第22話 結局最後は……
意外にも、コンピ研側の最初の相手はあのサンドバッグだった。どうやらヤツ直々に、
SOS団全員に引導を渡すつもりらしい。そして、その目論見はどうやら達成されるのではないかと思われた。まず、朝比奈さんが様子を見る間もなく、いつの間にかやられた。そして次の俺も、3本先取というルールにも関わらず1分も持たぬ間に陥落した。
すまない、古泉。ちょっとは向こうの人数を削ぐつもりだったが、どうやらまた、お前に全部任せることになっちまったらしい。
「いえ、別に構いませんよ。部長氏が先鋒をつとめたときから、僕にとってもここまでは想定の範囲内というやつです」
「しかし、全員はさすがにきついんだろ?」
「ええ。しかし、今日は強力な助っ人が来ているじゃないですか」
確かに、今日に限っては朝倉という最後の砦がある。しかし、その肝心の朝倉は宇宙人でも超能力者でもなんでもない、ただゲームのうまい『異世界から来た一般人』に過ぎないんだ。いつ、なんのミスで負けてしまうか分かったもんじゃない。だから古泉――
「とにかく絶対勝ってくれ。仮にハルヒが世界をブッ壊さなくてこの世界が存続したとしても、俺はもう長門にゲテモノを食わされる世界にいたくないんだ」
「大丈夫ですよ、任せておいてください。なんと言っても、僕はSOS団副団長なんですから。必ず勝って、前の世界に戻れるようにします。今回の件で勝てば、涼宮さんの気も晴れて、必ず元通りになるはずですから」
このときばかりは、こいつの金メッキみたいなニヤケ顔が金塊に見えた。しかも自分からSOS団副団長に任せとけ、と来たもんだから、俺はすっかり信用しきっていた。そりゃあ、確かに今まで古泉がこう言うときに失敗したこともないし、誰でも信用してしまうだろう。
だから、3分後に台から戻って来て
「駄目でしたね」と爽やかな笑顔でのたまったときは、正直言ってその顔面にハンマーを投げつけてやりたいと思った。
「お前、さっきと話がだいぶ違うじゃねえか」
「まさか僕の予知能力を上回る読みと激しい攻撃力を持っているとは、予想できませんでした」
肝心なところは全く予想できない困った能力だな。
「いや、それにしても、君はずいぶんと強かったね」
今まで黙々と殺戮にいそしんでいたサンドバッグが、台越しに急に声をかけてきた。
「僕もまさか1本取られるとは思ってもみなかったよ。それに、もう一本も運が良かったから勝てたようなものだった。いや、君は実に素晴らしいよ」
そこで、ハルヒが部長と古泉の間を遮るように横断して、ゆっくりと台に座った。
「団長さんも、さっきと同じくらい強ければ僕も退屈しなくて済むんだけどね」
「アンタ絶対、将来ロクな人間にならないわよ」
「でも君みたいに泥棒にはならないと思うね」
「泥棒も方便なのよ。つまり、あんたらみたいな社会のゴミクズがパソコン持ってるより、私たちが有効に活用した方がよほど社会のためになるでしょ。だから、アンタの言ってることは泥棒というより、むしろリサイクルと言った方が正しいわね」
「能書きは互いにもういいだろ? 早くキャラクターを選択してくれ」
「ふん。まあ、見てなさい」
最後の言葉はサンドバッグに聞こえない程度に、しかし見守っている俺たちには聞こえるような大きさの声だった。きっとこいつも薄々分かってたんだと思う。世の中に奇跡なんて存在しない、つまり、神なんて存在しないってことをさ。
分かっていても、それを認めるかどうかはまた別問題だ。こいつはそういう自分にとって都合の悪いことは中々認めようとしないからな。
ハルヒは、俺を困らせたあの忍者のキャラで画面中を飛び回っていた。しかし、すぐにサンドバッグにサンドバッグにされて動かなくなった。
「あれ、おかしいな? 俺はただ基本コンボをしただけなのに、いつの間にか相手が地面に倒れていた。何を話しているか分からねえと思うが、俺も何をしたのか分からねえ! 超能力とか幻とか、そんな超常的なモンじゃ断じてねえ、もっとチャチなものの片鱗を感じたぜ!」
ギャハハハハッ! とコンピ研全員が腹を抱えて笑いだした。
「さあさあ、だんだん楽しくなってきた第二ラウンドだ!」
「あんたらねえ」
ハルヒが体を傾けて台から乗りだして言った。
「言っとくけど、今までのは指慣らしだから」
「おーっと! 出ました指慣らし宣言! じゃあこっちからも言わせてもらいましょう! 俺も今のは指慣らしでした~!」
と言って中指を立てた両手を天井へ向けて突き上げた。
それと同時に「ヒュー! 部長カッコいい!」という、今まで聞いた中で最も鬱陶しい部類に入る歓声と拍手が巻き起こった。いくらパソコンを盗られた恨みがあるからと言っても、もう少し普通にできないものなのか。俺はこの時、初めてといっていいくらいハルヒに同情していた。それはどうやら古泉や朝比奈さんも同じだったみたいだ。古泉の笑みはだんだん引き攣ってきているし、朝比奈さんはもはやこの光景を直視すらしてなかった。
ましてやハルヒ本人の怒りは相当のものだったに違いない。そして、怒りに捕らわれた人間ほど罠にハマりやすくなる。
「おお~っと! こんなのに引っかかるのぉ? SOS団の中で一番手ごたえがない相手だな、こりゃあ!」
「やっぱりそう来ると思ってたよ! うんうん、君ならきっとそうしてくれるはず! 君と僕との美しい信頼関係に万歳!」
サンドバッグはその気になればいつでもこの第二ラウンドを終わらせることができた。にもかかわらず、アイツはわざとコンボを途中で止めたりして試合を長引かせていたんだ。
俺だったら途中で台をこっそり抜け出して殴りに行ってただろう。しかし、ハルヒはそんなことはしなかった。なぜなら、そんなことをすれば妨害行為で即座にSOS団の負けになってしまうからだ。ハルヒはおちょくられるのはもちろん嫌いだが、負けるのはもっと嫌いだった。
それでも、第二ラウンドを負けた時に、握りしめた拳で思わず台を叩いてしまった。台がグラリと揺れた。
「おおっと。どうしたんだい? 生理でもきてんのかい? もうちょっと落ち着けよ。リラックス、リラックス」
後ろから眺める俺からすれば、ハルヒは表面上、静かだった。ただし、握りしめられた右拳はブルブルとふるえてはいたが。
「さあ、もう第三ラウンドだ。これが最終ラウンドにならないように頑張ってくれよ」
ここまできて、どうやら一気に決着をつけようとしたらしい。最後は開幕からの怒涛のラッシュで、10数秒かそこらで地面のゴミと化した――ように思われたが、どうやらゲージで見ても分からないほど少しではあるが、まだ体力が残っていたようだ。
もちろん、サンドバッグが弄ぶためにわざと残しておいたに違いない。ハルヒだってそこは分かっていただろう。
それでも画面の中のサンドバッグに向かっていくのは、勝つためではなかった。あいつはSOS団団長の意地を見せつけるためだけに、最後まで戦った。
そしてついに最終ラウンドが終わった。
終わった瞬間、ゲーセン中を揺るがすような大歓声があがった。一方俺たちSOS団の方は葬式会場か、てくらい静まりかえっていた。
ハルヒはしばらく座ったまま自分のキャラが地面に倒れている光景を眺めていたが、やがてゆっくりと立ちあがった。相変わらず右手の拳を握りしめたままで。
俺は止めようと思った。多分、ハルヒはこのままあのサンドバッグに一騎打ちをしかけるつもりなんだろう。でも、そんなことをしたらそれこそ負けたも同然だ。
俺はサンドバッグのほうへ、のしのし歩いていくハルヒを引きとめて、「もう十分良くやったよ」と言ってやりたかった。「どうせあんだけパソコンあっても使わないんだから、もう別にいいだろ。誰もそんなこと気にしてない」とも言ってやりたかった。それで納得するかはともかく、とりあえずハルヒを引きとめなくてはならない。本当にハルヒが負けてしまう前に。俺と古泉がそのことを察し、ほぼ同時にハルヒの方へ向かった。
しかし俺たちより前に、髪の長い北高の女子生徒が俺たちより早くハルヒの肩に手を置いた。
「涼宮さん?」
「え?」
「やっぱりそうだったのね。すごい騒音が聞こえたからちょっと気になって来てみたの。そしたら、涼宮さんがものすごい表情して立ってたから」
「もうーーー!」
ハルヒがコンピ研に負けないくらいの歓声をあげた。
「ずっと待ってたのよ! もう来ないかと思ってた」
「大丈夫よ。私があの涼宮さんの言ったことを忘れるわけがないじゃない。それで」
朝倉は、いまだに馬鹿騒ぎの最中であるコンピ研のほうに視線を移した。
「この人たちを静かにさせればいいのね?」
「ええ。もう二度と喋れなくして」
ここらへんで、サンドバッグがちらりと朝倉の方を見た。口の端が歪んだ。もう一人獲物が来た、とでも思っているんだろう。
「あんたらねえ、もう終わったと思ったら大間違いだから!」
ハルヒがビシッとサンドバッグに人差指を向けて言った。
「この朝倉涼子がSOS団最後の秘密兵器よ!」
「なるほど。それが君たちの用心棒か。まとめてブッ倒してやるよ」
ハルヒはサンドバッグに背を向けると、そのまま朝倉を台へと促した。
そうやって、世界の命運はすべて朝倉に託されることになったのだ。
それにしても、見てるだけなのに今までで一番緊張するな、これ。
俺は、自分の目の前に繰り広げられる光景が信じられないでいた。それは古泉も同じだったようだ。そりゃあ、あの超能力を使っても成し遂げられなかった偉業を朝倉が素手で成し遂げてしまおうというのだから、驚くのも無理はない。朝比奈さんもようやくさっきの不安な表情から解放されたようだったし、何よりハルヒが一番喜んでいた。
朝倉は、サンドバッグをサンドバッグにしていた。といっても、さすがにサンドバッグもそれなりには腕に覚えがあるのでハルヒのように一方的な展開ではなかったが、それでも確実に体力ゲージを削り、サンドバッグを地面に打ち伏せていった。
それで今度はSOS団が歓声をあげる番になった。
サンドバッグは、おそらくコンピ研の中で最もこのゲームが上手いようで、朝倉大先生はそれ以降も次々と快調に4人目まで倒していった。ここまでくると、もはやコンピ研の他の連中も授業中に携帯が鳴った間抜け野郎みたいに焦り始めていた。いや、ここまで来なくても、すでにサンドバッグがやられた時点で内心かなりの動揺はしていただろう。
最後は副部長らしかった。部員の思わずもらした言葉から察するに、サンドバッグの次にうまいようで、技量面だけをとるならサンドバッグをも凌駕するとか。
いや、まあよく頑張ったとは思うが、やはり彼も朝倉大先生には勝てなかった。
ついにコンピ研最後の闘士が地面に倒れ、全てが終わったかのように思えた。俺も思わずハルヒと柄にもないハイタッチまでして喜んでたくらいだったからな。今までの苦労がようやく終わったんだと、俺はテスト最後の日が終わったかのような心境だった。
本当の修羅場はここからだ、てのによ……
――――――――うだ!」
「イエーイ!! これがSOS団の実力よ! いえ、実力というより私の人望というべきかしら」
お前には間違っても人望なんてないし、あったとしても人望と言う名の変人扱いだよ。
――――――――うだ!!」
「みくるちゃんのおっぱいが大喜びの舞い~!!」
いつもなら止めるところだったが、今日は仕方ない。俺もゆっくり楽しむとするよ。
―――――――――こうだ!!!」
「う~ん、やっぱりSOS団の戦いはこうでなくっちゃ。私、きっと神さまに愛されているんだわ」
ああ、俺もそう思うよ。お前は自分のことがハーゲンダッツミルフィーユ味より大好きだからな。
「お前らいい加減に俺の言うことを聞け!!!!」
そういえばさっきから誰か何か言ってたようなきがするのは、サンドバッグだったのか? こいつの一喝で、SOS団はもとよりゲーセン中の人間が静かになった。むろん、あのうるさい電子音は鳴り響いたままだったが。
「この勝負は無効だ」
「あ、そうそう。北海道行きのチケットはいつくれるの? できるだけ早い方がいいわね。それとお土産は何がいい? リクエストがないなら適当に安いのでも買って帰るから」
「とりあえず、パソコン5台全部返してもらおうか」
「え?」
急に何言ってやがるんだ、このサンドバッグは。
「勝負は無効だと言ったんだよ。いや、無効なんかじゃないな。むしろこっちが勝ったといえる」
「おもしろくないギャグはいいから――
「ギャグなんかじゃない。俺はいつだって真剣さ。特にお前が相手のときはな。とにかく、俺たちはお前から対戦人数を聞かされていなかった。お前たちは最初4人でそこにやってきた。そして、俺はその4人に勝った。だから勝ったのはコンピ研だ」
「はあ?」
ハルヒでなくとも疑問に思うのも無理はなかった。麻雀でロンしたら相手が川の牌をイカサマで入れ替えたせいでフリテンチョンボになったようなもんだろう。
「だから、勝ったのは我がコンピ研だ。早くパソコン5台返してもらおうか。お前がその薄汚い手で奪い去っていったパソコンをな」
「はああああ?! だいたい、あれは元はと言えばあんたらのイカサマのせいでしょ!? 今回だってちゃんと朝倉涼子が勝ったじゃない! 北高生徒なら誰でもいいんじゃなかったの?」
「だが対戦前に人数を言ってなかったのはそっちの落ち度だろ? 最初は4人しかいなかった。だから俺たちは4人だと思っていたし、普通は対戦前に人数を揃えておくもんだ」
「でもあんたらだって最初の確認のときに人数をきかなかったじゃない。それに朝倉が来た時、まとめて相手にしてやるとか何とか言って、同意したでしょ? アンタ自身が!」
「ああ、そのことか。それは、そこの朝倉個人と僕たちが対戦すると言っただけで、SOS団の助っ人として認めたうえで対戦する、という意味ではなかったんだよ。まあ、君が頭の中でどう解釈しようと自由だけどね」
「何言ってんの? パソコンのしすぎで頭バグったんじゃないの?」
「ハハッ。いくらなんでも君ほどバグっちゃいないさ。今でも君よりはるかに冷静で、ちゃんと物を考えている。とにかく、俺たちはそこの朝倉個人には負けたが、君たちSOS団には勝った。だから、早く約束通り俺たちから奪ったパソコン5台を返すんだ」
「へえ、そういう風に言うんだ。言っちゃうんだ」
「俺たちはルールに乗っ取った正当な要求をしているだけに過ぎない。まあ、君が認めたくないのは分かるけどね」
「そこまで言うなら返すしかないようね」
何を返すつもりなのか、俺には瞬時に理解できた。
ハルヒはその台詞を言い終わった瞬間、サンドバッグのネクタイを掴んで顔を引き寄せ、顔面に頭突きを叩きこんだ。
「いっかぁい!」
サンドバッグの鼻から赤い液体がほとばしる。
「にかぁい!」
衝撃でのけ反ったサンドバッグを、またもや引き寄せて頭突きを喰らわせる。もう、ここら辺で止めさせなくてはならない。いくらなんでもこれ以上やれば向こうもただの軽傷では済まないだろう。下手すれば学校に知られて面倒くさいことになりかねなかった。
「さんかぁい!」
俺はここでハルヒの頭を押さえ、サンドバッグから引き離そうとした。
「ちょっと、キョン! 何するのよ! 放しなさい! あんただってくやしいでしょ!」
しかし、ハルヒはものすごい力でサンドバッグのネクタイを握っており、俺一人で引き離すことはできなかった。
「おい、古泉! 早く手伝ってくれ! 朝比奈さんも!」
「放せ、て言ってるでしょ! いい加減にしないとセクハラで訴えるわよ!」
「いい加減にしろ! こんなやつ殴っても仕方ないだろ!」
ここでようやく古泉がハルヒのネクタイを掴んでいた手を引き離すことに成功した。俺はそのままハルヒの右腕を押え、古泉はそのまま左腕を押えながら、後ろに引きずっていった。
「ちょっと、まだ足りないわ! あいつがもう二度とSOS団になめた口をきけなくするのよ!」
「いいからとりあえず落ち着け!」
足をバタつかせながら、ものすごい力で振りほどこうとしてきた。しかし、さすがに俺と古泉が両側から押えているかぎり、それはいくらハルヒでも無理な話だった。
一方、サンドバッグは普通に何事もなかったかのように突っ立っていた。相変わらず変態的な鼻血が垂れていたが、意外と出血量はそれほどでもなく、しかも今回は自分でハンカチまで用意していた。
他の部員がサンドバッグを支えようと駆け付けたが、それを手で制して止めた。それからゆっくりとハンカチで血を拭いとると、押さえつけられたハルヒの方へ近づいてきた。
ハルヒとサンドバッグの目が合った。
「お前はかわいそうな奴だよ」
ハンカチをポケットの中へしまう。
「お前は――自分がかわいくて仕方ないんだ。もちろん、人間誰でもそういう欲求は持っている。しかし、成長する過程でだんだんと分別をつけてゆくものなんだ。お前はそれができずにただ周りに自己愛を強制している、私を見て!私を愛して! ていう感じでな」
「へえ、そうなんだ。さすが機械しかお友達のいないやつは言うことが違うわね」
「機械とすらお友達になれない君よりマシだよ。お前、クラスでも浮いてんだろ? こっちまで噂で流れてくるくらいだからな。誰もがお前の自己愛にウンザリしているんだ。君のSOS団、他のやつになんて呼ばれているか知っているか? シット・オブ・シット団だぜ! 俺たちだけじゃない。なんせ俺たちが名付けたわけじゃないからな。学校の中でも、少なくとも一部のやつらはそう言って噂している。名付け親のネーミングセンスに脱帽するよ」
「ぶっ殺してやるわ」
「言い返せなくなると『ぶっ殺す』か『殴る』しか言えなくなるんだな。さんざん自己愛をふりまいてそれが否定されたら暴力か。まさに『クソの中のクソ(シット・オブ・シット)』だな」
「もう一度その名前で呼んだらぶっ殺してやる!」
「へえ、やってみろよ。シットオブシット! シットオブシット! シットオブシット!」
「キョン! いい加減はなしてよ!」
「シットオブシット! シットオブシット! シットオブシット!」
「こいつ、SOS団全員を馬鹿にしてんのよ?! いいから早くはなしてよ! あんたも後で許さないわよ!」
「シットオブシット! シットオブシット! シットオブシット!」
「もお! いい加減はなしてってばぁ……キョン……」
このときになって、ようやくハルヒの腕の力が抜けた。こうなるとハルヒの腕も細くて頼りなく思えた。
「絶対ゆるさないんだから……」
このときのハルヒはうつむいていたからはっきりと見えたわけではない。それでも声が震えていることから泣いているか、少なくとも泣きそうになっていることは明らかだった。
「もういいでしょ。はなしてよ……」
「泣けば許されるとかいつの時代の話だと思ってるんだ? こっちが泣いても許さなかっただろうに、私は泣いたら許してくれ、か? とんだ傑作だな! シット・オブ・シイイイイイイイイイイット!!!」
ここで俺はハルヒをの腕をはなした。俺自身もどこまで意識してやったかは、今となっては定かではない。だが、もはやこいつの不快な音声を聞くのにもはや耐えきれなくなったことは確かだ。
ハルヒを解放した瞬間、俺はサンドバッグの顔面中央、まだ拭いきれてない血を目印に、思いっきり右ストレートを叩きこんだ。それはまさしく叩き込むという形容がふさわしい一撃で、ゲーセンの中だというのにスイカを割ったような、鈍い音がこの場の全員に聞きとれたくらいだった。サンドバッグは2,3メートルほど後方に吹っ飛んで倒れた。俺はそこまでコンピ研の部員を押しのけて歩み寄ると、大の字になって地面に横たわったままのサンドバッグを見下ろしながら言った。
「いい加減うるさいんだよ、クソサンドバッグが」
半ば気絶した状態のサンドバッグに聞こえているかは定かではなかったし、そんなことはどうでもよかった。
俺は向きをかえると、ゲーセンの床にへたりながら一連の光景を眺めて呆然としているハルヒの腕を取った。
「ほら、早く行くぞ」
「え? ちょっと待ってよ」
俺は半ば無理やりハルヒを立たせると、そのままゲーセンの自動ドアの方へ引っぱっていった。
自動ドアが開くと、湿った暑い空気がむわっと包みこんできた。太陽はすでに傾いていたが、それゆえに強烈な太陽光線が直接俺の目に飛び込んでくる。
「早く帰ろう」
俺はポツリとそう言った。
「ええ、そうね。それにしても、あんたもやればできるんじゃない。ちょっと見なおしたわ」
「お前は大丈夫だったのか?」
「何が?」
「頭が」
「それってひょっとして中身の話?」
「いや、違うよ。さっきサンドバッグ殴って分かったんだが、アイツの顔面はすごく固い。いまだに右手が痛いくらいだ。その顔面に頭突きしてたおまえはどうなんだ?」
ハルヒが前頭部をさすりながら言った。
「まあ、髪の毛がある分、キョンよりは軽傷で済んだみたい」
「ラッキーだな」
「まあね。だって私は神に愛されているから」
そう答えるハルヒの顔が輝いたように、俺には見えた。
「涼宮さ~ん!」
朝比奈さんもやってきたようだ。
「カバン、忘れてますよ」
「あ、そうだったわね。ありがとう」
「今日はずいぶん疲れましたね」古泉のニヤケ顔だが、そこには安堵の表情があった。
「何だか私、あまり役に立てなかったみたいで。ごめんなさい、涼宮さん」
朝倉が済まなさそうに言った。
「別にいいのよ。悪いのは全部コンピ研なんだから。だいたい、負けたからって屁理屈こねるとか最低じゃない!」
そうだな。もうやつらとは関わり合いたくない。まあ、あいつらの方もしばらくは関わっては来ないだろうけどな。
「それより、北海道合宿が消えた分、夏の予定をどうにかする必要があるわね」
おいおい。まだ期末テストすら終わってないんだぞ? ちょっと気が早すぎないか?
「何言ってるの! SOS団は!――
もう言わなくてもだいたい分かる。
「常に時代の先を駆け抜けるんだろ?」
「ちょっと、団長の台詞をとらないでよ!」
おいおい、SOS団雑用係をナメんじゃねえぞ。
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