第18話 メイド喫茶

 「着きましたよ」

 真っ暗な空間の中で、古泉っぽい声が俺にそう言った。一体どこに着いたというんだよ。俺はそう言い返したはずなのに、まだしつこく俺に語りかけてくる。

 「着きましたよ」

 もういい加減にしてくれ。タンスに飛び込んだときと全く変わらない暗黒空間じゃねえか。宇宙にでも放り出されたのか? その割には星のひとつも見えんぞ。それか本当にボットン便所の中なのか? だったら蜘蛛の糸が降りてくるのを待った方がいいかもな。

 「まもなく  電車が  発車します  お降りの際は  足元に  ご注意ください」

 無機質な音声が暗黒空間に響き渡る。おなじみの声だ。こいつも実は宇宙人製のアンドロイドもどきだったりしてな。もしそうならSOS団のみんなと一緒に銀河の中心で白鳥の湖でも踊ってろよ。タリリラ~♪タリリリラ~ラ、ラ~ラ、ラ~ラ、タリラリラ~♪

 “早く起きてください!”

 次の瞬間、俺はハッとして辺りを見渡した。どこにでもありそうな回送電車の光景が、目の前に広がっていた。

 俺はさっきまで鶴屋屋敷の中にいたはずなのに――そんなことを悠長に考えている間もあればこそ、車内アナウンスはあと2,3秒で扉が閉まることを告げていた。

 “とにかく早くそこから降りて!”

 コイツがエクスクラメーションマークをこんなに使うなんて余程のことなんだろうな。どうせどっかの車庫に入ってまた戻って来るだけだろうが、戻ってきたときにコイツに馬鹿にされることだけは何としてでも避けねばなるまい。

 とにかく、全力で走った。ドアまでわずか数メートルの距離だったが、ドアが閉まってゆくごとに古泉の微笑も首を絞められているかのように引きつっていった。今度は俺を馬鹿にするような笑いではない。

 ドアは見る見るうちに狭くなっていったが、なんとかすり抜けてホームの黄色い点字ブロックに着地した。全力とはいえたかだか数メートル走っただけで、俺の心臓はメロディックスピードメタルのドラムばりにドコドコ脈打っていた。

 「危ないところでした」

 ああ。危うく車庫まで連れて行かれるところだったぜ。膝に手を当て、ぜいぜいと息を継いだ。

 「あともう少しで異世界の狭間に迷い込むところでした。僕も少し焦りましたよ」

 いや、それなら少しどころか大いに焦ってくれ。だいたいそんな底なし沼みたいなところに迷い込む可能性があるなら、到着5分前から起こしてくれよ。

 「どうやら僕たちは別の電車でやってきたようです。ここで待っていて良かったですよ。ちなみに異世界の狭間というのは文字通り世界と世界の狭間――隙間のことですね。どういうことかというと、物理学者たちによって提唱された超ヒモ理論で説明される11次元の――

 「んなことは後でメールででも送ってくれ」

 すぐに消去するから。

 「それより」俺は呼吸を整えてから言った。

 「ここはどこなんだ」

 「だから異世界ですよ。我々の元いた世界とは違うね」

 「陽が高すぎる」

 確か元の世界で遠藤さんの車に乗った時点で、すでに陽は地平線ギリギリだった。

 「いわゆる時差みたいなものですよ」

 まあ、古泉が言うんだからそうなんだろうな。周りの駅の光景は一般的なものだったが、よく見ると全く知らない駅名だった。これが異世界だからなのか、もともと俺の知らない場所なのかは分からない。

 「ここまで来ればあとは簡単です。鶴屋さんの居場所はだいたい分かっていますので、僕についてきてください」

 「それより古泉」

 「なんでしょう?」

 「のどが渇いた」

 さっきの猛ダッシュと古泉の気持ちの悪い説明のせいで、嫌な汗をかいたからだ。

 「売店で何か買おう」

 「いいえ、それには及びませんよ」

 古泉がメタンのような鼻につく微笑を浮かべながら言った。

 「これから行く先でゆっくりと飲めますのでね」

 最初からそこにワープしてくれれば手間が省けたのにな。後ろを振り返ると、俺が乗ってきたはずの電車は跡かたもなく消えていた。一体あの電車のようなブツが本当は何だったのかは、今でもあまり考えたくない。

 この駅を出る前に切符はどうするのかききたかったが、ポケットに手をやってみるとそこには全く買った覚えのない切符が入っていた。いや、切符というより回数券のようなものだったが、なにせそれは見たこともない種類のものだったし鉄道マニアでもない俺にはよく分からないな。

 「そうそう、その切符は大事なものなので絶対なくさないようにしてください。なくした場合、最悪この世界から帰れなくなる可能性がありますのでね」

 まあ、切符のことは先に言ってくれただけマシということにしといてやるか。

 なくしてから言われたって、それこそどうしようもないからな。

 「あと、頭についてますよ」

 古泉が俺の頭を指さして言う。

 「何がだ?」

 「一刻も早く取った方がいいと思います」

 「だから何なんだよ」

 さっきのこともあるし、俺は少しビビりながら頭へ手をやった。やわらかくてなめらかな感触。なんだ、これは?

 「幸いまだ誰にも見られてないようです。今の内に、早く」

 それを掴んだ手をおろして俺は驚愕した。そこには宇宙空間を切り取ってきたと思えるほど真っ黒な、鶴屋さんのおしりを長期間にわたって保護してきたであろう布切れが握られていたからだ。

 「さあ、どこでもいいから早くしまってください」

 そんなことを笑顔で急に言われてもすぐに対応できるように人間はできていない。

 しばらく――といっても1秒に満たぬ時間であったろうが俺は迷った末、手に持ったブツを切符の入ったポケットに無理やりねじり込んだ。

 「なかなかハラハラさせてくれますね」

 ああ、全くだ。俺も危うく普通の人間でなくなるところだったぜ。

 

 



 謎の切符で改札を抜けしばらく歩くと、そこらじゅうがコンピ研の部員みたいな人間で埋め尽くされたビル街に出た。中にはハルヒに強要でもされたのか、朝比奈さんのようなコスプレ姿で歩いている人間もかなりいた。このクソ暑い中ゴテゴテした衣裳を着ようなんて、俺には強要されたとかしか思えないね。大抵は俺のテストの答案並に直視するに耐えないような人間ばかりだったが、ドブ川の中にも稀に金塊が混ざっていた。無論、そんな程度の金塊に朝比奈さんを上回る人間はひとりもなく、なぜか俺自身はそれでとても誇らしい気分になった。

 誇らしい気分になれるのは滅多にないことで非常にありがたいのだが、俺も古泉も制服のままだった。普段なら何の問題もないが、この場所を制服で歩いているとどう見ても直視するに耐えないコスプレ集団の一員のように見えてしまう。

 「むしろ、それでいいんですよ。郷に入っては郷に従えです。その方が正体を隠すのにも都合がいい」

 「何の正体だ? お前はともかく俺はただの一般人だぞ」

 少なくとも下着に頭を突っ込んだりはしない。

 「しかしここでは違う。あなたは異世界人で、あなたという人間はもうひとりいる――さっきの遠藤さんのようにね」

 それを聞いて、俺はすこし気味が悪くなってきた。だってそこの角から「よぉ、元気か?俺」とか言うか言わないかは分からないが、とにかく俺と全く同じ人間がそうやってひょっこり話しかけてくる可能性があるってことだ。そう考えるとただのオタクの集まった場所に過ぎないこの腐った歩道も、アスファルトに浮かぶ蜃気楼かと思うくらいに現実感を失っていくから驚きだ。

 それこそ映画かドラマの中の街みたいに見えてきた。

 「案外その通りなのかもしれません。この世界をひとつの映画とたとえるなら、僕たちはそこに入り込んだ観客、予期せぬエキストラといったところでしょうか」

 迷い込んだのがハルヒでなくてよかった。あいつならエキストラで満足するはずがない。主役を奪っちまうだろうからな。

 「ええ、確かに彼女ならやりかねません」

 そこまで話したところで古泉の足が止まった。

 「どうやらここのようですね。着きましたよ」

 小洒落れた西洋風の家みたいな店が、このビル街のど真ん中に建っていた。場違いにも程がある――そう思っていたのは看板を見るまでの間だけだった。

 看板には『メイド喫茶』と書かれてあった。古泉曰く喫茶と書いて『カフェ』と読む――というか読ませるらしい。

 洒落てるだろ?

 こういうのをマネして、俺もこれからは『犬のフン』と書いて『かりんとう』と読むことにするよ。

 なあに。どっちも似たようなモンさ。



 店の中に入ると谷口ならAランクに分類しそうなメイド二人が俺たちを出迎えてくれた。ハルヒがいたら狂喜乱舞してここに朝比奈さんを研修に出し、これからの集合場所はこのメイド喫茶に変更になったであろう。俺はそれでもいっこうに構わない、と言いたいところだったがメニューを見てやっぱり気が変わった。コーヒー一杯400円じゃ俺の財布は外堀を埋められた大阪城より早く陥落する。だいたい、同じようなコーヒーが近くの喫茶店では200円だ。言っちゃ悪いがこういうイロモノ的な店のコーヒーなんて缶入りのをそのままカップに注いでいるだけだろう。あんまりあこぎな商売をしていると地獄に落ちることになるぜ。

 「何にしますか?」

 「普通のコーヒーでいい」

 半分はどっかの薬みたいにメイドさんの愛情が詰まっているとしよう。そうでないと値段の割に合わん。

 「それだけでいいんですか? せっかくだし何か食べましょうよ」

 「そうは言ってもメイド喫茶だぜ。正直、飯が美味いとは到底思えん」

 「イロモノだと思ってナメているとしたらそれは考え違いです。ここはかなりのやり手ですよ。他の席に座っているお客さんを見てください」

 いや、古泉に言われるまで全く気付かなかった。道路にあふれていたオタク臭い人間はなぜかこの店にほとんどいない。代わりにどこから引っ張ってきたのか普通のサラリーマンやあまつさえ家族連れの人までが隠れキリシタンの礼拝堂みたいにここに集まっていた。

 「まさか全員異世界人とか言うんじゃないだろうな?」

 「いえいえ。ここにいるお客さんは全て『一般人』ですよ。わざわざオタクの街に、この店だけが目当てで客が来る――それだけここの料理はレベルが高いということです」

 思わず確認するかのように俺は客のひとりひとりを眺める。

 「さらにさっき少し厨房を覗いてみたんですが(おそらく超能力で、ということだろう)、どうもかなり気合の入った、本格的な厨房のようです。『料理を見なくても厨房を見ればだいたいの味は推測できる』と言いますが、僕の未熟な経験とはいえこれだけの設備をそろえた店はそうそうお目にかかれるものではないと言えるでしょう」

 そこまで言うと超能力を使った疲れか、異世界に来てようやく落ち着ける場所に来てホッとしたのか、懐からおもむろに煙草を取り出して火をつけた。

 「ご心配なく。料理が来るまでです」

 また空中に煙の輪を作る。お前、それ好きだな。

 「しかし、金なんて持ってないぞ」

 ハルヒにほとんど奪われたからな。

 「大丈夫です。ここは僕にお任せあれ。機関の調査機密費という名目でかなり持ってきてますので」

 ああきっと越後谷の甘いお菓子を受け取る悪代官もこんな微笑を浮かべていたんだろうと思いながら、俺はメニューの中で一番高そうかつ美味そうなのを瞬時に選んだ。

 「どうやら決まったみたいですね」

 表情で悟られたか。古泉は煙草を灰皿に押し付け、さっきのAランクメイドを呼んだ。

 「とりあえず仙豆のスープとイヴァリース風チョコボの手羽先、焼き加減はファイガで、あと不思議の海の新鮮リゾットとラクーン風ピザ・ハーブ多めで」

 「俺はラダトームのキャセロール、焼き加減はベギラゴンで、あとアカギのチキンランミネストローネパスタ時速150キロ」

 一体どんなメニューなのかすらよく分からないが、多分これで大丈夫なはずだ。

 複雑な注文だったが、そこは流石メイドさんで、朝比奈さんなら噛み噛みであろう復活の呪文を長門のようにスラスラと復唱した。でもまあ、朝比奈さんの噛みまくる姿もそれはそれで見てみたいような気がする。

 「そうそう。あと前菜で生ハムたっぷりなサイヤ人盛り合わせ・ギャリック砲をお願いします。デザートはどうします?」

 「チョコレートの城ラピュタ、飛空石つきで」

 「いきなりそこに行きますか」

 古泉がいかにも常連というような顔をする。そりゃ機密費でタダなんだから3000円くらいどうってことないだろ。このためにわざわざメインディッシュの注文を少なくしたりと、一応は気を使ってるんだぜ。

 「お前は何にするんだ? 早く決めろよ」

 古泉はかなり迷っているようだったが、しばらくしてから意を決してメニューの一点を指さし「では、この最終人型決戦ケーキの弐号機をお願いします」と言って注文は終了。

 「かしこまりました、ご主人様」

 メイドが完璧な作法でメニューを下げて厨房の奥へ消えてゆく。

 「実はコードギアス反逆のミルフィーユとどちらにしようか迷っていたんですよ」

 「両方とも頼めばいいだろ。残したら俺が食ってやるよ」

 そう言った瞬間、古泉は「すいません」とさっきのメイドを呼び戻してすかさず追加注文、そんな無茶な追加にも嫌な顔ひとつせず対応するメイドさんの笑顔は店内を照らす100ワット電球より明るく輝いていた。いやあ、できればこのメイドさんと一緒に食事でもしたいもんだ。古泉、財布だけ置いて今すぐ元の世界に帰ってくれないか?

 「さてさて、どんな料理が出てくるのか、正直言って待ちきれませんよ」

 俺の心情も知らずに、そのエセコスプレイヤー気取りは悠然と2本目の煙草をフカしだした。

 まさか――いや、あり得ない。一抹の不安が頭をよぎったが、すぐさま打ち消した。

 だってここには一般人しかいないんだぜ。ほら、そこにいる無邪気にはしゃぐ子供たちを見てみろよ。ゲテモノ料理で子供があんな顔できるか? できるわけないだろ?

 だから、落ち着いて料理を待つんだ。いくらなんでもゲテモノ料理てオチはないだろ。長門にエグイものを食わされたからそういう杞憂が浮かんでくるんだ――

 そうやって無理やり心を落ち着かせている俺を尻目に、古泉が呑気そうな微笑を浮かべながら空中に煙の輪を作り始めた。今度は2つ3つと重ねてから、その中心を一気に吹く。古泉の口から出た煙の槍は見事3つのドーナッツの中心を貫き、天井へ溶け去っていった。

 本当にお前はそれが好きだな。今度ハルヒに見せてやれよ。超能力とか言って喜んでくれると思うぜ。

 そうこうしているうちに、意外と早く前菜のサイヤ人盛り合わせがテーブルの上にやってきた。普通サラダと言えばレタスばかりな印象があるが、ラディッシュからはじまりゴボウや菜の花といった、普通サラダには使われないような野菜も入っていた。むろん、食べやすいようにちゃんと料理して洋風に盛り付けてあり、そこに職人のただならぬ意気込みが感じられる。ん? なんだ、あのレタスの下にある巨大な芋虫のような物体は――ただのアスパラガスだった。思わず本気でビビっちまった。

 俺は、まずオーソドックスにアスパラガスにレタスを巻いてさらに生ハムで包みこんでから、ハルヒに殴られた傷もそろそろ癒えかけた口に入れて頬張った。

 噛んだ瞬間、俺の舌に電撃が走った。

 生ハムの肉汁と野菜が混じり合い、一瞬にして俺の口の中は春うららかなアルプス牧場と化してしまった。こうなると、薄暗い芳醇な森に差し込む木漏れ日のような味を心のなかでひたすら賞賛し続けるしかない。

 しかもこの上にかかっているソースのようなものは一体なんだ?

 「おそらく、オリーブオイルをベースにガーリックと胡椒その他諸々を加えたものでしょう」

 古泉はそう言いながら、俺が食う予定だったトマトをサッと取って口の中に放り込んだ。

 しまった。くだらないウンチクを聞いていたせいで獲物を取り逃がしたじゃねえか。俺は一番ソースが多くかかってそうなところへ瞬時に照準を移し、フォークで丸ごと突き刺して口へ運んだ。このソースに俺は完全にハマっていた。バラのトゲのように気品があって柑橘類のように香ばしい。まさに料理にかける香水。きっと朝比奈さんの黄金水もこんな味がするに違いないと思いながら、モッシャモッシャと口を動かし味わい続けた。

 ものの2,3分でサイヤ人が絶滅すると、他の頼んだ料理がAクラスメイドに運ばれて次々とやってきた。

 俺の頼んだチキンミネストローネは、なんとパスタが麻雀牌の形になっていた。しばらくの間、俺は夢中で麻雀牌を胃袋へほりこんでいったが、途中であることに気づき手を止めた。皿のふちにパスタを並べてゆくと――

「見ろ、古泉。国士無双じゅうさんめ――

「どうやら始まったようです」

 古泉が国士無双十三面待ちを蹴るほどだから、さっきのAクラスメイドのストリップショーでも始まるのかと思っていた。だが、実際に俺の目線の先にいたのはそれよりも驚くべきものだった。

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