「そういうことでしょうね」
「古泉」
「なんでしょうか」
二人とも、冷たい廊下に横たわるサンドバッグを眺めていた。額に張り付けられた紙のせいで復活しそこねたキョンシーみたいに見えた。
「今日は一緒に昼を食べたいんだが、かまわないか? ちょっと話がしたいんだ」
「ええ、いいですよ。それにしても、珍しいですね」
「何がだ?」
「あなたから誘うというのも」
「多分、いい話じゃないと思うぞ」
「別に期待はしてないですよ。ここ最近、マシな話すらないですし」
そう言うと古泉は「ではお先に失礼します」と言い残して立ち去っていった。
俺もこんな場面を誰かに見られる前に立ち去ろう。そう思ってふとサンドバッグを見おろした。紙さえ貼ってなければ昼寝しているように見えたことだろう。腹が規則正しく上下していた。
シット・オブ・シットか。良く出来たネーミングだよ。
俺は廊下に転がるサンドバッグの脇腹を思いっきり蹴飛ばしてから、人のいない部室棟をあとにした。
「さて、お待たせしました」
古泉が持ってきたお盆の上にはアツアツの天ぷらうどんが乗っかっていた。よくこんな季節に直射日光の当たった地面のアスファルトより熱いものを食う気になれるもんだ。
「ざるそばがないんですね、この学校の食堂には」
古泉は席に着くなり、俺の心を読んだかのようにそうひとりごちた。
「じゃあ普通の定食でも頼めばいいだろう」
少なくともその煮えたぎったうどんよりはマシなはずだ。
「それがすでに売り切れのようでして」
早速、ふうふう冷ましながら麺を口に運んでいった。
「それで早速ですが、話とはなんでしょうか? あなたが直々に話したいということですから、およその予測はつきますが」
「これなんだが」
俺は懐から、朝に靴箱の中に入っていた封筒を机の上にそっと置いた。
「この筆跡に見覚えあるよな?」
俺たちSOS団のメンバーにとっては、特になじみの深いものだろう。
「見覚えも何も、先ほど見たばかりですよ」
朝比奈さん独特の丸い筆跡。さっきサンドバッグの胸に貼っていた紙に書かれていた文字と全く同じだった。多分、本当はハルヒが書くつもりだったのだろうが、面倒くさくなって朝比奈さんに任せたものと思われる。
とにかく、俺は古泉に封筒の中身を見せた。中の手紙には『放課後、長門さんと部室で待ってます』と書かれてあるだけだ。
「珍しいですね。戦争中のお二人が一緒に待ってくれているなどと」
「俺もこれがどっか普通の人間からもらったものならどんなにうれしいかと思うよ。しかも、朝比奈さんは気になることも言っている」
「それは何ですか?」
俺はついに、保健室での出来事を話した。朝比奈さんが、「あと一回だけ禁則事項を破ります」と言っていたことを。一応、株価操作だけ伏せておいた。今は余計なことは知らなくていい。
「それは確かに気になりますね」
俺はもっと気になっている。まさかとは思うが、朝比奈さんが朝倉涼子のように俺を殺しに来るかもしれないんだからな。俺も、それは多分ないとは思う。思うが、万が一のために備えておきたい。もしかしたらまた長門が助けてくれるかもしれないが、そうなると本当の殺し合いになってしまう危険もある上、戦えば両方無傷で済むまい。多分、今回のことに限れば、朝比奈さんも武器屋なんかを用意している可能性が高い。これ以上長門が壊れていくのはさすがにヤバイ。機関のお偉方も多分そう考えるんじゃないかな?
そうたずねると、古泉は「我々機関は未来人の動向は詳しく把握出来ていませんが――と前置きしてから、うどんをすすって
「それでもよからぬことになる可能性が非常に高い、と言えそうですね」
と答えた。
「もうお前に頼むしかないんだ」
何とかしてくれ、副団長さん。
「任せてください、とまでは言いませんが、少なくともあなたに危害が及ぶことはないように全力を尽くしますよ」
そこだけ特によろしくだぜ。
「しかし、これはチャンスでもある」
『ゴジラ対キングギドラ暁の大決戦』で人類のどこにチャンスがあるんだよ。
「二人を仲裁する、いいチャンスじゃないですか」
プラチナみたいな輝きを放つ白い歯を覗かせながら、またうどんをすすった。
俺は「そうだな」と答えておいたが、本当はそんなことは全く期待してなかった。二人の仲はもはや話し合いでどうにかなるレベルでもないし、だいたいゴジラやキングギドラが人間の説得に耳を傾けてくれるもんかね。
そこらへん、今度一回、機関のお偉方にでもきいてみたらどうかな?
ようやく本日のつまらない授業のオードブルが全部終わった。終わった瞬間から、自分たちの肩に大人が勝手に乗っけていった青春という名の糞を舐めるような義務が終わって弛緩した空気が教室中に漂った。教師が生徒の耳という地面に空いた穴へ向かって小言を言い続けるホームルームが終わると、ある者は部活へ、ある者は自宅へ、ある者は生活のためにバイトへ、それぞれめいめいの方向へ散っていった。
掃除当番の者だけが教室に残り、ハルヒはその掃除当番だった。
「なんかさあ」
ホームルームが終了してすぐに、ハルヒがそう話しかけてきた。
「わたしだけ掃除当番多くない? なんだか不公平だわ」
そんなことはないはずだ。出席番号順に割り振らているから、誰もみんな平等のはずだ。
「そうかなあ。なんだか大切なときに限って掃除当番のような気がするの。これって教師の陰謀?」
そんなくだらねえ陰謀なんて聞いたことがないな。
「でも掃除当番になる回数には不公平があるわ」
「一体どんな不公平なんだよ」
「例えば、学期の変わり目とか。だいたい新学期が始まったらまた最初からになるでしょ? みんな忘れてるし。ここの掃除当番は名前の順だから、最後のほうの人は、うまくいけばその分得する、てわけよ」
まあ、そうかもしれないな。
「そうか。俺は先に部室へ行ってくつろぐことにするよ」
そういうと、俺は必要な教科書やノートをカバンに詰め込んだ。
「ちょっと待ちなさい」
「なんだよ」
「置き勉してるじゃない」
ああ、これか。
「どうせ家にもって帰っても使わないしな。また明日持ってくるのも面倒くさいだろ?」
「それやると掃除のときにものすごく重くなるから全部もって帰りなさい」
それをやると俺のカバンがものすごく重くなるから無理だ。この炎天下にそんな重いものを担いで帰る気は入学当初からなかった。
「何言ってんのよ。だいたい、カバンの重さと頭の良さは比例してんのよ。カバン空っぽにしてると頭も空っぽになるわよ」
「別に空っぽでいいよ」
そのほうが帰りの坂道でバランスが取りやすいからな。
「なら代わりに氷でも詰めてクーラーボックスにすればいいのに」
「涼しそうだが、頭が痛くなりそうなんでやめとくよ」
「今度おいしいかき氷食べたいなあ」
食えばいいと思うよ。
「そうだ、今週の不思議探索はかき氷食べ歩きにしましょう!」
それのどこに不思議があるのかが一番の不思議だが、もはやそれを不思議とも思わなくなった自分のほうが不思議だと不思議に思い始めていた。
「それでいいんじゃないかな。とにかく、俺は先に部室に行ってくるよ」
もう俺の置き勉など誰も覚えていなかった。
部室に戻ると、いつも通りの光景が繰り広げられていた。朝比奈さんはいつも通りお茶を沸かし、長門はいつも通り隅の方で本を読んでいた。スティーブン・キングに飽きたのか、そのときはコーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』を食い入るように読みふけっていた。古泉はいつも通りのニヤニヤ顔で俺を出迎えてくれた。すでに机の上には駒の並んだ将棋盤まで置いてあった。俺はいつも通り「やれやれ」と言いながら席に着くと、いつも通り歩を降って先手後手を決めていつも通りの対局が始まった。そしていつも通り俺が自陣を破られたところでいつも通りハルヒがドアを勢いよく開けて元気よく入場してきて「相変わらず暑いわねー、せっかくクーラーあるんだから地球環境に配慮してないでもっときつくしましょうよ」と言ってクーラーをきつくした。それからいつも通りのマッタリとした時間が流れ、途中でハルヒがサンドバッグは今どうしているか急に思い出して気になったみたいなのでコンピ研まで朝比奈さんと長門を連れてこっそり見に行ったが意外と何ともなくいつも通り平然としていたので「あいつきっと化け物なんだわ」と言って心底ビビっていたこと以外、特に何もなくいつも通りの時間にお開きとなった。それからいつも通り俺と古泉は外に出て待っている間に朝比奈さんがメイド服から制服に着替えて出てきて、いつも通り靴を履き替えて校門を通り抜けいつも通りの夕日に照らされた坂道を下っていった。それからいつも通り駅前まで行って各々めいめいの方向へ散っていった。
それから、俺はいつもと違ってそのままもと来た道を戻った。ハルヒはもうとうにどこかへ消えたようだが、一応、そこらへんにいないか辺りを見回す。
それから古泉と駅前の信号で、予定通り合流した。
古泉の顔からはいつものような余裕は全く感じられなかった。もうニヤける余裕すらないんだろうな。
「では、学校へ向かいますか」
古泉が言った。
「ああ。最後に何か言い残すことはないか?」
「ふふ」
「どうしたんだ?」
「それは、どちらかというと僕のセリフですよ」
ようやく調子が出てきたんじゃねえか。
「俺はそうは思わない。お前ならきっと何とかしてくれる。だから最後に何か言い残す必要は、俺にはないね」
古泉が俺の方へ顔を向けた。
「だったら僕にも言い残すことはありませんね。何せあなたはあの涼宮さんが選んだ人なんですから。どうにかしてくれると期待していますよ」
互いに似たような微笑が同時に浮かび、沈みゆく太陽が俺たちの行くべき道を照らし出していた。そのときちょうど坂道を下ってきた北高生徒が俺たちをチラッと見てこの時間になぜ駅と逆方向へ、つまり学校へ向かって行くのだろうと訝しみながら駅の方へ向かっていったが、そんなことはどうでもいい。今ここで俺たちは友情で固く結ばれ、困難に一致団結して立ち向かうことを決意したのだから。
それじゃあ、行くぞ。
ええ、行きましょう。
このときだけ、互いの心の中の言葉が聞こえた。
それから、こわばる足に鞭打って第一歩を踏み出した。
同時に、ケータイが鳴った。
俺の着信音じゃない。じゃあ、どいつのだ? そう思っていたら、古泉がおもむろに携帯をポケットから取り出して開いた。
「はい、もしもし、ええ、はい、ああ、そうですか、わかりました、すぐに向かいます」
携帯をパチっと閉じた。
「すいません、どうやら今までにない大規模な閉鎖空間が発生したようなので、先にそちらへ救援に向かいます。今は機関のほかのメンバーで何とか食い止めているそうですが、それも時間の問題でしょう。とはいえ、こちらの様子も気になりますから、今からテレパシーの回線をあなたに繋ぎますが、よろしいですか?」
俺は急な話の展開にただ無言で突っ立っていることしかできなかった。
「はい、では繋ぎました。これでいつでも互いに連絡を取ることができます。あと、目をつぶってください」
言われたとおりにした。
「今、僕が持つ『閉鎖空間内で赤い球体に変身して戦う』以外の全ての超能力をあなたに譲渡しましたこれであなたも宇宙人や未来人に負けないくらいの超能力者ですそれでは僕は急がなくてはいけませんのでこれで失礼します」
いや、ちょっと待てよ。お前さっきまでの固い絆はどこにいったんだよと言おうとして目を開けて追いかけようとしたが、すでに古泉はタイミングよく来たタクシーに乗り込んで足早に立ち去っていくところだった。
おい、待ってくれよ。
俺はテスト前に一人だけ勉強してないような不安な気分に襲われてそう口にしかけたが、タクシーが発進するときのエンジン音がそれをかき消した。
俺はしばらくの間、夕日の最後の残り火に照らされながらアホみたいに口を半開きにして突っ立っていることしかできないでいた。
俺は学校へ続く坂道を眺めた。空へ向かって伸びてはいるものの、それは夕日を浴びて燃え盛る地獄への道に見えた。
なんていうか、山火事に水鉄砲をもって突撃していくような気分だったよ。
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