第13話 幽体離脱

「仕方ないわね。じゃあ、今日は4人で鶴屋さんの家を探しに行くわよ」

 市内だけでもけっこうな数の家があるのに、それを全部調べる気なのか。そもそも、鶴屋さんが市内にいるかどうかも分からないのに――俺はハルヒの言うこと聞きながら、そんな風に思った。いつもなら、このクソ暑い季節に何クソめんどくさいことほざいてんだこのクソアマ、と思うところだったが、今回は空中から眺めているただの傍観者なのでその点、俺には関係のない話だった。

「私とみくるちゃんが市内の北側を探すから、有希と古泉君は南側を探して。とりあえず暑さがきつくなる前に、午前中に終わらせるからね。午後からはクーラーの効いたゲーセンで練習でもしましょ」

 ほほう。ハルヒにしてはなかなか計画的だ。『計画的な――ハルヒ』というのは『楽しい――古典』と同じくらい破たんした用法で、俺はこの光景が夢でなければいいのに、と思っていた。しかし、上空から駅前に集合するSOS団一行を眺めていることから、多分これは夢なんだろうな。夢の中では破たんも良くある話だ。

「それじゃあ、各自探索開始!」

 二組、各自思い思いの方向へと向かっていく。

 俺はどっちを観察するか迷ったが、結局長門・古泉ペアの方をさらに観察を続けることにした。 

 歩いてしばらくすると、古泉の方から喋り始めた。

「それにしても、えらいことになりましたね」

「キョン君、死んじゃったの?」

 ああ、そうか。俺は死んでしまったのか。まあ、あのケーキを食ったのだから死んでもしかたがない。やり残したことが多い人生ではあったが、それが俺の運命として受け入れるしかない。それにしても、長門の「死んじゃったの?」の言い方が、飼っている犬でも死んでしまったような言い方で――不思議と怒りはなく、宇宙人にとっては地球人なんてそんなもんか、と思うことができた。

「いえ、まだ生きていますよ。かろうじてですが」

「でも、キョン君はもう動かなくなった。死ぬと動かなくなる、とキョン君が言ってた」

 そういえば、そんなことを言ったような気がする。まさか、今度は俺が身をもって死を教えることになろうとは。

「今は意識がないだけです。ちゃんと生きてることは生きてますよ」

「じゃあ、また動くようになるの?」

「それは本人次第でしょうね。体には、もうなんのダメージもないはずです。あとは精神のショックからいかに早く回復するか、そこでしょうね」

 しかし、あのケーキは今思い出しても吐き気がこみ上げてくるほど強烈だった。今の俺は死んで浮遊霊になっているか、夢の世界にいるかのどちらかなので、もう関係のないことだが。

「もし、回復しなかったら――」

 長門が疑問文とも、独り言とも取れるような感じでつぶやいた。

「一応、周囲には軽い食中毒で寝込んでいる、という風に言ってありますが……それにも限界があるでしょうね。とにかく、今は彼を信じましょう。大丈夫ですよ、あの涼宮さんが彼の死を願っているわけもないですし、必ず回復しますよ」

 信じる者は救われる。

 信じる、というのは便利な言葉だと思う。と同時に、安易な言葉でもあると思う。便利と安易は表裏一体だが。

 それを承知であえて言うなら、できれば今までの光景が全部夢だと信じたい。

朝比奈さんと長門の陰湿な戦いや、ハルヒに暴行を受けたこと、鶴屋財閥が解散して鶴屋さんが行方不明になっていることや長門のゲテモノ料理を食べたこと、妹が反抗的で家族が冷たいことなど、あと5分くらいして目が覚めたら実は全部夢であって、俺はいつも通り「もっと寝かせてくれよ」とかいう慣用句で、起こしに来てくれた健気な妹に懇願しながら何とか目覚めて学校に行くのだろう。きっと、学校に行ったら真っ先に鶴屋さんが来てるかどうか確認するだろな。そこでいつも通り「おはようっ! キョン君! 今日は遅刻せずに済んだんだねっ!」「鶴屋さんこそ、珍しく早いですね」なんて会話を交わしながら元気な姿の鶴屋さんを見て俺は今までのことが夢であったと悟り、果てしない安堵を得るのだろう。

 そういう脚本を、俺は望んでいる。

 マジで頼んますよ、神さま。信じてますんで。

「ところで」

 古泉が話題を変えた。

「どうして彼にあんな……宇宙人的なモノを食べさせたんですか? 僕が来るのが少し遅れていれば、あのまま死んでいたとしても不思議ではありません」

 古泉が来た時、俺がどのような状況だったかは想像の範囲でしかないが、おそらく小皿の上に俺の吐いた“ブツ”が鎮座していたはずだ。この暑さで汗ひとつかかない古泉でも、あれを見れば冷や汗の一つもかいたに違いない。どうだ、まいったか。

「そそのかされた」

 雑踏の中、長門がぼそっと言った。

「誰かに、余計な情報を吹き込まれたんですね。誰にそそのかされたんですか?」

 長門は何も答えようとしなかった。

「答えにくいかもしれませんが、教えてくれませんか。少なくとも、機関は長門さんの敵ではありません。まさか、朝比奈さんに?」

「違う」

「では涼宮さんですか? 涼宮さんの言うことなら、信じたとしてもおかしくはないですね」

「それも違う」

 長門の言葉は相変わらず短かったが、そこにはどことなく、悔しさや――もしかしたら虚無感すら含まれているように感じられた。

「一体、誰なんですか? 珍しいですね、長門さんがここまでためらうなんて」

 ホント、ツチノコくらい珍しいと言っていいだろう。

「言っても、信じてくれないかもしれないから」

 大丈夫、長門の場合、愛の言葉以外は全て信じるから。

「大丈夫ですよ、僕たちは長門さんが嘘をつくなんて思っていませんよ」

 あの爽やかな笑顔で長門を見つめる。

 そうやってならんで歩いていると、そこら辺の通行人の皆さんにはお似合いのカップルが仲良く歩いているようにしか見えないだろうな。

 それでも長門がしゃべりだすまでしばらく沈黙があったが、ついに意を決したのか重い口を開いた。

「私にあのケーキの作り方を教えてくれたのは」

 くれたのは?!

「キョン君の妹」

「確かに信じがたい……でも長門さんが言うからには、本当なんでしょうね」

「キョン君はいつもかたつむりを生で殻ごと食べる、それくらい大好物だと教えてくれた」

「彼の妹は、たしか小学校5年生でしたね。おそらく、軽い悪戯か冗談のつもりで言ったのでしょう」

「あと、『うんち』も同じくらい大好物だと言ってた。できたてに醤油をかけて食べるのが特に好きだと」

「小学生のスーパースターですからね、そういう類は。今回のところは、かたつむりで済んでよかったというところでしょうか。『うんち』だったら確実に死んでいたでしょう」

「その点は、私の見解とも一致する」

「しかし長門さんが妹さんの嘘を見抜けなかった、と言うのは少々うかつでしたね」

「音声分析から判断するに、キョン君の妹が嘘を言っている形跡は一切認められなかった。全てのデータは妹の話を真実と裏付けていた」

「あの年齢の子供には、全く平気で嘘をつくことがあるんです。まあ、今回はちょっとした不幸が重なった、ということでしょうか。ところで、残ったケーキはあの後どうしたんですか?」

「私が食べた」

「たしか、情報生命体にとってのカタツムリは、地球人にとってのキャビアのようなものらしいですね。機関ではそういうふうに教わりました」

「厳密には違うが、おおよそはその通り」

「おいしかったですか?」

「ユニーク」

 俺はずいぶん前から突っ込む気力すら無くしていたが、ここら辺で古泉・長門ペアの観察も飽きてきたので、その場を離れることにした。これ以上二人の話を聞いていると、本当に気持ち悪くなってきた。あとで妹の水筒の中身を醤油に替えといてやろう。

 ゆっくりと空中に浮上してから、くるりと方向を変えた。

 朝比奈さんとハルヒが向かったのは多分あっちの方だろう。


「ほんと、いい気味ね」

 いきなりハルヒにそう言われた。といっても、それは空中にいる俺に言っているわけではなく、朝比奈さんに語りかけているのではあるが。

「床に落ちたチキンカツ拾い食いして食中毒なんてさ。とってもバカキョンらしいわね。みくるちゃんもそう思うでしょ?」

「床に落ちたとまでは、言ってなかったような気が……」

「そうだけど、キョンならやりそうじゃない。だいたい、あいつが普通の弁当食ったくらいで食中毒になると思う?」

 ハルヒに長門特製のケーキをごちそうしてあげたかったが、ここはグッと我慢した。どの道、今の状態でできることなど何もありはしない。

「この季節なら、ありそうだと思いますけど」

「分かってないわね、みくるちゃんは。キョンと同じクラスにいれば、アイツがどれだけバカかよくわかるから。だいたい、授業も半分くらい寝てるし」

 ちなみに、ハルヒは7,8割の睡眠率を誇る。まあ、半分寝ている俺の統計だからあまり当てにはならないが。

 「ところでみくるちゃん、鶴屋さんの居場所について、何か手掛かりはない?」

 「う~ん……」

 「ほら、思い出して。最後に会ったあの日、鶴屋さんがなんて言ってたかを。きっとそれが重要な情報になっているはずだわ」

 「ええと……」

 ハルヒが朝比奈さんの肩を掴んで向き直らせる。

 「あなたはだんだん鶴屋さんの事を思い出したくな~る……」

 ハルヒの指が、あのSOS団のエンブレムのような奇妙な輪を描く動きをし始めた。トンボの目を回すときの、単純な円の動きなどではない。長門いわくペタバイトクラスの容量がある紋様の動きだ。間違いない。

 「だんだん鶴屋さんのことを思いだしてく~る……」

 指の動きを眺めている朝比奈さんの目の色が、さっきとあきらかに変わっていった。ここではない異空間――例えば閉鎖空間を眺めているような、それか惚れ薬を飲んではじめて目覚めたばかりのような目の色へと――確実に変化していった。

 「思い出してく~るっ!」

 ハルヒのひとさし指が朝比奈さんの額の、ちょうどテンシンハンの三番目の目があるであろう場所を突いて止まった。

 「どう?」

 朝比奈さんの目の色が、ふっ、と元に戻った。

 「何か思い出せた?」

 「思い出しました。鶴屋さんと最後に会った時、なんて言ってたのかを」

 いつも間にか、俺もハルヒと一緒に思わず身を乗り出していた。

「それで、なんて言ってたの?」

 「『今から妹ちゃんを送って行くから、また何かあったときはいつでも呼んでねっ! すぐに助っ人に行くからさっ!』て言ってました」

 それなら俺も覚えている。なぜか俺の妹は鶴屋さんにものすごくなついて、野球大会の後、俺たちより一足早く一緒に帰って行ったのだ。

それより、朝比奈さんの記憶の中で鶴屋さんの最後の発言が野球大会のときというのが驚きである。確か、二人は同じクラスのはずだ。同じクラスでありながら名前すら覚えてないとは、どういう状況なのだろうか。

もしかして互いに嫌っていた?

それなら、なおさら名前くらい覚えていないとおかしい。

ハルヒの胡散臭い催眠術が効いたと思ったのだが――やはり名前すら忘れていた人間が重要な情報など知っているわけもなかったか。

「妹ちゃんを送って行くから、てところが怪しいわね……これは何かのダイイングメッセージの可能性があるわ」

どうやら、一緒に野球をしたことすら忘れていると思われるバカが一人いた。大真面目にさっきの言葉の意味を考えている。

勝手に殺してるしな。

「とにかく、まずはキョンの妹に会いに行くわよ」

「え? でも、キョン君の家は市内の南側にあったんじゃ……」

「それがどうしたって言うの。せっかくの有力情報を掴んだんだから、全員でそこを捜索するに決まってるじゃない!」

やっぱり、ハルヒに計画性はなかった。

方向を変えて走り出すハルヒのはるか上空を越えて、俺は一足お先に自分の家に帰ることにした。なぜかそこへ戻れば、この夢から覚めるような気がしたからだ。



家に戻る途中で、またもやキワモノ超能力使い&ゲテモノ宇宙人コンビに遭遇した。

「とりあえず、今からお見舞いにでも行きましょうか。もしかしたら、すでに意識を取り戻しているかもしれませんよ」

そう言って人ゴミの中をズカズカ進んでいく古泉だったが、長門に袖を掴まれてその足も止まった。

「どうしたんですか、急に」

だが古泉の疑問も振り返るまでだった。長門の指さす先には、色とりどりの花があった。

「本で読んだことがある」

「ああ、そういうことですか。確かに、最近の彼はちょっとばかり不幸続きのようですし、いい考えだと思います」

「でも、何を買ったらいいのか分からない」

「大丈夫ですよ。もし分からなければ店員さんにきけばいいだけです」

長門がコクリと頷いた。

店内へ入って行く二人。

多分、店員さんは二人を恋人か、もしかしたら仲のいい兄妹だと思っているのかもしれない。もしくはホストとそのセフレだとか思うかもしれないが、キワモノとゲテモノだとは予想すらできないだろう。

とりあえず、俺は一刻も早くこの悪夢から目覚めたいので、中学生時代の光速帰宅部並のスピードで家に帰る計画を実行に移すことにしよう。俺はそう決心すると体の方向を変えて、夢の中特有ののっそりとした動きで家の方へと泳ぎはじめた。

「これにする」

「長門さん……さすがに菊はまずいですよ」

空中をゆっくり飛び去っていく俺の背後から、そんな声が聞こえたような気がする。



重油の中を泳ぐようにしている内に、ようやくうるわしの我が家が見えてきた。幽体だからお構いなしに壁でも通り抜けてやるか。一回こういうのやってみたかったんだよな~。

それではお邪魔しますっと。

中に入ってみたら、妹の部屋だった。どうやら、今日はお友達が来ているみたいだ。

「ふ~ん。お兄ちゃん、今は食中毒で寝込んでるんだ。じゃあ、静かにしてなきゃダメなんだね」

「別に大丈夫だよ。普段寝てるときとか、踏んでも蹴っても絶対起きないもん」

それで起きた時にときどき腰が異常に痛いことがあったのか。てっきり勉強のしすぎかと思っていたぜ。ちなみに、その頃は受験勉強の追い込みで本当にそれなりに勉強していた。そう疑うなよ、全部本当のことだ。今の俺からは想像もつかんが、俺にもそういう時代があった、てことさ。

「それもしかして、死んでるんじゃないの?」

「あのまま死んじゃえばいいのにね」

そこで二人とも、無邪気な笑い声をあげた。

さらに俺への罵詈雑言が続くと思われた頃、家のインターホンが鳴った。

「お母さん、帰って来たの?」

「銀行に用事があって帰るの遅くなる、て言ってたから、多分セールスか新聞の集金だよ」

「出るの?」

「うん。もし新聞屋さんだったらお金払うように言われてるし」

妹がちょっとめんどくさそうに部屋を出て行った。コイツが留守番してるなんて珍しいな。

だいたい銀行に用事、ていうのは一体何なんだ? まさか借金とかそういう危ないモンじゃないだろうな。

まあ、いいや。考えてもしょうがない。俺もそろそろ自分の部屋へ戻るとするか。

一刻も早く、この悪夢から目覚めることができますように。

そう願いながら壁をすり抜けると、俺の安らかな寝顔がすぐそこにあった。

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