第21話 決戦
そうして俺は古泉の助命嘆願もあって、無事に決戦の日を迎えることができた。ゲームの出来はどれくらいかと訊かれたら、テスト勉強と同じくらい、とだけ答えておこうか。まあ、それでも古典よりはマシだと思う。
そうやって迎えた決戦の日だが、ひとつだけ奇跡が起こった。なんとあのハルヒが授業中に全く寝なかったのだ。これはある日突然日本の赤字国債がなくなるくらいの奇跡に匹敵する。ていうかコンピ研に目を向けるより、そろそろそっちのほうを望んで欲しいよ、こいつには。
とにかくこの日のハルヒは授業中そわそわしっぱなしだった。といっても、原因はコンピ研との決戦だけではない。今日の朝のホームルームで朝倉が戻ってきたことも、ヤツにとっては好奇心を爆発させる最高の燃料になった。しいて言うなら小学生がそこらへんのゴミ箱からポルノ雑誌を拾って来たありさまに非常によく似ていたな。
「ねえキョン、聞いてるの?」
すまない、なんの話だ? 全く聞いてなかったよ。
「あー、ホントにつまんない授業ね。早く終わんないかしら」
その時はスカトロの英語Ⅰとは別の英語Ⅱの時間で、担当の教師がやる気を童貞と一緒に故郷のラブホテルにでも忘れてきたかのような調子で授業を行っていた。
「俺たちだけ早く終わっても意味ないだろ。コンピ研も早く終わらないと意味がないぞ」
「ええ、おっしゃるとおりね。アンタの現実把握能力にビックリだわ」
そりゃどうも。驚きを提供できて何よりだ。
「ていうか、なんでまだ3時間目なのよ。もう10時間くらいたったような気がするわ」
そんなことを俺にきいて少しでもまともな答えが返ってくると思ってるのか? お前にまともな答えを返す前に、テストの答案にまともに答えてやりたいよ。
「時間の相対性理論、てやつだな」適当に言っといた。適当に納得しやがるだろう。
「高速で動くと時間が遅くなる、てやつでしょ? 高速で動いてないじゃん」
「時代はいつも高速で動いて俺たちを置き去りにしてゆくのさ」
「イマイチね」
なんだよ。俺の抒情感あふれる詩に文句つけよう、ていうのか?
「相対性理論では高速で動いてる側の時間が遅くなるんでしょ。だからアンタが言った場合だと、時間の流れが遅く感じるのは時代の方で、私たちじゃないわ」
もう面倒くせえやつだな。
「まあ、アンタの場合はいつもスッとろいから時代に取り残されて時間の流れが早く感じるのよ。でもまあ、私ぐらいになるともう逆に時代を追い抜かしちゃってるから、もはや時間の感覚もアンタと違うってわけ」
なるほど。お前はまさしく時の路肩を駆けるハイウェイスターというわけか。俺は普通に信号守りながら一般道でも走っとくよ。俺がそんな風に考えていると、英語Ⅱの教師がヤギにでも話しかけるようなやる気のない口調で俺たちに何か日本語のような言葉を投げかけた。
「私語するくらいなら寝てていいですよ」
こいつはいつもこんな調子なんだ。実際、クラスの人間はそこんところをよく分かってるから、だいたいみんな安息の睡眠時間に当てている。
だからまあ、俺もそうすることにするよ。じゃあな、ハルヒさんよぉ。
「いいわね、こんなときまでよく寝れて」
ああ。それだけはコンピ研にも未来人にも超能力者にも宇宙人にも負けない、俺の唯一の特技だからな。
そのあとの授業も、だいたいそんな感じで時間は経過していった。いつもと違っていたのは、昼休みに団長じきじきの緊急ミーティングと称するコンピ研罵倒演説が繰り広げられたことだけだろう。ハルヒを除く俺たち4人は、昼下がりの元文芸部室でハルヒのいうことに「もっともだ」という表情をしながら聞く作業に徹していた。といっても、例のサンドバッグ部長の下りには、俺にも大いに賛同するところアリだ。だいたいあいつは嫌な奴なんだよ。いくらパソコン5台取られたからといって、帰り道に待ち伏せみたいにはち合わせて嫌味を言いやがって。絶対今日は後悔させてやる。頼みましたよ、朝倉さん。
そして演説のシメにハルヒはより一層声を張り上げて言った。
「でもみなさん、このままのメンバーでは少々不安があるでしょう」
ああ、俺の進路と同じく不安しかないな。
「なので頼れる助っ人を呼んできました!」
呼んできたのは古泉だけどな。
「特に有希とみくるちゃんの二人にとっては驚くべき人です。それでは助っ人さん、どうぞーーー!」
コンコン、と貧相な扉を弱々しくノックする音が響いた。
「どうぞーーーー!」
扉自身と同じような貧相な音を立てながら、ゆっくりと部室のドアが開いた。扉の外に立っていた人物は、さっきまで演説でうるさかった部室を停電したゲーセン並の静けさで包み込むに充分だった。そいつは一歩ずつ、ゆっくりと足音を立てながら部室に入って来た。そして3,4歩進んだところで足を止めて言った。
「確かノックしたから主権侵害にはならないんだよな? それにしても素晴らしい演説だった。さすが団長さんだ。さあ、みなさんももう一度拍手を!」
サンドバッグのひと際大きい拍手だけが、異様に部室の中を反響していた。俺は完全に呆気に取られていたな。いつの間に助っ人が朝倉からこんなクソ袋みたいなサンドバッグになったんだと思ってドアの方を見たら、朝倉のすまなさそうな顔が見えた。多分ハルヒと朝倉の間で、演説が終わってから朝倉が堂々と入場する、というようなシナリオが描かれていたのだろう。そしてシナリオ通り、朝倉はドアの外でハルヒの演説が終わるまで待っていた、そしてさあ入場という頃、またまたちょうど通りすがったサンドバッグにしてやられたというわけだ。
ハルヒの演出を逆手に取って最も効果的な入場を果たした達成感か、サンドバッグはやけに機嫌がよく、そのせいかこいつの孤独で熱狂的な拍手もずいぶん長く続いたように思われた。
だが、やがてそれも終わった。あとには地球が滅亡した後のような、異様な静寂だけが残った。
「お前らにはもう心底うんざりなんだよ」
サンドバッグは特に誰に向かってというわけでもなく、ポツリとそう言った。
「俺たちは――そう、ただ部活動をしていただけだった。そこにお前がやって来たんだ。そうだ、お前だ。そして本来俺たちの所有物であった貴重な財産を持ち去っていった。それが何を意味しているか分かるか? 確かに俺はお前がさっき言った通り、青春をモテもしないくだらない機械いじりに費やしているだけの糞オタクかもしれない。そこは認めてもいい。けどな――
ここでサンドバッグはいったん息継ぎをした。
「そう言うお前はただの泥棒じゃねえか! これ以上俺の隣でふざけんじゃねえよ、糞が。学校にも正式に認められてないようなこんな肥溜めみたいな場所を、俺だって一切認めはしないからな!」
あのサンドバッグも、とうとう切れちまったようだな。やつはここで、言い終わると同時に横にあった長机を思いっきり蹴飛ばした。幸い、机の上には何も乗っていなかったため、机が横転した時の音で朝比奈さんが「ひゃっ!」と小さな悲鳴をあげただけで済んだ。だが、横転した机が本棚にぶつかったときだけは俺も本当にビビった。
机が当たった衝撃で、本棚が一瞬ぐらついた。最悪の事態――長門所蔵の愛書が本棚から集団飛び降り自殺をする光景がありありと目に浮かんだ――が、実際には本が少し動いただけでなんとか済んでくれた。
「おかげで俺が部員からなんて呼ばれてるか知ってるか?」
サンドバッグじゃなかったのか?
「『キチガイ女の子守役』だぞ? あるいは『女王様におもちゃを差し上げている大人のおもちゃ』とも呼ばれている。どうだ、なかなかうまく言ってるだろ? でもな、俺はもうこんなことにはウンザリなんだ」
そしてハルヒの方を指さして言った。
「これからおもちゃになるのはお前の方だ。俺じゃなくてな」
ハルヒはこのとき特に何も言い返さなかった。よく耐えていた、とこのときは思ったが、今思うとこのときすでに後の復讐、というか一方的な加虐行為を計画していたのだろう。本当に恐ろしい女だ。
一方サンドバッグは、もはやなすべきことはなしたという感じで、扉へ向かって足を進めていた。が、何を思ったのか急にまたハルヒの方を振り返った。
「俺はお前が奪っていったもの、その全てを取り返すつもりでいる。ああ、全てをな。たとえお前の汚ったねえ腐れドブマンコをほじくり返してもだ」
今度こそ言いたいことは全部言いきったようだった。サンドバッグはそのまま廊下に出ると、困惑する朝倉を全く考慮せずに部室のドアを壊れるくらいの力で思いっきり叩きつけるように閉めて去って行った。あとには、ドアを叩きつけた音だけが部室に異様に反響していた。
数秒してから、再度貧相な音を立ててドアが開いた。明らかに動揺している朝倉が恐る恐る部室へ入って来たところでチャイムが鳴った。
「みんな、いい?」
ハルヒが、サンドバッグとは違った冷静な声で言った。まあ、ここで追いかけていってとび蹴りカマさないだけマシだったのは間違いない。ハルヒにしてはよく耐えたと思うよ。俺ですら今からパイプイスを持って行ってヤツがドアを閉めたのと同じくらいの勢いで後頭部に叩きこんでやりたいと思ったくらいだからな。
「私がいいたいのはひとつだけよ。絶対勝つの!! 絶対に!!!」
ちなみに、長門の本はあとで俺が元通りに並べておいた。
そうやってついに決戦の時がやってきた。とにかく、こうなったら後は古泉と朝倉の活躍に期待するしかない。
ホームルームが終わった瞬間、ハルヒはクラスメイト全員を残してダッシュで教室を飛び出して行った。なんなら教室の窓からでも飛び出して行きそうな勢いだったな、あれは。
俺はゆっくりと朝比奈さんや古泉と合流してからゲーセンに向かった。どうせそんなに急いでもコンピ研のやつらは来てないだろう、とタカをくくっていたのだ。しかし、実際到着してみるとすでに俺たち3人以外のメンバー全員が揃っていた。コンピ研の眼鏡をかけたデブの目が、異様に脂ぎった輝きを放っていたな。やがてサンドバッグが俺を見て口を開いた。
「やっと来たか。キチガイ女の取り巻きども」
そう言う風に言われるのはちょっとどうだろうか。俺も好きでキチガイ女を取り巻いているわけではない。
「まあいい」
全然よくないけどな。何一つとして。
「とにかく座れよ。早く来て取っておいてやったんだぜ」
なんてやさしいサンドバッグだ。感動のあまりみぞおちにストレートを叩きこんでやりたい衝動に駆られるな。まあ、とにかく俺はそこらへんの空いてる席に適当に座った。
「それでは早速はじめようか。最初の対戦相手はどなたかな?」
「その前に、ルールと何を賭けるかを再確認よ」
「それもそうだな。決着のついたあとでゴネられたらたまらない。今回のやるゲームはこの『ギルティ・キル』。対戦方式は3本先取の勝ち抜き方式。だから最後まで油断できないな。選択キャラは途中で変更禁止。ゲームとしてのルールはこれくらいか。あとは言うまでもないことだが、しょうもない妨害行為も禁止だ。たとえば台をゆすったり、対戦中のプレイヤー自身を邪魔するような行為だ」
「そんなことくらい言われなくても分かってるわよ」
ハルヒがそう言った途端、サンドバッグは椅子から立ち上がって座ったままのハルヒの方へ近づいて、さらにどこまで顔を近づけるんだ、というぐらいまで接近して言った。
「俺は今、お前のそのクソ生意気な顔を整形手術してやりたい衝動でいっぱいなんだ。こっちが話しているときくらい、ちょっとは黙って聞け」
すごい勢いでにらみ合いながら、サンドバッグは席へ戻った。
「さあ、続きを話そうか。ルールは今ので終りだ。あと妨害行為に対してひとつ付け加えておくなら、妨害があった時点で妨害した方の負けとする。そうすればどちらも姑息なことをしないだろう。そして最後、ある意味一番重要な何を賭けるか、を再確認しよう。こちらが賭けるのは夏の北海道合宿、5人分。そしてそっちが賭けるのは、前に俺たちの部室から盗って行ったパソコン5台。これで間違いないな?」
「ええ、確かに」
俺たちも一応うなずく。
「じゃあ、始めようか」
「待って。順番を決めるから」
「おいおい、そんなの最初から決めとけよ。こっちはもう決まってるぞ」
「そんなに待たせないわ」
ハルヒはこっちに向き直り、SOS団員を呼び集めた。
「朝倉涼子は?」
「確か、掃除当番だったかな」俺が答える。
「なんで転校生にそんなことさせんのよ」
「いえ、違いますよ」古泉が訂正した。「確か、生徒手帳をもらいに職員室に行ったはずです」
「仕方ないわね。アレがないと北高生徒、ていう証明ができないし」
「とりあえず、順番どうするんだよ」
「まずはミクルちゃんから。勝てるとは思わないけど、最初は様子見が無難ね」
「はい! 期待にそえるように、頑張ります!」
朝比奈さん、馬鹿にされてるんですよ。何もそこまで健気に返事しなくても。
「次はキョン、古泉君、そして私、てとこね。涼子はまだ来ないから何とも決め難いけど、秘密兵器や必殺技は一番最後っていうのがセオリーね」
セオリーというより、この順番だとほとんど朝倉が来るまでの時間稼ぎだろうな。
そうやって順番も順当に決まり、いよいよ決戦が始まった。アーケード台についた朝比奈さんは、いつもより緊張した面持ちだ。それを後ろから励ますハルヒ。
しかし、この決戦の行方は古泉の超能力でも読みきれないだろうな。
「ええ、全くそうですよ。彼らのこのゲームに関する技量、今回の勝負に関する執念は計りしれません。勝負は朝倉さんの力を借りても5分5分でしょうね。しかし、ひとつだけ確かなことがあります」
「負けたら終わり、てことだな」
「よく分かってるじゃないですか」
当たり前だ。SOS団雑用係をなめんじゃねえぞ。
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