第20話
6月の蒸し暑い教室の中、俺は一人冷や汗をかいて突っ立っていた。
「わかりませんかぁ~、キョン君?」
英語の教師が、歯の間に犬のフン(かりんとう)でも挟まっているかのような口調で、俺をあだ名で呼びやがった。そのせいで俺は鼻の頭にクソを押し付けられたような落ち着かない気分になった。実際のところコイツの口はドブ川みたいな臭いがするらしく、裏ではみんなが『スカトロ先生』と呼んでいた。
「いえ、わかりません」
昨日の宿題で出たところだ。昨日、カバンから教科書を取りだすことすらしてない俺がやっているわけがない。
「一体昨日は何やってたんだ、おまえら?」
スカトロの口調が明らかに今までと変わった。4連続で「わかりません」と言われて、もう怒りの許容量を超えかけているんだろう。ちょっとカルシウムでも摂って落ち着いてから、昨日俺たちが何をしていたか聞いてくれよ。
俺は世界を救うために異世界へ遠足に行っていた。谷口は多分、頼まれたAVのコピーにいそしんでいたことだろう。今じゃあ、それ専門のDVD屋さんとして大変繁盛しているらしいしな。その次に当てられた手島は、家が母子家庭だからバイトでもしてたんだと思う。見た目はチャラいやつでときどき問題を起こしたりもしたが、ときどきこっちもびっくりするくらい大人びた言動を取るときがある。そういうときは、口調までいつもと違って全くの別人になっちまう。そして最後は俺の前に座っている山根。こいつは俺とは違って本当のアニメオタクだから、多分深夜アニメの視聴にいそしんでいたと思われる。
みんなそれぞれ自分の『宿題』を抱えているんだよ、スカトロ先生。
だから、みんな当てられても「わかりません」と即答するしかなかったんだ。
と心の中で言っても先生には分からんだろうなあ。
「おい! 手島ぁ!」
スカトロがいきなり教壇を叩いて怒鳴り声をあげた。
瞬間、手島の、腕の中に沈み込んでいた頭がびくっと持ちあがった。
「おまえ、さっき当てられたのに何もう寝てんだ?」
「いえ、すいません」
これはマズイ。スカトロはなぜか手島を目の敵にしている。
「どうせクソ集めみたいな仕事でもやってこづかい稼ぎしてたんだろ? あんまりナメた授業態度だとこれから先、こづかいが稼げなくなるぞ?」
「はい、すいません」
嘆きの壁に向かって懺悔するユダヤ教徒みたいにうなだれて、手島はなんとかそれだけ答えた。
当てられてからずっと窓際で突っ立っている俺には、教室中の生徒がとにかく一刻も早く授業最後の5分間が過ぎ去りますようにと祈っているのが視界中から感じられた。流石に今回ばかりはハルヒも俺の不幸を笑うどころではなく、クラスのみんなに加わって必死に神に祈っているようだった。
「本当にわかったのか?」
「はい、わかりました」
「チッ」
まあ、今回はこれで済んでくれたようだった。
「それじゃあ、キョン、谷口、山根」
名指しで呼ばれて嫌な予感しかしなかった。この拷問が長引くという予感しか。
「わかるところだけでいいから、今から考えてみろ」
やっぱりな。問題の箇所は英文の和訳だった。俺はしばらくローマ字の羅列を眺めていたが、さっぱりわからなかった。あとの二人も同じだった。
俺は一度目線を英文からそらし気分を落ちつけると、朝の通学電車で週刊誌のヌードグラビアを凝視するおっさんよりも強い眼差しで、下線部の英文を見つめ直した――が、当然ながら全く答えは思いつかなかった。谷口も山根も、同じような状況のようだった。
「おまえら、また黙秘権の行使か」
バンッ!
また教壇を叩く音。
「もういい加減にしろ」
スカトロがそう言い終わった瞬間、授業終了を知らせるチャイムが静まり返った教室に響き渡った。
スカトロはしばらく小言を誰に言うともなくブツブツつぶやいていたが――このままだと生徒のやる気のなさで授業の進行が遅れる、それはゆくゆく君たちの進路に影響するかもしれない、とかなんとか、そんなところだ――それもひと通り言い終わると、黙秘権を行使しまくっている教室から足早に立ち去った。
スカトロが立ち去って5秒くらいしてから、教室に休み時間の喧騒が戻った。
俺も自分の席にへたりこむようにして座った。
ああ、やっと宿題が片付いたぜ……
そう思ってホッとしたのも束の間、すぐに俺の肩を例の不審者が後ろからつついた。
「ついに明日ね、明日。分かってんの?」
そんなに耳元で言わなくても、よぉく分かってるさ。
「なんかさ、古泉君が助っ人連れてきてくれたらしいじゃない」
「まあ、みたいだな」
俺はゆっくりと後ろに向き直りながらそう言った。
「ホントに彼は頼りになるわね。どっかのだれかと比べるまでもなく模範的なSOS団員だわ」
ああ、分かってるよ。
「助っ人が誰だかきいても教えてくれなかったけど、きっと頼りになる人に違いないわ」
まあ、俺は分かってるんだけどな。
「それと今日は最後の練習だから、納得いくまでみっちりやるわよ!」
ああ、それも……分かってたよ。おまえがそう言うであろうことぐらいは。
最後の一番重要な宿題はまだまだこれからだってこともな……
そんなこんなを経て、放課後は無事にゲーセンにて決戦前夜祭となる総練習を始めることができた。といっても、俺たちはほとんど基本操作+αくらいしかできていないし、朝比奈さんに至ってはもはや8月31日の宿題並に絶望的な状況――つまり、最初から腕前は何も変わってなかった。もはやあとは古泉の頼もしい助っ人に頼るしかない。日本の食料自給よりひどい依存率だぜ。
放課後の最後の足掻きは、いつも通り長門抜きの4人だと思っていたが、今日は意外な――いや、別にそうでもないか。まあ、俺にとってだけはお馴染みの鶴屋さんが来てくれていた。
ゲーセンに入るやいなや横から鶴屋さんが飛び出してきて、いきなり声をかけてきたのだ。
「やあっ! はるにゃんっ! 元気だった?!」
「あ」
鶴屋さん? まあ、なんて意外な人がここにいるのかしら――とでもハルヒは言おうとしたんだろうが、肝心の名前が思い出せないので英語の授業中の俺みたいに答えに窮しているようだった。
「えーーと、そう、ずいぶんと久しぶりね、うんうん」
と当たり障りのない台詞を鶴屋さんと自分にひたすら言い聞かせて時間を稼いでいたが、やがて
「ずいぶん探したのよ。なんか大変なことになってるみたいじゃない」
先日の探索のことをようやく脳細胞からひっぱり出してくることに成功したようだ。
「うん、まあ、ちょっとしたゴタゴタがあってさっ! でももう大丈夫っ! 完っ全っ復っ活っ!だよっ!」
「うんうん、よかったわね」
微笑みを顔に張り付かせたままそう言うハルヒだったが、目の色は完全に笑ってはいなかった。どう見ても終電間際に急いで家に帰ろうとしたところをしつこいポン引きにからまれたサラリーマンのような目をしている。
「今日はちょっと用事があるから、後でまたゆっくり話しましょ」
「そうそう、それなんだよっ! その『用事』のことなんだけどさっ!」
この時点で、ハルヒの顔面に張り付いていた微笑にヒビが入った。そばにいる俺のところまでヒビの入る音が聞こえてくるくらいだったぜ。
「なんかまたハルにゃんたちがコンピ研と勝負するみたいだけど、人が足りないって聞いちゃってさっ! こうなったらやっぱりSOS団名誉顧問の出番じゃないかっ!」
「もう間に合ってるから、大丈夫よ」どうやら、鶴屋さんが助っ人ではないことは分かっているらしい。
「そんなに遠慮しなくても大丈夫だってっ! さ~あっ! これでSOS団の全力前進快進撃の始まり始まり~っ!」
「どうしても参加したいの?」
「どうしたんだいっ?! 急にそんな――
「参加したいの?」
ハルヒの問答無用の問いかけに、流石の鶴屋さんも快進撃を止めざるを得なかった。もはやその微笑は蜘蛛の巣みたいなひび割れが縦横に走っており、一部から下の表情が垣間見えるくらいまでになっていた。
「あたりまえじゃないっ! SOS団はいつも一心同体なんだよっ!」
「それじゃあ、ちょっとした問題に答えてもらうわ。今回の『用事』に関する適正検査のようなものだと思ってくれればいいから」
「大丈夫だよっ! クイズなら得意だからさっ!」
「それじゃあ、問題」
ジャジャン!
「ウザくてうるさくて、語尾に『っ!』を連発している緑色のキモいイモ虫、てな~んだ?」
「う~ん、これは難しいねっ! さすがに全然分かんないよっ!」
「ヒントは、そこのトイレの鏡に映ってるものだから。ちなみに制限時間は無制限よ。しばらくはここにいると思うから、分かったらいつでも声をかけてきてね」
そう言い残すと今や完っ全っ沈っ黙っ!した鶴屋さんを尻目に、ハルヒはゲームセンターの奥へと足を伸ばしたが、そこで何を思ったのかまたもや鶴屋さんの方へ振り返った。
「そうそう。これ、渡しとくわ」
鶴屋さんは何か言おうとし、そのときハルヒと目が合った。そして結局は何も言えないまま目を伏せた。
鶴屋さんが手に握らされていたのは200円だった。いつの間にやらハルヒが渡していたようだ。
「わたしたちの邪魔しない程度になら、適当に遊んでていいから」
ハルヒはそれだけ言うと、鶴屋さんを背後に残して今度こそゲーセンの奥にへ入って行った。んで、俺はこの残された鶴屋さんのお守りでもすればいいのか? ていうかお前は、鶴屋さんの名前くらい思い出せたのか? そう思っていると、ハルヒが俺たちの方を振り返った。
「さあ、みんな。心おきなくみっちり納得するまで練習するわよ! それにいつまでもそんな入口でウジウジしてたら他の人にも迷惑じゃない!」
それでまず古泉がついて行き、その後を朝比奈さんが追った。一人取り残されることが決まった鶴屋さんの前を横切るとき、朝比奈さんは無言でちらっと鶴屋さんを見たが、それだけだった。そのままハルヒのほうへ、巨大惑星の引力で引き寄せられる小惑星みたいに引き寄せられていった。
俺も三人を追いかけようとしたさ。俺もあの二人の超能力者と未来人のように、ハルヒにはやっぱり逆らえない――今日は特に意気込んでいるようだし、と思っていたさ。
しかし通り過ぎる時の鶴屋さんの表情を見て、一人俺だけ心が変わった。
鶴屋さんがこんな表情をしていて良いわけがない。
そうだ。鶴屋さんのおでこはもっと明るかったはずだ。そこでまたもや野球大会の一連の出来事を思い出した。あのときの鶴屋さんと、今の鶴屋さんが俺の瞳の中で重なった。
あのときは鶴屋さんにふさわしい、もっと明るい場所にいた。こんな薄暗い騒音だらけの場所ではなく、もっと健康的な場所。こんな騒音の肥溜じゃなく。
「えっ!? ちょっとキョン君っ……!」
気がつくと俺は鶴屋さんの手首を掴んで、そのままゲーセンの外へと飛び出していった。
「きっかけは些細なことだったんだ。昼休みに一緒にお弁当食べてるときだったんだけどね」
鶴屋さんが、座っているブランコを小刻みにキーキー揺らしながら話し始めた。
「みくるがカフェオレか何か飲もうとしたんだ。紙パックに入ってるやつ。そしたら、ストロー挿した瞬間にぶわぁ―って、先から噴水みたいにカフェオレが吹き出してきてさ。よくあるじゃん。膨らんだ紙パックにストロー挿したら先から吹き出してくる現象って。普通はちょっと手が汚れる程度だけど、その時の勢いはもう尋常じゃなかったんだよ。みくるの顔までベトベトになったし、お弁当もカフェオレでビチャビチャになっちゃってさ。んで、そのときの勢いがあまりにすごかったから、私、爆笑しちゃったんだ」
俺は隣りのブランコに座ったまま、黙って聞いていた。ここでは余計なツッコミなど不要だろう。しかしまあ、聞いているだけでその光景が想像できる。朝比奈さんならありそうな話だ。
「それ以降だね。口をきいてくれなくなったのは。しばらくすると、クラスのみんなも同じようになっちゃってたよ。自分で言うのもなんだけど、私の家、てみんなよりお金持ちでしょ。いや、お金持ち『だった』、だね。それで、元々僻んだ気持ちがみんなの中にあったと思うんだよ」
俺と鶴屋さんが座っているブランコは、今日一日の仕事を終えて帰宅しようとする太陽の位置によって、ちょうど木陰の中だった。
「鶴屋さん、それは気にしすぎですよ」
俺はさっき近くのコンビニで買ってきたペットボトルを差し出した。こんなものは末期ガンの入院患者にウマイ棒でも渡してやるようなもんだ。しかし、このときの俺にはこれくらいしかできなかった。いや、今の俺でも怪しいもんさ。なにせ落ち込んだ人間を慰める、ていうのは水の中に溶けた綿アメを元に戻そうとするのと同じ行為だからな。結局は水が蒸発するまで待つしかない。それでも出てくるのは歪な砂糖の塊だけだ。
鶴屋さんは黙って首だけ俺の方へ動かすと、ゆっくりと手を伸ばして俺の差し出したペットボトルを受け取った。
「昔に戻りたいよ。そしたらみくるちゃんとも、ハルにゃんとも楽しくやり直せるのに」
しかし、受け取っただけで蓋を開けようともしなかった。
俺も昔に戻りたいよ。そうだなあ、それこそ誕生日にはケーキにロウソクを立てて祝っていた時代に。そしたら今度は絶対に北高へは行かねえ。それだけは確かだ。
「鶴屋さん、大丈夫ですよ」俺の置かれた絶望的状況に比べれば、まだマシだ。
「ハルヒだって、今はコンピ研とのことでカリカリしてるだけで、これが終わればまた元のように付き合ってくれますよ。なにせアイツは飽きっぽくてすぐ忘れるタイプですから」
「ねえキョン君、私、最近変な夢をみるんだ」
急に何を話しだしたんだ? だが、止めるにしては、鶴屋さんの声には何やら重大そうな響きが含まれていた。
「なんだかよくわからないけど、草原みたいなところにいるんだ。果てしなく草が広がっててさ……見渡す限り地平線しかなくてさ……」
俺にはさっぱりわけが分からなかった。いや、俺でなくともわけの分かるやつなど誰もいないだろう。本人の鶴屋さん自身ですら、分かってないかもしれない。そして、鶴屋さんは地面をただ一匹、茫洋とさまよう蟻をぼんやりと眺めながら、話を続けた。
「そこで気付くんだ。ここには私以外誰もいない、て。ほら、夢の中でよくあるじゃん。なぜだか知らないけど、その夢の中の設定が分かっちゃうってことがさ。ここいるのは私だけで、誰も私を悩ませたりしない、て。当たり前だよね。そもそも『そっち』じゃ、人間が私しかいないんだからさ。他の人間はみんな消えちゃってるんだ。ふと草を見てみると、そこに一匹だけかたつむりがいて――たまにいないこともあるんだけどね。でも大抵いるよ」
そこで鶴屋さんは地面から視線を上げて、俺の方を見つめて言った。
「そいつを手のひらの上にのせて地平線を眺めていると、不思議と今までの孤独を感じなくなるんだ。他に誰も人なんていないのに、そっちのほうが寂しくないんだ……それでね、私……私ね、その変な夢が醒めてから……みんな……みんな死んでしまえばいいのに……て……」
鶴屋さんの澄んだ瞳が見るみるうちに潤んでいき、やがて涙がまつ毛の堤防を乗り越えて赤くなってゆく頬を流れ落ちてゆく頃には、鶴屋さんは俺から視線をそらして完全に泣き崩れていた。
「私、おかしくなっちゃたのかな……? あんなに仲良かったはずなのにさ……死んで欲しいなんて……」
そこから先は、もはや続けることができなかった。完全に泣き崩れ、嗚咽が言葉を飲み込んでいた。それにしてもこの状況――
まるで俺が泣かせたみてえじゃないか。泣かせた原因の6割くらいが朝比奈さんで残りがハルヒのような気がするが、学校でハブられ父親の会社が壊滅的打撃を受けて長年住んだ豪華な家を追い出されたら、俺でも泣きたくなるよ。ついでに言うと、かたつむりケーキを食ったときも別の意味で泣きたかったね。幸か不幸か、あのときの俺には泣く暇すら与えられなかったがな。
ここで俺は今までの不幸な経歴を話すこともできた。ハルヒの我がままのせいで未来の人類が滅亡に追いやられ、その結果SOS団は殺伐としたヤクザの事務所みたいになっちまったとか。そのとばっちりで宇宙人の頭が少々おかしくなって、俺はゲテモノ満漢全席プレデタリアン大宴会を食わされ、本当にあっちの世界で草原の中を走り回っていたことや、その余波でただでさえ低い成績がさらに落ちてもはや卒業できるのかどうかというレベルに達していることや、ついでに古泉に古典の授業中くだらない下ネタを言わされたことや、UFOキャッチャーにへばり付いていたブスのぬいぐるみを古泉の超能力で叩き落してやったことなんか教えてやれば、もしかしたら「他人の不幸って面白いねっ! あはははははっ!!」と大爆笑してくれるかもしれなかった。
しれなかったが、この状況で今までの経緯を面白おかしく編集し、話して差し上げるほどの話術は俺にはなかったから、俺はブランコからゆっくり立ち上がると泣きじゃくる鶴屋さんの前に屈みこんで、そのまま肩に腕をまわしてハグした。
俺自身でも、自分のやったことにビックリしたよ。家で飼ってるクソ猫シャミセンや妹ですら、俺が抱きつこうとするとホモのストーカーに追いかけられた谷口くらいの勢いで逃げていくというのに。ましてや、つい最近再会したばかりの鶴屋さん相手に、だ。犯罪者として訴えられ、去勢されてもおかしくない。
こうなると俺の自由意思ではなく、もはや何ものかがそうしろと命令したとしか思えなかった。きっとすぐに鶴屋さんは振りほどこうとするだろう。そうなったらなんて弁解しようかと必死に考えていたので、鶴屋さんの細い体の線や、控えめな胸が俺のブレザー越しに当たっている感触など一切考慮する暇などなかった。いや、マジで。
だが、俺の予想に反して鶴屋さんは全く抵抗してこなかった。やがて激しかった嗚咽も、だんだんと小さくなっていくと、すすり泣きに変わった。しかしそれも、すぐにやんだ。
数秒経ってから、鶴屋さんが聞こえるかどうかわからないくらいの小さな声で言った。
「ごめん、キョン君……」
「大丈夫です、鶴屋さんのせいじゃないですよ」
そうさ、全部ハルヒのせいだろ。機関の大方もだいたいそのように考えているらしいしな。
「本当にゴメンね……SOS団もむちゃくちゃになっちゃってさ。名誉顧問失格だね……」
俺は何か答えるかわりに、鶴屋さんをさっきよりもいっそう強く抱きしめた。この場で必要なのはくだらない慰めの言葉ではない。そう、あのコンピ研の憎たらしいサンドバッグを叩きのめして、この荒れ果てた世界を元に戻すこと、ただそれだけが鶴屋さんを含む俺たちにとって必要なことだ。
公園の日陰が伸びていく中、このまま永遠に止まった時間が続くと思われた。だが突如として俺の携帯の着メロに設定してあった『エレクトリックギターとオーケストラのための協奏組曲変ホ短調「新世紀」』が静かな公園の中に響き渡った。
俺はこのまま無視してしまおうかと躊躇していた。なぜかここで離してしまうと、鶴屋さんにはもう二度と会えないような気がしたからだ。決していやらしい目的ではない。
だが結局は、俺は鶴屋さんから腕を離して立ち上がると電話を取った。どうせハルヒだろうと思ったら、古泉からだった。
「もしもし」内容は分かっていたが、何も知らないような口調で電話に出た。
「やあ、どうも。急ですが、あなたに大事な用件がありまして」
「へえ、そんなに大事なのか?」
「ええ、あなたの命に関わることです」そこで古泉は一拍置いてから言った。
「いますぐ戻って来ないと、死刑だそうです」
やっぱりな。そういうことだと思ってたよ。
「すぐ行くよ。まだ死ぬ予定はないからな」
「ええ、なるべくすみやかに戻ってきてください。こちらとしましても、彼女をこれ以上なだめておくのは困難かと思われますので」
「はいはい、すぐ行くって」
そう言い残して、ぶっきらぼうに電話を切った。ああ、ハルヒのやつが騒音の台風みたいなゲーセンの中で騒音の竜巻みたいにわめいているであろう様子がありありと想像できるぜ。
それから俺は鶴屋さんにこのことを言うためにブランコの方に振り返ったが、そこにはすでに鶴屋さんの姿はなかった。代わりに、長くなった日陰の中でブランコが小刻みにキーキー揺れていただけだった。
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